第二十一話
規則的に鳴り響くポケギアの音で目が覚めた。体を起こし、背筋を伸ばす。
ポケギアで今の時刻を確認する、昼前。昨夜は戦いのレポートを書き終えた後何時もより早くにベッドに入ったはずなんだけれども、やっぱり大一番の後は何時もより疲れる。
「さて、と」
シーツを折りたたみ、扉のそばにおいてある網籠の中に放る。結局俺が居る間にこの仮眠室を利用したのは俺だけだった。
別のベッドの上に散乱している私物を全て鞄に押し込み、寝床にしていたベッドと共に整える。
そして、今日やるべきことを考える。
顔を洗い、歯を磨こう。そして仮眠室を掃除して、身支度を整えて、センターの職員たちに軽く挨拶をした後。
この町を出よう。
「キリト、ここは危険だから関係者以外立ち入り禁止だ」
何時も本を読んでいた海岸。
海を渡るためにボールからポケモンを繰り出そうとしたとき、背後から急に声をかけられ、振り返るとデンジが微笑みを浮かべながら、
「ま、別にいいけど。それよりも、何の挨拶も無かったほうが問題だな」
「す、すみません。何だかこう、恥ずかしくて」
俺は、気持ちの切り替えがヘタだ。昨日、あれ程の激闘を演じた相手と翌日普通に話すことが出来るだろうか。
それに、必然的に顔を合わせる事になるであろうチマリとどう接していいのかわからなかった。
「どうしてここが?」
「君がセンターからチェックアウトしたら俺に連絡をまわすように職員に言っておいたのさ。そして、更なる高みに行こうとすれば出口はここしかない」
更なる高み、シンオウ地方四天王の事だろう。
だが、今のところ俺にその予定は無い。昨日の戦いで、俺の中のエネルギーと言うか、そういうものが全て持っていかれてしまった。当分、戦いを望む事はないだろう。
「あなたの悪友とやらには会ってみたいですね」
デンジの苦笑。
「ロバートさんとチマリちゃんは?」
「ロバートさんはジムでトレーナーと手を合わせているよ。時間が許す限りこのジムで鍛錬するそうだ。それに、実力でもぎ取るとさ」
ジャケットをチラッとめくり、裏側にあるバッジを俺に見せた。
「近づいたら、殺されそうだよ」
宿であった時に感じたロバートのギラギラとした若々しさ。紳士を装ってはいるが基本的に負けず嫌いなのだろう。
「チマリは……まだ、どう接していいのかわからない。もし君に会いたいのであれば、悪いことをしたのかもしれない」
そんなに気にするようなことでもないのに、と思う。
あの時チマリが俺に見せた表情は、完全に独立した、一人のトレーナーとしての顔。
だがデンジが危惧しているのはそんなことではなく。これまでの関係が崩れてしまうこと。これまでの兄と妹、もしくは父と娘のような関係が崩れているのかもしれないと不安なのだろう。
どちらが子供なのか、分からなくなる。
「デンジさん!」
デンジの背後から、デンジを呼ぶ声。
視線をそのほうに向けると、チマリと彼女の手持ちであるピカチュウがこちらに向かって走ってくる。
「デンジさん、急に居なくならないで。あなたが居ないと私の練習が進まないんだから!」
「あ、あぁ。すまない」
何時もと変わらないように――少し気さくかもしれない――デンジに話しかけるチマリに対してデンジはまだチマリの様子を伺っている。だが、デンジの表情に少しばかりの安堵が浮かんだ。
チマリはデンジの腕を引くと、俺のほうに顔を向け、
「あんた、帰るの?」
「あぁ、もうすることが無いからな」
「あ、そう」
また何時ものように二言三言小言を言われるかと身構えたが、彼女の口から出たのはたったそれだけ。
だが、すぐに彼女の目つきが変わり、
「今の私じゃあんたにもデンジさんにも勝つことは出来ない。だけどいつか、いつか力をつけて、デンジさんにもあなたにも勝つ。だからそれまで、私がまたあんたと戦うまで衰えないで、私は絶対あんたに勝つわ!」
それだけ言って「行きましょうデンジさん」とデンジの両腕をピカチュウと共に引っ張り海岸から消えた。
デンジは去り際に「機会があったらまた手合わせしよう、次は負けない」と言い残した。
彼の目は薄っすらと光を反射していた。
彼らの姿が完全に見えなくなって、先ほどまで三人の人間が居た海岸にあっという間に一人残される。
寄せては返す波の音だけが俺の耳に届く。
「なんと言うか……我が侭なお姫様だねぇ」
戦いというものは怖い。
昨日まではただの少女であったトレーナーを、一晩でここまで、具体的にはジムリーダーと同じような空気、威圧感を醸し出すまでにさせてしまうのだ。
彼女が再び俺に戦いを挑むのにどれだけかかるだろう。十年、五年……いや、真面目にやれば三年もあれば十分。
もはやデンジさえも彼女の壁ではない。少なくとも、彼女はもうデンジに勝てないなどとは思っていないはずだ。
自然と気持ちが高ぶり、口角が釣り上がる。
「心配事が増えたなぁ」
ボールを海に向かって放り投げる。ややサイズが大きめのマンタインが現れた。シャワーズでは小さすぎる。
ここら辺は野生のマンタインも多く生息する、こいつにとっても泳ぎやすい海だろう。
浅瀬に浮かぶマンタインに飛び乗り、行き先を伝えた。
「行こう、だれでもいいから強い奴の居るところに」