第一話
世界で一番初めに海と言うものに風流を見出したのは誰であろうか。誰であるにしろ大昔であることにほぼ変わりはないだろう。海と言うものは我々の故郷であり生活する糧でもある、それは今も昔も変わらない。
何が言いたいかと言うと天気のいい朝に海辺で簡易イスに寝そべりながら読む本は最高に最高だという事だ。誰にも邪魔されることなく自分の世界に入るこむことができ――
「キリト! ココは危険だから関係者以外立ち入り禁止だって何度言ったら分かるの!」
少し幼さが残ってはいるが気丈で凛とした声。タイトなジーパンに薄手のジャケットを羽織っている、隠しているようだが隙間から下に着ているピカチュウプリントのTシャツが見える。俺がここで生活する上での唯一と言っていい問題、ジムトレーナー様だ。
このチマリと言うトレーナーはおよそ八年前に若干六歳にしてジムトレーナー、しかもシンオウの最難関ジム、ナギサジムにジムリーダーデンジ自らの推薦で所属した天才少女だ。しかもジムトレーナーになってからもメキメキと実力をつけている。
順調にいけばジムリーダーライセンス所得もあるらしい、本人にその気があればだが。
「チマリ、何度も言うが俺はポケモントレーナーだぞ? 君らが懸念している海ポケモンにも対抗できるし、この浜辺は満潮になっても飲み込まれることはない。そもそもデンジさんの許可は取ってある」
「何度も言うけどあんたがトレーナーだなんて私は認めてないわ! それにデンジさんの許可なんて意味無いわよ、あの人誰にでも許可出すんだもの」
「つーことはイコール誰でもはいっていいってことだろ、だいたい呼び捨てかよ、さんをつけろ、キリトさんって。もしくはキリトお兄さんとか」
「うるさい、いいから即刻出ていきなさい、さもなくば実力行使に出るわ」
チマリが腰に手を当てる、なんだかややこしいことになりそうなのでここは素直に引くことにしよう、海よさらばだ。
「わぁったわぁった、センターに戻ることにするよ、ほら、椅子を片付けるから本を持っててくれ」
ハードカバーの本をチマリの方へ放り投げ椅子を片付ける、チマリはそれを背伸びをしてキャッチした。
「あんた学者なの?」
俺が渡したの本をニ、三ページめくってチマリが聞いた。
「そう見えるかい?」
俺は裸眼だが右手でずれた眼鏡をずらす演技をする、片手には折りたたまれた簡易イス、丈夫で座り心地もいいのだが重いのがネックだ。もう少しだけ軽かったら移動の際に苦労はしないのに、かといって地べたに座りたくはない。
「全然、ただの優男にしか見えないわ。ただこの本がね」
持っている本の表紙を俺に向けてちらつかせる。
「あぁ、本ね、本」
「『ポケモン進化に対するレポート百選』こんなの一般人は読まないし存在すら知らないんじゃない?」
「書いてあることの八割は分からないけど暇つぶしにはちょうどいいよ、理解しようと一生懸命読んでればなんかこう、ぐっすり眠れる」
「編集者のウツギ博士が聞いたら泣くわね」
チマリは溜息をつきながら本を投げ返す。俺と違ってコントロールが良い、ちょうど胸元。
「海を見ながらぐっすり眠るためにナギサに来たわけ?」
チマリが呆れた風に言った、そりゃぁ確かにチマリの前では海の前で寝てばっかりだけどもそりゃないだろう。
俺がここのポケモンセンターに泊まり始めて今日でちょうど三ヶ月になり、チマリとの会話を見れば分かるかもしれないがだいぶこの町になじみ始めている。といっても特に何かをしたわけではないが。
「それも少しはあるけど、俺も一応トレーナーだ。そんな奴がここに来るという事の最終目標は分かるだろ?」
トレーナーがこの町に来る、それすなわちナギサジムへの挑戦を意味する。
だがデンジというジムリーダーはここ八年間で無敗。
ポケモンバトルシンオウリーグのシードを得るにはナギサジムを含む八つのジムバッチが必要だが、今現在シンオウリーグのシード権を得ている人間は非常に少ない。その理由の一つにはデンジが強すぎる事がある。ナギサのジムバッチであるビーコンバッジは持っているだけである一定のステイタスとなるのだ、まぁ当たり前と言ったら当たり前の事だが。
「ふーん、あんたがデンジさんにねぇ」
チマリは俺の全身をじろっと見回して。
「時間の無駄だからやめておけば? シンオウより違う地方のバッチを集める方が楽よ」
「ははっ、言うねぇ」
チマリの自信満々の目を見るとデンジへの信頼がよく分かる。職務放棄だのジム改造廃人だの言われてはいるがデンジが人間的にもバトルの面でも優秀なトレーナーであることは間違いないだろう。
「明日の朝に一試合対戦が組まれてるの、よかったら見学するといいわ。デンジさんにかかればあっと言う間だけどね」
胸に手を当て誇らしげに言う。
チマリは自分の事についてはあまり語らないがことデンジの事になると急に饒舌になる。彼女の家庭の事までは分からないが六歳からジムにいるのだ、ジムのトレーナーやリーダーのデンジの事を家族の様に思っているのだろう。
「今回は断っとくよ、他人のバトルを見るのはあまり好きじゃない」
手を振る俺に、チマリはふふんと笑って返す。
「あんた、トレーナー向いてないわよ」
デンジの話が出て機嫌が良くなったのだろう、始めの様な仏頂面は無くなっていた。
「よりにもよってデンジさんのバトルを見ないなんて」
今のチマリが俺を見る目から読み取れるのは憮然と憐み、あとは少々の選民的な思想だ。
ジムリーダーデンジを圧倒的に信頼、尊敬している。本人だけにとどめていればそれで良いのだがそれは俺達にまで及ぶ。
俺が初めてチマリにあった時、彼女は俺に対して怒りと敵対心を持っていた。ポケモントレーナー同士なのだから当然と言えば当然なのだが彼女の場合はそれとは少し違う。
この町に来るトレーナーそれイコールデンジの敵だと認識し敵意をむき出しにする。自分対誰か、ではなくデンジ対誰かなのだ。俺にはそれが良いことなのか悪いことなのか何とも言い難いが。
「あんたってポケモンセンターで暮らしてるのよね?」
「まぁね、三か月もいるとさすがに迷惑がられるがな」
センターには一応トレーナー用の仮眠室があるが、あくまで一夜限りを想定しているものであって、流石に三ヶ月居座る俺のようなトレーナーは少ない。
「お風呂とかどうしてんの? あそこに設備はないし……まさか入ってないとか」
「あのな、俺はトレーナーだっつてんだろーが、ドラム缶がありゃぁ風呂なんていくらでもできらぁ」
余りにもアウトドアな発言に顔をしかめるチマリを尻目に、俺は第二の故郷であるナギサポケモンセンターに帰った。