ポケモンの子と英雄もどき
金曜日の夕方ということで、遊園地には子供より、大人の姿が目立つ。仕事帰りに恋人と共に訪れている人も多くいるようだ。しかし、キョウヘイはそんな人たちには目もくれず、一心にピカチュウとピチューの巨大バルーンの元へ歩いていく。そこには、ファストフードの売っている売店があるのだ。ライモン遊園地おすすめの一品、ライモンバーガーなどが売っている。
売店に近づいていくと、一人の青年が注文しているのが見える。その後ろ姿を見て、キョウヘイは自分の知る人物だと気が付く。薄黄緑色の長い髪を後ろで一纏めにしている青年に声を掛けた。
「Nさんっ!」
青年の肩を叩くと、彼はびくりと体を震わせる。キョウヘイの方を振り返り彼を見ると、ほっとした表情を浮かべた。
「何だ、君か。キョウヘイ」
キョウヘイは、Nの横にひょこりと立つ。そして、彼がメニューを持っているのに気が付いた。
「あれ? Nさん、まだ頼んでないの?」
「メニューが色々とあって、どれを頼んだらいいのか分からなくてね」
彼の問いかけに、Nは少し困ったように眉根を下げながら答える。キョウヘイは彼の持つメニューを見て提案する。
「それなら、オレが選ぶよ。ちょうどオレもここで買うつもりだったんで。あ、お姉さん、注文お願いします」
Nの返答を聞かずに注文を始めるキョウヘイ。売店のお姉さんは、ニッコリと笑顔を見せて、レジに手を伸ばした。キョウヘイはメニューを見ると、流れるようにメニューを読み上げていく。
「ライモンバーガー三つと、ポテト二つとナゲット二つ。あと、ホットドッグと……」
完全に任せていたNだったが、キョウヘイの注文が止まる気配を見せないことに気が付き、彼に声を掛ける。
「きょ、キョウヘイ、僕はそんなには食べれないよ?」
実際の年齢より若く見られがちなNは、細身の部類に入る体格をしている。普通の人より少食だ、ということを伝えたかったNなのだが、キョウヘイはきょとんとした顔をしている。
「え? あぁ、Nさんの分は、これから頼むから大丈夫。少なめでいいんだよね」
キラキラとした笑顔で答えるキョウヘイ。Nは、あの呪文のような注文が、キョウヘイのものだったのだと理解する。
「あ……うん……よろしく……」
それ以上の言葉は言えずに、Nは一歩身を引いた。少なめとキョウヘイに伝えたところで、どれくらいの食べ物を持って彼が来るのかを考えると、少し怖い気がしていた。
「はい、どうぞ」
一瞬放心していた間に、テイクアウトした食べ物を渡された。紙袋に入れてある自分のものと、紙袋から溢れてしまっているキョウヘイのを見ると、思わず苦笑してしまう。Nがありがとうと礼を言うと、キョウヘイは近くのベンチを指さす。
「あそこ座って、一緒に食べようよ。Nさんの好きな、観覧車も見えるし」
彼の言うベンチは、観覧車の丁度目の前にある。Nは、自分が好きと言った観覧車のことを、彼が覚えていたことを嬉しく感じていた。
「そうだね」
柔らかい笑みを見せて答えると、キョウヘイはすぐさまパタパタと走っていき、ベンチの前に立つ。早くと言いながら、手を振っている彼の元に、Nも小走りで向かった。
ベンチに腰を落ち着け、二人は紙袋を開く。その中身の量に冷や汗をかいているNと対照的に、キョウヘイは次々と胃袋に収めていく。小さなポテトを摘まみ、Nは先ほどから彼に言いたかったことを告げる。
「キョウヘイ、よく食べるね」
「まぁ、ね。今日は朝からサブウェイに籠ってて、お腹空いてるしね。でも、これくらい普通じゃない? 育ち盛りって年頃でしょ、俺って」
彼の口からさらりと出た「普通」という言葉に、Nはびくりと反応してしまう。一生懸命にホットドッグを食べているキョウヘイは、その変化に気が付いていないようだった。そのことにほっと息をつき、Nは口を噤んだ。何気なく紡がれた言葉に、ここまで過剰に反応してしまう自分にNは少し嫌気が指していた。
「Nさんと会うのって、あの城以来だよね」
そんなことはつゆ知らず、キョウヘイは思い出したように続けた。
ヒュウの妹の夢に出てきたゾロアーク。そのゾロアークがジャイアントホールの戦いの後、Nの元に返した彼だと思ったキョウヘイは、ゾロアークが何かを伝えようとしているのだと勝手に断定した。そして、キョウヘイは夢の中でゾロアークがいたというチャンピオンロードへ向かったのだ。
そこで見たのは、彼が旅をして見てきたモノの中で、一番切ないモノだった。彼が出会う人が必ず口にする「二年前」。その終わりと、そこに至るまでの過程が染みついたあの城を見て、キョウヘイは「切ない」と感じたのだ。二年前に何があったかは、人づてで聞いた断片的な物しか知らない。しかしその事件のため、多くの人が傷つき、苦しんだということは分かっているつもりだった。
その「切ない事件」が起きた城で、Nはキョウヘイと戦うことで自分自身と決着をつけた。
「あぁ、そうだね」
Nもまた、思い出すように相槌を打つ。
「あれって九月の初めだったから、もう一ヵ月以上経ったのか」
時間が経つのは遅いようで早い、そう感じた。Nと城で会ったことだけではない。自分が、ヒオウギシティから旅立ったのは初夏のことだ。時間にしては、ほんの五カ月ほど前のことなのに、すごく昔に感じる。そう感じるほど、色々なことがあったのだから。
「あの後、君はゼクロムとは……」
二年前、Nを英雄と認めた黒いドラゴンは、今はキョウヘイと共にいる。それがNの願いであり、ゼクロムはそれを叶えたのだ。
「すぐにリュウラセンの塔に行って、ゲットさせて貰いましたよっ」
キョウヘイは自分の横に置いていたバックの中から、一つのボールを取り出す。黒の地に黄色でHのロゴの入っている、ハイパーボールだ。はい、とNに見せるその中には、かつての彼の友人がいた。
「久しぶりだね、ゼクロム」
ボールに話しかけるNを見て、キョウヘイはにやりと笑みを見せる。
「ふふっ、残念ながら、今のコイツは、ゼクロムって名前じゃないんだよね」
キョトンとした表情のNに、キョウヘイは説明する。
「オレがゼクロムを捕獲したとき、親がオレになったから、ニックネームを付けさせて貰ったんだ」
キョウヘイはNの手の中のボールを、指でちょんと突きながら言う。
「『ネロ』って名前なんだ。黒っていう意味。ゼクロムといえば、やっぱり黒かなって思ってさ」
「そうだったのか」
ボールの中のゼクロムは、キョウヘイに呼ばれたその名前を嬉しそうに感じているようだった。Nの手の中で震えるボールがそれを表しているのだと、彼は思う。
「じゃあ、改めてネロ、久しぶりだね」
Nがゼクロムのニックネームを呼んだことに、キョウヘイは嬉しそうな顔をする。Nに本当に認めてもらえた、そんな気がしたからだ。
「それにしても、Nさんがこういうの食べるの意外かも」
三つ目のライモンバーガーの包み紙に手を掛けながら、キョウヘイはぽつりと言った。
「え?」
「勝手なイメージだけど、Nさんって食事摂ってるイメージ無くて。なんか、植物の葉に乗ってる露とかで生きてそう」
真面目な顔で言うキョウヘイの言葉に、思わず吹き出してしまう。
「あははっ。いくら何でも、それじゃあ生きていけないよ。まるで妖精みたいじゃないか」
笑われたことに対して、キョウヘイはぷぅっと頬を膨らませる。
「イメージだよ、イメージ。人間離れしてるっていうか、何か神聖なモノ、みたいな。Nさんが言った妖精っていうの、意外とあってるかも」
キョウヘイの言葉を聞いていくうちに、どんどんNの心臓は早く脈打っていた。その先に出てくる言葉は、もしかして。
「気持ち、悪い?」
Nは口に出してから、後悔していた。もし肯定の言葉を聞いてしまったら、自分は恐らくこのままではいられなくなってしまう。彼の返答を恐れて、ぎゅっと目をつぶる。そんなNに返された言葉は、彼が予想していなかったものだ。
「え? 何で。気持ち悪いわけないじゃん」
パチリと瞬きをして、至極当たり前のようにキョウヘイは答える。
「確かに、Nさんってちょっと変わってるけど、別に悪いことじゃないし。気持ち悪いなんて思わないよ。大体、ポケモンと話せるっていうの、すっごく羨ましいし! 物語の主人公みたいだよね、それ」
主人公。
キョウヘイの口から告げられたその言葉。幼い頃に読んだ絵本の中のそれを思い出す。キラキラと輝き、ひときわ明るい光を持っているような存在。それこそが主人公だ。自分が目指したのは、主人公という存在よりも高みの「英雄」という存在。だが、それにもなれなかった自分は、幼い頃夢見た「主人公」にすらなれないと決めつけた。
Nは顔を上げて、キョウヘイを正面から見つめる。その仕種に、キョウヘイは不思議そうな顔をしているが、Nは柔らかい笑みを見せる。
「キョウヘイなら、聞こえるよ。きっと」
彼に言われた言葉が嬉しかった、それだけでは無い。確信のような光をNは見つけたのだ。
「そうかなぁ?」
Nの言葉に肩をすくめる。キョウヘイは腰に着けているボールの一つを手に取り、ふぅっと息を吐く。その様子は、Nの言葉を信じていないというよりも、自分の力を信じていないように映った。Nは口元に手を当て、考えるそぶりを見せる。そして彼にある提案をした。
「ちょっとボールからポケモンを一匹出してくれるかい?」
「え、何々。オレのポケモンと喋ってくれるの?」
Nは肯定の笑みを見せる。
「じゃあ、セテ! 出てこい!」
キョウヘイの投げたボールから現れたのは、泡吐きポケモンのシャワーズ。水色の涼しげな体をくねらせて、彼に寄り添った。近づいてきたセテの滑らかな胴体を撫でる。
「元々は母さんのポケモンだったんだ。オレが旅に出る時に、託してくれて。一番付き合いは長いんだよね」
付き合いが長いという言葉の通り、セテはべったりキョウヘイにくっ付いている。Nはその様子を微笑ましそうに見ている。
「そうか、じゃあずっと昔からキョウヘイのことを知っているんだね」
Nはセテと目線を合わせる。Nをボール越しに何度か対峙しているセテは別段警戒もせずに、近寄る。首元を撫でられながら、甘えた声を出していた。
Nはそして話し始める。セテの動きに合わせて、相槌を打つ。
「うん、そうか」
傍から見ると不思議な光景だが、キョウヘイは何度か見たことのあるもののため、特に驚いた様子は見せない。ナゲットをつまみ、その様子を見守っている。
――本当に話してるんだもん。すごいな。
セテを見つめていると、自分にはあまり見せたことのない表情が見えた。少し考え込む、ぱっと表情が変わる。それは、Nと話しているということが見て取れる。二人の様子を見てキョウヘイは考える。
――やっぱり、オレには無理かな。Nさんだから出来る、そんな気がする。
Nの力を彼の口から聞いた時、気持ち悪いとは全く思わなかった。ただ、少し嫉妬に似た感情を抱いた。自分の危機を救ってくれた青年は、伝説のポケモンを連れていて、その上ポケモンと話す能力を持っている。それがどんなに羨ましいことか。だが、どんなに頑張っても、自分が目の前の青年のようになることはない。彼の生い立ちを知っていなければ、彼とは違った関係性になっていたかもしれない。
「君のお母さんは、よくブラッシングしてくれたけど、キョウヘイはしてくれないのが不満だって」
考えに耽っていたキョウヘイは、Nの言葉で我に返る。そして、彼の口から出た、ブラッシングという言葉に反応した。
「えっ、そんなこと言ってんの、セテ。ていうか、不満点から言わないでよ、恥ずかしいなぁ」
そろりとキョウヘイから視線をそらすセテ。
キョウヘイは、セテの言うブラッシングに反論する。
「ブラッシングって、家に帰ったら母さんが上手にやってくれるから、オレがやらなくてもいいんじゃない。オレ、ブラッシングとか絶対苦手だし! ただでさえ、シャワーズのブラッシングって肌を傷つけやすいって聞くし!」
「それでも、君にやってもらいたいみたいだよ。セテは、もう自分はキミ、キョウヘイのポケモンだから、主人の君にお願いするってね」
キョウヘイは、セテをしんみりとした気持ちで見つめる。幼い頃からそばにいても、どうしても母のポケモンという気持ちが強かった。だが、セテは旅に出てまだ長くたっていない自分を主人と認めてくれている。それは何とも嬉しい話だ。
自然と口角が上がっている彼に、Nは付け足すように言葉を掛ける。
「それと、ブラッシング以外の不満点は、キョウヘイがいつまで経ってもメイと進展しない……」
「あああああっ!」
Nの言葉を途中で遮る。そして、ずいっとセテに顔を寄せる。彼の頬は心なしか赤く染まっていた。
「ちょっ、Nさんは関係ないじゃん! 何言ってんの、セテ!」
必死な彼を見て、楽しそうな顔をセテはしている。
そんなやり取りが、微笑ましいとNは感じていた。自分がそう感じることが出来るようになったことにも、嬉しさを感じていた。
Nの食べ物を口に運ぶ手は止まっていたが、キョウヘイのものは止まらない。デザートに追加で買ってきたアップルパイを幸せそうに食べている。アップルパイを膝の上に置き、アイスティーを口に含む。
「そういえば、さっきセテの言っていた『メイ』というのはキミのトモダチなのか?」
勢いよくアイスティーを吹き出した。
「だ、大丈夫かい?」
心配そうに声を掛けるNに、手の仕種で大丈夫だと伝える。
「うん、えっと」
ゲホゲホと咳をしながらキョウヘイは言葉を選ぶ。
「メイは、オレのバトルサブウェイでのパートナーなんだ。別に、彼女とかじゃないから! 違うから!」
「そ、そうか」
キョウヘイの勢いに押されているN。
「でも、大事な人だよ」
落ち着きを取り戻したキョウヘイは、ぽつりと言う。
「ライモンシティで初めて会った時、サブウェイマスター相手にタッグバトルをして。その時、ビビッときたんだ。初対面なのに結構息が合って、楽しいバトルが出来たから。いつの間にか、一緒にマルチトレインの制覇目指してたんだよね」
その夢は、今日叶った。
鞄からバトルレコーダーを取り出し、Nに画面を見せる。
「で、バトルサブウェイを今日制覇したんだ!」
「すごいな……。どんどん強くなっていくね」
素直に賞賛してくれるNに、キョウヘイはもう一つの重大なことを伝える。
「そして、なんとなんと、PWTっていう大会に出場できる資格を貰らったんだよ。世界中から強いトレーナーが集まるすごい大会、それに出られるってすっごく嬉しいんだ!」
大会が楽しみで仕方ない。そういった表情のキョウヘイを、温かい眼差しで見つめる。彼はきっとその大会で、また多くの経験を積むことになる。そして、Nが望む、もっとポケモンのことを理解するトレーナーになっていくのだろう。
「キョウヘイ」
今までとは違う、緊張感のこもった声に、キョウヘイは姿勢を正す。
「は、はい?」
何を言われるのか、と少し強張っているキョウヘイに、Nは柔らかい笑みを見せた。
「PWT、頑張ってね。キミなら、きっと」
「あ……、はい! もちろん目指すは優勝、だからね!」
拳を突き出して、楽しそうに言うキョウヘイ。彼の笑顔を見て、Nは小さな勇気を分けてもらえた、そんな気がしていた。
観覧車に乗るのはまた今度、と言いキョウヘイはヒウンシティに続く四番道路に向かっていった。
「ボクも、キョウヘイみたいに頑張らなくちゃ、ね」
自分で決めた目標。「彼」にもう一度会い、自分の思いを伝える。どんなに時が経っても、これだけは譲れない。自分のケジメであり、彼への少しの恩返しなのだから。
何度も乗った観覧車を見上げ、大きく息を吸った。大丈夫。絶対に彼ともう一度会える。そう自分に言い聞かせ、ベンチから立ち上がった、その時。遊園地にいる人々が、指さしながら観覧車とは反対の方向の空を見上げている。Nもまた振り向こうとした時、懐かしい声が彼の耳に届いた。
「Nっ!」
この二年、ずっとこの声に再び出会いたいと
ようやく……。丸々二年の月日が流れていた。ようやく、この声の主と再び出会うことが出来た。
Nは嬉しさと切なさの混ざった、泣き笑いのような顔で振り返った。