CASE1:ラルトス
―1―
陽の差さない暗い路地裏の奥。そこに、ラルトスの探していた看板があった。
―困りごと承ります―
とぶっきらぼうな字で書かれている。
「大丈夫かな……」
とラルトスは思わずつぶやいた。
これほど困っていなければ、そして大家のペルシアンに教えられなければ、ラルトスは決してここに足を踏み入れることなど生涯無かっただろう。現に、ラルトスはここまで来たものの、ドアをノックする勇気が出せないまま立ち尽くしていたのだった。
ラルトスはペルシアンの言葉を思い出す。
「まあ客商売にしちゃあ、ちょっと愛想はないさね。だから客は少ないけど、腕は確かだからアテがないなら行ってみな。それと、家賃の払いは明日だから、ヨロシク」
……ペルシアンは意地悪ではないが、決して甘くはないのだ。そして目下、ラルトスはお金がない。皆無である。もしも家賃が払えないとなれば、ペルシアンは迷わずラルトスを追い出すに違いない。
能あるムクホークは何とやらとことわざにあるが、ラルトスはペルシアンがふかふかの前足の下に隠しているツメの方が数倍怖いのである。想像して、ラルトスは体を震わせた。
大丈夫、店主がどんなに怖かろうが怒ったペルシアンほどではない……はず。その思いがラルトスの背中を押した。
「ご、ごめんください」
「どうぞ。鍵はかかってない」
もはや後には引けない。
ラルトスはそうっと木製の扉を開けた。
「マ、マニューラっ!?」
店主(らしきポケモン)は恐ろしいツメを隠そうともしないマニューラだった。
「……迷子か?」
「は、はい?」
「ここに迷い込んだのか、それとも客として来たのかを訊いている」
「えと、後ろの方です」
そうか、と言ってマニューラは椅子を出してきた。ラルトスはそれを座れという意味だと解釈し、腰をおろした。何かあったらすぐ逃げ出せるよう、かなり浅めに。
そんなラルトスにマニューラは、「用件は?」とだけ言った。なるほど、確かに無愛想だ。それでも、「腕は確か」らしいのである。
ラルトスはぽつぽつと語り始めた。始まりは一昨日のことである。
―2―
ラルトスはいつものように、カクレオンのお店でバイトをしていた。生活費を稼ぐためである。
店主のカクレオンはなぜだか、よく店を開けてどこかへ行ってしまう。噂によれば、洞窟やら森やらの奥深くでお店を臨時に開いて商売しているらしく、そういう時、ラルトスが店番を任せられていた。
その日ラルトスは偶然通りかかった、おそらくよそから来たと思われるコラッタに道を尋ねられた。左目の上に、小さな傷跡があるのが印象的だった。
大して複雑な道順でもなかったのだが、
「このあたりは初めてなんです。一緒に来てくれませんか?」
とコラッタに頼まれ、目的地までついて行ってあげることにしたのだった。
頼まれるとどうにも断れない性分のラルトスである。
およそ10分後、コラッタを無事送り届けたラルトスが店に戻ってみると、
「……商品が盗まれていたんです」
と、ラルトスは涙をこぼした。
それも、入荷したばかりのオレンの実を20個である。
当然ながらカクレオンは激怒し、ラルトスはその場でクビになった。
「でも、それだけじゃないんです」
「というと?」
「実は、『道案内のお礼に』って、コラッタがオレンの実を一つくれたんです。それで、その……」
「泥棒だと疑われた?」
「はい」
ラルトスは涙をぬぐった。
不運にも、ラルトスは店の関係者で、しかも店から盗まれた商品を所持していた。これで疑うな、という方が無理かもしれない。
店を開けて商品を盗まれたなら、それは過失である。カクレオンもラルトスが貧乏であることは知っているから、怠慢を理由にラルトスをクビにするだけで済ませただろう。
しかし、ラルトスが盗んだのならば話は別である。ただでさえ、カクレオンは泥棒には厳しいのである。
「三日以内にオレンの実を20個まとめて返すか、代金の2400ポケ(1ポケ=およそ10円)を返せって……返さなきゃ、警察に突き出すって……明日で、期限の日なんです」
と同時に、ペルシアンに家賃を払う期限でもある。
現在無一文のラルトスに、この両方を払うすべはない。あてにしていたカクレオンからのバイト代も入らない。
警察もその程度の―そう、たったの2400ポケ程度のことに、本腰を入れて動いてはくれない。金儲けのうまいカクレオンを嫌ってわざと捜査を怠けているのかもしれない。そんな邪推をしてしまうくらい、受付のヨーテリーの反応はいいかげんだった。
それらすべての事情を、マニューラは黙って聞いた。
「話は分かった。でも、ここは金貸しじゃない」
「……どういう意味ですか?」
「2400ポケと家賃を俺が用意することはできないよ」
「そ、それじゃ……」
「でも、何もできないわけじゃない。ラルトスが犯人じゃないってことを証明すれば、その2400ポケは払わなくていいんだろう?」
「はい、でもどうやって……」
「行こう。歩きながら説明する。時間がない」
そういって、マニューラは壁にかけてあった赤いマフラーを巻いた。
―3―
「あの、どこへ行くんですか?」
「カクレオンの店に。難しく言えば、現場検証ってやつだ」
ゲンバケンショウ? そんなことをして何の意味があるのだろう?それで犯人が捕まるとは限らないのだ。
ラルトスは不安に包まれる一方で、どこか開き直りに近い安心をも感じた。マニューラが何も言わないから不安だが、何も言わないからこそ安心でもあった。ラルトスの困りごとはすべて請け負ったと、そう言っているかのように。いや、マニューラは無言のままで、何かを説明する気配すら見せないのだが。
到着したカクレオンの店はまたしても店主不在で、新しい店番のゴーリキーがいた。いかついゴーリキーは泥棒対策なのだろうが、客が少し引いている。ラルトスとしても自分の代わりがゴーリキーというのは微妙な気分だった。愛想の無さではマニューラといい勝負だ、というのはマニューラに対して失礼だろうか。
「で? コラッタはどっちから来て、どこへ案内を頼んだ?」
「えっと、お店の側から見て右から来て左の方に、です」
「じゃあこっちだな」
と、マニューラはなぜか反対方向へと歩き出した。
「あの、どうしてそっちに行くんですか?」
「オレンの実を20個ってことは結構な大荷物だ。そんなものを抱えてうろうろしていたら目立つ。だから、泥棒はまだこの辺りにいるはずだ」
「え? でもこっちの方向にいるとは限らないんじゃないですか?」
「オレンの実20個を10分程度で運び出すのは大変だから、とっさの思い付きでできることじゃない。計画的な犯行だな」
「じゃあ、泥棒はずっとスキができるのを待っていたんでしょうか?」
マニューラはその質問に答えなかった。
マニューラは一軒ずつ順番に表札と家の様子を確認していた。それも大きくきれいな家には目もくれず、ラルトスの住んでいるような、(言いたくはないが)古くてボロいアパートばかりを。
そして、その部屋はあっけないほどすぐに見つかった。
「……この部屋だな。カクレオンの店からおよそ2〜3分、荷物を担いでいても5分程度。家賃はおそらく最低ランク、表札もピッタリだ」
とマニューラはつぶやいた。
その表札には、「コラッタ&ミネズミ」と記されていた。
「コラッタって……もしかして道案内を頼んだあのコラッタ?どうしてここに……確かコラッタはこのあたりに来るのは初めてだって……」
「コラッタが店番のお前を道案内っていう方便でおびきだして、ミネズミがその隙に店からオレンの実を盗む作戦だったんだろうな」
「あのコラッタがそんな……信じられません」
「おかしいとは思わなかったか? その日道案内のお礼にもらったのも、店から盗まれた商品も、『偶然』オレンの実だったなんて。全部お前ひとりに罪を着せるための工作さ」
「そんな……」
コラッタの不安そうな顔も、笑顔も、すべては演技だったのか。心の中ではラルトスを馬鹿な奴とせせら笑っていたのだろうか。
ラルトスは忘れかけていた、雷を伴う雨雲のような、あの真っ黒な気持ちを思い出した。
マニューラとラルトスは身を隠して待った。そして数十分、いや、実際はほんの数分のことだったのかもしれない。階段を上ってくる足音と、二つの話し声。その声の一つに、ラルトスは聞き覚えがあった。
「俺たちが盗んだってことはまだバレてないみたいだな」
「当たり前だろ。俺の計画は完璧だぜ」
「にしてもカクレオンの野郎、商売のことにしか頭が回らねえんだな」
「まったくだぜ」
「さて、そこまでだ」
マニューラが目にもとまらぬ速さで二匹の首根っこをつかまえた。その右手がつかんでいたコラッタの左目の上に、小さな傷跡があった。
「離せよ!」
とミネズミはわめいた。しかしマニューラは手を緩めず、むしろ締め付けをきつくした。
「お前たちがカクレオンの店からオレンの実を盗んだんだろう?」
「わ、わかった、認める! だから離してくれ!」
―4―
「――というわけで、捕まえてきた。ラルトスは犯人じゃない」
「はあ……ワ、ワタシはその……それよりオレンの実は!?どこにっ!?」
「つかっちゃったんだ」
と、それまでうつむいて黙りこんでいたコラッタが言った。
「どうして!? いったい何に!?」
「実は、母さんが病気で……治療するのにどうしてもオレンの実が必要で、でもそんなお金、うちには無いし……」
「それ、本当です。こいつの母さん、昔から体が弱くて」
「じゃ、じゃあ代金!無いなら働いて返せっ!」
「はい、すいません……」
「ごめんなさい。あ、でも、母さんには一言伝えないと」
「うーん、じゃあすぐ戻ってこい! すぐだぞ! まったくこれだからビンボーな奴らは!」
コラッタとミネズミは頭を少し下げて走り去った。
「で? ラルトスは無罪放免だろう?」
「え? ああ、もういいですよ。好きにしても」
突然、ラルトスはコラッタたちにも、カクレオンからも、なんとも思われてはいなかったことに気付いた。今までずっとここで店番をしてきたのに……。自分は道端の小石程度の存在だったのだろうか。いくらでも取り換えが利くギアルなのか。さりげなくカクレオンが「ドロボーに払う金なんてない!」と言って払っていなかったラルトスのバイト代の支払いを踏み倒したことさえ、もうどうでもよかった。ラルトスの目から大粒の涙がこぼれそうになった。
「ラルトス、まだ終わってないぞ」
「? どういう意味ですか? ちょ、ちょっと待って!」
ラルトスは突然走り出したマニューラの後を追った。
「はあ、はあ……いきなりどうしたんですか、こんな町はずれまで来て」
「ほら、あいつらが来たぞ」
「え?」
大きな荷物を抱えた影が二つ、急いでこちらへ走ってくる。背負った風呂敷からオレンの実がわずかに覗いている。
「あれは……コラッタとミネズミ? でも、オレンの実はコラッタのお母さんの治療に使って無くなったはずなのに……」
「だから、それもカクレオンから逃げるための嘘なんだよ。母親と同居してるんだったら表札に母親の名前もあるはずだろう?」
二匹は逃げるのに懸命で、ラルトスとマニューラがいることに全く気付いていないようだった。
「おい、どけよ! あっ……お前らがどうしてここに!?」
「嘘をつくのが下手だな。いくらなんでも病気のお母さんがオレンの実を20個も食べられるわけがないだろう。カクレオンのところで働いてオレンの実の代金を返すんじゃなかったのか?」
「そんな約束なんて知るか!あんな……あんな奴らなんて死んじまえばいいんだ!」
コラッタは絶叫した。それはラルトスが初めて聞いた、コラッタの本音だった。
「どうしてそこまで……」
「知りたきゃ教えてやるよ!この話を聞いても同じことが言えるかよ!」
それはコラッタの身の上話だった。
昔、コラッタは母と二匹で暮らしていた。ある時、母が重い病気を患った。
コラッタがカクレオンの前で言ったことはまるっきり嘘ではなかったのだ。
しかし、その病気を治せるかもしれない町の唯一の医者はコラッタが治療費を払えないことを理由に治療を断った。その医者は、腕は良いが高額の治療費を要求することで有名らしい。コラッタの母は診察すらしてもらえなかったという。
結果、コラッタの必死の看病もむなしくコラッタの母は亡くなった。そもそもコラッタの母が倒れたこと自体、働きすぎが原因だったのかもしれない。
貧しさゆえの死。それがコラッタの生き方を変えた。
「だから、俺はダチのミネズミと一緒に、商売で儲けてるやつらに罰を……」
「だがラルトスも被害をこうむっていることについてはどうなんだ?」
「カクレオンに金もらってる手先なんて知ったことかよ!」
「そうか。……じゃあ、もう一つだけ。逃げる時の言い訳に母親を持ち出したのは、死んだ母親に対して失礼なんじゃないか?」
「……う、うるさいっ! 恵まれたやつらに、俺の気持ちがわかるか!」
わかるよ。
「あ?」
「わかる、って言ったんだ。でも、僕は絶対に君に同情なんてしない。……だって僕には母さんも、父さんもいないから」
だからラルトスは自分で働いて、ペルシアンのアパートを借りて住み、お金に困っても頼れる家族も親戚もいなかった。
ラルトスにとってはハピナスの孤児院を出て以来、それがあたりまえの生活だった。
「どうして両親がいないのか、それも知らない。捨てられていたところをハピナスに拾ってもらったんだ。だから僕には名前もない。ハピナスがつけてくれた名前も僕にはしっくりこなかった。コラッタ、君には僕の気持ちがわかる?自分がどこから来た何者かすらわからないままで、それでも生きていく気持ちが」
「………………………………」
「………………………………」
コラッタも、ミネズミも何も言わなかった。いや、言えなかったのか。二匹はさっきまでの怒りの表情が消え、毒気を抜かれたような顔をしていた。
「お母さんが死んじゃっても、貧乏でも、それを理由にして盗みなんて……卑怯だよ」
卑怯だ。
とラルトスは繰り返した。
こらえきれない涙があふれ出して、ラルトスはうつむいた。
「……で、お前ら。その担いでる大荷物の中身はどうする気だ?」
コラッタとミネズミは顔を見合わせた。
―5―
「これでよかったんでしょうか……」
帰り道、ラルトスはつぶやいた。
「後はあの二匹次第だろうな。2400ポケは大嫌いなカクレオンの下で我慢して働くって誓ったしな」
二匹が盗んだ(そしてカクレオンはもう無くなったと思っている)オレンの実は、病院に届けた。きっと有効に使ってくれることだろう。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
そっけない返事だった。ラルトスがドアをノックした時と同じ返事。ラルトスは吹き出しそうになるのをこらえた。
「今回の僕の依頼は、コラッタとミネズミを捕まえて僕の無実を証明した段階で完了だったんじゃないですか? どうしてあの時、『まだ終わってない』って言ったんですか?」
「それはな、あの時ラルトスが悲しい顔をしてたからさ」
……あの時。ラルトスは自分を見失っていた昔の自分を思い出していた。自分の来歴、親の顔、捨てられた理由、そして自分の名前さえ分からない。垂れ込める暗雲のような気持ち。
それが表情にも表れていたのだろう。
「あのままじゃ、コラッタとミネズミはまた性懲りもなく同じことを繰り返すと思ってな。とっさにすらすら嘘が出てきただろう? ああしてあの二匹は今まで生きてきたんだ。だまされる側の痛みを知らずに」
「………………」
「だから本音を言わせてみたんだ。コラッタが心の奥底に抱えていた怒り……それから、ラルトスが抱えていた悲しみを」
「……僕の?」
「ああ。あの言葉は確実にコラッタとミネズミに届いた。ラルトスは、コラッタたちにとっては一生忘れられない存在になったんじゃないか?」
ラルトスは心を覆っていた分厚い雲が晴れる気がした。
「あの、マニューラさん」
「マニューラ、でいい。最初入ってきた時はそう呼んだじゃないか」
思わずあげた悲鳴が聞こえていたらしい。ラルトスは赤面した。
「じゃあ、僕のことはラルトスって呼んでください。一応孤児院でハピナスにつけてもらった名前がありますけど、」
「しっくりこないんだな」
とマニューラが後を引き取った。
「はい」
「そうか、わかった。ところでラルトス、うちで働く気はないか?」
「……えっ?」
「実は、ずっと助手を探してたんだが適任が見つからなくてな」
「……どうして僕が適任なんですか?僕は別段何にもしていないのに」
「そうだな、この稼業続けているといろんなことがある。そういう時、一本ぶれない線を持っていればやっていける」
マニューラの言葉はなんだか意味深長で実感がわかなかったけれど、ラルトスの返事は考えるまでもなく決まっていた。それはラルトスが現在無職で、なおかつ明日からも無宿が確定したからというわけではなく、むしろわくわくするような何かを感じたからだった。
「喜んで」
こうして、二匹の奇妙な共同生活が始まった。
それは同時に、二匹の冒険の幕開けでもあった。
広がる大空は青く晴れ渡っていた。
To be continued…