Mind of Discovery
第2話 “航界船ノーザンライツ”


 光の柱が注いでいる大空洞の底、地底湖にその身を半分ほど浸したまま、女とエモンガを乗せた小型艇が停まっていた。小型とはいえ、全長およそ四〇メートルほどで、中はいくつかの部屋に分かれている。小さいながらも、寝室はもちろん、貨物室や医療室、客室までも備える。おかげで気を失ったエモンガの保護もできた。
 薄汚れた作業着のまま女が医療室に戻ってくると、テレビの電源を付けるようにして現れたミュウのホログラムが、眼前すれすれのところまで迫ってきた。

「診断と処置が終わりました。少量のタキオン放射線が残留していましたが、除染は無事完了しました」
「もっとよく調べて」女はやや疎ましげに避けながら言った。「前に時空の特異点に遭遇したとき、通過者が脳の認知機能にダメージを受けていた。この子にも同じことが起きたのかも」
「量子レベルでスキャンしました、脳に損傷はありません。ですが気になる結果がひとつ」

 ミュウが小さな手を出すと、指先に遺伝情報のホログラムが浮かび上がる。

「DNAは一般的なエモンガのものと一致しましたが、分子構造に奇妙な変動が生じています。人間的に物事を例えるなら……まるでタマタマです。別々の場所へ散らばろうとしている」
「分子結合が不安定なのね。原因は何なの?」
「不明ですが、変動は一時的なもので今は安定しています。命に別状はないかと」
「今はね」

 ため息が漏れる。医療ベッドの上でスヤスヤと可愛い寝息を立てて眠るこのエモンガを、ひと目見たときから厄介を起こす気がしていたが、早速これだ。
 自分が医者なら経過を見守るところだが、そこまでする義理もない。なにより、今は厄介事をこれ以上抱え込む余裕なんてこれっぽっちもないのだ。

「エモンガを地球連合まで送り届けますか?」思案する女に、ミュウは尋ねた。「彼らなら、きっと助けてくれるはずです」
「冗談。行けば私たちも一緒に『保護』されてしまうわよ、暗い地下の奥底にね」
「ですが、彼をこのまま放ってはおけません」
「捨てちゃって。この世界に置いていけばいい。救難ビーコンも設置すれば、通りすがりの誰かが拾ってくれるでしょ」
「それは許容できません、もしも帝国艦やシンジケートにでも拾われたら……」
「この話は終わり、ここまで。命令は下したんだから言うとおりになさい」
「マドカ……」

 女が議論を断ち切って医療室を出ようとすると、後ろからエモンガのうめき声が聞こえてきた。悪い夢でも見ているのだろうか、しきりに寝返りを打っては、苦しそうな寝言が漏れている。
 足を止めるなり、今度はより深くため息を吐いた。

「んんっもう……これだから!」






 夢を見ていた気がする。
 暗闇の中で、マドカがひとりで泣いている。オレはその涙を止めたいと思った。でも身体が前に進まないんだ。どんなに飛んでも走っても、この手が彼女に届かない。マドカはしきりにオレの名前をかすれた声で呼んでいた。
 マドカ! マドカ!
 叫んでも、声が出ない。そうするうちに、マドカがどんどん遠ざかっていく。ちぎれるぐらい手を伸ばして、その指の先から、オレは確かに見た。マドカはひとりじゃなかった。彼女のそばにいて、せせら笑いながら、彼女を悲しませている奴がいる。
 そいつは……オレだった。

 *

「マ……ドカ……?」

 うっすらと開けた目。視界は滲んでよく見えず、何度もこすって、ようやくピントが合ってきた。見えてきたのは、見覚えのない天井だった。
 前にマドカとSF映画を観に行ったときのことを思い出した。タイトルは忘れたが、未来の世界に迷い込むような話だったか。ここはそんな映画の景色にそっくりだ。
 壁に並ぶ見たこともない機械やモニターの数々。そのひとつに、エモンガのバイタルが映っている。あれは、オレか? ライムは目を細めて、前のめりに……なろうとして、ベッドから転げ落ちた。
 痛い!
 床に落ちる間際、ギュッと目をつぶって痛みに備えた。ところが、すんでのところでふわりと止まった。床は目と鼻の先にあった。
 誰かが助けてくれたのか。ライムがおそるおそる見上げると。

「おはようございます」

 ミュウがいた。
 もう一度繰り返す。ミュウがいた。アニメやCGでしか観たことのない、幻のポケモンが。しかも人間の言葉で喋っている。
 そのミュウらしきものは、ライムを『サイコキネシス』で吊り上げて、割れ物を扱うようにライムをベッドに戻した。

「ご気分はいかがですか?」
「……え、オレ?」

 ライムは惚けた顔で返した。
 対するミュウは、また「ご気分はいかがですか?」と尋ねた。どうやら答えないと問答が繰り返されるようだ。ライムはしきりに辺りを気にしながら、おそるおそる答えた。

「い、いいよ。順調、バッチリ……って、なんかオレ、人間の言葉で喋ってるんだけど!」
「あなたのバッジに搭載された、『ユニバーサル翻訳システム』が有効に機能しているためです」
「バッジ?」自分の身体を見下ろすと、確かに左胸の辺りで、小さな金属のバッジが肌に吸いついている。「ほんとだ……このちっこいバッジが、オレの言葉を翻訳してるのか?」
「その通りです。地球の共通言語である人間の言葉を使用していますが、お望みとあらば、エモンガの言語にも変換できます。たとえば……えもえも」
「えも! えもも……?」

 えもえも。えもえもも、えも、えもえも。
 えも、えもももえも、えもえもえも、えもー、えもも。
 えもも? えもえもえも、えもーえも、えもえも。

「えも……」えもも、えも。
「了解しました、設定を人間の言語に戻します」
「あ、ありがとな。オレ自身はいいけど周りがエモンガの言葉で話してるのは、なんか……変な感じがするから」
「左様でございますか」

 ミュウがススス、と引き下がった。
 それにしてもバッジ型の翻訳機といい、明らかに未来的な部屋といい、タチワキシティにこんなところがあっただろうか。ひょっとすると、奇妙な風に流されて、とても遠くに来てしまったのでは。

「それでは、一般的なコミュニケーションを開始します」ミュウは妙に明るい口調で、これまた妙なことを切り出してきた。「あなたのお名前は何ですか?」
「オレは、ライム……だけど」戸惑いながら答えた。「ここは一体どこなんだ? あんた誰だ? まさかオレ、捕まったんじゃ……」
「いいえまさか、あなたに危害を加えるつもりは一切ありません。ここはウルトラスペース『N・二八五』の地下空洞で、世界座標はテメレイア帝国の最西端に位置しています。今あなたが乗っているのは航界船『ノーザンライツ』、現在修理のため停泊しています。そして私は……」
「ごめん、もう一度最初から言って」

 同じセリフをミュウが正確に繰り返したが、どれひとつ取っても腑に落ちるものがなかった。まるで遠い星に住んでいる宇宙人と話をしている気分だ。
 三度目はさらに事細かに説明を受けた。ウルトラホールがどうの、地球連合がこうの、次元間移動協定がなんの、時間枠がその。

「……話は何ひとつ分からないけど、とにかくここは、ポケウッドの舞台セットとか、マドカが仕掛けたドッキリとかじゃないんだな?」
「質問の意図が理解できません、復唱してください」
「だから、えっと……」

 ああダメだ、これはどっちが話しても無限ループになる。ライムが肩を落としていると、どこからかケラケラと軽妙に笑う女の声が聞こえてきた。
 開いたドアの前で腹を抱えている女の姿を見て、ライムはポケモンながら思わず見とれてしまった。ポケウッドの女優にも勝るとも劣らない、優雅で誘うような美貌。雪のように純白の髪がさらさら揺れて、合間に見えるサファイアのように蒼い瞳には、深海のごとき暗さを秘めている。
 女が迫ってきて、頬に触れられて、ようやくライムは我に返った。

「だ、誰だお前!?」
「驚かせてごめんなさい。私はミオ、それからこっちはミラージュ・システムのイヴ」紹介したミュウの顎をくすぐりながら、ミオと名乗る女は続けた。「お客を乗せるのは久々なの、私たちの無作法を許してね」
「みらー……なに?」
「彼はホログラムの人工生命体よ」ミオは口調の軽さに反して、深刻そうに目を細めた。「ミラージュを知らないってことは、あなた本当に過去からやってきたのね」
「過去って何なんだ? ここはどこなんだ!?」

 問い詰めてくるライムに、ミオはきっぱりと言い放った。

「ここはあなたのいたところじゃない。すぐには信じられないかもしれないけど、あなたは『神隠し』に遭って、別の時間、別の世界に迷い込んでしまったのよ」
「……嘘だ」

 ライムはへらりと笑って、よろけながらベッドから飛び降りた。そしてミオたちの横を抜けて、一目散に通路へと駆けていった。
 そんなこと、あるはずがない。時間を超えるなんて話は映画の中だけのことだ。いかにも未来チックな、光のラインが走るこの通路だって、ただのポケウッドの舞台セットに違いない。通路を抜けた先には、きっとマドカが俺を待っている!
 そう期待して、裏切られたのはこれが二度目だった。
 おそらくコックピットだろう。しかも、想像を絶するほど進歩した技術に溢れている。操縦桿も、制御盤も、スイッチもボタンも、何もかもがホログラムでできている。恐ろしく複雑なインターフェースの数々が、星空のように散りばめられて、まるで光の迷宮に迷い込んでしまったようだ。
 全身から力が抜けていく。ライムはぺたんと座り込んで、途方もない虚無感に襲われた。あの女の人が言ったことは正しかった。オレは……別の世界に来てしまったんだ。






「同情するわ」

 船が地響きを立てて動き出した。
 あれから丸一日が過ぎた。船の修理を終えて、ミオはいよいよこの世界を離れるために船のエンジンを起動する。だがライムは、コックピットの片隅にうずくまったまま塞ぎ込んでいた。
 ときどきミュウが元気づけようとしてくれた。「私の顔に目玉はいくつありますか?」という、非常に変わったゲームを仕掛けてきた。ふたつに決まってるだろ。ライムが顔をあげてチラリと見れば、ぎょろりとした無数の目玉がミュウの顔を埋め尽くしていた。思わずビクリと肩が跳ねた。普段なら悲鳴をあげていただろうが、そこまで反応する元気はなかった。
 ミオは航行システムを操作しながら、振り向きもせず淡々と声をかけた。

「でもそれが運命だと思って、諦めるしかないときもある。あなたもいつか受け入れられるわ、たとえ今は無理でも……落ち着くまでは追い出したりしないから、安心してちょうだい」
「嫌だ……オレはマドカのいる家に帰るんだ……」掠れた声を絞るように言った。「オレは元いた時代に戻れるのか?」
「あいにくだけど、きっと誰もあなたの望みは叶えられないと思う」
「なんでだよ」ライムは顔をあげて、声を荒げた。「未来にもセレビィはいるんだろ? これだけ凄い機械がたくさんあるなら、タイムマシンは? なあ頼むよ、帰る方法を教えてくれ、オレは家に帰らなきゃいけないんだ!」

 ぞわ。
 嫌な寒気で背筋が凍った。なにか致命的な、間違ったことを言ってしまったのでは。そう思わされるほど、肩越しに振り返ったミオの目は、深い怨念で濁っていた。

「あなたは『時間戦争』を知らないから、そんなことを軽々しく言えるのよ。本当にひどい戦いだった。時間の川は一本しかないのに、みんなが自分勝手に歴史を変えて、好きな線を引きたがる。そのせいで私の世界は荒れ果ててしまった。時の流れの中で暮らしていた大勢のセレビィが死んだわ。危うくディアルガも命を落とすところだった。だから終戦後、時間技術は厳しい規則の下で封印されたのよ。そんな矢先で、たかだか迷子のポケモン一匹のために、政府がタイムマシンを貸すと思う? セレビィが親切に協力してくれる? まさか。同情の言葉を頭に添えて、断られるのがオチでしょうね」

 ひとしきり告げると、ライムは再び黙り込んだ。
 思わず熱くなってしまった、やはり言い過ぎたかな。ミオはチクリと罪悪感に苛まれつつも、それで正しかったのだと自分に言い聞かせた。いずれ直面する現実なら、今のうちにすべて知っておくべきだ。おぼろげな希望にすがって、ずるずると痛みを引きずらないように。
 ミオは光子の操縦桿を握りしめた。

「発進せよ」

 号令に従ってエンジンが唸り始める。船は湖から飛び立ち、両端の翼機から光線を放った。それは空間に大きな穴を開けて、ウルトラホールへと続く道を作り出した。
 無事にウルトラホールの流れに乗ると、船は光速で走りだした。ここまでくると、ミオは操縦を自動モードに切り替えた。あとのことは機械に任せて、目的地までのんびり本でも読みながら過ごそう。それできっと暗い気が紛れるから。
 ひとり残されたライムは、おそるおそる顔をあげた。何を見るでもなく、ぼんやりと宙を眺めている。
 マドカのやつ、今ごろどうしてるかな。心配、してるだろうな。それともまだ怒ってるかな。オレが台本を……マドカの大事なものを、めちゃくちゃにしてしまったから。
 もう二度と会えないって知ったら、どうするかな。やっぱり……落ち込むだろうな。泣いて、叫んで、ポケモン演劇部もやめちまって。でもいつかは立ち直って、前を向けるようになるんだろう。新しいポケモンを迎えて、大人になって……オレときたら、もう二度とマドカの隣にはいられないのか……。

「泣いているのですか?」

 逆さまに浮いているミュウが、視界の上からニュッと顔を出してきた。今度はライムも短い悲鳴をあげた。そして慌てて目尻を拭い、キッと目を鋭く尖らせた。

「そうやって脅かすのやめろ! さっきの目玉の奴もちょっとビックリしただろ!」
「ご気分はいかがですか?」
「良くなった! これで満足かよ」
「あなたのお役に立てて何よりです」

 あまりにも素直な物言いで返されるので、ライムもすっかり毒気を抜かれてしまった。
 途端に、腹の音が、とても大きな腹の音がコックピット中に鳴り渡った。丸一日なにも食べていないのだから、にしてもこれは大きい。ライムは恥ずかしくなって、ミュウに背中を向けた。

「私のセンサーが空腹を検知しました」

 分かった。どうやらこのミュウはパーソナル・スペースという概念を理解していないらしい。
 容赦なく顔を覗き込んでくる人工知能に怒鳴るだけ無駄と悟り、ライムは観念して唸った。

「そうだよ、オレは腹が減った。なんか食べたい」
「私のデータベースには、あらゆる世界の名物料理がインプットされています。ご所望とあれば何でもご用意できますよ。アローラ地方のマラサダ、テメレイア帝国のブラッド・カレー、フェルモス公国のロイヤルティー、それからメガロポリスのシャイニング・カップケーキに……」

 がッ。
 ミュウの小さな肩を掴む、これまたライムの小さな手。その力たるや凄まじく、人工知能がある種の危機感を覚えるほどであったという。
 蒼い瞳に迫るライムの目は、これまでになく煌めいていた。

「そ、そのカップケーキが食べたい!」

 これまでで一番力強く言い放った。

きとら ( 2021/03/13(土) 18:58 )