CASE7:ベトベトン
―1―
「悪いな、ラルトス。こんなことに巻き込んでしまって」
「ううん、巻き込むだなんて。“空色のプレート”をもらったのはもともと僕だし」
よろずやに厳重に鍵をかけ、“CLOSED”の看板をかける。再び“OPEN”の看板を掛けられるのはいつだろう。いや、もしかしたらもう、ここへ戻ってくることはないのかもしれない。
僕たちはこの町を出ることにした。僕たちが“空色のプレート”を持っていることが“ブラックエンペルト”に知られている以上、ここはいつ襲撃されてもおかしくない。そう、例えば今振り返ったら刺客がいる、という状況すらありうると思え、とマニューラは言った。どんな状況でも気は抜けない。感傷に浸る時間もないんだ、とラルトスは自分に言い聞かせた。
ウインディ警視にひとこと伝えてから行こうかとも思ったが、警視は警察内部に内通者がいるのではないかと疑っていたのでやめた。もし警視の推測通りなら、こちらから敵に情報を提供しに行くようなものだ。
「さ、行くぞ」
「うん」
ラルトスはマニューラとともに、よろずやに背を向け、一歩を踏み出そうとした。
が、できなかった。
「お出かけかい?」
にたにたと笑うベトベトンが、狭い道を塞いでいた。
「い、いつの間に!? ついさっきまで誰もいなかったのに!」
「落ち着け、ラルトス。下だ」
「下って言っても――あっ」
道路の下は――下水道だ。
この町には確かカクレオンがお金を出して下水道が作られていたはずだ。昔カクレオンのお店でバイトしていた時に自慢していた。下水道が完備された町はまだ少ない、この町は最先端だって。
ベトベトンは相変わらずにたにたと笑いながら、マニューラに応じる。
「ご名答。じゃああたしの目的も当てて御覧」
「プレートか」
「その通りだよ。おとなしく渡してくれたらあんたらの命は保証してあげよう。どうする?」
「お断りだ」
「そりゃ残念」
と、ベトベトンは言葉ほど残念でもなさそうに、一層にたにたと笑った。
「実はあたしも持ってるんだよ。“桃色のプレート”をね」
言いながら、ベトベトンはヘドロの中からピンク色の――といってもヘドロまみれでよく色は見えなかったが――プレートを取り出した。
「あんたも持ってるんだろ――“空色のプレート”。オニドリルに聞いたよ」
「ああ」
マニューラもマフラーの中から“空色のプレート”をとりだした。
「なら、こうしよう。あたしとあんたで一対一、サシで勝負しよう。制限時間は正午まで、負けた方は自分の持ってるプレートを差し出す。どうだい? 少し考える時間をあげようか?」
「……(どうするの、マニューラ)」
「……(俺は受けるつもりだよ)」
「……(危ないよ。あいつ、絶対何か考えがあるよ)」
「……(この路地は完全にふさがれている。両側は壁、後ろはよろずや、前にベトベトンだ。そもそも拒否できない状況を作られてしまった)」
「……?(ベトベトンを飛び越えられないの?)」
「……(お前を抱えてか)」
「……!(僕を置いていけば)」
「……!(そんな選択肢はない。正面突破する)」
「……(ありがとう)」
「そのルールでいい。勝負だ」
―2―
もとより、マニューラはベトベトンが取り出して見せたものが本当に“桃色のプレート”だとは思っていない。十中八九偽物だろう。確認しようにも、マニューラは本物を知らない。だが偽物であってもこの際構わないのだ。ベトベトンを倒してしまえばマニューラとラルトスは逃げられるのだから。
マニューラはもしもプレートが本物だった時の方がより危険だと読んでいた。なぜなら、それは自信の表れだからだ。絶対に負けないという確信がなければ、プレートをかけて戦うことなどできない。もっとも、それはマニューラの方も同じだ。絶対に勝つ自信がある。マニューラは戦いに勝つことでこれまで生き延びてきたのだ。
「さあ、始めようか」
ベトベトンは不敵に笑う。
「――行くぞ!」
――“れいとうパンチ”!
――“かたくなる”
「…………!」
「軽い、軽すぎるねえ――その程度の打撃じゃあ、あたしにゃ通用しない!」
マニューラの攻撃が全く効いていない。打撃系の技はヘドロに衝撃を吸収されてしまう。
――“つじぎり”!
今度はマニューラのツメがヘドロを切り裂いた――が、すぐに元に戻ってしまう。
――“かげぶんしん”
ベトベトンの姿がいくつにも分裂する。
「これであんたの攻撃はかすりもしなくなるのさ!」
「く……」
――“つばめがえし”!
「おっと、この速さはよけきれないね。でも無駄だよ!」
ベトベトンの傷は見る見るうちにふさがっていく。
「どうだい、わかったかい? あんたに勝ち目は無いよ! とっととプレートを――」
「――諦めるか!」
「無駄なあがきだ。初めて見たときからはっきりわかったよ。あんたは間違いなく速攻型! 持久型のあたしを突破することはできない!」
確かに、ベトベトンが言った通りマニューラは速攻型だ。エルレイドの時のように、一撃だけで決めるのがマニューラのスタイルなのは間違いない。それは己の速さを最大限に生かして先制攻撃を行うからだが、同時にマニューラの最大の弱点――防御の弱さを隠すためでもある。マニューラは攻撃は最大の防御という言葉を、まさに体現しているのだ。
一方、ベトベトンはその対極を行く。全ての攻撃を受け切り、回復を繰り返して敵の疲労を待つ。
「マニューラ!」
ラルトスが叫んだ。
「大丈夫だ!」
マニューラも叫び返す。実際、マニューラは無傷だ。ベトベトンはおそらく、一つも攻撃技を持っていない。疲れたところにとどめを刺すのではない。疲れ果てて自滅するのをただ待つだけなのだ。
ベトベトンが指定した正午まで、まだ時間はたっぷりある。ありすぎるくらいだ。まだ夜が明けてから、そう時間は経っていない。そもそも、制限時間としては長すぎるとは感じたのだ。この時間設定はベトベトンが勝利するために要する時間、つまりマニューラが疲労し倒れるまでの時間がそれだけかかるという意味だったのだ。
「おや、まだ何かあるのかい?」
マニューラはそれに答えない。
――“つばめがえし”!
ヘドロが一瞬だけ切り裂かれる。
「今だ!」
ヘドロに手を突っ込む。ヘドロの中にはプレートがある。それを奪ってしまえば勝負そのものを無効にできる!
「ふふふふ……」
ベトベトンがにやりと笑う。
マニューラの手は確かにプレートをつかんだ。
が、とれなかった。
「“ねんちゃく”だよ。あたしのどうぐを奪われることはない!」
ベトベトンは余裕を見せつけるように笑いながら、長々としゃべり続ける。
「マニューラといえば、“わるいてぐせ”! “悪”の中でもずるがしこいことで有名で、しかも器用さを悪用して盗みを働く! あたしみたいにヘドロをすすって生きてきた輩でも、あんたよりはマシだ!」
「黙れ!」
ラルトスが――あのラルトスが、怒鳴った。
「マニューラはそんなことしない! 何も知らないくせに、いい加減なことを言うな!」
ラルトスは顔を真っ赤にしてはあはあと肩で息をしている。
もちろん、マニューラはベトベトンの言葉を本気で受け取らなかった。ベトベトンはわざと挑発的なことを言って動揺させ、心を折りに来たのだ。体力を尽きさせるより先に精神力を尽きさせる方が速い。わかってはいたが、泥棒といわれるのはつらかった。
“泥棒”は、マニューラの古傷を抉るキーワードの一つなのだ。
それだけにラルトスの援護はありがたかった。また新たな力が湧いてくるような気さえした。
だが、プレートを奪うというマニューラの試みは失敗した。
もう、力尽きるまで戦うしかない。
―3―
そして、正午。
倒れたのは――ベトベトンだった。
「いったい、どうし、て……」
ベトベトンは息も絶え絶えだった。
「俺は“わるいてぐせ”じゃなかった、っていうことだ」
「……どういうこと」
「マニューラというと“わるいてぐせ”が有名になりすぎてるが、俺は“プレッシャー”だ。戦う相手に精神的負担をかける。お前が挑発的な態度で相手を焦らせようとしたのと同じように、お前も知らないうちに俺の威圧感を受け続けた」
「そうか……あんなプレートを奪う演技までして“わるいてぐせ”を強調し、その裏でプレッシャーをかけ続けたのか。あたしは通常よりも速く疲れていったわけだ。道理で、たった数時間でこんなに疲れ果てたわけかい」
ベトベトンが一見してマニューラが速攻型であることを見抜いたのなら、その逆もまた然りである。ベトベトンが持久型なのはマニューラにも当然わかっていた。マニューラはその上で戦いを承知したし、己の技がベトベトンの体に通用しないこともわかっていた。
そして、できればベトベトンにはマニューラが罠にかかったように見せかけ、ベトベトンが圧倒的優位に立っていると思わせたかった。ベトベトンが異変に気付いた時にはすでに精神的疲労が積み重なり、思うように戦えなくなっている。
しかし、ずいぶんと安く見積もられたようだ。体力を温存しながら戦えば、正午までの数時間くらいならマニューラは問題なく戦える。昔、一晩中戦い続けながら走ったこともある。
「プレートはもらうぞ」
「ああ……」
ベトベトンは桃色のプレートをさしだした。
「これ、本物か?」
「ああ、本物だよ」
「一つ聞きたいんだが、なんでこれを持っていたんだ?“毒”属性の技を使わないなら、このプレートは役に立たないだろう」
「……そりゃあ、お守りだよ。心が折れそうになったとき、そいつがあればまた戦えるのさ……今回は負けちまったけど、ね」
「そうか。じゃあ、ここは通らせてもらうぞ。助けを呼ぼうか?」
「いや……適当に回復したら自分で帰れるさ……そのくらい、意地を張ったっていいだろう?」
「ああ」
暗い路地を抜ける。太陽がまぶしい。
「あのさ、マニューラ」
「なんだ?」
「やっぱり、マニューラだけに戦わせて、僕だけぬくぬくとしているのは耐えられないよ。僕にも戦い方を教えて」
「……いいよ」
「え? いいの? てっきり反対されるとばかり思ったよ」
「強くなりたいんだろ?」
「う、うん……」
「……お礼に、な」
「え? 今なんて?」
「別にラルトスは戦いのとき何もしてないわけじゃないってことだ」
あの時ラルトスが声をかけてくれなければ、最後まで戦えたか、怪しいものだ。ベトベトンが“桃色のプレート”を精神的な支えにしていたように、マニューラにとってはラルトスがお守りなのかもしれない。
「どういうこと?」
マニューラの気持ちを知らないラルトスは首をひねるばかりだ。
「ほら、もたもたしてる暇はないぞ」
「ちょっと、足の幅を考えてよ〜」
プレートはこれで二枚。
彼らの旅はまだ始まったばかりである。
―4―
「それで?」
「その……“空色のプレート”を発見したのですがあのリザ−ドンめの邪魔が入りまして」
オニドリルはおどおどと答える。
「奪われたのか」
「い、いえ、戦闘中に紛失しまして……」
「それが数か月も前のことか。報告が遅すぎるぞ」
「も、申し訳ございません」
「続けろ」
「それでその、発見したのです。近くのガキが拾っていたのです。ただ、取り返そうとしたところ、また邪魔が……」
「またリザードンか」
「いえ、今度はマニューラでして……」
「誰だ? 我々に敵対する組織の者か?」
「いえ、その後調べたところ、どうやら近所で自警団のようなものをしているとかで」
「ふん。それにお前たち三匹は負け、ピアーとバットが捕われたか」
「で、ですが、今頃はベトベトンが向かいましたから、もう奪い返しているかもしれません!」
「お前はいつも敵を甘く見る癖がある。どうしてベトン一人で行かせた? 我らのメンバーをもう数匹向かわせるべきだったな」
「しかし、ベトベトンがそれを希望しまして……一対一で戦う主義だとか、あの女」
「ベトンの戦闘スタイルは知っている。戦いはねちっこいくせに正々堂々とした一対一の勝負を好む。確か、敵を疲労させるというのだろう?」
「ご存知でしたか」
「なら、事前に数匹のポケモンと戦わせてあらかじめ疲労させ、そのあとにベトンをぶつければ良いだろう」
「あ……」
「だからお前は知恵が足りんと言っているのだ、ドリル。……まあいい、いずれまたお前は戦力として必要になる。しばらく私の直接指揮下に入れ。やはりお前を幹部にしたのは間違いだったらしい」
「申し訳ございません。仰せの通りに」
オニドリルは退出した。
「それにしても、マニューラか。ひょっとすると、ひょっとするかも知れん。……あれから、もう十年近く経つのか」
“ブラックエンペルト”の若き総帥、エンペルトは呟いた。
「いずれまた会うことになるかもしれないとは思っていたが……もしも次に会ったら」
「必ず殺してやる」
To be continued…