task11 邪眼
「『バブル光線』!」
テナーはキドナに攻撃を再度かけたが今度は躱された。
「同じ手を何回も食うと思ったか?」
「まさか。なんせ相手は『予知夢』のスリープですよ?」
少しでも余裕があるように見せるため、テナーは口元に薄く笑みを貼り付ける。
「次にくる攻撃を事前に知ることができる特性…厄介な代物ですね。ある欠点を除けば」
「俺の『予知夢』に欠点なんてない!」
「それじゃこれは?」
ヒュンヒュンヒュン!
テナーの両手から素早く五、六個の石礫が飛び出し四方八方へ広がる。
「チッ!」
動き始めたのは早かったが、キドナはそのうちのいくつかに当たってしまった。
「やっぱり。あなたができるのは言葉通り予知までで、それを実際に躱せるかはただ単に運動神経の問題…違いますか?」
「くそっ!」
躍起になって足を踏み出した途端、その地面が火を吹いた。キドナは足元を掬われ転ぶ。
「爆裂の種ですよ。さっき少し撒いておきましたけど、普通ここまで見事に引っ掛かります?精神的ダメージにも弱いみたいですね」
「ほう…なかなかやるじゃないか、ひよっこの割には…」
起き上がったキドナの顔は屈辱と苛立ちとで醜くひきつっている。
「だが、石礫や種ぐらいの小細工じゃ俺は逮捕できないぞ?所詮子供騙しだ」
キドナは嘲笑するが、テナーは動じない。
「私がいつ『逮捕する』といいました?」
「何?」
「物覚えが悪いんですね。もう一度言ってあげましょうか?――『あなたの思い通りにはさせません』」
「!」
何かを悟ったキドナは振り返る。
「もう大丈夫。お兄ちゃんが待ってるよ」
「うん!」
彼の獲物は、テナーと一緒にいたピカチュウの手に渡っていた。
エリスは『電光石火』を連続で移動手段として使って岩陰から岩陰へと駆け抜け、今リンのもとへ辿り着いたのだ。
「
囮だったのか…待ちやがれ!」
「おっと。先にギルド戻ってて!私もすぐ行くから!」
リンをキドナから庇うように立ち、後ろ手にバッチを構えて当てる。
リンの転送完了と、キドナのタックルがエリスに命中したのはほとんど同時だった。
「ぐっ…テナー!!」
エリスの叫びを受けて、テナーはバッチを準備する。
ここまでは計画通りだったが、
「させるか!『サイケ光線』!」
キドナの放つ金色の光線は、まだボタンを押していないバッチを弾き飛ばした。
「しまっ――」
拾おうとして体勢を崩したところをもう一度、今度は体全体を念波が襲う。
――迂闊だった…『予知夢』にばかり気をとられて…
「なるほど、
最初から目当てはチビッコか。いかにも臆病者の考えそうな手だが、ひよっこ探検隊だと見くびってかかったのは失敗だったな」
倒れたテナーにつかつかと歩み寄り、キドナは転がっているリーダー用探検隊バッチを拾いあげた。
「没収だ」
「あっ…返してよ!」
エリスはどうにか立ち上がり、攻撃しようとするが当たらない。
「隙だらけなんだよ!『金縛り』!」
「なっ…」
目に見えぬ鎖で縛り付けられたようにエリスは動きを止めた。その前でキドナは悠々と殴る構えをとる。
「お前は隅で見物してろ。『気合いパンチ』!」
キドナの拳が光を帯び腹部に叩き込まれると、エリスはなすすべもなく吹き飛ばされ地面に転がった。
「さて…テナー、だったっけか?ここまで本気で俺を怒らせたのはお前が初めてだよ。チビッコがいなくなった以上、ヤツが怪我しないように手加減する必要もない。…お礼はたっぷりさせてもらうぞ。『サイコキネシス』!」
キドナは念力でテナーの体を締め上げ始めた。
「ううっ…!」
苦痛の呻き声をもらすテナー。
「大袈裟だな。いきなり全力は出さないさ。それじゃ生ぬるい…そこでのびてるピカチュウにもよく見えてるだろ?」
形勢は完全に逆転していた。エリスは助けに行くどころか起き上がることすらままならないようだ。
「さっきの強気はどうした?『あなたの思い通りにはさせません』…ハハハ!」
キドナはわざと意識が残るように締め付けているようで、気絶することさえもできない。
――だ、れか…
そのとき、狭くなっていた視界の中で黄色い陰が閃いた。
バキッ!!
鈍い音がして、不意にテナーを締め付けていた力が消える。
「…え?」
恐る恐る瞼を開くと、そこにいるはずのキドナの姿がなかった。
とん、とエリスが前に立った。背を向けているので、テナーにはその顔は見えない。
「ぐぁ…」
キドナの声が微かに聞こえる。彼はテナーから見て右手側の岩壁に叩き付けられていた。
――嘘…
状況から察するに、エリスはキドナの後ろから回り込んで攻撃し岩壁まで飛ばしたらしいが、
――そんな体力は残ってないはず…いや、例え体力が万全だったとしてもこんなマネ、エリスにはできない!
音も無くキドナに近付くエリス。その足取りは熟練した戦士のようにしっかりしていたが、どこか生き物らしくなかった。
「お前…何者なんだよ?」
エリスは応えない。かわりに右手を軽くあげ、握る。
その拳に、見る間に電気が溜まりバチバチと音をたて始めた。
――『雷パンチ』?覚えてないはずなのに…
ギィィィィィン!
集まった電気がうなりをあげ始めた刹那、エリスは何の躊躇いもなくその拳を腹部に叩きつけた。
食らったキドナはガクリと首を垂れる。
――何が起こってるの…?
気絶したキドナを眺めていたエリスがすっと振り向いた。
「!!!」
テナーは声にならない悲鳴をあげる。射竦めるようなエリスの瞳は冷たい銀色に光っていた。
変化は瞳だけではない。いつもは目まぐるしいぐらいにコロコロと表情を変える顔が仮面のような無表情で、何より全体的な雰囲気に隙がない。
「エリス?」
「“
標的ノ無力化及ビ
主ノ安全確認完了シマシタ”」
エリスが――いや、エリスの姿を纏った何かが唐突に口を開きエリスの声で淡々と喋る。
「“緊急もーどヲ解除シ通常もーどニ切替エマス”」
それだけいうと、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「ちょっ…」
状況が掴めず、多少の恐怖はあったが取りあえずエリスに近付く。命に関わる大怪我はしていないようだが気を失っていた。ひとまずオレンの実を口に含ませる。
ちらりとキドナにも目をやった。こちらも気絶しているがさっきの一撃がこたえたのだろう、すぐには目を覚ましそうにない。
――何なの…何だったの?
バッチを取り返すのも忘れてテナーは座り込む。ディアナがジバコイルの保安官を連れて頂上へ到着したのはそれからまもなくだった。
数時間後。
ギルドに戻ったテナーは医務室も兼ねているディアナ(とフローデ)の部屋をノックしていた。
「あ、テナー。もうすんだの?」
エリスは右手に包帯をぐるぐる巻きにされているが元気そうだ。黒い瞳で笑いかける。
「えぇ。誰かさんのおかげで手続きやら何やら全部私がやる羽目になったから大変だったけれどね。それよりもう大丈夫なの?特にその右手は」
皮肉交じりの問いにこたえたのはエリスではなくディアナだった。
「右手は特にエリスさんが痛がってたので。骨折とかはしてないみたいですけど」
「それと全身筋肉痛…イタタ」
「多分、オーバーワークが原因だと思いますよ」
テナーの脳裏に先ほどの戦闘シーンがよみがえった。
――あれほど激しい攻撃を繰り出したら反動もきついでしょうね…
「だいたいの治療はすみましたから、今日ゆっくり休んだら明日には元気になりますよ。では、私は夕食の支度をしてきます。テナーさん、様子をみてて下さいね」
ディアナが去り、部屋の中はエリスとテナーだけになる。テナーは手にしていた袋を床に置いた。
「これ、保安官さんからもらった今回の報酬。手取りは300ポケ」
「もうちょいもらえないもんかな…そうだ。リンちゃんたちは?」
「会ってないの?少し前に帰ったわよ」
「目覚ましたのついさっきだからさ。テナーは会ったの?」
「もちろん。どっちも無事で元気よ」
「よかった。ならそれでいいか」
「それにしても、まさかあなたのいっていた通りになるとは驚きね。一応、あの予知夢まがいの眩暈については適当に誤魔化しておいたわ」
「なんであんなの見えたんだろう…自分でも分からないや」
「ただの体調不良だと思っていたけれどね。そういえば頭痛は?」
「治った。こっちはやっぱり寝不足が原因だったみたい」
――本当に?
自分が言い出したことだったが、テナーは違う原因があるような気がしていた。
「エリス。あなたに質問があるんだけれど」
「その前にもう一つ聞いていい?…テナーはどうやってキドナを倒したの?」
「は?!」
一番したかった質問を先回りされて、テナーはすっ頓狂な声を出す。
「あの状況で逆転勝ちはすごいよ?」
「あなた、自分が何を言ってるのか分かってるの?」
「分かってるも何も、私はただ単に私が気絶してた間の話が聞きたいだけ」
妙に話が噛み合わない。
「…念のため聞いておくわ。どのあたりから気絶していたの?」
「えっと…テナーが『サイコキネシス』で締め上げられた直後くらいかな。そこ以降の記憶がないから」
――それじゃ…自分がキドナに反撃したことは知らないってこと!?
「食事の時間ですよ!」
不意に食堂からディアナのよく通る声が響いた。同時にエリスの腹の虫が音をたてる。
「あ、ご飯だって。行こう!話は後で聞かせてね」
少しよろめきながら部屋を飛び出したエリスの後ろ姿をみながら、テナーは呆然と動けずにいた。
「そっかあ。そんなことがあったんだ」
ユピテルが帰ってきたのは夕食が済んでしばらくしてからだった。例によってセカイイチを齧りながら親方部屋でジュノの報告を聞いている。
「ほんとに大変だったんです!怪我の手当てやら引き渡しやらで、さっきまでバタバタしてたんですから」
「ふふっ。でも結局は予想以上の活躍をしたんでしょ?チーム:ルミエールは将来有望だね♪」
「笑い事じゃないですよ…それより親方様、今日はどちらへ?」
「あれ?言ってなかったっけ」
「何も聞いてませんよ。朝礼終わった途端にいなくなったんですから」
「メモ書いといたと思うんだけどな」
「メモ?そういえばテーブルの上に…」
そこまで言って、ジュノは『何かごちゃごちゃと書かれた紙』を今朝親方部屋のテーブルの上で見つけて捨てたことを思い出した。
「い、いや見てません。で、どちらへ?」
「そうだなぁ…強いて言えば保護者面談ってとこかな?」
「保護者?誰のですか?」
「それはナイショ。でも大変だったなぁ。だいぶもめたもん」
「そうですか…でも次からはワタシにちゃんと声かけてからにしてくださいね?」
「分かった♪」
笑顔でジュノの言葉に応え、目を閉じて伸びをした。
――後は直接あの子と話すだけ、か。どこで時間が取れるかな?
ピシャーン!
食事を終えた二匹が部屋のドアを開けた途端、稲光が部屋を束の間白く染めた。
「すごい嵐だね。あれ、どうかした?テナー」
「別に…」
ピシャーン!
言葉とは裏腹に、テナーは稲妻が閃くたびに目を固く閉じている。
「もしかして…雷苦手?」
「違うわよ!ちょっと考え事してただけ」
図星をさされたのは明らかだったが、それ以上は追求しないことにした。
「そういえば、あなたが海岸に倒れてた日の前夜もこんな天気だったのよ。何か思い出せる?」
「うーん…ごめん、無理かな」
「でしょうね。期待してない」
「ちょっとぉ!じゃあ何できいたの!?」
「それにしても…あなた本当に覚えてないの?」
「今言ったよ?海岸で倒れてた前の記憶はないって」
「そっちじゃなくて今日の話。トゲトゲ山でキドナと戦ったときのこと」
「覚えてるかって聞かれても…」
「それなら、『緊急モード』って言葉に聞き覚えは?」
「あー、どっかで聞いたような…そうだ!気絶する寸前だ!」
「寸前?」
「うん、テナーがやられてたときだよ。あのとき急に頭痛が激しくなって、なんか『声』が聞こえたんだ。確か…“ぷろぐらむ修正完了。緊急もーどヲ発動シマス”だったと思う」
「…それで?」
「分かんない。そこで意識が飛んだ」
「『プログラム』、『緊急モード』…本当にあなた何者なの?」
「むしろこっちが聞きたいよ!」
ピシャーン!
みたび鳴り響いた雷鳴が、口論になりかけた空気を切り替えた。
「…とりあえず分かったことは、あなたには何か普通とは違う過去を持っているということね」
「普通とは違う?」
「私はあなたが元人間って全面的に信じてる訳じゃないけど…事件を予知して解決したことは事実よ。それに聞いたことないもの。予知夢をみるピカチュウも、ポケモンになった人間も、眼が銀色に変わるポケモンも」
「銀色?それは見てみたいかも」
「話をそらさないで!とにかく、今日あなたが発揮した力は、あなたの過去に何らかの関係があるはずよ」
「どんな過去だろう…なんか楽しみ」
「喜んでる場合?必ずしもいい過去とは限らないわよ」
「そうだけど…少しでも手掛かりができたんだよ?それだけでもうれしいじゃない。よーし、頑張ろう!」
「単純というか何というか…」
よくも悪くも賑やかな弟子の部屋で、この時エリス達はまだ知らなかった。
ギルドの遥か北東に位置する森で、なくした記憶の手掛かりが動きだしたことを――