1-2. 「桜の木の下で」
さて。
ここまで、私の目にしたもの・耳にしたものをつらつらと述べつづけてきた。だが、この辺りで一度立ち止まって、私や聡が何者で、我々の立っている舞台がどのような場所かを、読者たる貴方がたに提示する必要があるだろう。本来はあらゆるものに先んじて話すべきところであると頭では理解しているが、ここまで遅延してしまったことを詫びさせてほしい。
何から説明すべきかを考えたとき、私はまず、この世界がどのようなものかを話す必要があると判断した。
この世界、より厳密に言えば、この星には、大きく分けて三つの生き物が住んでいる。一つが聡のような「人間」、もう一つが空を飛ぶ鳥のような「動物」、最後の一つが――人間でも動物でもない生き物、「ポケモン」だ。
ポケモンというのは語感から察せられる通り略語で、正しくは「ポケットモンスター」という。この分類名を付けたのは人間だとされているが、我々ポケモンの間でも一般的な用語として使われている。いつから皆が口にするようになったのかは定かではないが、少なくとも私が物心付く前から用いられていたことだけは確かだ。人間が作った言葉を使用することに抵抗はなかったのかと問われると、頑なに拒絶する者もいたという答えを返さざるを得ない。だが、大多数のポケモンは、自分たちを総称するための用語を求めていたのが実態だ。
我々が何者か、それは我々にも分からない。人間に対して、人間とは何者かと尋ねるのと同じことだろう。決まった答えなど望みようがない。確かなことは、人間でも動物でもない、第三の生命体だということのみだ。そうした曖昧なあり方を、今のところ、人間もポケモンも受け容れているように思える。なら、それでよいのではなかろうか。
今の今まで、言うことができぬままここまで来てしまっていた。私が一体何者で、人間である聡にとってどのような存在なのかについて、だ。
呪文。その言葉にピンと来た向きも多かろう。そう、私・ネクロは、ポケモンの中でも「ムウマージ」という名称を付けられた種族になる。
聡曰く、ムウマージというのは総じて「『魔法使い』の帽子みたいな角を生やして、『魔法使い』のローブのような形をしている」らしい。この私の姿形も、一般的なムウマージのものから大きく外れてはいない。様々な呪文のような言葉を口にし、それらは実際に人やポケモンに幸運や不運を齎したりする存在だと言われている。実態はさておき、ムウマージというのはそういう特徴を持つポケモンだとされている。
ずいぶんと遅くなってしまったが、ようやく自己紹介ができる。
私は――ムウマージのネクロだ。
聡が教室で授業を受けている間、私は人目に触れぬようにしながら校内を散策していた。人目に触れぬよう、というのは、文字通りの意味だ。人の視野・視力では目に映せぬようにわずかばかり光をねじ曲げ、存在その物が消えてしまったかのような錯覚を起こさせる。侮るわけではなく事実として、人の視力は他の動物や一部のポケモンのそれに比してさほど優れたものとは言えぬゆえに、その気になれば容易に欺くことができる。
私はこれといった目的も持たず校内を歩き回りながら、私と聡が今どのような状況にあるか、そしてこれから何をすべきか、当て所なく思案した。何がしかの打開策を見出さねばならない、手を拱いていてはいけないことは、嫌というほど認識していた。それは、私と聡が先ほどまで空き教室にいたことと、少なからぬ関係がある。
聡はこの学校における「ポケモン部」のただ一人の部員にして部長であり、そしてポケモン部は今、存続の危機に立たされている。私と聡は、この状況を打破するための策を考えねばならなかった。
そもそも「ポケモン部」とは何か、何の部活動なのか。まずはその話をする必要があるだろう。
ポケモンがどのような生き物かということは、先ほど手短に説明した通りだ。そのポケモンには、ほとんどの種族に共通するある大きな特徴が存在する。総じて「戦うこと」が好きで、何らかの形で「戦い」を求める者が多い、ということだ。本能的なものとも言えるかも知れない。私とて例外ではなく、戦える機会があるなら存分に力を奮いたいという思いがある。
だが、誰彼構わず闇雲に戦いを仕掛けるというのは、安寧を是とする今世では到底受け容れられぬことだ。それは私も承知している。この様な世相にあって「戦い」を大勢に受容される形で行うためには、血腥い「殺し合い」ではなく、明確にルールを定めた「競技」として行われなければなるまい。
それが、いわゆる「ポケモンバトル」と呼ばれる競技だ。
相手となるポケモンを倒すこと。基本的なルールはただそれだけだ。この上なく分かりやすい。では、単純なポケモン同士の戦いと何が違うのか。最大の差異は、我々ポケモンに指示を出し、一歩離れた場所から戦局を見守る「トレーナー」と呼ばれる人間の存在だ。ポケモンはトレーナーと組み、同じくトレーナーに従うポケモンと戦う。これが、ポケモンバトルの基本的な形になる。場に出るポケモンの数が増えたり、或いはその他の規約や制約が加えられることもあるが、大筋でこの形に変化はない。
形は違えどポケモンと共に戦う人間は、例外なくトレーナーと呼ばれる。だが、トレーナーの中にも確固たる区分はある。もっとも分かりやすい例が、アマチュアとプロフェッショナルの違いだろうか。類まれな実力を持つトレーナーとポケモンはプロとして認められ、ポケモンバトルを通して生きるための糧を得ていくことになる。それは広告塔としてであったり、アスリートのような形であったり、或いはボディガードのような形式であったりと様々だが、プロフェッショナルであることに於いては一貫して共通している。
プロとしての素質を持つものを見出すための場として、「ポケモンリーグ」という大会がある。春季と秋季に開催され、全国から腕自慢のトレーナーとポケモンが集まってくる大きな催しだ。彼らの目的は一つ。すべてのライバルを打ち倒し、自らこそがもっとも実力ある者だという証を得ること。要は「一番強い奴」を決めるということに他ならない。
ポケモンリーグがプロへの登竜門のひとつであることは、今しがた述べた通りだ。しかし、それとは若干目指す方向の異なる、或いはもうひとつのポケモンリーグと呼ぶべきものがある。
――「学生ポケモンリーグ」。文字通り、学生が参加するポケモンリーグだ。
世間一般のポケモントレーナーは、小学校を卒業するまでに故郷を離れ、各地を旅して武者修行に勤しむというのが通例だ。そうして腕を磨いた者が集まるのが、最初に述べたポケモンリーグになる。そうではなく、学業を修めながら鍛錬を積み、学生の身分のまま参加するのが「学生ポケモンリーグ」になる。中学生部門・高校生部門・大学生部門に分かれており、どの部門も学校対抗で対戦カードが組まれる。故に、学生リーグへ出場することを目的とした部活動が多くの学校に設置されている。
ようやく話が一巡した。「ポケモン部」とは何を隠そう、学生ポケモンリーグへの出場を目指す生徒の集まる部、ということだ。集まると言っても、今は正真正銘、聡しかいない状態ではあったのだが。
思案を止めて、廊下の掲示板に目をやる。ちょうど職員室の前を通りがかるところだった。目に映ったのは、非行防止のポスターに学年ごとの行事予定、月ごとの保健だより――そして。
(陸上部、サッカー部、卓球部、テニス部、バスケットボール部……)
(化学部に家庭科部、それに……これは、技術部か)
部活動ごとに作られた、手製の部員募集の貼り紙たち。なるほど。人を集めているのは、どの部活動も同じらしい。私と聡は学生リーグで別の学校に勝つ以前に、校内での部員の獲得争いに勝たねばならぬようだ。
厄介なことだ。
私は声にならぬ声で、ぽつりと呟いた。
*
放課後は部活動の時間。それはポケモン部とて変わらない――そう言えれば良かったのだが。
「顧問は今日も陸上部の監督。ポケモン部はまた今度。寂しいね、なんだか」
「こればかりは、如何ともしがたいな……歯痒いばかりだ」
生憎、今日も部活動らしいことはできそうになかった。聡は荷物をまとめて、早々に教室から立ち去る。その傍らに付いて、私も共に歩く。
「申し訳なさそうにしてるのが、余計に辛いね。安藤先生、いい人だからさ」
「ああ……私にも解る。少なくとも、生徒を無碍に扱うようなタイプではない」
「だいたい、今のポケモン部に顧問がいるだけでも奇跡なんだよ。火中の栗どころか、ピンの抜かれた手榴弾を拾うようなものなんだからさ」
聡が口にした言葉は、誇張や世辞の類などではなかった。
ポケモン部の顧問である安藤氏は、運動部の顧問をしているとはあまり思えないような線の細い印象を受ける教師で、聡や私に対しても常に礼儀正しく接してくれている。そこには、厄介な部活の面倒を見ることになってしまった、というような引け目や負い目は見られない。純粋に陸上部の面倒を見るのが忙しいのだということが、ありありと分かった。
「けど、このまま何もせずにいるのは良くないね」
「部員が僕一人だけって状況が夏休みまで続いたら、まずは同好会への格下げが待ってる」
「二学期の終わりになっても進展が無ければ、今度こそ廃部になる」
「上の先生たちは一秒でも早く廃部にしたがってるけど、安藤先生がいるからかろうじて形は残ってる。そんな感じだね」
状況は芳しくなかった。聡の口にした言葉に、誤りや誇張は一つも含まれていない。夏には同好会への格下げが、秋には廃部が待ち構えている。これが今のポケモン部の置かれている、ありのままの状況なのだ。
「僕もさ、部員を増やさなきゃいけないとは思ってるんだよ。こう見えてもね」
「このまま何もせずに、無為な時間を過ごすつもりはないよ」
「僕やネクロにできることを探して、少しずつでいいから人を増やしていこうよ」
「さすがに――僕が部を潰しちゃったら、後輩に申し訳ないしね」
なぜそんなことを言うのだ。私は聡の言葉に、思わずそんな感情を抱いた。聡がどうして「自分が部を潰してしまったら申し訳ない」などと口にする必要があるのだろうか。その気持ちは察するに余りある。冷静な心境で聞ける言葉などでは決して無い。
部の存続を誰よりも願っているのは、他ならぬ聡のはずなのに。
「……人を増やしてからは、どうするつもりなんだ」
高ぶる感情を抑えながら、私は聡に訊ねる。
「少なくとも――」
聡は私に視線を投げかけて、とても穏やかな視線を投げかけて。
「学生リーグには出ないよ」
「何があろうとも、ね」
そして、決然と言い放つ。
「よくて、他校と交流試合をしたりするくらいだよ。朝に集まってバトルして、お昼頃には解散って感じのね」
「前は運動系の部活扱いだったけどさ、僕はこれから文化系の部活として再生させていくつもりだよ」
「ポケモンが好きな生徒が集まって、しゃべったり遊んだり、絵を描いたり文章を書いたりしたっていい」
「そうだね、トレーナーじゃないけどポケモンが好きだって子も入ってほしい。ポケモンが好きなら誰だって歓迎さ」
「合宿と銘打って、学校でお泊まりってのもいいね。きっと楽しくなるよ」
「それで――時々、ちょっとだけバトルをしてみたりもする」
「四コマ漫画的なゆるふわ部活動、僕はそれを目指すのさ」
おどけた口調で、これからのポケモン部について語って見せる聡。かつてとは違う形の部を作るんだ、ポケモンが好きなら誰でも受け入れる楽しい部活にするんだ――言葉では、確かにそう言っている。
私には分かっていた。聡が如何なる心地かを、口にした言葉と本心で抱いている感情がどれほど乖離しているかを、まるで我がことのように。
(本当は)
(本当は――もっと、戦いたいのだろう)
(腕の立つトレーナーと、火花を散らすような戦いがしたい)
(聡は、そう考えているはずなのに)
けれど、それが難しいことなど、私とてよく理解している。今のポケモン部では望めない、高嶺の花なのだ。とても高い、手の届く気など少しもしない花。
だから私は決意した。どのような形であれ聡の目指すものであれば、付いてゆこうと。
それが聡のパートナーたる私にできる、只一つのことなのだから。
我々は幾分遅い足取りで歩き続けて、やがて校門へつながる真っ直ぐな道へ差し掛かる。ここには左右に桜の木が植えられていて、春になると一斉に鮮やかな花を咲かせて見せる。この桜を見るのも三度目だ。一年生、二年生、そして三年生。
「綺麗な桜だね。華やかに咲き誇って、僕らの目を存分に楽しませてくれる。そう思わない?」
「……ああ、綺麗だ。私もそう思う」
桜は美しい。春の短い間だけ花を咲かせ、そして瞬く間に散ってゆく。刹那の輝きに身命を賭す姿は、言葉では言い尽くすことのできない美しさを感じさせる。
「本当に、綺麗だ」
「僕にはちょっと、眩しいくらいさ」
願わくば――もっと純粋な気持ちで、あの桜の花を見たかった。
聡も、私も。
「ん……? あそこにいるのは、確か……」
「見覚えのある顔、と言うべきか。見たばかりだからかも知れないが」
「だね。こんなこともあるんだ」
そうして束の間の花見をしていた私たちの目に、意外な人物の姿が飛び込んできた。
「あの子だね。朝に出会った」
「ああ。間違いない。背格好も髪も、間違いなくあの新入生だ」
朝に出会った、というか勢いよくぶつかってきた桜色の髪の少女が、路に並ぶ桜の木の一本を、じっと見つめていた。
こちらには気付いていない様子だった。ただ桜の木を、そしてその向こうに覗く空を、身じろぎ一つせずに瞳の中に収めている。まるで、そこに何か別のものが見えているかの如き様相だった。
「桜を見る桜色の髪の少女か。それに――傍らにはチェリムもいる。なかなか絵になる光景だな」
「チェリムはサクラポケモンだからね。この季節に見られるとは、風情があるよ」
今度ばかりは私も見逃さなかった。新入生の足元に寄り添う、小さなチェリムの姿を。
チェリム。分類はサクラポケモン。桜の花びらに短い手足が付いたような愛嬌あるフォルムをしていて、その分類に違わぬ華やかさを持つポケモンと言えた。ただし、それは晴天の環境下に限った話だ。十分に陽の光を浴びられない時は花びらを開けず、あたかも茄子のような地味で華の無いフォルムへ変わってしまう。一般には、花びらが開いた状態を「ポジフォルム」、閉じた状態を「ネガフォルム」と呼称し区別している。
今は晴れということもあってか、少女にくっつくチェリムはポジフォルムの姿、すなわち花びらを開いた姿を見せていた。
「せっかくだし、話しかけてみようか。チェリムの話も聞いてみたいしね」
「いいだろう。聡の思うようにやってみてくれ」
聡が口元に笑みを含ませて、あの少女に声を掛けたいと言い出した。不思議なことに、そこに邪念や下心の類は少しも感じられない。普通、男子が女子に声を掛けようというなら、特に聡のような思春期の男子なら、そうした感情を僅かばかりでも表出させてもおかしくはないが、聡は純粋な興味から声を掛けたいと考えているようだった。朝にはあれだけ女子がどうのこうのと騒いでいたのに、いざとなると忘れてしまう。
いつもこんな調子だと、私は苦笑する。
「やあ、こんにちは。綺麗な桜だね」
「えっ……? あっ……あなたは、朝の……!」
「覚えててくれたんだ。嬉しいよ」
さっと近づいてあっさり声を掛ける。聡は男女分け隔て無く、こうして気さくに声を掛けるタイプだった。面白いところは、女子が相手だからこうしているわけではないというところだ。男子が相手でも聡のスタンスが変わることはない。無論、話していて気が合うかどうかは相手次第だったが、イメージに反して浮ついたところが無いのが聡という人物だった。
「あっ、あの……ごめんなさいっ! わたし、急いでて、先輩の方にぶつかって、ろくに謝りもしなくて……」
「そんな、気にしないで。あれから学校にはちゃんと間に合ったかな」
「はい、大丈夫でした。小学校の時のくせで、早く行かなきゃってあせってたんです。本当に、すみませんでした」
少女がぺこりと頭を下げる様子を、聡は微笑ましげに見つめている。いいよ、顔を上げて。聡が少女に呼び掛けると、彼女はばっと素早く顔を上げる。その時ちょうど、私と目を合わせる形になった。この時始めて、聡が私を、ムウマージを側に連れていることに気付いたようだ。
「ムウマージ……あの、もしかして、トレーナーさんなんですか?」
「そうだよ。そういう君も、チェリムを連れてるよね。なら、同じことさ」
「あはははっ、確かにそうですね。リボン、出てきて。先輩さんにご挨拶だよ」
声を掛けられたチェリム――どうやら「リボン」という名前らしい――が、主である少女の脚元からそっと顔を覗かせる。私が目を向けると、びくんと華奢な身を震わせたのが見えた。大丈夫だ、危害を加えるつもりは無い。アイコンタクトでそう合図を送ると、リボンはようやく心を開いてくれたようで、全身を見せてくれた。安堵の面持ちを浮かべて、まっすぐに私を見つめている。揺らぐことなく、しっかりと。
いい目をしている。純粋で、混じり気が無い。少女から片時も離れる気配を見せないのは、リボンが彼女を慕っている何よりの証拠だろう。よい関係が築けているに違いない。この年頃になるとポケモンとの関係がこじれてしまう人間も多いが、二人からはそのような懸念は感じ取れない。
「せっかくだから、君の名前を教えてくれる? 僕は聡、櫻井聡だ。こっちはネクロ、君の言う通り、ムウマージだよ」
「聡さんっていうんですね。わたし『宮本さくら』っていいます。さっきも言いましたけど、この子はチェリムの『リボン』です」
「さくら、か。こう言ってはなんだが、名は体を表すとはこのことだな」
「……えっ!? 今しゃべったの……ネクロさん、ですか……?」
「その通り。ネクロは人の言葉を理解して、話すこともできるんだ。おかげで、僕は鋭いツッコミを食らう毎日だよ」
「順序が逆だ。聡がとぼけたことを言わなければ済むだけの話だろう」
「ほら、こんな感じで」
「すごいですっ! 話してても、全然違和感ないですね! ホントにすごいと思いますっ!」
「ありがとう。日常会話程度なら、問題なくできると思ってくれて構わない」
私としては聡と意思疎通を図りたいという思いがあり、そのためには人の言葉を話せるようになるのが手っ取り早いと考えて訓練しただけのことで、さくらのように手放しで賞賛されると、少しこそばゆい思いがあった。とは言え、さくらからは何の悪意も他意も感じられず、ただ私の会話能力を高く評価してくれているのだと思えたから、不快な気持ちなどはカケラも無かった。
瞳を輝かせるさくらと目を合わせているのが少しばかり気恥ずかしくなり、照れ隠しに移した視線の先で。
「すごい……おかあさんと、同じ言葉を話してる……」
今度は、さくらのパートナーであるリボンと対面することになった。
「お母さん……?」
「あっ……聞こえちゃってたんだ……」
「まあ、私はポケモンだからな。人の言葉だけでなく、ポケモンの言葉も分かる。言うまでもないかも知れないが」
私とリボンが共に小さな声で話す。今は「ポケモンの間で使われる言葉」を用いているから、聡やさくらは何を話しているのか聞き取ることができない。この場にいる全員と正しく会話できるのは、私だけということになる。
「お前にとって、さくらは母親なのか?」
「うん。わたしの大切なおかあさん。わたしがちっちゃなチェリンボだった頃から、ずっとそばにいてくれたの」
「そうか……さくらと、いい関係を築けているようだな」
「そうだよ。おかあさんは、わたしのおかあさん。さくらおかあさん」
「ふふっ。可愛らしい物言いをする。申し遅れたが、私はネクロ。リボン……これでいいか?」
「だいじょうぶ。ネクロさん、こんにちは。よろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げて、恭しく挨拶をする。
(少しか弱いところはあるが……純朴で、素直な娘だ)
私はよく真面目だと、聡から言われる。そのためだろうか、リボンのような素直なポケモンや人間をどうしても嫌いになれない。確かに少し気弱で、お世辞にも力強いとは言えない風貌をしているが、親を強く慕い、挨拶もきちんとできる。このようなポケモンが多くなれば、今の世の中ももっと住みやすくなるだろうにと、私は嘆息した。
こうして私がリボンと話をしていた最中、さくらがおもむろに顔を上げて、聡と視線を合わせたのが見えた。
「あのっ、聡さん」
「宮本さん……? どうかした?」
そして、さくらは。
「わたしと――ポケモンバトル、してください!」
聡に対して、ポケモンバトルを申し込んできた。
「僕と、ポケモンバトルを、か……」
いささか唐突な申し出に、聡は少しばかり面食らっていた。だが、それも束の間のこと。
「――よし、受けて立とう。バトルを申し込まれたら受ける、それがトレーナーの流儀だからね」
「ありがとうございます!」
すぐに落ち着きを取り戻して、さくらからの挑戦を受けることにした。
「聡……構わないのか」
「もちろん。ネクロは大丈夫?」
「無論だ。私のコンディションは問題ない。いつでも戦える」
私としても、久々に戦うことができるのはありがたいことだった。トレーニングを怠ることは無かったから、準備も万全だ。
ただ、気になるのは。
「わたしが、ネクロさんと……」
さくらのパートナーであり、これから実際に戦うことになるであろう、リボンのことだった。彼女にしてみてもさくらのバトル申し込みは予想外のことであり、驚きを隠せないといった様子がありありと窺えた。戸惑った表情を浮かべて、親であるさくらに視線を投げかける。
「リボン、やってみよう? やってみなきゃ、結果は分かんないよ」
不安そうなリボンを、さくらが言葉を尽くして励ます。
「『負けない』って気持ちを持って、全力で戦って、思いっきりぶつかってみようよ!」
この言葉を受けたリボンがついに覚悟を決めて、こくんと頷いて見せた。
「おかあさん……わたし、がんばる。がんばってみる!」