第二話
センターでジムリーダーのデンジと出会った。
八年前の敗北時に二十一歳だからもう三十近いはずだが全く老けているようには感じない。ぱっと見では二十代前半ぐらいに見えるだろう、男の肌の曲がり角は四十前後と言われているから外見に気をつけていれば当たり前の結果と言えるのだろうか。俺もこんな風に年をとりたい。
ところどころ黒く汚れた作業着のツナギを着ており、タオルをバンダナの様に頭に巻きつけている、趣味のジム改造の途中なのだろう。
「ども、ジムの改造お疲れ様です」
「やぁ、本はゆっくり読めたかい?」
「いや、チマリちゃんに怒られちゃいましたよ」
「ははは、悪いね、あの子はこの町以外の世界を知らないからキミの凄さが分からないんだ、親ばかだとは思うけど、許してくれ」
デンジは笑いながら頬を掻く。俺は娘を持ったことなど無いから分からないが父親の顔とはこういうものなのだろう、デンジは独身だが。
「いえ、俺はこの町で何もしてないですから、チマリちゃんにそう言われても仕方ない。それに、俺よりもチマリちゃんの方が才能がありますからね、チマリちゃんのあの自信も仕方ない」
自信と言う言葉を聞いた時、デンジの顔が曇った。
「キリト、チマリの事どう思う?」
「え、チマリちゃんですか。そりゃまぁ将来美人になることは大体分かりますけども。ちょっと当たりが」
「いやいやいやいやそっちじゃないから、トレーナとして、トレーナーとしてな!」
表情から察するにえらい焦りようだ、ちょっとした冗談なのに嫌にむきになるなと考え、この人がチマリに対して抱いているであろう感情を思い出し少し納得する。そりゃぁ父親に対して言える冗談ではない。
「ちょっとした冗談ですよ、トレーナーとしてですか」
俺はここにきて三カ月全くバトルをして居なかった、チマリにトレーナーとして認められていないのもそれが原因。別にバトルが嫌いなわけではない、必要ない時にはしないだけだし自分の中で重要な戦いの前にはその土地に自分を馴染ませたかった。そしてデンジとの戦いは俺の中でとてつもなく重要だ。それに、ちょっとした理由もある。
対象的にチマリは暇な時間のほとんどをがむしゃらにバトルに費やす。才能では埋めようがないスキル、経験をより多く得ようとしているのだろう。
チマリのバトルは何度か見たことがある。戦術は速攻型、効率的に勝利への最短を目指す戦い方だ。そしてその戦い方は。
「戦術は貴方にそっくりですね」
「そう、やっぱりそう思うか」
デンジはどこか遠くを見ると、センター端にある長椅子に座り、横に座るように言った。
「チマリちゃんの師匠は必然的にデンジさんなんだから戦術が似るのは当たり前ですよ」
「師匠、ね、そう、ただの師匠なら良かったんだ」
ただの師匠、その単語はあまり使うことないものだった。
ジムリーダーデンジを師に持ちたいトレーナーは、世界に何人も居るだろう。
「ただの。ですか」
「そう、ただの」
デンジは深く考えているようだった。頬杖をつき、小さく唸っている。
「チマリはこの八年間、俺と対戦したことが無い。師匠と弟子という関係に限りなく近いのにだ、何故だと思う?」
そう言われてみれば確かにそう。この三か月、チマリはデンジと試合はおろか、手合わせすらしていない。俺が弟子だった頃には師匠に向かって行っちゃぁぼこぼこにされていたと言うのに。勿体無い話だ。
だが心当たりはある、そしておそらくそれは当たっているだろう。
「チマリちゃんの、あなたに対するある種の服従じゃぁないですかね」
「そう、たぶんそうだ」
デンジははぁ、とため息をつきうなだれる。
服従させること、それはジムリーダーには必要な能力だ、事実デンジにはファンも多く、ジムトレーナーも志願も絶えることなくやってくる。
もし俺がナギサの出身だったら、デンジの門下に下っていたかもしれない。それほどのカリスマをこの男は持っている。
そのあと三分ほど、沈黙が続いた。
「八年前、傲慢でも何でもなく俺はシンオウ最強のジムリーダーだった」
沈黙を破ったのはデンジの言葉だった。
「俺は悪友に誘われていたんだ、ジムリーダーを辞めて四天王の一員にならないかと。正直乗り気だったよ、何もない街、弱すぎる挑戦者、飽きるには事足りない、だが一つの要因が俺をジムリーダーという立場に縛ったんだ」
「敗北ですか」
ジムリーダーデンジという人間の経歴の中で数えるほどしか存在しない敗北。その中でもひときわ異常なのが八年前、ジムリーダーデンジの最後の敗北だ。
相手はわずか十二歳、その少年は津波のようにシンオウを飲み込もうとしていた。
次々と突破されるジム、謎の組織ギンガとの戦い、負けを知らぬのではないのかと勘ぐってしまうほどの快進撃、次代の大物、世界を飲み込みかねない逸材とも呼ばれていた。
だがそれでもデンジの敗北を予想したものは居なかった、デンジもまたある一種の天才、相手が次代の大物ならばデンジは現代の大物だった。
だが大半の予想を裏切り、デンジは敗北する。他のリーダーと同じく、飲まれたのだ。
「確かに八年前に俺は負けた。シンオウのジムを破竹の勢いで勝ち進んだ少年。俺はそいつを叩き潰して、ジムリーダーを辞めるはずだった。だが俺は負け、リーダーを続けざるを得なくなった」
しかしデンジは首を振り、だけど本当は違うんだ、と続ける。
「本当は勝とうが負けようがジムリーダーを辞めようと思っていたんだ。どっちに転がっても一つの区切り、俺はジムリーダーには向いていなかったしな。ところがだ、ところがだよ、チマリの奴が泣いて言うんだ『もう泣かないからやめないで』その姿がまぁ、その、なんてーのかな、すごく可愛くて、すごく弱弱しくて、守らなくちゃならねぇと思ったんだ。才能あるトレーナーを潰すかもしれないとか、幼い女の子をこんな僻地まで引っ張ってきた責任とか、そんなんじゃなくて、その、なんだ、くそっ、うまく言えねぇけどさ」
「大丈夫ですよ、いいたいことは大体分かります」
顔を真っ赤にしてチマリのことを語るデンジからはバトル中の冷たい殺気は感じられない、歳の離れている兄かもしくは若い父親のようだ。
「いい関係だと思いますよ、師弟の間の信頼感っつーのは無いよりはあった方がいいです、そんなに考え込むほどの事じゃない」
「いやそうじゃないんだ、考えてるのはもっと違う事、具体的に言えば、今俺は八年前と同じ気持ちなんだ」
頭のタオルをはずし、ワックスで固められたブロンドをガシガシと掻き毟る。そして、センター内にジムトレーナーが居ないことを確認してから言った。
「傲慢でも、たぶん慢心でもない。俺は、強すぎるんじゃないだろうか?」