はなむけはポケモンバトル
―1―
東に行こうと思った。
東に行けばヤマブキシティがある。つまり、何でもあるということだ。こんな田舎の町にいたって何にもありゃしない。あるのは退屈な日常と止まらないあくびだけだ。
東に行こうと思ったのはこれが初めてではない。もう何度も何度も繰り返して、もはや退屈な日常の一部となりつつある。しかし、今日は違う。そう、俺はもう昨日までの俺とは違うのだ。今日こそ俺は故郷を出て、あの憧れの大都会へと羽ばたくのだ。
右手に握りしめたモンスターボール、左手に握りしめた弁当箱。あとはこの心に燃えさかる闘志さえあれば準備は万端だ。
「行こう、ヒトカゲ!」
俺は扉を開けた。俺の目に眩しい朝陽の光が飛び込んで……来ない。それもそのはず、俺はまだ自宅の自室から出ただけである。朝陽もへったくれもない。
しかし、すでに第一関門が待ち受けていた。
部屋の外には腕組みをした母さん。
「どうしても、行く気なのね」
俺は黙ってうなずいた。もはや話すことは何もない。三週間前に大ゲンカした時、お互いの思いは全て語りつくした。引き止める母さんに、それでも行くという俺。話し合いで決着がつかないなら、これしかない。
すなわち、ポケモンバトルである。
母さんが勝てばこの家に残る。俺が勝てば……言うまでもない。ヤマブキシティへの道がひらける。以来、俺と母さんは毎週ポケモンバトルを繰り広げている。しかし、俺はいまだにこの家にいる。
「廊下じゃ、少し狭いわね。食堂で戦いましょう」
廊下ほどではないにしろ、食堂も広くはない。しかし、俺は外にすればいいじゃないかとは言わない。なぜなら、母さんが同意することはありえないから。食堂は母さんの根城。母さんにとって圧倒的に有利なステージなのだ。
「さあ、バトルよ。フシギダネ!」
「ゆけ、ヒトカゲ!」
ヒトカゲとフシギダネならタイプ的に有利。
と考えるのは間違いだ。
ここは室内。炎など吐いて家が火事になったら目も当てられない。派手なアクションも厳禁だ。尻尾の火が燃え移る可能性がある。一方、フシギダネに制約はない。しかも、一歩も動かずともつるのムチで食堂全体が射程圏内に入る。まったく、母さんのくせに卑怯極まりない。三週間前には持久戦に持ち込まれた挙句に負けてしまった。
しかし、そんな戦法はもう今までの戦いで経験済みだ。
「フシギダネ、“つるのムチ”よ!」
「“ひっかく”だ、ヒトカゲ!」
ヒトカゲのツメがつるを切り裂く。体勢を立て直す前に、速攻で決める。
「ああ〜」
母さんの残念そうな声。っていうか、絶対楽しんでるだろ。
ともかく、フシギダネ、戦闘不能。
第一関門突破。
―2―
「おはよう。いい朝だな、息子よ」
「もうとっくに昼だよ、父さん」
何せ俺は母さんの作った昼ご飯を食べたくらいだから。
「もう手料理はしばらく食べられなくなるのよ!」
というセリフに、つい引き止められてしまった。先々週と先週に勝った時も全く同じセリフを聞いたのだが。
それにしても、父さんは朝からここで立ちっぱなしだったのだろうか。心なし涙目になっているように見える。バトルは母さんに勝っただけで終わりではない。第二関門がある。
「この家を出るなら、この父を倒して行け、息子よ」
「できれば、その『息子よ』っていうのやめて欲しいんだけど」
「そうか、家業は継がぬというのか……息子よ」
父さんは俺の話を全く聞いていない。しかも語尾を頑なに変えようとしない。いったいどんなドラマかアニメだかに悪影響を受けたのだろう。
「勝負だ! 息子よ!」
「だからそれやめてくれって言ってんだろ!」
父さんのポケモンはゼニガメ。タイプ相性上、ヒトカゲは不利だ。先々週の戦いでは“みずでっぽう”の威力の前にヒトカゲはあっさり倒されてしまった。
「ゼニガメ! “みずでっぽう”!」
だが、その必殺技にも弱点はある。“みずでっぽう”はその性質上、まっすぐにしか飛ばない。そのため単調な攻撃となりやすく、避けるのは容易だ。
「ヒトカゲ! 右だ!」
俺が指示を出す前に、もうヒトカゲは動いていた。
左に。
「さ……さすがヒトカゲ! もう過去二回の戦いで完璧に軌道を読み切ったな!」
「いや今の完全に指示聞いて無かったよね……息子よ」
ツッコミなんて聞こえない!
「接近戦に持ち込めばこっちのものだ! ヒトカゲ、“ひっかく”!」
自らの“みずでっぽう”のせいで視界が制限されたゼニガメは、すぐには対応できない。
「腕を上げたな、息子よ」
「それ先週勝った時も聞いたけどな」
もう俺は語尾に関してはツッコむのをあきらめていた。
ともかく、ゼニガメ、戦闘不能。
第二関門突破。
―3―
赤い太陽が西の空へと沈んでゆく頃、俺は町はずれの森に到着した。
「思ったより遅くなっちまったな」
「待っとったぞ」
現れた。最後の関門。
「悪いな、じいちゃん。いろいろ準備しててな」
「そうか。わしも準備は万端じゃ」
じいちゃんは左手に持ったモンスターボールをこちらに示した。
「息子にゼニガメを借りてきたからの。森で炎を吐いても火事の心配はないぞ」
「そうか、じゃあ遠慮なく戦えるな」
「その通りじゃ。かかって来んさい」
俺はヒトカゲを、じいちゃんはピカチュウを繰り出す。
最初は互いに探り合いから。鬱蒼と茂る木の陰に隠れて電撃をやり過ごし、火炎を浴びせる。ピカチュウも木を盾にして火炎を防ぐ。ゼニガメは邪魔にならぬよう黙々と火を消し止める作業を行う。
戦いながら、二匹のポケモンと二人の人間は森の奥へと分け入ってゆく。中立のゼニガメがその後を追ってくる。やがて、俺たちは森の中央のひらけた場所へたどり着いた。もう隠れる場所はない。ここからが勝負だ。
先週も、俺とヒトカゲはここへたどり着いた。だが負けた。それも、ただ負けたのではなかった。完敗だった。ピカチュウの電撃をかわすことに精いっぱいだった。ヒトカゲ得意の“ひのこ”を当てさえすれば勝てるのに。
「ピカチュウ、“でんきショック”じゃ」
「ヒトカゲ、避けるんだ!」
しかし、かわしたはずの電撃はヒトカゲに命中する。ヒトカゲが避ける方向を、動く前から読まれていた。まるで心を読まれているかのように。記憶の中のじいちゃんは黄色くなった歯をむき出して笑っている。
もう小細工は通用しない。純粋な実力が必要だと思った。実力でじいちゃんに勝てない限り、俺はヤマブキシティには行けない。
この一週間、俺とヒトカゲは特訓を続けた。かわすだけでは勝てない。電撃をよけて即座に反撃をする練習をした。しかし、そもそも技をかわすことができるのか。かわせなければこの作戦は絵に描いた餅にすぎない。かわす方向を読まれてしまうなら、この練習は無意味なのではないか。そんな疑念を抱えたまま、七日が過ぎた。ヒトカゲもよく耐えてくれたものだと思う。
父さんに勝った後、最後の仕上げをすべく、またヒトカゲと練習を積んでいたのだ。おかげで日が暮れてしまったが、ようやく確信を得ることができた。今日こそ、俺とヒトカゲは勝つ。
「ピカチュウ、“でんきショック”じゃ」
「右だ、ヒトカゲ!」
電撃はヒトカゲには当たらず、大きく左へそれていった。技が外れたことに驚いたピカチュウに、すかさず反撃の“ひのこ”が命中した。
「ふん。ようやく気づいたか」
とじいちゃんが言った。ピカチュウがゆっくりと倒れた。
利き足という概念がある。利き足が左なら、左に踏み出しやすく、右へは踏み出しづらい。利き腕は良く知られているが、利き足はあまり有名ではない。人間は一般的に右が多いらしい。
これが、俺のヒトカゲの場合は左だった。つまり、左の方向に動きやすい。だからヒトカゲは自然と左によけることが多く、そこをじいちゃんに狙われていたのだ。
情けない話だが、このトリックに気付いたのは今日の昼、父さんと戦っていた時だった。ゼニガメの“みずでっぽう”を、ヒトカゲは左に避けた。その姿に、俺はふと違和感を覚えた。しばらく考えて、違和感の正体に気付いた。俺は無意識に、自分の右足を踏み出していたのだ。バトルにのめりこむあまり、俺の体も“みずでっぽう”を避けようとしたのだ。トレーナーに当たるわけもないのに。
そして、俺の利き足は右だった。そこから、ポケモンにも利き足があるんじゃないかという発想はごく自然に出てきた。特訓の仕上げとは、ヒトカゲの癖を矯正することだった。
戦っているのはポケモンだけじゃない。たとえ技を使い、技を避け、技を受け、傷つくのはポケモンだとしても、トレーナーだってきっと一緒に戦っている。
ヒトカゲが避けた時、俺の体も自然と動いていたように。
ヒトカゲが技を決めた時は俺も手ごたえがある。
ヒトカゲが技を受けた時は俺の体にも痛みが走るような気がする。
ヒトカゲがバトルに勝った時は俺も嬉しい。
そうしてポケモンとトレーナーは一緒に成長していくべきなんじゃないだろうか。
「青臭い意見じゃな」
「じーちゃん! やっぱ読心術使えるんじゃねえの!?」
「とりあえず試験は合格じゃ。イタブキでもカワラブキでもなんでも葺いてきなさい」
「屋根の話はしてないけど……」
ヤマブキだよ。二文字しか合ってない。ちなみに、父さんが俺に継いで欲しかった「家業」は大工である。じいちゃんも昔は凄腕の日曜大工だったらしい。日曜大工って、それ趣味でやってただけじゃんとか、そういうツッコみはなしである。
「ま、お前の両親も本心ではお前を引き留めようとは思っておらんわ」
「そうなのか?」
「可愛い子にはなんとやら、というからの。まあ死ぬほど苦労するが好いわ。それで、そのポケモンと一緒にたくましくなって帰ってこい。わしらはのんびりお前の帰りを待っとるから」
「じいちゃん……」
俺は声を詰まらせながら言った。
「カンペしまってくれよ」
ともかく、ピカチュウ、戦闘不能。
最終関門突破。
そんなわけで、俺は両親とじいちゃんに見送られて、この町を出た。この町に何にもないというのは訂正しよう。この町には年中ふざけっぱなしの温かい家族がいる。俺はいつかこの町へ帰ってくる。ヒトカゲとともに。きっと成長した俺と進化したヒトカゲの姿を見せられるだろう。
東に行こうと思った。