イッシュの英雄もどき
少年は吊革につかまっている。普通吊革につかまっているということは、電車やバスなどの公共の交通機関を利用しているということ。事実、彼は地下鉄に乗車している。だが、普通と違うことは、彼はどこかに行くために、地下鉄に乗っているのではないということだ。彼は、とあることのために地下鉄に乗っていた。
そのあることというのは、この場を見ればすぐに分かるだろう。
「よし、エンブ、オーバーヒート!」
少年の指示に、大火(おおひ)豚(ぶた)ポケモンのエンブオーは、首周りの炎を強く燃え上がらせる。大きく息を吸い込んだと思うと、一気に高威力の熱光線が発射された。
熱光線は焦点が絞られており、エンブオーの正面に翼を広げていたアーケオスへと向かっていく。咄嗟にアーケオスは左側へと体を捻り、技の直撃を防ぐ。しかし、完全に見切ることは出来ず、右の翼に灼熱の光線が当たった。技を受けたことでアーケオスはバランスを崩し、地面へと倒れこんだ。
そのアーケオスの後ろに立つ青年。白を基調としたロングコートと帽子に身を包んだ彼は、その様子に口角を上げ、楽しげな声を上げた。
「アーケオスを僕が出したとき、エンブオーに交代するから、バトルの連戦で判断力が失われたのかと心配したけど、作戦だったってことみたいだね」
青年は、得意げに鼻から火の粉を飛ばしているエンブオーを見て続ける。
「物理攻撃が得意なエンブオーが使って、このオーバーヒートの威力。キミ、何か細工してるでしょ」
青年の言葉に少年は悪戯っぽい笑みを見せる。そして、エンブオーの肩を労うように軽く叩き、口を開いた。
「細工なんてしてないですよ。しいて言うなら、エンブの持ち物のお蔭ですね」
青年がエンブオーの手元に目を向けると、そこには手のひら大の赤い石があった。それを見つけると、なるほどというように手を叩いて見せた。
「炎のジュエル。一度きりの道具だけれど、技の威力を押し上げる。ふうん、それをアーケオス相手に持ってくるとはね」
エンブオーの持っていた石は、段々とその色が薄くなっていき、灰色に近づいていく。ジュエルの効力が失われている証拠だ。少年はジュエルを受け取ると、満足そうに微笑んだ。
「アーケオスの特性は弱気。体力を半分まで減らせれば、こっちのもんです」
少年の言葉は正しい。アーケオスは、攻撃力の高さが魅力的なポケモンだ。そして、バトルで重要となる素早さも高い。バトルで、高い攻撃力と素早さから放たれる、高威力の技の数々を耐えることは難しい。
しかしその反面、アーケオスの耐久力はそれほど高くない。そして、アーケオスの特性の「弱気」は、体力が半分以下になると攻撃力が下がってしまう、というものだ。少年はアーケオスの弱点をうまく利用したのだ。
青年は、彼の作戦を理解し、深く息をつく。そして用船的に目を輝かせた。――面白い。そう言いたげな色を放っていた。
アーケオスは二人が話している間に、なんとか体を起き上がらせた。青年はその姿を見ると、アーケオスに目配せをする。
「勝ったつもりでいるけど、まだこっちが負けた訳じゃないんだよね」
彼の言葉が終わると同時に、アーケオスは翼を広げて飛び上がる。その姿は力強く、先ほどのオーバーヒートによる大ダメージの痕跡は見られなかった。
「どうして?」
焦った声を少年は上げた。そして、相手のアーケオスを隅々まで観察する。そうすることで見えてきたのは、薄い黄色の木の実の皮。
「ああっ! オボンの実!」
悲痛な声を上げた少年に、彼はご名答と返す、だ威力を半分まで削られたはずのアーケオスは、オボンの実を食べたことで、体力を回復していた。このバトルの戦況は、百八十度変わっていた。
「それじゃあ、これで終わり。アーケオス、燕返し!」
アーケオスがエンブオーの懐に入ったと思った途端、翼の先を素早く反転させた。加速した翼は、エンブオーを打ち、車両の端まで吹っ飛ばした。
役目を終えたアーケオスは、青年の元に戻っていた。その攻撃を見て、満足そうな笑みを浮かべながら、少年に語りかける。
「今回のバトル、今までで一番良かったよ。でも、あと一歩の踏み込みが足りないね。もっと強くなって、次に戦えば勝敗は分からないよ」
更に言葉をつづけようとした時、少年が俯いたまま微動だにしていないことに気が付いた。
「あれ? 拗ねちゃったかな? でもまた諦めずに挑戦してよ」
そう言い、青年がアーケオスをボールに戻そうとした時、少年は顔を上げた。
「クダリさん、バトルを終わりって思うには、まだ少し早いですよ」
彼の言葉を合図に、車両の端に倒れていたエンブオーが立ち上がる。そして、首回りの炎を点火した。その炎をどんどん大きくしていく。その様子に始めは目を丸くしていたクダリだったが、すぐにいつもの表情に戻る。手を真っ直ぐに伸ばし、アーケオスをバトル場に戻した。
「それなら、もう一度燕返しを打つだけだよ。君のエンブオーの攻撃を凌いだ後にね!」
少年は握り拳を作り、力を込める。そして、大きな炎を全身に纏ったエンブオーに精いっぱいの声で支指示を出した。
「エンブ、最大火力でフレアドライブ!」
全身に炎を纏い、走り出したエンブオーのその姿は、猛獣の如し。
「いっけえええ!」
少年の声に呼応して、エンブオーの炎が更に大きく、赤くなっていく。そして、アーケオスの胸元に一直線に飛び込んだ。
技が決まった。
エンブオーの溜めていた熱が、一気に放出される。その熱は熱風となり、車内に吹いた。その熱さに顔を腕で覆ってしまう。バトルの勝敗を早く知りたいと願うが、中々熱は収まらない。それを歯痒く思っていると、頬に少しぬるい風が当たった。
はっと気が付き、顔を上げる。
バトル場には。膝をつきながらも体を起き上がらせているエンブオーと、その横で倒れているアーケオスの姿があった。エンブオーの姿を見て、少年は駆け出す。そして、その首に腕を回して抱きついた。
「やった、やったよ! エンブオー!」
大好きな主人に、精いっぱい褒められているエンブオーは誇らしげに鼻から火の粉を飛ばした。
「ブラボー! お見事でした、キョウヘイ様、そしてメイ様。バトルサブウェイ、スーパーマルチトレインにおいて、私どもサブウェイマスターに見事勝利なさいましたね。本当に素晴らしい!」
パチパチと手を叩いて、サブウェイマスターのもう一人、ノボリがキョウヘイに声を掛けた。
「キョウヘイ、やったね! 最後、私の分まで戦ってくれてありがとう!」
そして、もう一人。ノボリの横から現れたのは、キョウヘイと共にタッグを組んで戦っていた少女、メイだった。彼女とノボリは手持ちのポケモンが先に倒れてしまったので、最後のクダリとキョウヘイの一騎打ちを見守っていたのだ。
「メイこそありがとう。君のサポートがなかったら、ここまで来れてないよ。君のお蔭だよ!」
エンブオーに抱きついたまま、彼は彼女に礼を言う。その時の笑顔は、無邪気でメイの心をくすぐるものがあった。ぱっと顔を赤らめて、言葉に詰まる。そんな彼女に気づいていないのか、さらに言葉を続けようとすると、アーケオスをボールに戻したクダリが近づいてきた。
「うーん、あの燕返しを耐えるなんて、君のエンブオーはさらにタフになったね。それに加えて、猛火を発動させてのフレアドライブ、すごい威力だった。タイプの不利なんて、感じさせないくらいに。僕の完敗。強くなったね、キョウヘイ」
「ありがとうございます!」
クダリの賞賛の言葉に、顔を輝かせる。
「それに比べて、ノボリ。四人の中で一番最初に脱落したよね?」
ずいっとクダリの顔を近づけられて、後ずさりするノボリ。いつもは無表情な彼の顔には、珍しく一筋の汗が流れていた。そのやりとりを見かねて、メイが口を開く。
「あの、それは、私たちの作戦だったんです」
「作戦?」
聞き返した、ノボリとクダリの二人。メイは、キョウヘイの横に並び説明する。
「お二人と戦うと、いつも一体目のポケモンに大苦戦して、二体目のポケモンが出てくる頃には、もうへろへろになってることが多くて。だから今回は、ノボリさんのポケモンに絞って攻撃させて貰いました!」
彼女の説明に、なるほどという顔をする。一方、キョウヘイは一通りエンブオーを褒め終わり、ボールに戻していた。そして、クダリに向き直り話し始める。
「それにしても、クダリさんのアーケオスの持ち物が、オボンの実で驚きました。てっきり、飛行のジュエルか鋭いくちばし辺りかと思ってて」
それだったら、エンブオーは耐えられなかったかもしれないけど、と付け加えたキョウヘイ。彼の言葉に、クダリは嬉しそうに微笑んだ。
「さっき君が言ったように、アーケオスの弱点は、体力が減った時に発動する特性。これが発動してしまっても、一撃は確実にフルパワーの攻撃をするために、オボンの実が必要だったってこと。まぁ、負けちゃったけどね」
負けたと、言葉にする彼だが、負けた今もその表情はどことなく嬉しそうに見える。
「それでは、キョウヘイ様、メイ様。私どもサブウェイマスターに勝利した証にBPを。そして、ご自宅にはトロフィーをお送りしますね」
ノボリの言葉を聞いて、キョウヘイは自分がサブウェイマスターとの勝負に勝利したということを、改めて実感していた。ギリギリの勝負で勝ったこの快感は、何とも表現しにくい嬉しさだ。
ちらりと、横に立つメイを盗み見る。彼女も自分と同じように感じているかもしれないと思った。彼女の赤みを帯びた頬は、気持ちが高揚しているのを表しているようだった。
とにかく、彼らは勝ったのだ。地下最強の双子、と呼ばれる存在に。自分のバトルレコーダーをノボリに差出しながら、大きく息をついていた。
二人のバトルレコーダーに勝負の記録を行っているノボリ。彼にクダリは何か思い出したように話しかける。
「ノボリ、あれの推薦。この二人はどうかな。確か、イッシュのバッヂは八個持ってたし」
「むむ、そういえばまだ何も考えていませんでしたね。そうですね……」
突然二人が真剣に話し始めたのを見て、キョウヘイは探るような視線を向ける。あれ、と話している物は何なのか。そして、推薦という言葉。どちらも、心当たりのあるものでは無かった。そして、キョウヘイだけではなくメイもまた、二人の言葉が気になっているようだった。
そんな二人の視線に気が付き、ノボリはコホンと咳払いをする。
「すみません、お二人に何の説明もなしに話し始めてしまって。クダリの申し上げた、あれというのは、PWTチャンピオンシップのことでして」
聞き覚えのある単語に、キョウヘイが反応した。
「PWTってホドモエシティにあるやつですよね?」
ノボリは彼の言葉に頷き、彼が知っていることに納得しているような表情を見せる。
「そういえば、キョウヘイ様はホドモエでちょっと噂なトレーナーでしたね。それならば、PWTの説明は不要ですね」
「そのPWTでちょうど二週間後、ある祭典が開かれるんだ。それが、PWTチャンピオンシップインホドモエ。世界中の強豪トレーナーがホドモエに集まって、世界一を決める」
キョウヘイは二人の説明を聞き、体が未知なるものにゾクゾクとしているのを感じていた。それは、キョウヘイだけでなく、その横のメイも同じようだった。二人のその表情を見て、ノボリはこの話をしてよかったと思った。
「このPWTは、各地方のポケモンリーグに挑戦するよりも厳しい出場条件がありまして。自分の出身地方のジムバッヂ八個と、その他の地方のバッヂ八個、もしくはそれに代わる資格を持つトレーナーのみが参加可能なのです」
出場の条件を聞いた時、キョウヘイはあからさまにしゅんとした表情をする。彼が持っているジムバッヂはイッシュの八個のみ。ノボリが挙げた出場条件の半分しか満たしていないのだ。
だが、彼の横にいるメイは、まだあきらめた目はしていなかった。キラリと目を輝かせている彼女は、ノボリの言わんとしていることに気が付いているようだった。
二人の対照的な反応を見て、ノボリは滅多にあげることのない口角を上げていた。
「ジムバッヂ以外の資格、それはホウエン、シンオウ、ジョウト地方にあるバトルフロンティアの制覇などが当たります。そして、イッシュではこのバトルサブウェイの制覇、これがジムバッヂの代わりになるのです」
「それって、もしかして……!」
キョウヘイは身を乗り出して、ノボリに近づいた。メイもまた、自分の仮説が確信へ
と変わっていたようだった。
「お察しの通り、マルチトレインを初めとした七つのトレインすべてで、僕たちを倒した君たち二人には、ジムバッヂ八個に代わる資格があるっていうこと」
ノボリの言葉に、キョウヘイは目を輝かせる。
「本当ですか?」
「うん」
クダリの返答を聞き、キョウヘイは高鳴る胸にそっと手を置く。
世界中からの強豪トレーナーが集まるPWT。イッシュ地方以外に行ったことのない彼にとっては、目も眩むような話だ。自分の腰にあるモンスターボールに指を滑らせ触れる。ボールの中の相棒たちは、武者震いなのかカタリとその身を揺らした。
自分と相棒たちとで世界一を目指せる。そう考えただけで、高鳴る胸を抑えきることなどできるはずもなかった。
「あなた方以外に、このバトルサブウェイ全てのトレインを制覇された方はおりません。どうぞ胸を張って、PWTに参加して下さい」
ノボリはそう伝えると、二人にバトルレコーダーを差し出す。二人がその画面に視線を落とすとそこには、「バトルサブウェイ制覇」の文字があった。
ギアステーションの階段を上り、ライモンシティの中心街に出る。
「メイは、もちろんPWT参加するよね?」
「もちろんだよ! さっき話を聞いてる時から、ドキドキしっぱなしだったもの」
彼女は、大きく手を広げて空を見上げる。彼もそれにつられるように視線を空へと向けた。
「この空の向こうから、たくさんの強いトレーナーがホドモエに集まる……。それって、すごいことだよねっ!」
彼女はそう言うと、くるりと回って見せる。そしてキョウヘイに笑いかけた。
「キョウヘイ、今日は本当にありがとう。次はホドモエで会いましょう!」
彼はその言葉に頷き、自分の拳を突き出した。彼女はそれを見て、自分のものとコツンと合わせる。これは、再戦の誓いなのだと二人は言葉に出さずとも分かっていた。
そして、メイは自転車に乗り、碁盤道路のゲートのほうへ走り去っていった。一人残ったキョウヘイは、一度上に向かって大きく伸びをする。サブウェイでの真剣勝負を始めたのは昼前。今はすっかり日が傾いており、夕暮れ時だ。そんなに時間が経っていたのかと気が付くと、とたんにぐぅっとお腹が鳴った。そういえば、今日は自分がバトルの合間に口にした飲み物以外、ほとんど口にしていないことに気が付く。夕飯には少し早いが、一度なり始めたお腹はどんどん音量が増している。
「ちょっと早いけど、遊園地で夜ご飯にしよう。このままだと、絶対に倒れちゃう……」
うわごとのように呟くと、彼は遊園地へと足を進めた。
 
トレーナーメモ
キョウヘイ 12歳
ヒオウギシティ出身のトレーナー。旅先で、二年前イッシュを救ったある英雄のトレーナーと似ていると言われるため、自分で「英雄もどき」と名乗っている。復活したプラズマ団を再び壊滅させた凄腕のトレーナートレーナーでもある。ポケモンリーグで殿堂入りも果たしている。後輩気質。
メイ 12歳
ライモンシティ出身のトレーナー。キョウヘイとは、ライモンでサブウェイマスター勝負を共に挑んだことで知り合った。楽しいバトルが好きと言っており、キョウヘイとのバトルは今までで一番楽しいタッグバトルだったため、バトルサブウェイでは彼と組んでいる。