Mind of Discovery
最終話 “夜明け”
20

航界日誌 地球暦2249.08.05
記録者 ハーヴィー・ブライス大佐

ライアン・シンジケートの戦艦ブラックシティを制圧し、ライアン及びコントロールの両名を含めた乗組員全員を拘束した。指名手配犯の大半は戦闘中に小型艇で脱出したが、後始末は他の艦隊に任せることとする。
残る問題は、懐かしき艦隊士官をどう扱うか。彼女に最後に会ったのは、私がまだ学校に入る前のこと。新天地で友達ができるか不安がっていた私を撫でて、優しく励ましてくれたのを覚えている。
こういう立場でなければ、気兼ねなく再会できたのだが……。


「あのね」ミオは髪をかき上げながら屈んで、シェイミに顔を近づけながら言った。「私はご主人様じゃなくて、友達なの。分かる? 友達」
「はい」
「友達は友達に命令するの?」
「いいえ」
「じゃあ私にお伺いを立てるのはやめて」
「わかりました」
「よろしい!」

 立ち上がったミオを追って、シェイミはベッドに飛び乗り顔を上げた。

「ミオさま、なにかしてほしいことはないですか?」
「……話聞いてた?」

 これは道のりが遠そうだ。ミオはやれやれと肩をすくめた。
 とはいえ彼女が従順になりたがるのもよく分かる。仲間を殺され、売り飛ばされ、自分は娼館に放り込まれ、徹底的に痛めつけられた。元の自分を取り戻すことは難しいだろうが、時間をかければきっと……。

「じゃあ膝に乗って、なにかいい香りを出して、私を癒やしてくれる?」と言って、ベッドに腰を下ろしたミオの膝に。
「よろこんで!」シェイミはぽてちんと飛び乗った。

 それで、とミオは視線を上げる。窓際にずらりと並んだホログラムの端末。イヴが何やら膨大な計算をしているようだが、結論が示される度、腕を組んで悩んでいる。何をやっているのか聞いても「まだ確実なことが報告できません」の一点張りで教えてくれない。
 ミオはシェイミの背中をわしゃわしゃと撫でながら言った。

「もう諦めたら? 何回やっても結論が出ないんでしょ?」
「そうはいきません。ライムが正しい座標に到着できたか、確認する必要があります。そのためには、彼がワープホールに入ったときの状況を正確に再現しなくては」
「確かめる術はないでしょ。だから私たちは信じるしかないの、彼が帰れたと」

 それで納得しないのがイヴのいいところであり、悪いところでもある。しょうがないな、とミオは肩を落として、イヴを呼び寄せた。
 彼との議論もしばらくできなくなるかと思うと、少し寂しくなる。

「気になったのは、ライムが入った直後にワープホールが不安定になり、消滅したことです。あれは私の懸念した通り、技術の欠陥によるものでした」
「じゃあライムは、目的地に辿りつけなかったということ? それとも出入り口がなくなって、亜空間の中に閉じ込められてしまったのかしら」
「分かりません。もしも後者だとすれば、迅速な救助が必要です」
「それはちょっと心配ね……私にもデータを見せてくれる?」
「ただちに」

 ホログラムの画面が立ち上がって、ミオの前に膨大なデータが流れていく。その要所を目で追っていると、やがて彼女の眉間にできたシワが、徐々に深くなった。

「……これ、どこかで見た覚えがある」
「何がですか?」
「ここ。ほら見て、ワープホールの量子変動周波数」ミオが指を指すと。
「確かに」イヴは小さく頷いた。「我々がライムと遭遇した、あの時空異常現象とパターンが似ています。しかし、これらの間に合理的な関連性は認められません」
「そうかしら」ミオは顎を撫でて考えてから、ひとつひとつ検証するように言った。「ワープホールの座標が不安定だとあなたは言ったけど、それは出口に限った話じゃないでしょ?」
「もちろんです」
「であれば、入り口の座標が別の時間、別の空間に飛ぶことも考えられる」
「肯定します」
「私たちとライムが出会った時間と場所に飛んでもおかしくない」
「……可能性は否定できませんが、そのような確率は非常にゼロに近いかと」
「でも起きた。物理の法則が、まるで運命のように働いて。そうよ、これは因果の逆転だわ」すべてが腑に落ちたように、ミオは微笑みながらため息を吐いた。「ライアンが開いて、ライムが通ったワープホールは、入り口の座標が変わって、私たちと出会ったあの場所に移動した。つまりライムは、自分が帰るために開いたワープホールに落ちて、こっちに迷い込んでしまった! だからあのワープホールは、ちゃんとライムの故郷に繋がっているのよ」
「すべて憶測に過ぎません、しかし……論理的です」

 イヴはややふて腐れているようだった(ミオにはそう見えた)。何にでも合理的な証拠を求めたがるのは悪いことではない。
 だが。

「妥協するのよ、イヴ。それができたら、あなたはもっと人間やポケモンに近づける」

 そうしなければ、前に進めなくなってしまうから。
 起こってしまったことはとても悲しい。深い絶望の底に落とされて、何年、何十年と彷徨ってきた。もしも私が、もっと寿命の短い普通の人間だったら、諦めるのに長くはかからなかっただろう。そしてそれは、私を救おうとした相棒たちの意思を汲むことにも繋がる。
 彼らが私の幸せを願ってしたことなのだ。悔いはあるが、私もそれを受け入れなければならないだろう。
 ぴぽん。
 ドアチャイムが鳴った。いよいよ向き合うべき時がきたようだ。ミオは「降りて」とシェイミに促すと、ゆっくりと立ち上がり、服の袖と襟を正した。そして、ひとりで部屋の外に出た。

 *

「私のことを覚えていますか、提督」五十代を少し過ぎた辺りだろうか、ハンサムな紳士が言った。
「同じことを聞こうと思っていたところよ、ハーヴィー」

 ミオは彼と並んで通路を歩いた。背は自分よりも一回り大きく、制服の上からだと細身に見えるが、身体のたるみはどこにも見えない。顔は四角くて髪は短め、うっすらと蓄えた髭が威厳を持って見える。
 その横顔を伺いながら、ミオは目を細めていた。

「懐かしい。あなたを見ていると、ブライスのことを思い出すわ」
「曾祖母のことですね。初代プロメテウスのエンジニアだったとか、その仕事ぶりは奇跡の領域だと聞かされました」
「嘘じゃないのよ、彼女の起こす奇跡で私たちは何度も救われた。あなたにもその血が流れているようね」
「と言うと?」
「ブラックシティへの砲撃で助けてくれたでしょ」
「あいにくそれは、私の手柄じゃない。ミラクルワーカーの地位は、あなたの相棒に譲ります」
「あぁ……」

 誰が地球連合艦隊を呼んだのか気になっていた。確かに、イヴが私についてくると言ったときから、艦隊のスパイではないかと疑っていた。
 イヴの仕業だとしたら合点がいく。彼の不審な行動にも。

「ご存知だったんでしょう? それでも彼を傍に置いたのはなぜです?」
「疑ってはいた。でも……きっと私は、話し相手が欲しかったのね。人って誰でもそう、独りじゃ生きられないから」

 通路の角を右に曲がろうとすると、ハーヴィーに「そっちじゃありませんよ」と止められた。反対側へ進んでいく彼を追いながら、ミオは訝しげに尋ねた。

「……拘束室に行くんじゃなかった?」
「誰がそんなことを」ハーヴィーは顔をしかめて返した。「あなたは今までずっと艦隊に貢献してきた。たとえ離反しても、裏切り者はあなたじゃなく、艦隊の方だ」
「滅多なこと言わないで。時間戦争で艦隊は多くのものを失ってしまった、だから残ったものを守りたかっただけよ」
「だとしても、トリアージの期間が長すぎました。あなたもそろそろ救われるべきでは」

 思わず頬が引きつってしまった。目頭がじわりと熱を帯びて、顔を見られまいと俯きながら歩いていく。
 今までそんなことを言われたことはなかった。自分は異端者なのだと、自分でも納得してしまっていた。だから人から認められることなど、想像もしていなかった。
 ハーヴィーは前を向いたまま、はっきりと言った。

「仲間がひとり溺れている。その仲間を見捨てて安全を守るのではなく、全力で助けに行くのが我々艦隊です。もちろんあなたのことも。そのための計画も進んでいます。ぜひあなたにも加わって欲しい」
「計画って?」
「……『星の停止』に呑み込まれた仲間たちを、全員救助する計画です」

 今日という日を、私はずっと待ちわびていたのかもしれない。部屋に閉じこもった子供のように。誰かがドアをノックして、扉を開けてくれると信じて。
 またシルヴィとワイルドジャンパーに会えるかもしれない。正面から、堂々と、誰に恥じるでもなく。
 そう思った瞬間、ミオの足が止まった。

「提督?」ハーヴィーが振り返ると。
「その話を詳しく聞く前に、ひとつだけお願いがあるんだけど……聞いてくれる?」

 *

 プロメテウスの拘束室に並ぶ、バリアーの檻。そのひとつひとつに武器を持った人間や屈強な体格のポケモンたちが並んでいる。なにせ巨大な犯罪組織のボスと副官、その部下たちを捕らえているのだから、警備は多すぎるに越したことはない。
 その中には、もちろんライアンも含まれていた。

「居心地はどう?」

 ライアンは捕らわれてからずっと寝そべって目を閉じていた。ところがバリアーの向こうからその声が聞こえてきて、初めて起き上がってきた。
 他の囚人たちが檻の中で暴れたり、好きなだけ悪態をついているというのに、なるほどこの落ち着きぶりはボスの風格だ。とても基があのライムとは思えないが、それは経験がライアンを形作っているのだろう。
 会って、ミオはますます確信した。彼はライムとは違う存在なのだ、と。

「悪くない」ライアンは穏やかに答えた。「シンジケートの捕虜とは大違いだな、コントロールは捕らえた奴を拷問するのが趣味だった。その点、連合は道徳観に縛られている分だけ楽だな」
「ここから出たいとは思わないの?」
「出て、どこへ行くんだ。オレの帰りたかった場所には、もうライムが帰った。行き場はもうどこにもない。それなら自由でいるよりも、檻の中にいた方がいい。お前も気づいたらどうなんだ、自由も監獄に過ぎないものだと」
「あいにく、私にはまだやるべきことが残っている。だから自分を檻に閉じ込めている暇なんてないの」
「それは残念。では、もう二度と会うこともないだろう」
「あなた次第ね」

 ライアンはミオに興味を失いかけていたが、そらした視線を戻した。

「……オレに何をしろと?」
「ライアン・シンジケートを艦隊に組み込んで欲しいの。『星の停止』で家族を失った団員を特にね。もちろん、暴れるだけが目的の犯罪者は除いて。その振り分けができるのは、彼らをよく知っているあなたでないと」
「どういうことだ、『星の停止』に巻き込まれた連中を救うだと? そんなことは不可能だ」
「かもしれない。けれど、やっと艦隊は挑戦に向けて動き出したの。まだ小さな動きかもしれない、だからこそ大きな流れに変えなきゃ。そのためには、力を持った存在の協力が必要なの。あなたのように」

 確かに、シンジケートには『星の停止』で友人や家族を失い、艦隊に愛想を尽かして加わった団員が大勢いる。時間技術を向上させるという目的のもと、彼らは大いに役立ってくれた。結果は失敗に終わってしまったが。
 ライアンは心底ミオを疑っていた。つい先日まで敵だったオレに、助けを求めるだと? 信じられるものか。利用するだけして、終われば裁判で重罪を言い渡すのだろう。そうはさせるか。ライアンはせせら笑って。

「見返りもなくお前たちに協力しろとは、またずいぶんと虫のいい話だな」
「あなたの望みは監獄でしょ? なら、その枠を私が作ってあげる。それにあなたが協力すれば、刑罰も軽くなる。協力した全員がね。もちろん、一度でも裏切れば話は白紙に戻して、あなたは二度と日の目を見ることはなくなる。だからよく考えて。この場で切り捨てる前に。あなたが何者になるか、あなた自身で決めるのよ」

 言われて、ライアンは顔をそらした。これ以降、何を話しかけても彼が返事を返すことはなかった。
 ミオは肩を落として、「明日また来るから」と告げた。彼女の姿が見えなくなっても、ライアンはまだ床を見つめていた。
 以前にも、似たような話を聞いた覚えがあった。確か、そうだ、コントロール(インテレオン)が語っていた。
 曰く、自分が何者なのかは、何を成し遂げるかによって決まるのだという。彼女は自らの技を信じ、一流の殺し屋となることで、自分が何者なのかを決めたらしい。ならばオレは。帰郷の望みを失ってしまった今のオレは、いったい何者なのか。何を成し遂げればいいのか。
 オレは……。




21

「えも」

 静かなひと言が、体育館の舞台から響き渡った。プレイヤ学園のポケモンたちを支配するエモンガ番長の鋭い視線、静寂に潜む怒りの炎、そして全身からみなぎる気迫が、学園に来たばかりのお喋りな転校生トゲチックを黙らせた。
 調子に乗るんじゃねえぞ、小僧が。たったひと鳴きに込められたすべてが、周りの皆をヒヤリとさせる。一瞬、これが劇だと忘れる観客もいた。
 エモンガ番長がそれ以上何もせず、踵を返して舞台裏に下がっていくのを見て、どれだけの観客と演劇部員たちが安心しただろうか。マドカもこころなしか、舞台の脇で安堵していた。それと同時に、少し怖くもある。劇の後半では、生徒会の副会長役である自分が、あのエモンガ番長にもの申すシーンがあるのだ。
 下りてきたエモンガ番長、もといライムを「前半、お疲れ!」とねぎらいながら、マドカは彼を抱きかかえた。

「練習はイマイチだったのに凄いよ、何があったの?」マドカは相棒をテーブルに乗せると、タオルを渡しながら尋ねた。「役柄のことであんなに悩んでたのに、あたしビックリしちゃった。ねえ、ひょっとして……あのケンカのせい?」
「えも? ……えもえも!」

 ライムは汗を拭きながら、違う違うと首を振った。
 確かにあの時は思わず癇癪を起こしてしまった。しかし役がしっくり来るようになったのは、とてもそのせいとは思えない。もっと別の何か、まるで夢の中で大きな出来事を経験したような。たとえばそう、スパイ映画でよく見る潜入捜査だ。悪い自分になりきることに、それほど抵抗がなくなった気がする。
 何なんだろう……何か引っかかるな。

「ねえ、ライム」マドカは気恥ずかしそうに声を落として言った。「あたしもカップケーキのことはちゃんと気をつけるから、もう家出しても遠くに行かないでね」

 ライムが家出から帰ってきたあの日の夜、マドカは口から心臓が飛び出るほど仰天した。あのライムが、全身血まみれで帰ってきたのだ。すぐにポケモンセンターに運ぶと、血中からロズレイドの毒も見つかったという。これは本当に大変なことだと悟り、血の気が引いてしまった。
 思えば、ライムは小さい頃からずっと病院のベッドで過ごしてきた。だから自分の中でも、一度外れてしまったら歯止めが利かないのかもしれない。
 だから今を大事にしなきゃダメなんだ。ライムがどこか遠くへ行かないように、ここにいていいんだと思って欲しい。心の底から。
 演劇の中にも外にも、あなたの居場所は、ここにある。

「舞台が終わったら、一緒にカップケーキ買いにいこうね」
「……えも」

 少女とエモンガの小さな拳が、こつんとぶつかった。


Fin.

きとら ( 2021/05/02(日) 17:00 )