Chapter.1 [Bluesky Breeze - 春風と共に -]
1-3. 「白熱!ポケモンバトル #1」
フィールドへ移動した聡とさくら、そして私とリボンが、相手サイドのメンバーにそれぞれ視線を投げかける。

自他ともにリラックスしていると言えるだろう私とは対照的に、リボンは傍から見ても緊張している様子が窺えた。私と相対しているということもあるだろうが、彼女の様子を眺めていると、単純に場慣れしていないのではないかという印象を強く受けた。戦いの経験が少ないのかも知れない。

「ルールは一対一、どちらかが倒れるまで、時間無制限の一本勝負!」
「トレーナーへの攻撃は反則で即敗北……こうですよね!」

さくらが復唱したルール。トレーナーが同伴する試合形式の戦いの中で、もっとも基本的でプリミティブなルールだ。細かいルールに拘泥する必要はない。ただスポーツマンシップに則って、全力で相手を倒すことだけを考えればいい。私にとってはもっともやりやすいルールだったし、多くのポケモンにとっても同じだろう。

私が臨戦態勢を取ったのを悟って、対戦相手となるリボンも覚悟を決めて身構えたのが見える。この、戦いが始まるまでの緊迫した時間が好きだった。神経が研ぎ澄まされ、眼前の戦いにのみ集中することができる。ラウンド開始の合図は、恐らく聡が出すはずだ。

「可憐な花を足蹴にするのは性に合わないけど、手加減はもっと性に合わないからね。ネクロ、容赦は無用だ!」
「わたしたちだって負けないよ! リボン! いっしょに頑張ろう!」

聡とさくらが喊声を上げて、互いに戦意を高揚させる。

そして、聡がさっと腕を上げて。

 

「――ネクロ対リボン……試合開始っ!」

 

戦いの火蓋が、切って落とされた。

「先制攻撃っ! リボンっ、思いっきりぶつかっていって!」

先に仕掛けたのはさくらとリボンだった。さくらの明解な指示を受けて、リボンが地面を蹴ってこちらへ駆けてくるのが見える。

「なるほどね。ネクロ、まずはリボンの牙を抜いてやるんだ!」

すぐさま聡から指示が飛ぶ。「牙を抜いてやれ」とは、ずいぶん抽象的な指示に聞こえるかも知れない。

だが私にとっては、この上ない最良の指示だった。伊達に場数は踏んでいない。

リボンは先手を取り、体全体で体当たりを敢行しようとしている。私のようなムウマージが相手なら、小細工を仕掛けられるのが一番厄介だ。なら、何かつまらないことをされる前に倒してしまうに限る。おおよそこのような考えがあってのものだろう。こういう手合いには、望み通り先に動かしてやる方が却って手を打ちやすい。攻撃の瞬間にこそ、フォローし切れない隙が生まれるものだ。私は小さく息を吸って、リボンの攻撃を待ち構える。

あと数秒でリボンが私に到達する、私はそこまで深くリボンを<踏み込ませた>。<踏み込まれた>のではない、<踏み込ませた>のだ。

リボンの意識が私への攻撃という一点に注がれる、その瞬間を見逃さなかった。

「キィイイィイイィイッ!」
「……っ!?」

ガラスを研ぎたての鋭い爪で引っ掻いたかのような耳を劈くばかりの金切り声を上げて、向かってきたリボンを容赦なく「驚かせ」た。突然生理的嫌悪感を催す音を聞かされたリボンは、思わずその場に立ち竦む。私の狙い通りだ。相手が目を瞑った一瞬の隙を逃さず、私は素早くリボンの背後へ回り込む。

「いいぞネクロ! ここで一気に畳み掛けてやれ!」
「リボン! 後ろに回り込まれたよ!」

さくらから飛んだ指示で、リボンが咄嗟に後ろを振り向く。だが、それも想定通りだ。むしろ待っていたと言っても過言ではない。私に回り込まれたと知ったリボンは迷わずこちらを見るはず、そう、必ずこちらに目を向けてくるはずだ。

相手の動きが止まり、目線が確かに交錯する一瞬――ただ、その一瞬さえあればいい。

「掛かったな、今だ! 退路を断て!」
「退路を断つ……!? いけないっ! リボンっ、目を伏せて!」

ほう、聡の指示だけで我々の目論見に気付くとは、なかなかいい反応だ。

だが――もう遅い。

「あっ、これは……!」
「私の<目>を見たな……もはや逃げ道は無いぞ」

私の眼差しがリボンを射抜く。リボンには、私が黒く濁った禍々しい目つきで睨みつけているヴィジョンが見えているに違いない。私が用いたのは、視線を合わせた相手に瞬間的な強迫観念――私を倒さぬ限り逃げられないという意識を植え付けることで、敵の退路を自ら断たせるという技だ。私がリボンを拘束しているわけではなく、リボンが自らの意志で逃げることを放棄するのだ。もっとも、精神感応による認識災害を自らの意志と呼ぶべきか、私には判断が付かなかったが。

「間に合わなかった……! リボンっ、一度ペースを掴み直すよ! 魔法の葉っぱを舞わせて!」

リボンが私の術中に嵌ったことを悟ったさくらは、素早く気持ちを切り替えて指示を飛ばしてきた。彼女の指示からは、正確にどのような攻撃を繰り出してくるのかまでは判断できなかった。だが、ペースを掴み直すという言葉から、恐らくリボンにとって一時的にこの状況を切り返すことのできる、素早く繰り出せる攻撃だろうと予想することはできた。

「こうなったら……行くよ! 舞え、風のように!」

逃げ道を塞がれたことで戦うしかないと考えたのか、リボンはこちらを見据え、両手を掲げて構えた。攻撃の詳細が分からぬ以上、近距離で無防備に戦うのは危険だ。一旦後ろへ大きく身を引き、相手との距離を取る。

だが、リボンの繰り出した攻撃は、それで躱せるようなタイプのものでは無かった。

「葉が――こちらに向かってくる……!」

距離を置いた私を追跡するように――いや、実際に追跡して、無数の葉が立て続けに襲いかかってきた。このタイプの技には見覚えがあった。いかに回避を試みようと必中し、確実にダメージを与えてくる。以前私が目にしたのは、ポケモンの持つエネルギーを「星」の形に作り上げてぶつけるというものだったが、リボンは星ではなく「葉」の形にしてぶつけてきたわけだ。チェリムは植物に近似した性質を持つ。故に星ではなく葉の方が、より具体的なイメージを描きやすいのだろう。

鋭い刃と化した緑の葉が、正確な追尾により続けざまに私の身体をなで斬りにしていく。視界を奪われるわけには行かない、私はリボンがさらに攻め立ててくる危険性を承知の上で目を閉じ、瞳を保護することを選んだ。

漸く嵐が収まり、閉じていた目を開く。微かにぼやけた視界には、正面に立つリボンの姿があった。自らの身体を素早く検分してみると、大小の切り傷が七つか八つほど見つかった。先程の葉に付けられたものだろう。しかしながら痛みはほとんどなく、出血も軽微なものだ。リボンのエネルギー量では、私に効果的なダメージを与えることができなかったのだろう。

だが、傷を付けられたのは、紛れもない事実だ。身体に感じる微かな痛みを記憶へ刻み込み、眼前に立つチェリムへの憎悪を積み上げる。

「この<恨み>、晴らさずに居れるか!」

私が目を見開いてリボンを凝視すると、リボンは思わず仰け反り一歩後ずさった。攻撃されたなら必ず報復する。恨みを買ったことを思い知れば、安易に同じ手は使えないだろう。こうして徹底的に相手を追い詰める。私が抱える「恨み」の炎、そう易々と消せるものではないと教えてやらねばなるまい。

既にリボンに退路は無い。戦って私を倒すか、或いは私に倒されるかしなければ、この戦場から逃れる術は無い。私も聡と同様に、可憐な花を踏み散らす粗雑な趣味は無い。だが、それがこの身に降り掛かる「火花」ならば、総力を持って根絶やしにせねばなるまい。

より強く、より大きな「炎」によって。

「なかなか悪くないけど、このまま長引かされると面倒だね。ケリを付けるぞネクロ! 焦熱地獄を見せてやるんだ!」

聡の指示は私の思いと一分の隙無く一致していた。やはりそう来たか――いや、そう来なくては。

私は左手に力を集中させると、冷たく燃える「青白い炎」を作り出す。リボンがエネルギーを葉の形として具象化したのとほぼ同じ原理で、この炎は生み出されるのだ。

「逃げ惑え……!」

降りかかる火の粉を振り払うように――実際には、私が炎を生じさせていた格好だが――左手をスイングし、無数の炎をリボン目掛けてばら撒く。

「あっ、炎……!」
「リボン、ネクロから離れて! このままじゃ焼かれちゃうよ!」

チェリムのリボンは炎に弱い。それは本人がもっともよく知っていることだろうし、トレーナーであるさくらもまた同じことだろう。リボンは身の危険を感じて、咄嗟にその場から離れようとする。

だが、一見ランダムに飛ばされたかに見える私の炎は、その実、すべてが私の意志によってコントロールされていて。

「わっ、前に……!」
「後ろにも、横にも……!」

さくらの指示を受けて動こうとしたリボンの退路を断つように、青白い炎が的確に彼女を追い込んでいく。あれよあれよと言う間に、リボンはほぼ全方位を塞がれてしまった。

その様子はさながら籠の中の鳥。あるいは「鬼」に追い詰められてしまった童のよう。

「さーて、包囲は完了したようだね。頃合いだ、焼き尽くしてやれ!」
「――いいだろう。魂まで燃やし尽くして、天国にも地獄にも行けぬ身にしてくれる」

左手の残り火を吹き消すと、今度は右手に力を集中させる。

するとたちまち、先程とは完全に対照的な、赤黒い炎が灯る。

「あれは……『煉獄』の炎!?」
「ご明察。ネクロはちょっと特別でね、生まれつきこの技を使える素質があったのさ」

すべてはさくらと聡の口にした通り。この炎は「煉獄」を齎す炎。天国にも地獄にも行けぬよう、魂さえも焼き尽くす恐るべき紅蓮と漆黒の業火。私の切り札にして十八番の、最大の奥義。

私の様相を見たリボンはすっかり戦意を喪失してしまって、華奢な体を震わせている。

(どうやら、勝負あったようだな)

既に大勢は決したと言えた。最後は華々しく散らせてやるのが、せめてもの手向けと言えるだろう。

私はリボンをじっと見つめながら、小さな、しかし重々しさを感じさせる声で呟く。

「……かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる?」
「あ、ああっ……」
「夜明けの晩に、鶴と亀が滑った」
「……っ!」

恐怖に目を閉じたリボンの隙を見逃さずに、私は素早く後ろへ回り込んで。

「――後ろの正面だあれ?」

右手に集積された、赤黒く燃え盛る大きな炎を――。

「……ネクロ、ストップ! そこまでだ!」
「……聡?」

今まさにリボンにぶつけようとした刹那、聡から指示が飛んだ。私は思わず攻撃の手を止めて、中断の指示を出した聡を凝視する。ここに来て攻撃を止めさせるとは、聡らしくない。一体何がそうさせたのかというのだろうか。

だが間もなく、私は聡の意図するところを知ることになる。

「すいません。来るのが遅くなって、空いてるように見えちゃったみたいで……」
「ごめんね。ここ、ソフトテニス部が部活で使うことになってたんだね」

聡の傍らに立っていたのは、体操服姿の女子だった。背丈から察するに、まず間違いなく下級生だろう。そして聡の口にした言葉通り、ソフトテニス部の部員に違いない。聡との会話を少し聞いただけで、大筋の流れを把握することができた。

つまるところ、このフィールドを空けてほしい、ということだった。

(……致し方あるまい)

他者から見ればほぼ間違いなく「苦虫を噛み潰したような」表情をしていただろう私が、指をパチンと鳴らす。するとたちまち、リボンを取り囲んでいた青白い鬼火が姿を消す。右手にチャージされていた赤黒い煉獄の炎も、まるで粉雪のように音もなく消えていった。

聡が女子部員に頭を下げながら、早くも撤収の準備をしているのが見えた。

「申し訳ないことをしちゃったね。先輩の人には、ポケモン部の人が勝手に使ってたって言っておいてくれる?」
「あっ……はい。あの、こちらこそ、すみません……ここ、本当は……」
「ううん、気にしないで。ここ、今はソフトテニス部の練習場所になってるからね」

女子部員と聡の会話を耳に挟みつつ、私は反対側の、さくらとリボンに目を向ける。

「リボン、惜しかったね。よくがんばったよ、えらいえらい」

恐怖のあまりに腰を抜かしてしまって、私が攻撃を止めた後もしばらく立ち上がれなくなっていた様子のリボンに、さくらが素早く駆け寄ったのが見えた。さっと屈んでリボンと視線の高さを合わせると、しきりに頭を撫でてやっている。その表情はとても柔らかく、そして優しい。

この少女なら、ポケモンとの関係を壊してしまうことはあるまい――私はそう確信する。

「おかあさん……」

慕っていたさくらに抱かれて、リボンが安堵の表情を浮かべる。しかし直後に、花びらを垂れて沈んだ面持ちをして見せる。

「おかあさん、うまく戦えなくて、ごめんなさい」
「わたし、もっとがんばらなきゃ……」

リボンの言葉は、さくらには直接伝わらない。だが、彼女の申し訳なさそうな表情を見たさくらは、リボンが自分に何を伝えようとしているのかはっきりと理解していたようだった。

「大丈夫だよ、リボン。今日は勝てなくても、明日勝てるように頑張ればいいんだよ」
「わたしもリボンが強くなれるように、もっと頑張るよ。『負けない』って気持ちを持って、前へ進んでこうよ!」

さくらから力強い励ましを受けたリボンの顔に、再び覇気が宿る。次はもっといい結果を出せるように努力したい、彼女の目を少し見ただけで、真摯な姿勢が伝わってくるのが分かる。確かな信頼関係が無ければ、このようなやり取りはできるものではあるまい。

きちんとした形で決着を付けられなかったのは少しばかり惜しいところだが、なかなか良い試合だった。私が充実感に浸っていると、聡が駆け寄ってきた。

「さあ撤収撤収ー! ソフトテニス部さんの練習が始まるからねー!」
「えっ? ソフトテニス部?」

リボンと話すことに夢中で、聡と女子部員の会話をほとんど聞いていなかったのだろう。さくらが驚きの声を上げた。聡は彼女が驚いた理由を即座に読み取って、素早くフォローを入れる。

「ちょっとね、よんどころない事情があるんだ。一緒に外へ出てもらえるかな」
「あ……はいっ」

さくらとリボン、そして私を引き連れて、聡は速やかにフィールドを後にする。話をしていた後輩の女子に会釈をして、ごめんね、と丁重に詫びを入れることも忘れない。そんな聡の様子を、さくらはどこか呆気に取られたように見つめている。さくらの反応はおかしなものではない。

私とて、心の奥底では僅かばかりの理不尽さを抱いているのだから。

 

フィールドの外に出た聡とさくらが、早速練習を始めたソフトテニス部の部員たちを、遠巻きに眺めている。

「あの……櫻井先輩っ」

それからほとんど間を置かずに疑問を呈したさくらに対して、聡はやわらかな視線を投げかける。

「あそこって……ポケモンバトルのフィールドじゃないんですか?」
「そう、その通りだよ。でも、今は自由に使えないんだ。ちょっとした理由があってね。他の部活の方が、優先的にあそこを使えるんだ」
「ええっ!? そうなんですか……!?」
「残念ながらね。ただ一人のポケモン部部員として、情けないばかりさ」

自嘲気味に呟く聡の横顔を、さくらは口元に手を当てたまま、驚愕の表情で見つめていた。彼女が驚くポイントはいくつかあっただろう。ポケモン部が活動場所たるバトルフィールドを使えないこと、今は別の部活に使用権を取られていること、聡がポケモン部の部員であること、そして同時に唯一の部員であること――こんなところだろうか。

「ポケモン部……今は、櫻井先輩しかいないんですね」
「うん。正真正銘、僕一人だけなんだ。このままの状態が続けば、秋には廃部になる」
「廃部……!? ポケモン部が無くなっちゃうって事……ですよね?」
「それで合ってるよ。悲しいけど、これが現実さ」

聡が寂しげに語る。以前も述べたように、聡の言葉には誇張は一切含まれていない。あまりにも嘘偽りの無い、厳然たる現実だ。

ポケモン部の現状を知ったさくらが、澄んだ眼差しを聡に向ける。真っ直ぐな視線を投げかける瞳には、一片の曇りさえ見て取ることができない。今彼女が見せているような目こそ、「強い意志を感じさせる目」と呼ぶべきなのだろう。

「……あの、先輩っ!」

不意にさくらが声を上げる。途端、私と聡の視線が彼女に向けられる。

「ポケモン部って、部員の募集はしてますよね?」
「えっ? あ、うん……もちろんだとも。今は少しでも人が欲しいところだし……」
「ですよね。じゃあ――」
「じゃあ……?」

聡と私がほぼ同時に相手の方を向いて、そして揃って驚きの表情をして見せる。この後さくらは一体何を言い出すつもりなのだろう? この瞬間間違いなく、私と聡は同じ事を考えていただろう。

そして、さくらは。

 

「わたし――ポケモン部に入部します!」

 

突然の入部宣言で、私たちをさらに驚かせたのだった。

586 ( 2014/09/06(土) 21:59 )