CASE4:ウインディ
―1―
拝啓
ラルトスさん、マニューラさん、お元気でしょうか?
あれからというもの、家を空けてばかりだった父・カイリューが安全のために在宅するようになりました。父が私たちを見守っているのでヨーギラスはボディガードとしての負担が減り、空いた時間にいろいろなことを話しています。
海辺においていたベンチはまだ少し怖いので設置していませんが。事件後は精神的に不安定だった姉も最近は落ち着き、私たちを助けて下さったお二方には一同感謝しております。ただ、先日はごたごたの中、お礼の品を差し上げることができず、心苦しく思いますので、当家近くまでいらしたら是非お立ち寄りください。精一杯おもてなしさせていただきます。
敬具 ミニリュウ
「……元気そうだな」
「うん。ねえ、今日はお休みにしてミニリュウの家に遊びにいかない?」
「駄目だ。用もなく押しかけるのは迷惑だろう」
「そうだけど……」
「それに、今日も依頼がある。休みにはできない」
「うん……」
「秘密の入り江に住んでるコダックからの依頼だ。頭痛を治す“ひでんのくすり”をどこかに置き忘れてしまったが、頭痛のせいで思い出せないらしい」
「秘密の入り江ってどこ?」
「ミニリュウの家の近くだな。『近くまでいらしたら是非お立ち寄りください。』って書いてあるから、依頼が早く済んだら、帰りに寄ってもいいぞ」
「本当!? やった! マニューラ、早く行こう!」
―2―
海沿いの道。
潮の香りが鼻孔をくすぐる。その匂いに、マニューラは先日ラルトスに属性相性の話をした時のことを思い出した。ラルトスにはまだ、マニューラの“悪”がラルトスの“エスパー”に相性が悪いことは告げていない。ラルトスを信用しないのではない。たとえその事実を知ったところで、ラルトスは自分に対する態度を変えたりはしないとわかっている。わかっているが、“あの時”のことを思うと、それを告げるのはどうにも憚られた。
まだ陽は高く、穏やかな日差しが降り注いでいる。ラルトスが鼻歌を歌いながら前方を歩いている。ついこの間、キングドラと戦ったのが嘘ではないかと思えてくるくらい、平和な光景だ。
コダックの依頼はものの数分で片付いた。張り切ったラルトスは、マニューラが思いもつかないような場所からあっという間に見つけ出してしまった。この不思議な勘の良さはやはりラルトスが“エスパー”属性であることの証左か。マニューラは“ひでんのくすり”を盗まれたのではないかという可能性を検討していたのはやはり“悪”属性の――え?
マニューラの感覚が、さっきまでは平穏だった空気の中に混ざった不穏な気配をとらえた。マニューラは咄嗟にラルトスの身をかばった。一瞬遅れて、気配の主が姿を現す。
先日の事件でまだ捕まっていなかった、――ドククラゲだ。
無言で繰り出された触手を爪で薙ぎ払う。続く“ハイドロポンプ”もラルトスを抱えたままで軽々と躱(かわ)せた。マニューラの速さからすれば、陸(おか)に上がったドククラゲの動きは止まって見える。一気に距離を詰め、とどめの一撃を――
「待って、マニューラ!」
ドククラゲを切り裂こうとした“つじぎり”は寸前でぴたりと止まった。
「そこまでする必要はないよ」
見れば、ドククラゲは戦意を喪失して砂浜に力なく突っ伏していた。先日、キングドラにこの姿勢から奇襲されたマニューラは油断せず、ラルトスを背中で守りながらドククラゲに声をかけた。
「この間の一件で懲りていないのか。今度は何をしに来た」
必要以上にきつい口調になったのは、ドククラゲがラルトスを狙ったせいだ。
「きングどラヲ、返シてくダさい」
「…………」
ドククラゲは突っ伏しているのではなくて、この姿勢は、もしや土下座のつもりなのか。
いきなり攻撃を仕掛けておいて急に態度を変えるあたり、行き当たりばったりなドククラゲらしいと言えば、らしい。陸上の言葉がうまく話せないのも相変わらずだ。
「お願イしマス」
「どうにか力になってあげられないの?」
どうしてラルトスがドククラゲの味方をするんだ、と言うのをマニューラはこらえた。
ラルトスは無関心さには敏感だが、敵意には鈍感なのだ。無関心さに敏感なのは、きっと両親を知らないからだろう(CASE1参照)。敵意に鈍感なのは、孤児院のハピナスがよほど善良だったのか。
もしかすると、ラルトスはたった今自分がドククラゲに襲われかけたことすらよくわかっていないのではないか。
「ねえマニューラ、困っているポケモンは助けなきゃ。それが僕たちの仕事でしょう?」
確かにそうだが、ドククラゲ(とキングドラ)が困っているのは自業自得だと思う。マニューラはため息をついた。
「なあ、ドククラゲ。キングドラは今、警察に捕まっているんだ。ハクリューの屋敷に侵入して宝珠を盗もうとしたからな。だから――」
諦めろ、と言おうとした。
「じゃアわタシも、捕まえてクダさイ! わタシも侵入シましタ!」
マニューラは今までドククラゲのことをバカだと考えていたが、その認識は間違っていたかもしれないと思った。
キングドラと一緒にいるために自分も捕まるという論理は、ドククラゲの性質を明確に示している。宝珠を盗もうとしたのも、案外キングドラに命令されたからではなく、キングドラのことを想っての行動だったのか。
きっと、ドククラゲはまっすぐすぎるのだ。もしかするとラルトスと同じぐらいに。
「わかった。望みどおりにしてあげよう」
―3―
ドククラゲには随分と感謝されたが、ただ警察まで連れて行っただけである。警察にもやけに感謝されたが、ただの自首である。ドククラゲに首はないが、「首す」と書いて「もうす」と読むのだから問題はない、とどうでもいいことを考えた。
警察ではウインディがマニューラを出迎えてくれた。こうして会うのも久しぶりだ。聞けば、警視に昇進したらしい。
「以前の泥棒猫の時以来でしたかな? なにぶん忙しくてご無沙汰しております」
ずっと昔、マニューラはウインディとともにある大泥棒を捕まえたことがある。その件をきっかけにしてマニューラはこの町に居つき、今の仕事を始めたのだが、その話はまた別の機会に。
「いや、キングドラには手こずってまして。何を聞いてもだんまりですし、何か答えたとしても意味不明ですし。ドククラゲからなら何か聞き出せるかもしれません。いや、本当にご協力ありがとうございました」
「いえいえ」
なんだかんだしているうちに、その日は暮れてしまった。
「ミニリュウの家に行くのは、また今度にしような」
「うん……」
数日後のこと。
ウインディ警視が自らよろず屋に現れた。正確には、体の大きなウインディは路地に入れなかったので、近くのカフェ「三猿」でお茶しながらの会見であった。
「“ブラックエンペルト”という集団をご存知ですか?」
「いいえ。なんですかそれは?」
「何と説明してよいやら……強盗を働いたり、ポケモンをさらって身代金を要求したりと、金のためなら何でもやる組織――なんだそうです。情けない話ですが、我々警察もよく実態をつかめてはおらんのです」
「どうして捕まえないの?」
とラルトスが聞いた。
「それがね、嬢ちゃん」
「ぼくは♂だよ」
「すまん、坊ちゃん。そいつらはとにかく数が多いんだ。もしかすると、警察よりも数が多いんじゃないかって意見もある。いや、これはうわさにすぎないが、実際そんな気がするんだ。一匹や二匹、いや十匹や二十匹捕まえてもキリが無いんだ。だから、末端をいくら捕まえても意味が無い」
「でも、中心メンバーを捕まえれば……」
「うん、君の言う通りだよ。だがね、そもそも中心メンバーが誰なのかすら、つかめてない。ただひとつ判っているのは、“ブラックエンペルト”の名の通り、リーダーはエンペルトらしい」
「もしかして――その集団は、犯罪で得たお金を、貧しいポケモンに配ってやしないでしょうね?」
「え?」
その返事に、自分の勘違いだったかとマニューラは胸をなでおろしかけた。しかし、続くウインディの言葉は、
「どうしてそれをご存じなんですか?」
だった。
マニューラの予想は当たっていたらしい。
最悪だ。
あいつは――いや、まだ決まったわけではないが間違いないだろう――あいつは、そんなことに手を出してまでも、活動しているのか。
「あー、いやほら、以前警視と捕まえたあの泥棒猫も、ネコ小僧とか言って義賊気取ってたでしょう?」
「確かあの猫は自分をニャルセーヌ・ルパンだと言ってましたよ。大体♀だから小僧は変でしょうに」
「そうなると警視はさしずめウイマール警部ですかね」
「全然うまいこと言えてませんよマニューラさん。ルパンファン以外は意味不明ですよ」
自分らしくもないボケを披露する羽目になったが、どうやら誤魔化せたらしい。
「それで、その集団がどうかしたんですか?」
「いえ、それがですね、キングドラはその“ブラックエンペルト”のメンバーだったと、ドククラゲはそう言うんです。ドククラゲ自身は入ってなかったようですが、キングドラが怪しげな集団に入ってしまったって心配していたらしいです。キングドラに聞いたら、奴さん動揺しましたよ。一瞬でしたがね。私はほぼ決まりと見ていいと考えています」
ということは、キングドラ自身、もっと上の何者かの命令を受けていた可能性もある。むしろ、その可能性の方が高い。ならばキングドラは何もしゃべらないだろう。組織を裏切ったものがどんな目に遭うのかは、想像に難くない。
「お話は分かりました。それで、私に何のご用ですか? 警視だってお忙しい中、用もなしに来たわけではないでしょう?」
「相変わらず鋭いですな。実はですね、いよいよこの地域にまで“ブラックエンペルト”が進出してきたとすると、またこの町のポケモンが襲われる。ですから一刻も早く奴らを潰さねばならんのです。ですから、マニューラさんには“ブラックエンペルト”の情報を集めていただきたいのです。我々は手いっぱいですし、これは大きな声では言えませんが、内通者がいる可能性もあるのです。その点、マニューラさんなら聞き込みしていても不自然ではありませんし、信用できますから」
「……なるほど。ですが、警察の手が回らきらない困りごとを手助けする、普段の仕事をやめるわけには参りませんから、どうしても片手間になってしまいますよ?」
「構いません。むしろその方が私としてもありがたいくらいです」
「わかりました」
「ありがとうございます! 謝礼はお支払します。必要経費は別途請求してください。では私は仕事がありますのでこれで」
―4―
この間、“ブラックエンペルト”という犯罪集団の話を聞いてから、なんだかマニューラは元気がない。それとなく聞いても、マニューラは「何でもない」としか言わない。ウインディに頼まれたというのに、情報を集めている様子もない。
昨日なんて、いつもの赤いマフラーを手にとってため息をついていたところを目撃してしまった。もう季節は夏なのに、出かけるときは必ずあのマフラーを巻いていくのを見ると、よほど大切なものなのだろう。
マニューラは“ブラックエンペルト”を知らないと言っていたが、たぶん、知っているはずだ。しかも、相当重要な秘密か何かを。マニューラはきっと誰かをかばっているんだ。
……なんて、全部ラルトスの想像でしかないけど。
こうして考えてみると、ラルトスはマニューラのことを何一つ知らない。本当の名前すら知らない。ラルトスはマニューラのことを「マニューラ」と呼び、マニューラはラルトスのことを「ラルトス」と呼ぶ。別に不満はないが、どうにも他人行儀な感じではある(TEA BREAK1を参照)。
どんなに親しくなったように見えても、所詮住み込みのバイトと雇い主の関係だからマニューラは名前を教えてくれないのだろうか、なんて考えが勝手に飛躍して、ラルトスまで悲しくなってしまう。そんなわけで、僕らは今、二人そろって落ち込んでいる。
マニューラがかつて僕を助けてくれたように、僕もマニューラの力になりたいと思う。でも、悲しいかな、今のマニューラに僕ができることは何もない。
依頼が来て、困りごとを解決していくうちにマニューラが自然に立ち直るのを待とうと思う。
結局、ミニリュウの家にはいまだに行けないままだ。
To be continued…