第二章
EPISODE5:ヒトカゲ

―1―

「またあの子かい。もう出入り禁止にしたら?」
「客は客だろ」
「万引きは客なんかじゃないよ」
「まだあの子は万引きだと決まったわけじゃないさ。今のところ、きちんと代金は払っているしな。まあ、あの子の父親は別だがね」
「だからじゃないか。ガマゲロゲの子はガマゲロゲに決まってるよ」
 ぼくがお店に行くといつも聞こえてくる、小声での応酬。もうとっくに聞き慣れてしまった。ぼくがどこのお店に行っても、お店のポケモンたちはこんな話をする。でも、その話の内容は全部ぼくに聞こえている。もしかすると聞こえても構わないのかもしれない。ぼくがお店に入っていくと露骨に顔をしかめるポケモン、ぼくが買い物をしている間隣でずっと監視するポケモンもいる。みんなが、ぼくがお店の商品を盗むんじゃないかと思っている。
 それは全部ぼくの父親のせいだ。父は散々万引きを繰り返した挙句、このあたりのすべての店で出入り禁止になった。だから、いつもぼくが代わりに買い物をしなければならない。昔は母さんが買い物をしていたけど、その母さんはもういない。父に愛想を尽かして数年前に出て行ってしまった。……ぼくも残して。
 母さんはずっと、ぼくの父のやり方はおかしいと言っていた。そして、父とよくケンカしていた。母さんはぼくに、お店の商品というのは誰でもお金を払って買わなければならないし、ぼくやぼくの父も例外じゃないんだと教えてくれた。そうでなければ、ぼくは今頃父と同じように平気で物を盗んだりするようなポケモンになっていたのだろうか。そう思うと少し怖い。

 父は仕事をしていない。他のポケモンの下で働くなんてプライドが許さないのだろうか。父はぼくにも働くことを許さない。
――そんな雑用はほかのポケモンにでもやらせておけばいい――
 もっとも、働こうと思ったところでぼくを雇ってくれるところなどありはしない。子供のぼくにだって、お店のポケモンたちの態度を見ていれば、そのくらいのことはわかる。買い物をさせてくれるだけでもありがたいくらいなのだ。
 むかしむかし、町にお店がなかった頃、いや、「町」なんてものがそもそもなかった頃、ポケモンはみんな自分で自分が食べるものを取ってきていたと、本で読んだ。今ではそんなこと、想像もできない。みんな必要な物は働いて得たポケというお金で買う。それが当たり前だ。ポケモンはみんな自分の得意なことをしてお金を稼いでいる。
 でも、ぼくの一家は誰も働いていない。お金が入ってこないから、払う分ははそのままご先祖の財産を食いつぶしていることになる。それでも何とか生きていくことができるのは、ぼくと父の住まいがほとんど誰もいない山奥にあるからだ。食べ物の木の実や燃料のまきを自給自足で賄うことができる。
 でも、自足できないものもある。そう、たとえば、キズぐすりとか。薬草でも効果は十分にあるのだが、そのエキスを抽出して容器に詰めたこの薬には即効性がある。傷はできるだけ早く治したいのだ。

 ぼくは棚からキズぐすりを十本取って会計を済ませる。まあ、これだけ買えば二、三週間はなんとかもたせられるだろう。昔は三日くらいしかもたなかったからなあ。
「ありがとうございました」
 おざなりな言葉とともに、店を出る。
山道をできるだけゆっくりと登る。足取りが重いのは買ったばかりの荷物のせいじゃない。山奥に暮らすのは自然の幸には恵まれるけど、里からは遠くなってしまう。買い物も楽ではない。
 ぼくはどうしてこんな生活をしているんだろう? どうして母さんはぼくを連れて行ってくれなかったんだろう?

――あれ?
 道の向こうに見えた赤いモノ。あれは……?
 駆け寄ってみると、それはポケモンだった。なのに、遠くからはそれはただのモノにしか見えなかった。そのポケモンはぴくりとも動かない。確かこのポケモンの名前は――そう、ヒトカゲだ。ヒトカゲはまるでぼろきれのような姿で、おなかに酷い切り傷があった。けさがけに大きく切り開かれ、おなかの中身が見えてしまっている。でも、しっぽの炎が弱弱しく燃えている。ということは、まだこのポケモンは生きている。今ヒトカゲを治療しなければ間違いなくヒトカゲは死んでしまうだろう。この傷は誰がどう見たって致命傷だ。早く助けなきゃ。

 ずきり。ぼくの頭が痛む。
――いいか、“炎”属性は敵だ。“悪”にとっても、“氷”にとっても敵だ。奴らは大戦争の時の仇だ。“炎”ポケモンを信じるな。見つけたら殺せ。いいな、カイゼル――
酔った時の父親の言葉。そんな言葉を気にしているわけではない。ないはずだけど、体が“かなしばり”にあったように動かない。山道が静寂に包まれる。だらだらと脂汗と時間が流れていく。

「う……く、あ……」
 ヒトカゲのうめき声が静寂を破った。やっぱりまだ生きている!
 その声でぼくは呪縛から解き放たれた。ぼくは急いで、持っていた包みからキズぐすりを取り出す。このキズぐすりには消毒作用もある。傷口に思いきりお酒をかけられた時のように、塗ると死ぬほど痛くてしみるけど、本当に死んでしまうよりはましだろう。ぼくはキズぐすりを数滴、ヒトカゲの傷口に垂らす。
「うあああああああ!」
 ヒトカゲの目がかっと見開かれ、悲鳴が響き渡る。大怪我の治療には慣れていないらしい。いや、むしろ慣れている方が異常なのかもしれない、とぼくは思った。ぼくの顔を見たヒトカゲは顔をひきつらせて叫ぶ。
「嫌、やめて! 殺さないで!」
「暴れないで。治療できないから」
 ぼくは努めて冷静に言って、さらにキズぐすりを垂らす。
「ぎゃああああああああ!」
 再びヒトカゲの悲鳴が辺りに響き、あたりにこだました。

―2―

「あの、手当てしてくれたんですよね? ……ありがとうございました」
「どういたしまして」
 ヒトカゲの傷口は完全に塞がっていた。キズぐすりは直接傷口に垂らすか、飲むことでそのポケモンの持つ治癒能力を最大限まで引き出し、傷の回復を早める。あれだけの傷がこの短時間で治ったのは、ヒトカゲの生命力の強さによるものだろう。
「あたし、痛くてもう死んじゃうんだって思って……本当にありがとう」
「うん、それはもういいよ。でも、女の子だけで旅をするのは危ないよ?」
「わかってるよ! あ……ごめんなさい、興奮して。でもあたし、やらなきゃいけないことがあるんです」
 やらなきゃいけないこと? ぼくより少し年上でしかない、まだ子供のヒトカゲに誰かの手も借りず、自分の命を危険にさらしてまでやらなきゃいけないことがあるんだろうか? ……まあ、ぼくにも “事情”はあるけれど。こうやって定期的にキズぐすりを大量に買い込まなきゃならない、とか――
「――あ!」
 そうだ、早く帰らなければ。買い物の途中だというのを忘れて、うっかり長居してしまった。
「どうかしたの?」
「ぼく、もう行かなきゃ。気を付けてね!」
 ぼくはヒトカゲに背を向けて走り出した。だから、ヒトカゲがぼくの背中を見つめていたことには気づかなかった。

 早く帰らなきゃ。ぼくは走った。走りたくもなかったけれど、走った。父と顔を合わせるのはいやだけど、もしも“鍛錬”の時間に遅れたら、罰を受けなければならない。
ずきり。頭が痛い。
――お前は皇帝になるべきなのだ。お前にはその資格がある。お前の名はなんだ。カイゼルだろう。俺が名付けたのだ。いずれお前は“黒のプレート”に見合う、皇帝(カイゼル)と呼ばれるべき存在になる。強くあれ、賢くあれ。我々“悪”が虐げられる世界を変えて見せよ!――
 父親の言葉ががんがんと頭に響く。ぼくはその声に急き立てられるかのように山道をひた走る。
 ぼくは、ぼくの名前が嫌いだ。

 帰り着いたとき、ぼくはぜいぜいと息をつき、汗をびっしょりとかいていた。
「遅い、カイゼル」
「申し訳ありません、父上」
「キズぐすりを買ってくるだけのことでいったいどれだけかかっている。まあいい、早く始めるぞ」
「はい」
「ああ、先にそのキズぐすりの包みを渡せ。そんなものを持っていたら動きづらいだろう」
「……はい」
 この包みの中には、キズぐすりが八本しか入っていない。二本はヒトカゲの治療に使ってしまったのだ。
「どうした、早く寄越せ」
 父がぼくの手から包みを奪い取る。ぼくの様子から何かを感じ取ったのか、すぐに中身を覗いて確認する。ああ、終わりだ。
「カイゼル、これはなんだ。俺はキズぐすり十本分の金をお前に渡したはずだ。なぜ八本しかない」
「それはその、途中で包みを落として容器を割ってしまい――」
「嘘をつくな。お前はそんな間抜けか。俺はお前をそんな奴に育てた覚えはない」
「………………」
 やはり父に隠し事はできない。父の眼力は本当に鋭く、ぼくの嘘がばれなかったためしがない。
「……その言葉が真実なら、二度とそんな無様なことがないようにしてくれよう。その言葉が虚偽なら、二度とこの俺に嘘などつこうと思わないように、してくれるわ!」
 ガッ!
 ぼくの体が宙に浮く。三本のツメがぼくの首をつかんでぎりぎりと締め上げている。父はぼくの言葉が嘘だと確信している。
「が、く、くるし……」
「黙れ。なぜキズぐすりの数が足りないか、それだけを答えろ。なぜだ」
「く、ぅう…………」
 締め上げはますます強くなる。手足の先から徐々に痺れが広がってくる。頭に霞がかかる。
「さあ早く言え! なぜだ!」
「やめなさい!」
 ぼうっとした頭で知覚したその絶叫は、ついさっき別れたばかりのヒトカゲのものだった。なんでついてきたんだ。ついて来られないようにあれだけ速く走ったのに。
その声にぐるりと振り返った父は、ヒトカゲの姿を認めると、
「なんだ貴様、生きていたのか」
と言った。

 かなり早い段階で、ぼくは気づいてしまっていた。ヒトカゲに瀕死の重傷を負わせたのは、ぼくの父親であると。父は“炎”属性を二重の敵とまで呼んでいたし、言葉だけでなくそれを本気で行動に移すような狂気を持っている。そんな父がヒトカゲ普段ほとんど誰も通らないような山道にヒトカゲを見つけたら。なにが起こるかは目に見えている。それに、ヒトカゲのおなかの、鋭利な傷口はマニューラのするどいツメによる“つじぎり”で創られた傷だ。
 ヒトカゲがぼくに対してああまで怯えていたこともそうだ。マニューラとニューラの見た目は似ている。マニューラに襲われて気を失ったヒトカゲが、意識を取り戻した時目の前にいたぼくを見て怯えていたのは、ぼくを自分を襲ったマニューラだと勘違いしたのだろう。
 そして、傷を治療し終わって冷静になった後で、ヒトカゲは自分を殺そうとしたポケモンとぼくになんらかの関係があると悟ったに違いない。だからヒトカゲはぼくのあとをつけてきたのだ。ついさっきあんな大怪我をしたばかりだというのに、無茶をして。
 ヒトカゲがいったいどんなつもりだったのかは知らない。やり返そうと思ったのか、それとも好奇心のためか。いずれにせよ、飛んで火に入るドクケイルのような、無謀な行動であるのは間違いない。でも、ヒトカゲなら、不用心に旅をしていることもそうだが、平気でそういう危ない行動に出るような、そんな気がしたのだ。

「……ふん、もう一度殺してやろう。二度と我らに仇なすことの無いように」
 手を放す。ぼくの体は支えを失って、受け身を取ることもできずに地面にたたきつけられる。父はぼくに構うことなくずんずんとヒトカゲに向かって歩いていく。ヒトカゲは先ほど殺されそうになった恐怖が蘇ったのか、ジャローダににらまれたガマゲロゲのように動けないでいる。
「げほ、ごほっ……待って、父上……」
「なんだ、カイゼル。お前は奴をかばうのか? ……ああ、そうか、お前はあのキズぐすりを奴に使ったのだな。そういうことか。ならば、まずはお前からだ。その性根を鍛えなおしてやる」
 父は再び身を翻し、今度はこちらへと向かってくる。ぼくはよく働かない頭のままで立ち上がった。首を絞められたせいか、頭に血が回らなかった。
ずきり。ずきり。頭痛が。
――たとえ誰であれ、お前の身の安全を脅かすものは薙ぎ払え――

 目の前に誰かが立っている。誰かは拳を振り上げる。
――“れいとうパンチ”!
 敵に容赦するな――その教えは、ぼくの体に叩きこまれていた。ぼくの体は、冷気を帯びた拳に反応した。それはもう、反射に近いものだった。
――“ブレイククロー”!
 ぼくのツメが、拳を弾き返す。
「カイゼル!」
 “敵”は怒鳴った。
「お前は俺に、刃向かう気か!」
 ぼくの体を何発もの拳が襲う。ぼくの体は半ば勝手にそれに応戦するけれど、到底すべてを防ぎきれるものではない。
「ごほっ」
 さっきとは違う咳がぼくの口から漏れる。口から赤いモノがあふれてきた。内臓がやられたらしい。
しかし、“敵”は怒りのあまりぼくの方に気を取られ過ぎた。
――“かえんほうしゃ”!
 ヒトカゲの、背後からの一撃。
「ぐうううう!」
 “敵”は唸り声をあげて反り返り、そして、倒れ伏した。

―3―

「ねえ! 大丈夫なの!?」
 ヒトカゲは僕の体を揺さぶる。傷ついた内臓がぐちゃぐちゃになってしまいそうだからやめてほしい。でも、今のぼくにはやめての一言も発することができない。
「そうだ!」
 ヒトカゲは散乱していたキズぐすりの一本を手に取る。
「これ、飲んで!」
 ヒトカゲはぼくの口にキズぐすりの容器をあてがう。その間中、ぼくは放心して身動き一つとれなかった。倒れた父はぴくりとも動かない。あたりには肉が焼け焦げた、嫌なにおいがたちこめている。
「ううっ」
 キズぐすりがぼくの内臓を癒していく。意識がはっきりするにつれ、自分のしたことに対する恐れが増していく。ぼくのせいで、こんな……
「大丈夫? 酷い汗だけど……キズぐすりもう一本要る?」
 ヒトカゲがぼくの顔をのぞき込む。
「ううん、もう傷は治ったみたいだ……ありがとう。でも、父上の手当てをしないと」
「ちょっと、それ本気で言ってるの!?」
「本気だよ! あんなひどい傷なんだから!」
「何言ってるの! 今こいつを治療したらあなたも私も今度こそ殺されるわよ!? いっそのこととどめを刺した方が安全よ!」
 ヒトカゲは血相を変えて言う。
「とどめだなんてそんな! ありえないよ!」
「じゃあ早く逃げましょう! 自由になるチャンスじゃない! 解放されるのよ!」
「解放……」
 その言葉はぼくにとってとても魅力的だった。みんなに泥棒の子どもと言われ、鍛練と称して毎日傷だらけになる日々。そんな日々からの解放。
 ぼくの首は知らぬうちに、上下に動いていた。それを見たヒトカゲも笑顔でぼくにうなずいた。
「さあ、早く行きましょう!」
 ヒトカゲはぼくの手を引いて駆け出す。
「う、うん……」
 戸惑いながらもヒトカゲについていくことを選んだぼくは、この時、父を見捨てたのだ。いや、それよりも先に、ぼくが父親に見限られたのか。ぼくはそんなことを思いながら、山道を下った。散乱していたキズぐすりも拾わず、何も持たずに。
 この時、ぼくの頭に“黒のプレート”のことなどなかった。あれほど父が繰り返してその重要さを僕に刷り込んでいたというのに。山道を駆け下っている間、ぼくは不思議とあの頭痛から解放されていた。持ち出すべきものがあるとしたら、“黒のプレート”以外にはないというくらいなのに、ぼくはなぜか“黒のプレート”を持っていこうとは思わなかった。それは別に“黒のプレート”の不思議な力とは関係なく、ただとにかくそんな考えが浮かばなかったのだ。ぼくは焦っていたし、動転もしていた。きっと、それが理由だろう。ぼくはそう思って納得することにした。
 やがて、山道を抜けたぼくとヒトカゲは、道が二手に分かれた地点で足を止めた。ヒトカゲが初めてこちらを振り返る。走り続けていたせいか、顔が上気している。

「あの、もしよければ、だけど……あたしと一緒に行かない? 探し物があってあちこち旅してるんだけど、ほら、女の子だけで旅をするのは危ないって言ってくれたじゃない。だから、行く当てがないのなら……」
「あ……ごめん。ぼく、行くところがあるんだ」
「じゃあ、途中まででも……」
「ううん、ぼくだけで行きたいんだ。……母さんのところだから」
「そう……無理言ってごめんね。元気でね!」
 そう言い残してヒトカゲは走っていってしまった。
 
 母親のところに行くなんて嘘だった。ぼく母さんが今どこにいるのか、生きているのかさえも知らない。
 本当のことを言うと、ぼくは少しだけ、ヒトカゲのことが怖かったのだ。彼女は現れてすぐに僕の生活のすべてを変えてしまった。何より、彼女といると、炎に焼かれて苦しむ父の姿を思い出してしまいそうだったのだ。
ぼくはヒトカゲが走って行ったのとは違う方の道を選ぶ。標識には、「この先、ヒサメタウン」と書かれていた。
 歩き出す前に、ぼくは最後に一度だけ、振り返って今までぼくが住んでいた山を見た。もう、何の心残りも感じなかった。ぼくは再び、前を向いて歩きだした。自由な生活に向かって。

 ぼくは父親のことが――嫌いだったんだ。

To be continued…


レギュラス ( 2013/09/17(火) 22:09 )