第二十話
エレキブルは消耗していた。足取りはおぼつかなく、息も荒い。
それほどの攻撃をぶつけた記憶は無い。つまり考えられることは、スタミナ切れ。もしくは、自滅。
なるほど、そういうことかと思った、そして、俺が考えているとおりだとしたら、なんと悲しいことだろう。
エレキブルの体からやどりぎが生えたとき、同じように発芽した『タネ』がある。ロズレイドの左腕から放たれた『なやみのタネ』だ。
なやみのタネは相手の特性を不眠にする効果がある。エレキブルの電気エンジンを封じることで帯電による技の無効化を防ごうとしたのだ。
だが、エレキブルは突然変異種がゆえに俺が思っている以上に特性に依存していた。自らが放つ電撃に自らの体が耐えることが出来ないのだろう、原動付き自転車にスポーツカーのエンジンを搭載するようなもの。
今思えばデンジがメガトンパンチのを指示を出したのも、なやみのタネに気づいていたからに違いない。その洞察力、流石は最強のジムリーダーと言ったところか。
だがエレキブルは勝負を焦り、雷パンチを放ってしまった。
「まだ勝負は付いていない! 油断するな!」
デンジはまだ周囲を見渡し、エレキブルを鼓舞する。
エレキブルはかろうじて両足を踏ん張り、小さく唸り声を上げる。敗北を拒否するのは、突然変異種であることのプライドか。
霧が晴れても、シャワーズの姿は無かった。もちろんだが雷パンチで消滅した訳ではない。
興奮で体中が暑くなる。俺はトレーナーとして負けた。
自分が優位であることで図に乗り、対戦相手がデンジと突然変異種であることを忘れていた。追い詰めているように見せかけられ、相手の術中にはまっていた。身代わりを見破られ、光の壁へと誘導されていた。デンジの手のひらで踊っていただけだったのだ。もしエレキブルがデンジの命令どおりにメガトンパンチを放っていたら……
水飛沫が地面の窪みに溜まる。そしてそれは一気にシャワーズの形を作る。
『雷パンチ』を受ける直前に『とける』の指示を出していなかったら確実に戦闘不能に追い込まれていただろう。そして、指示を受けるポケモンがシャワーズでなかったとしても恐らくは敗北していたであろう。シャワーズがギリギリまで俺を信じ、独断で動かなかったからこそ、俺の指示が通ったのだ。
「全力だ! ハイドロポンプ!」
身代わりで体力を使い、とけるで最大限の防御をしたとはいえ弱点である電気属性の攻撃、恐らくこれが最後の攻撃になるであろう、そしてエレキブルの消耗からして相手もそう長くは無い。シャワーズは四足を踏ん張り、最高の状態でハイドロポンプを放とうとする。
「迎撃しろ、破壊光線」
対するエレキブルもシャワーズに目標を定める。
先ほどの雷パンチで自らの体に起こっている異常に気づいたのだろう。命令に背かず、口から破壊光線を放った。
ハイドロポンプと破壊光線が両者の中央でぶつかり合う。だがすぐにエレキブルは体勢を崩し、破壊光線はハイドロポンプに押し切られた。水流がエレキブルを飲み込み、エレキブルの巨体は力なく崩れる。
ジムの中を静寂が包んだ、だが一人だけ、デンジだけは冷静に、冷静に言葉を放った。
「審判、見れば分かるだろう、戦闘不能だ」
審判員は自分の役割を思い出したようにびくりと体を痙攣させると、デンジ側の赤旗を揚げた。
同時に、ジムトレーナーたちから拍手が沸き起こる。そのとき初めて、この戦いが終わった事を実感した。
観客席に目を向かわせ、チマリの様子を伺う。
立ち上がり拍手をいるロバートの横で、チマリは真っ直ぐに俺を睨んでいた。
俺達は競技場の中央に集まり、審判員にそれぞれの手持ちを受け渡した。
審判員は開始前と同じように ボールに不正が無いことをチェックし、それらを回復装置に持っていくようにとまた別のジムトレーナーにボールを渡した。
「俺が手抜きなどせず、この戦いに本気で望んでいたことはここに居るジムトレーナー達が証明してくれるだろう」
デンジは開口一番にそう言った。負けたとは思えないほどに満ち足りた表情だった。
「三連戦目であったとか、直前に不自然な試合の取り消しがあったとか、そういう事を言う輩が居るかもしれないが、君がこのジム至上トップクラスの挑戦者であったことはこの俺が保障する」
そしてジャケットのポケットから小さなバッジを取り出し。
「とても、良い、勝負だった。このバッジは君に相応しい。受け取ってくれ」
ビーコンバッジ。八年もの間、どんなトレーナーでももぎ取る事が出来なかったそれは少し埃かぶっているような気がした。
理屈や信念で何を思っていようと、バッジを貰った時は嬉しい。
だが同時に、悔いることもあった。
「もし、あなたのエレキブルがあの時指示に背かなければ、俺は負けていたでしょう。トレーナーとして、俺はまだあなたには及ばない」
エレキブルがデンジの『メガトンパンチ』の指示を無視し『雷パンチ』を放った、結果として発電に僅かではあるが時間を消費しために『とける』の指示が通った。そして、発電によって体力を殆ど奪われた。
「リスクを背負って、彼をアンカーに据えたんだ。彼を攻める気にはならない。それに、あの状況は、百人のトレーナーが百人『雷パンチ』の指示を出すだろう。なやみのタネの有無に関わらずにね」
「何故なやみのタネに気づいたのですか?」
「エレキブルが電気ショックを放ったとき微かに違和感があった、彼は気づいていなかったようだがね」
確かに、エレキブルが電気ショックを放ってからは電磁波しか電気技の指示を出していない。
自分に重ねて考えてみる、俺は、シャワーズの些細な行動に気づけるだろうか? 負けてもなお、デンジというトレーナーは凄みを見せる。
「これで、良かったのだろうか」
デンジが、軽く顔を伏せているのに気づき、失礼だが笑いが漏れた。戦いが終われば、またすぐに愛弟子のことを気にしている。顔を上げないのはチマリと目を合わせたくないからだろう。
「後は、彼女しだいですよ」
もう一度、チマリのほうを見る。
先ほどと同じく、俺を真っ直ぐに睨んでいる。デンジへの同情も、失望も無ければ。俺に対する憎しみも、怒りも無い。ただただ、トレーナーとして、戦いを求めるトレーナーとして俺を睨んでいた。
僅かではあるが背筋が震える。それと同時に、自らのトレーナーとしての本能的な部分がチマリを一つの壁として認識していることに気づいた。
「まぁ、大丈夫そうですけどね」