第二章
EPISODE4:ヘルガー 〜part1〜
―1―

 私はヘルガー。ヒサメ警察に勤める刑事だ。
私は先日盗難事件のあったサーナイト町長邸を訪れた。門のベルを鳴らす前に、屋敷の周囲をじっくりと確認して回る。あの事件発生から一週間ほど経過してしまっているせいで匂いは拡散してしまって残っておらず、泥棒の匂いをたどることはできない。だが、泥棒の侵入経路くらいは最低限確認すべきだろう。
 屋敷の塀には崩れた箇所も穴もなく、バチュル一匹入り込む余地もない。ならば塀を乗り越えるのはどうかというと、鳥ポケモンならいざ知らず、たいていのポケモンには不可能だろう。目算だが、1ポケフィート以上はありそうだ。サーナイトの身長がほぼちょうど1ポケフィートだから、それよりは高くなるように作ってあるのだろう。サーナイトはポケモンの中ではかなり長身の部類に入るし、これを越えるのはなかなか容易ではない。少なくとも私には無理だ。
 私はその様子にとりあえず満足して、外壁をぐるりと一周して再び正門へと戻る。ここの門のベルの位置は高すぎる。サーナイトやニューラにとってはこれでいいのかもしれないが、私は前足をのばしても届かない。少々みっともない格好になるが、後ろ足で立ち上がり、今度こそ門のベルを鳴らす。

 屋敷の中はしんとして静まり返っていた。門番も庭師もいない。確かに今は年末年始で、私のようなやくざな職業はともかく、世間では休暇を取る時期だ。そのすきを突かれて泥棒に入られたとは聞いているが、それにしてもあんな事件のあとだ、警備の者を呼び戻してもいいのではないだろうか。これが仮にも町長の屋敷であるとは思えない。
 押したベルにもなかなか返事がない。もう一度ベルを鳴らすと、しばらく経って、玄関からサーナイトが顔を出した。おかしい。町長のお嬢様自らがお出迎えだなんて。この行為はつまり、屋敷内にお手伝いが全くいないということを意味している。
 そんなことを思っているうちに、サーナイトはややいぶかしげな表情を浮かべながらこちらへやってくる。
「どちら様でしょうか?」
「私、ヒサメ警察署のヘルガーと申します。先日の事件のことで参りました」
 私は警察のしるしであるバッジを門の扉越しにサーナイトに見せる。サーナイトは小さくうなずき、門を開けた。
「どうぞ、中へ」
 私はその言葉に応じて足を踏み入れるが、庭は草が伸びてしまっている。間近で見たサーナイトの顔も疲労の色が色濃くにじんでいた。私は前を行くサーナイトに声をかける。
「あの、サーナイトさん?」
「なんでしょう?」
「こちらで働いていたポケモンたちはどうされたのでしょう?」
「解雇いたしました。このまま雇い続けてもお給料が払えませんから」
「全員ですか? 町長なら数匹程度のポケモンを雇うには十分な収入があるはずですが」
「ええ。ですが、父は昨日町長の職を辞しました」
「そうなのですか?」
 驚いた。聞き込み捜査のために外に出るのを除けば、警察署にひたすらこもって事件を処理しているせいか、世の中の流れには疎い。しかしいったいどうして?
「町長たるものが泥棒に入られるとは威信にかかわる、しかも雇っていたポケモンに盗まれるなんてポケモンを見る目がない、とのことで批判が相次ぎまして。意気消沈していた父は逆らえずに辞職したのです。次の町長はエンペルトさんだそうですよ」
 ふむ。それは不憫な話である。まだニューラがやったと決まったわけでもないのに。しかし、だからと言って同情してはならない。私は頭を軽く振って切り替えた。捜査において、私情を交えるのは禁物だ。警察の心構えの、基本のきである。

―2―

「どうぞ」
 私は応接室らしきところに通された。サーナイトはソファに腰かけたが、私の体はあまり椅子というものに向いていないので、このままで失礼することにする。
「あのですね、恐縮ですが事件当日のお話を聞かせていただきたいのです。もう何度もお手数をおかけしておりますが」
「構いませんよ。それで泥棒が捕まるのなら。母の形見が無事に返ってくるのなら」
「……金色の板、でしたっけ?」
「ええ。母が大切にしていたものです」
「差支えなければ、どのような品なのか、お聞かせ願えますでしょうか? なぜそれが盗まれたのかも気になりますし」
「金色だという以外にこれといって特徴はなかったように思いますが……黄金でできているとでも勘違いしたのではないでしょうか? 実際はあの板は軽いので、少なくとも金ではありませんが。大きさはこれくらいでした」
 そう言って、サーナイトは少し手を広げてみせる。
「なるほど。しかし、そのようなものは他に見たことがありませんね。どういったものなんでしょう?」
「なんでも、とても貴重なもので、母はそれを代々受け継いできたんだとか、父が以前言っていたように思いますが……母は私が幼いころに亡くなってしまいましたから、直接話を聞いたことはありません」
「ふむ。まあそれはとりあえずいいでしょう。盗まれた後のことをお聞きしたいのですが」
「盗まれた後、とは?」
 サーナイトは首をかしげた。
「つまり、犯行当時社交パーティーの会場にいらしたのでしたよね? その後警察を呼ぶまでどうされたのでしょう?」
「確か……お手伝いから会場に連絡が入りまして。戻ってみたら金庫が開いていて、中身がすべて盗まれていました」
「戻ってきたとき、お手伝いたちはどうでしたか?」
「ルージュラがけがをしていました。泥棒に殴られたようで……」
「そうでしたね。他の者は? 浮き足立っていましたか?」
「いいえ、私と父が戻った時にはすでにある程度平静さを取り戻していました」
「なぜですか?」
「偶然私のお友達のポッタイシがその場に居合わせたそうなのですが、お手伝いたちによると、彼の功績のようです。彼が的確な指示を出したのだとか。あ、ポッタイシというのは私のお友達で、新町長のエンペルトさんのご子息です」
 ポッタイシか。エンペルトは町長になるほどの地元の名士だから、その子供同士、付き合いがあってもおかしくはない。そう、たしか事件当時サーナイト町長――元町長か――と、このお嬢様は社交パーティーに参加していたのだという。
しかし、事件当日に現場にいたのか。この情報は他の捜査にあたっている者からは全く聞いていないが、ポッタイシはそのパーティーに参加しなかったのだろうか。。やはり事件は自分で調べなければだめだな。あまり有能なものばかりでもないし、一度はニューラを捕まえた以上本腰を入れて捜査しようという者もほとんどいない。そう、変り者の私くらいしか。

「ところで、刑事さん」
「なんでしょう?」
「私に何か聞きたいことがあるのでしょう?」
「えっ」
 私が顔を上げると、サーナイトはすらすらと説明してみせた。
「先ほどから私とおしゃべりしてばかりで、事件現場の金庫について一言もおっしゃらないなんておかしいでしょう? 現場ではなくて、私を取り調べにいらしたのですよね?」
 容疑者(サーナイト)は笑っている。これは私の不足際だった。少々迂闊すぎたか。私の考えていることが正しいとすれば、彼女は決して馬鹿ではないし、行動力も十分にある。世間知らずのお嬢様となめてかかれば返り討ちにあうだろう。
「いえ、二階の部屋ももちろん、調べますよ。その前にお話を伺っておきたかっただけなのです」
 まあ、まだサーナイトにこちらの考えを話すのは早い。サーナイトはなお疑うような視線を私に向けていたが、それ以上は問わなかった。サーナイトは代わりに、
「警察は――ニューラがやったとお考えなのでしょう?」
 と言った。
「警察全体としては、そうですが。――私は、そうは思っていません」
 サーナイトはまっすぐに私を見下ろす。その視線に、私はすくんでしまいそうになる。こんなに怖い目つきをすることができる娘とは思わなかった。
「ごまかしはいりません」
「ごまかしではありません」
 私はサーナイトの目を見つめ返す。先に目をそらしたのはサーナイトの方だった。
「金庫のある部屋はこちらです」
 サーナイトは階段を上ってゆく。私は黙ってその後についていく。
 二階の奥にある、小さめの部屋。部屋の扉に鍵はついていないが、警察によって形だけ立ち入り禁止の札がかけられている。
「あれから、この部屋に誰も入っていませんね?」
「ええ、警察の方以外は」
匂いを嗅ぐ。この部屋は閉め切られていたため、まだ何とか匂いをたどれそうだ。たくさんの匂いが交じり合っている。屋敷全体の匂いの中に、捜査に入ったヨーテリーのもの、サーナイトのもの。お手伝いたちのものと思われる匂い。それ以外に、何か混ざっている。これは……土の匂い? それと、獣の匂い。いずれも、ニューラのものとは異なる。
 こんな報告は受けていない。まったく、ヨーテリーは何をやっていたのだろう。ちょっとばかり嗅覚が鋭いのを鼻にかけた若造じゃないか。ニューラの匂いがあるかないかだけに気を取られて、他の匂いに気付かないなんて。
 しかし、謎が増えてしまった。この土の匂いはなんだ? このあたりの痩せた寒い地方の土じゃない。もっと栄養をたっぷり含んだ土。この屋敷の周りでこんな匂いは嗅いでいない。そして、獣の匂い。共犯者のものだろうか。

「どうかしました? 何か……わかりましたか?」
 サーナイトがおそるおそる、といった感じで声を発した。
「いいえ、まだ何も」
「でも! ニューラの匂いはなかったでしょう? 彼はこの部屋に入っていませんから」
「ええ、確かにニューラの匂いはありませんでした。ですが、あなたがニューラがやったのではないという確信があるのはなぜですか? あなた自身が、盗みを実行した者を知っているからじゃあありませんか?」
 私はようやく事の核心を突く質問をした。しかし、サーナイトは少しも動じるところはなかった。
「何をおっしゃるかと思ったら……それだけですか? 私に聞きたいことは」
「いえ、もう一つありますが。その前に、答えを聞かせてください」
「私はニューラのことを信じていますから。彼はお金のために盗みをするようなポケモンではありません」
「それだけですか?」
「ええ」
「……いいでしょう。では、ニューラをあの留置場から逃がしたのはあなたですか?」
「ええ。なぜおわかりになったんですか?」
 サーナイトはあっさりと認めた。ここへ来るまでにもっていた疑念はこの屋敷を訪れて、サーナイトと話すうちに確信に変わっていたが、それでもやはりどこかで信じられなかった。そんなことが露見すれば自分が捕まるのはもちろん、父の立場も無事ではないだろう。それだけの危険を承知でニューラを解放しようとしたのか。
「ご説明しましょうか。あの留置場の全体の入り口には内側から閂がかかっていました。扉を壊さずに侵入する方法はいくつかに限られてきます。たとえば、“テレポート”とか。そして、ニューラの周囲で“テレポート”が使えるポケモンはあなたくらいしかいないのですよ。というよりむしろ、ニューラのために危険を冒すようなポケモンが、そもそもそんなにいないんですよ」
「彼はこの町で孤独でしたからね」
「ええ。私、事件発生からしばらく聞き込みしていたんですよ。ほとんど誰からもニューラの情報を得られませんでした。得られた情報と言えば、ここで門番をしているのを見たという程度です」
「何故ニューラは疎まれていたんでしょう? 彼が何か悪い事でもしたでしょうか?」
「……“悪”だというだけで、ある程度色眼鏡で見られてしまうものです。それはニューラに限ったことではありませんし、残念ながらそれが現実なのです。だから、だからこそ私は――警察に入ったんです」
 “悪”属性の私――ヘルガーは、言った。


レギュラス ( 2013/08/11(日) 22:45 )