再会
再会

 日が沈み、あたりが暗くなりはじめたころ。
「ここ、ポケストップになってるんだぜ」
「ほんとだ……こんなところがあるなんて知らなかったわ」
「おれも。画面の表示で見て初めて知ったぜ」
 僕たちの家から自転車で数分のところ。僕とリョウは最近流行りのポケモンGOをプレイ中だった。ポケモンなんてプレイするのは何年振りだろう。あの頃両親にさんざんおねだりして、家からバスに数十分揺られて到着した大きな街の電気屋さんでようやく買ってもらったというのに、ゲームボーイアドバンスに差したままのサファイアは、どこへしまったのやらもう覚えていない。
「せっかく来たんだし、しばらくここでポケモン探そうか」
「そうすっかー。ルアーモジュールも仕掛けよう」
「ルアーモジュール?」
 今日ポケモンGOを始めた僕は、まだポケモンの捕まえ方くらいしか知らなかった。
「ポケストップでしか使えないけど、周りでしばらくポケモンが出やすくなるんだ」
「へえ。そんなのがあるんだったらぜひ仕掛けてよ」
 僕はポケモンGOでどうしても捕まえたいポケモンがいた。街の方にある中学に入ってからは、「ポケモンなんて子供がやるもの」「小学校と一緒にポケモンも卒業した」みたいな、周りの同級生の声に押されて、すっかりポケモンから遠ざかっていた僕だけど、ポケモンGOだけは発表されてからずっと楽しみにしていた。ダイヤモンドパールも、プラチナもハートゴールドソウルシルバーも、あのサファイアのリメイク版でさえも、名前を見るだけで買おうとはしなかったのに。
「おれに使わせんのかよ。これ、課金アイテムなんだぜほんとは」
「そうなの?」
「ああ。一個100コインだから、だいたい100円くらいかな」
「マジかよ。じゃあ今度ジュース奢る」
「いいよ別に。ゲーム内でいくつかタダで手に入るからな」
「ふうん」
お金で買えるアイテムがあるのは知らなかった。ポケモンGOは基本プレイ無料だし、ポケモンが出やすくなるのなら貧乏大学生の僕でも千円や二千円くらいなら払ってもいいかな、と思った。
3DSどころかDSも持っていない僕にとって、ポケモンGOをスマートフォンでプレイできるのはとてもありがたかった。本体とソフトを一緒に買うとしたら何万円もしただろう。
「その代わり、次にルアーモジュール使うときはお前持ちだからな」
「おっけ」
だけど、何よりも僕を強烈に惹きつけたのは、ポケモンGOが現実世界とリンクしている、というところだと思う。昔、サファイアをプレイしていたころは、まるで自分がゲームの世界に入り込んだようなつもりになって遊んでいたけど、大きくなるにつれて、いつの間にかそういう遊び方ができなくなっていた。ゲームはどんどんリアルになって、グラフィックも進化して3D表示もできるようになったけど、僕がゲームの世界に入り込めないのは同じだった。
 ポケモンGOは違う。AR(?)とかいう技術で、スマホのカメラから撮った映像の中にポケモンが表示される。これもまあ、作り物には違いないけど、現実の風景の中にポケモンがいるというのはやっぱり興奮する。ポケモンを捕まえた時はまるで自分が本当のトレーナーになれたみたいな気分になる。
「おこうも忘れずに使えよ」
「おこう?」
「どうぐの中にあるだろ。これもポケモンが出やすくなるんだ」
「本当だ。これも有料アイテム?」
「そうだよ。いくらだったか忘れたけど」
 リョウは初見プレイを楽しむ僕とは違って、データを集めまくるタイプだった。ルビサファにはまってた小学生時代も、ポケモンのタイプ相性とか、種族値だとかそういうのにやたら詳しかったのを覚えている。わからないことがあればいつもリョウに聞いていたし、リョウは必ず僕の求めている答えを持っていた。
サファイアをプレイしていた時、僕はダーテングにサイコキネシスを打っていた。リョウはむし技なら四倍だよと言っていた。僕らはそんな感じで全然違うプレイスタイルだったけど、田舎で他に相手がいないこともあって、よく二人でポケモンをしていた。
 最近は疎遠になっていたけど、ポケモンGOのサービス開始で再びこうして一緒に遊ぶことになったのだった。
「画面になんか数字が出てるんだけど」
「ああ、それはおこうの残り時間」
「え、残り時間とかあるの」
「そりゃあるさ。ずっと効果は続かないよ」
「あと二十九分ってこと?」
「そう」
「じゃあ早く探さないと」
「焦らなくてもすぐ出るよ」
 リョウの言葉通り、すぐにポケモンは出現した。キャタピーだ。あんまり強くはないけど、今までドードーとコイキングばかり捕まえていた僕にとっては初めて発見するポケモンだ。
 ポケモンが出現するとぶるぶるとスマホが振動する。画面を見ずともポケモンが出現したとわかる。便利だ。画面を見続ける必要がない。「歩きスマホ」をしなくても済みそうだ。実際、このあたりには電灯の類はないから、画面を見ながら歩いていたらつまずいてしまうだろう。
「そういえばここ、なんなんだ? やけに広いけど」
「神社だよ」
「神社?」
「そうだよ。鳥居、くぐっただろ」
 くぐったっけ。記憶になかった。僕はたぶんその時スマホの画面ばかり見ていたはず(歩きスマホだ、よくない)だし、ちょうど日が沈んだころであたりも暗かったから見落としたのだろう。
「ほら、向こう」
 リョウが指差した先、下のほうに鳥居があった。すっかり暗くなってきたせいで、輪郭だけがぼんやりと見えただけだけど、それはたしかに鳥居だった。手前に、僕たちの登ってきた階段があった。そうだ、すっかりスマホに気を取られていたけれど、階段を登りながらなんでこんなところに階段があるんだろう、と疑問には思っていたんだ。
「ここ、何神社って言うの?」
「ちょっと待って。今ビードル捕まえてるから」
 ビードルってどんなポケモンだっけ。あんまり覚えていない。
「あ、ズバット」
 モンスターボールを投げる。投げたボールは、ズバットの下をくぐってコロコロと転がってしまった。もう一回。今度はちょうどいい高さになるように。いち、に、さん。ボールが三回揺れて、ズバットは見事に僕のポケモンになった。
「あれ、っかしーな」
「どうしたの? 捕まらない?」
「いや、ビードルは一発で仕留めたけども。ここのポケストップ、説明が何にもないんだよ」
 リョウが画面を見せてくる。そこには、○○神社、とではなく「御神木」とだけ書かれていた。写真も、木を映したのだろうが、黒くてよくわからない。
「なんだよこれ。説明くらい書いとけよな」
「もしかして、ゲーム会社の人がよく知らなかったとか?」
「いや、ポケストップはIngressっていう別のゲームのを流用してるんだ。全国のポケストップは全部、Ingressのプレイヤーが写真撮って名前と説明文付けて申請したものなんだ」
「へえ。なんだかすごいな」
「たぶん、ここは申請したヤツが怠慢だったんだな。写真もなんか写りが悪いし」
「こんな田舎にもIngressだっけか、そのゲームのプレイヤーがいるってことなんだな」
「たしかに」
 ポケモンですら、小学校の同級生のプレイ人口が少なすぎた記憶があるのに。もっとも、そのおかげでリョウと仲良くなったという部分もあるが。
 それにしても、こんなところを知ってるなんてよほど地元に詳しいプレイヤーだったのだろうか。神社(らしい)の境内は、よく見れば足元が石畳になっていて神社らしい部分もあるけれど、さびれすぎて言われなければわからないくらいだった。
「お、モンジャラだ! こいつ意外とレアなんだぜ」
「珍しいのか」
 画面を覗き込むと、ツタが絡まったような姿に、目と手がついたポケモンがいた。なんだこれ。こんないい加減なデザインのゆるキャラみたいなポケモンいたっけか。リョウは慣れた手つきでボールを投げる。ボールはまっすぐに飛んで、モンジャラとかいうポケモンを吸い込む。
「よっしゃゲットだ」
「早いな」
「ほら、おれの方が先に図鑑埋めちまうぜ」
 う、くそ。こいつには負けん。その時、スマホが震えた。画面を見ると、さっきリョウのスマホに出現していたポケモンの姿。モンジャラだ。
「こっちも出た!」
 モンスターボールを投げる。レアポケモンに焦り、ボールはポケモンの右をかすめて転がって行ってしまった。もう一回。リョウはにやにやしながら僕のスマホを覗き込んでいる。今度こそボールをポケモンにまっすぐ投げた。一回、二回。ボールが揺れる。しかし。
「ああ!」
 三回目、というところでモンジャラがボールから抜け出してしまった。そしてそのままひゅっと逃げ去ってしまった。
「どんまいどんまい。いきなり逃げる確率は低いけど、時々ある」
「確率が低いのか時々あるのかどっちだよ」
「まあまあカリカリすんな。しゃーないって。昔からおれの方がポケモン強かったしな」
 リョウは得意げににやりと笑って見せる。たしかにリョウの言うとおり、サファイアでのポケモンバトルは圧倒的な知識を持つリョウにやられっぱなしだったのだ。だけど。
「昔のことはポケモンGOには関係ないだろ。見てろ、絶対僕が先に図鑑完成させてやるよ」
「おー、言うじゃん。じゃあ図鑑は全部で何匹でしょーか?」
「うっ」
 知らない。
「はっはっは、それじゃまだまだポケモンマスターへの道は遠いぞ」
 そういってひとしきり笑いまくってから、リョウはすたすたと鳥居の方へ向かって歩きはじめる。僕はあわてて後を追う。さてはまたレアポケモンが出たのか。
「どこ行くんだよ」
「休憩だよ、休憩。この辺のポケモンはひととおり捕まえたし、階段のところに座ってるよ」
「ルアーモジュールあと十五分も残ってるぞ」
「だからお前はルアーモジュール切れるまでもう少し捕まえてろよ。まだ図鑑十匹くらいしか埋まってないんだろ? おれは三十匹超えてるからな、ハンデだよハンデ」
「あっそ。すぐ追い越してみせるさ」
「おう」
 何がハンデだ。どうせ足が疲れただけに決まっている。リョウは理論派で知識ならだれにも負けないと豪語するが体力はない。ここまで自転車で来るだけでもひいこら言っていたぐらいだ。十五分でたくさん捕まえてあとでリョウに自慢してやる。歩き去るリョウの背中を見ながら誓った。
 画面の「近くにいるポケモン」の中には、シルエットだけが表示されている、まだ捕まえていないポケモンが数匹いる。たぶんこの神社で捕まえられると思うんだけど、出てくるポケモンはさっき捕まえたズバットとか、キャタピーばっかりだ。
「どうしようかな……」
 ひとり呟いた。少し歩いて場所を移動してみよう。そう思った僕は神社の奥へ、リョウの向かった階段とは逆の方向へと歩を進めた。
 奥にはみすぼらしい社と、小さな賽銭箱があった。さびれているけれど、やはりここは神社なのだ。そこそこ広い敷地なのに、やけに小さな社がアンバランスだった。社の扉は閉じられていて、中を見ることはできない。
 僕は再びスマホの画面を見る。画面にはキャタピーとズバットが一匹ずつ表示されているだけで、新しく出現したポケモンはいなかった。やっぱり十メートル程度の移動じゃダメか。もう少し奥に行ってみれば何か出てくるかもしれない。だけど、これ以上奥に行くというのはつまり、この社を迂回して裏に回るということである。別にそれがなんだという気もしたけど、なんとなくこういう建物の裏側というのは見ていいものなのか不安だった。
 スマホを操作して画面を切り替えてみる。やっぱり新しいポケモンは出ていない。地図のポケストップの表示がまた青に戻っていたので、くるくると回してモンスターボールを受け取った。ポケストップの写真を改めて見たけど、あいかわらず黒っぽくてよくわからない。御神木という名前から察するに、どうやら木の幹を撮ったもののようだ。この木が神社のどこにあるのかよくわからないが、地図を見るに、歩いたことでさっきよりもポケストップに近づいている。
 ぼんやりスマホを操作しているうちに、おこうの残り時間表示は十分になっていた。急がないと。まだ何も捕まえていない。リョウのドヤ顔が脳裏に浮かぶ。ええい、社の裏に回ろう。管理人も誰もいない神社だ、怒られはしないだろう。
 神社の裏手は森になっていた。普段なら森になんて入ろうとしない僕だけど、今の僕はポケモントレーナーだ。このくらいの方がポケモンが出てきそうじゃないか。
 スマホがぶるぶると震える。さっき取り逃がしたモンジャラだ! 今度は落ち着いてボールを投げる。ボールはコロコロと三回揺れて、今度は一発でゲットできた。幸先がいい。CPの数値も手持ちの中では結構高くて強そうだ。
 神社の裏側は当然掃除なんてされてなくて、落ち葉が積もっていたけど、歩けなくはなさそうだった。あたりはもうすっかり暗くなってきていたけど、スマホの明かりがある。ここまで来たんだし、御神木とかいうのを直接見てから戻ろう。地図を見る限りそんなに遠くはない。十分あれば大丈夫だろう。
 再びスマホが震える。また新しいポケモンだ。オレンジの体に黒い縞。ライオンっぽく見える。名前はガーディというらしい。ポケモンの周りに出ているわっかは緑でなく黄色で、モンジャラを捕まえた時と同じ色だった。これはこのポケモンもレアだということだろうか。モンスターボール三個でガーディは無事捕まった。ふふん、リョウには悪いけど、情報なんて大事じゃないんだよ。このポケモンは珍しいのかなとか、想像するのが楽しいんだ。
 御神木までもう少し。地図で見るとあとほんの数歩のはず……。
「うわ!」
 足元の湿った落ち葉が、ずるりと動いた。僕の目の前にあったのは、奈落のように真っ暗で、口を開けた谷だった。
「あ、あああああああ!」
 ざざざざ、と何も見えないままに滑り落ちる。落ち葉たちに運ばれるように、僕の体は谷底へと突き落とされた。そして、地面に腰をしたたかに打ち付ける。
「ってえ……」
それしか言葉が出てこなかった。僕は森が途切れ、足元が急斜面になっていたことに気付かなかったのだ。腰をさすろうとした右手に、べったりとなにかが付く。左手のスマホの明かりで照らして、それが泥だとわかる。ズボンの尻は斜面を滑り落ちたことでどろどろになっていた。
「あー……」
 そろそろとポケットティッシュを取り出して右手を拭いたけど、爪の間に挟まった泥まではとれない。気持ち悪い。
 とにかく、戻らなきゃ。今滑り落ちてきた崖に、足をかける。
「あっ」
 足元の落ち葉やら泥やらがずるずると崩れて、僕は足を引っ込める。だめだ。こんなんじゃとても登れそうもない。しかたがない、なんとか崖を迂回して林を抜けよう。この林はそんなに広くはないはずだ。ポケモンGOの画面は地図になっている。現在地もわかるし、ポケストップの位置を目印に、そこから離れるように歩けばいつか林を抜けられるだろう。
 スマホの画面を見ると、ルアーモジュールとおこうの効果は切れていた。仕掛けてから三十分経ったのだ。リョウはどうしているだろう。僕がいないことに気付いただろうか。早く戻ろう。痛む足を駆り立てて、僕は木々の間を歩く。
足元は相変わらずどろどろと湿っていて、腐りかけの落ち葉に足を取られそうになる。爪の間に挟まった泥は乾いてきて、指の皮が突っ張ったように感じる。そのくせズボンの尻はまだ湿っていて気持ち悪かった。暗闇に少し目が慣れたとはいえ、スマホをかざさなければ前は見えない。
 早く帰りたい。珍しいポケモンを捕まえてリョウに一泡吹かせてやろうとか、そう思っていたのがはるか昔のことのようだった。ドロドロの僕の姿を見たらリョウはきっと笑うだろうけど。今は思いっきり笑ってほしい気分だった。
「痛っ」
 急に腰がずきりとする。もしかしたら骨にひびでも入ったかもしれない。そろそろ林を抜けなければ、体の方が限界になってしまう。
どのくらい歩いただろうか。前に向けてかざしていたスマホの画面を見る。
「えっ……?」
 ポケモンGOの画面に表示された僕の現在位置は、さっき滑り落ちたところからほとんど移動していなかった。
 あんなに歩いたのに? スマホの時計を見る限り、歩き始めて十分くらいが経過している。いくらなんでももっと移動しているはずだ。今度は画面を注視しながら歩いてみる。ところが、僕が前に進んでも、画面の主人公は一歩も前に進まない。しかも、「近くにいるポケモン」には、ポケモンが一匹も表示されていない。そういえば、崖から落ちてから、ポケモンは一匹も出現していない。変だ。心臓が早鐘のように打ち始めて、僕は歩くスピードを上げる。
「あ」
 主人公が動いて、僕は思わず声をあげた。だけど、主人公は向きを変えて一歩進んだだけで、すぐにまた足を止めてしまう。
「なんなんだよ……うわ!」
 スマホを持つ手が何かにぶつかり、僕は小さく悲鳴を上げる。僕は飛びのいて、あわてて目の前にスマホをかざす。ただの木だった。地図を見たままだったから気付かなかったのだ。時間は、ルアーモジュールが切れてからおよそ二十分が経過していた。リョウは今頃どうしているんだろう。僕がいなくなったことに気付かないのか。
 そうだ、なんで気づかなかったんだろう。リョウに電話すればいいじゃないか。スマホをポケモンGOをするためだけの機械のように使っていたから思いつかなかったんだ。電話がつながったところで僕が林から脱出できるわけではないが、なにかいいアイデアをくれるかもしれない。
 ポケモンGOをいったん閉じ、通話アプリを起動した。
「……ウソだろ」
 画面左上には圏外の表示。さっきまで、ポケモンGOはプレイできていたのに。あわててポケモンGOを開き直す。「GPS信号を探しています」の表示。地図機能は、もう使えない。その上、バッテリーが残り20%の表示。最悪だ。
「どうなってるんだ……」
 ここは田舎だが、神社の中までは確かに電波は通じていた。地図の主人公が動かなかったことと言い、急にスマホが圏外になったことと言い、ここは何かがおかしい。絶対におかしい。ぶるっと体が震えた。
 なんなんだ。僕がいったい何をしたというんだ。どうして、こんな目に。木々の間を、まだ生ぬるい風が吹いてくる。風に葉っぱのこすれる音がざわ、ざわとやたら大きく聞こえる。僕の足音と、葉の音以外、森は静まり返っていた。夏だというのに、虫の声さえしない。日が沈んだとは言え、まだ蝉が鳴いていてもいいくらいなのに。あまりに静かで耳が痛いくらいだ。
ふと背後に何かの気配を感じて、ばっと振り返る。もちろん、何もいるはずもなく、木が生えているだけだった。だけど、何本も。黒々とした、木が。どの方向を見ても、どこまでも立ち並んでいる。怖い。そう思った。
「リョウ! リョウーーー!!!」
 たまらずに飛び出た僕の叫び声は、木々の間に吸い込まれて消えた。こんなに静かなところなのに。声が全然届いてくれない。まるで巨大な生き物の腹の中にいるかのように。
「たすけて」
 全身に鳥肌が立っていた。八月の湿気と暑さの中なのに、体がガタガタ震えていた。暗闇が四方から押し寄せる。自分の足音にもいちいち飛び上がりそうになる。木々が襲ってくるような幻覚にとらわれて、木の横を通る時は心臓が止まりそうになった。
「たすけて、たすけて」
 声が漏れる。目からはぼろぼろと涙がこぼれていた。歩いても歩いても、明かりも何も見えない。手に持ったスマホが暗くなるたび、画面をタッチして明かりを求めた。この明かりが完全に消えてしまったら、僕は発狂してしまうかもしれない。
「たすけて」
 うわごとのようにつぶやく。
「たすけてよ、カルマ」
 ブブブブ……。
「うわああああああ!」
 僕は今日何度目かの情けない声をあげて飛び上がった。スマホがバイブレーションしている音だった。こんな時だというのに、つい画面を見てしまった。画面には。
「…………サーナイト!」
 僕の大好きだった、サファイアの相棒。道路でラルトスに出会って、ニックネームをつけて、進化させて、ずっと手持ちに入れて冒険していた。僕はこのポケモンのためにポケモンGOを始めたんだ。
 こんな時だというのに、恐怖も何もかも吹き飛んでいた。画面をタッチして、ARの捕獲画面に。サーナイトはゆらゆらと移動して、なかなか画面の中央にこない。
「もうちょい右……」
 サーナイトのいる方に向かって僕は歩き出す。疲れ果てていた体のどこに残っていたのか、サーナイトの姿を見ただけで力が湧いてくるようだった。
 強引にボールを投げてみたけど、すいっとかわされてしまう。そしてまたサーナイトはゆらゆらと僕を誘うように移動する。
「待ってよ」
 このポケモンだけは逃がしたくない。レアだからとか、そんな理由じゃなくて。あの時サファイアで出会ったポケモンに、もう一度出会えた。それがただひたすら嬉しかった。この森に入って崖から落ちたことも、あてもなくさまよったことも、おびえていたことも、全部よかったと思えるくらいに。
「待ってくれよ」
 僕は走り出す。迫りくる真っ黒な木々をかわし、じめじめした落ち葉を踏みつけて。画面のサーナイトが少しずつ近づいてくる。もう少しでボールが、僕の手が届く。サーナイトに。僕の手が。サーナイトが一瞬だけほほ笑んだように見えて。サーナイトの姿がぱっとまぶしく輝いて、消えた。消えてしまった。でも、光は消えなかった。
 いや、それはサーナイトの放った光じゃなかった。明かり……? 田舎の古い電灯がやけに明るく煌々とついていた。僕はいつの間にか森を抜けていた。そこはこの神社に来るときリョウと二人で通った道だった。帰ってこれたんだ。スマホの画面は電池切れで真っ暗になっていた。僕は働きすぎたスマホをポケットにしまう。
 やけに頭がぼうっとして、何の感情も湧いてこなくて、そのあとのことは、あんまり覚えていない。

***

 翌日。両親にこってり絞られたあとで、僕は自転車でリョウの家に向かった。昨日の礼と詫びを言うためである。ルアーモジュールがとっくに切れたのに帰らない僕を心配して探し回っていてくれたようなので、少々不本意ではあるけど、電話とかメールじゃなくて直接伝えようと思った次第だ。
 昨日、リョウの連絡で駆け付けた両親に、僕は発見されたらしい。その時僕は道の端でボーっと佇んでいたという。その僕の様子が尋常ではなく、すわ狐にでも憑かれたかとそれはそれは心配をかけたようだった。記憶があんまりないけど、魂が抜けたというか、虚脱してしまったような状態だったのを覚えている。ふわふわとして、現実味がないというか。今となっては森をさまよっていた時の方がはるかに現実味がないけど。
「お」
 前方からやってきたのはリョウだった。自転車のハンドルから片手を離してぶんぶん振っている。あぶない。
「ちょうどお前んち向かってたところだよ。お前メッセージ飛ばしても返事も既読もしないんだもん」
「ああ、ごめん。見てなかった」
 僕のスマホは昨日充電していなかったから、まだ電池切れのままである。僕とリョウは自転車を降りて、並んで歩きだす。僕たちの足は自然と昨日行った神社に向かっていた。
「昨日はびびったよ」
 リョウが言う。
「最初は俺を驚かすためにどっかに隠れてんのかと思ったけど。『あ! 野生のポケモンが飛び出してきた!』とかなんとかいって俺に飛びかかってくるかと」
「お前は僕をなんだと思ってるんだ」
「ポケモン探して行方不明になる大馬鹿」
 返す言葉もない。
「それで、昨日どうしてたんだよ」
 リョウは急に真面目な口調になる。僕は促されるまま、昨夜のことを語りだす。実をいうと、リョウに会いに来たのは礼を言うというのもあったけど、あの出来事について、意見を聞きたかったのだ。案の定リョウは冷静で、森に入った途端ポケモンが出なくなったのは『田舎だからポケモンが一匹も出ない場所がある』、ポケモンGOの地図が機能しなかったのは『GPSの不具合』、圏外になったのも『田舎だから』、と片づけられてしまった。そう言われればそんな気もするけれど。
「でも、サーナイトが助けてくれたんだよ」
「は?」
 リョウが足を止めた。
「ポケモンGOの画面に出現してさ、逃げられちゃったんだけど」
「サーナイトなんて出るわけないじゃん」
「でも出現したんだよ!」
「だって」
 リョウは言った。
「サーナイトって、ルビサファで初登場したポケモンだぜ。ポケモンGOには登場しないんだよ」
 一瞬の間が空いた。
「え?」
「ポケモンGOは初代の赤青緑版のポケモン151匹しか登場しないんだ。サーナイトなんて、いるわけないんだ」
 リョウは繰り返した。ポケモンGOは初代のポケモンしか出ない? そんなことは知らなかった。僕はサファイアしかプレイしたことがないから、ホウエンのポケモンしか知らないし、実際ポケモンGOに知らないポケモンも何匹かいたけど。
「でも、コイキングとかズバットとかは知ってるよ」
「サファイアは新規ポケモンが少ないから、ホウエン図鑑には初代のポケモンや金銀のポケモンもいるんだよ。コイキングとか、ズバットとかはサファイアにも出現するから知ってんだよ。でも、サーナイトの登場はルビサファから。ポケモンGOには実装されてない」
 じゃあ、僕の見たあのサーナイトは。
「幻じゃねーの」
 そう言ったリョウの声は少し震えていた。
「じゃあ、もう一度行って今度こそ見つけるよ」
 リョウはスマホを開く。
「あれ?」
「どうしたんだよ」
 無言でスマホを見せてくる。ポケモンGOの画面。僕たちの街の地図が表示されていた。だけど。
消えていた。昨日、僕たちが行ったはずのポケストップが。地図にはだだっ広い空白と、道路が数本だけ。はるか遠くにジムとポケストップが見えるくらいで、僕たちが自転車で行ったポケストップはもうそこにはなかった。
 僕とリョウは黙って、来た道を引き返した。ポケストップがないなら、もうあの場所に近づく理由はなかった。さっきリョウと会った場所まで戻って、僕たちは無言のまま手を振って別れた。結局、リョウにはお礼の言葉を言い忘れたままだった。
「ああ、そうだ」
リョウだけじゃなく、僕を助けてくれた彼に、お礼を言わなきゃいけない。家に帰ったら、サファイアのソフトを探そう、と思った。


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■筆者メッセージ
 ものすごく久しぶりの投稿になります。なんだかあらすじのところが痛々しくて読めませんでした。なんで英語なんだよ。過去の自分を恥ずかしく思うのは成長したんでしょうか。
 とにかく。ポケモンGO小説です。流行りに全面的に乗っかりました。こんなのあったらいいなって思って書きました。
レギュラス ( 2016/09/13(火) 02:17 )