第四章 鏡像世界
第4話 ネクロズマ伝説


 暗い個室に、ジャラジャラと重苦しい鎖の音が響く。尻尾の炎で身を赤々と照らしながら、首に繋がれた鎖を引きずり、リザードンは頭を垂れた。新たな君主である少女ミオに、忠誠を誓った。
 リザードンは調教が難しいことで有名な種族だ。誇り高く、誰の下にもつかず、人類が支配する地球帝国においても最も自由な魔獣と称された。それが今は自分の物に。ミオはこの日をずっと楽しみに待っていたのだが、ぬいぐるみのように動かないツタージャを抱きしめながら、その顔は憎悪に歪んでいた。

「ウォーレンめ……あたしのジェンセン艦長をよくも……」

 こぼれる恨み言と一緒に、ミオの爪がツタージャに深く食い込んでいく。鱗を削り、裂けて血が流れても、ツタージャはひと言も声をあげなかった。悲鳴をあげたら最期、かつての親兄弟のように、全身の生皮を剥がれる生き地獄が待っている。どんなに苦しくても声をあげちゃダメだ、我慢しろ。我慢するんだ。
 その指先だけが、小刻みに震えていた。

「艦長はこのまま終わっていい方じゃない。英雄なんだ。あたしがなんとかして差し上げないと……」

 ツタージャを放り投げて、ミオはそのまま部屋を出ていった。
 彼女が何かに気を取られているおかげで、何事もなく済んだ。ツタージャは心の底から安堵のため息を吐いて、瞬間、ぽろぽろと溢れる涙が絨毯を濡らした。

「生きるのがつらいよ……たとえ今日を無事に生き抜いたとしても、明日は死ぬかもしれないのに、それでもぼくは生きなきゃいけないのかなあ?」

 あなただけは生きて。
 父と、母と、兄と姉たちが、揃って笑顔で遺した言葉が、小さな身体を押し潰す。もう誰も笑いかけてくれる家族はどこにもいないのに……。
 うずくまって震える小さな蛇の子の背中を、あたたかくて大きな翼が包み込んだ。

「俺たちは生きるんだ。いずれ必ず夜が明ける、そのときに死んだ皆の分まで俺たちが笑うために」

 そんな時代が来る訳ない。そんな心の声を、今だけは無視することにした。ツタージャは翼に身を寄せ、そのあたたかさに甘えて、静かに泣いた。

 *

 昔、人類がまだウルトラホールに進出していなかった頃、魔獣は小さなボールに入れて携帯されていた。画期的な拘束具であった。中からは開けられず、ボタンを押せば中で電流が流れて、どこでも心地よい悲鳴が聞けたらしい。
 朦朧とする頭で歴史を振り返り、ジェンセンは自嘲気味に笑った。今の自分がまさにそれだ。拷問ボールに閉じ込められて、日夜痛みを受け続けている。神経はたった二時間で限界に達した。気絶しているのに、全身をくまなく刺されるような痛みが走る。逃げ場がどこにもない。赤いサイレンが鳴り渡ると、苦しむ他人を見るのが大好きなルーナメアが制御盤のボタンを押して、また地獄が始まった。
 叫びすぎて喉がズタズタに裂けていた。指ひとつ動かすだけで激痛に悶えた。マシな痛みで少しでもごまかそうと、ボールの内壁に何度も身体をぶつけた。そうして永遠のような時間が過ぎて、夢か現実か区別もつかないまま、ボールの外へと引きずり出された。

「あなたたちは下がって」

 幼い声が言った。兵士たちは不満そうだったが、少女が何か囁いたあと、ため息を漏らして出ていった。
 ジェンセンはガクガクと壊れた人形のように顔を上げた。

「……少、尉?」
「えぇ艦長、あたしです」

 ミオが来たことよりも、彼女が差し出したボトルに飛びついた。ずっと飲まず食わずで拷問を受け続けた身体には、ただの水が何よりの癒やしだ。一滴も零すまいと無我夢中で喉に流しこみ、ボトルはあっという間にカラになった。

「大丈夫ですか?」
「少しはマシになったわ、ありがとう」ジェンセンはようやく身体を起こしたが、座るのがやっとだった。「あれから何日経ったの?」
「三日です」
「たったの……もう何ヶ月も放り込まれていた気分だわ」
「ウォーレンが上級士官たち全員に招集を。艦長も連れてこいと命じたので、あたしが名乗り上げました」
「奴に寝返った士官は?」
「ドクター・バークと保安主任ルーナメア、それから機関……いえ、科学主任になったブライスです。通信士レノードは分かりません、腹が読めなくて」
「何にしても味方が必要ね」

 震える足で立ち上がろうとするので、ミオは慌てて肩を貸した。

「もう少し休まれた方が……」
「あの男の下で無様な姿を晒すつもりはない。奴の目から光が失われていくところを見てやるまで、もう二度と膝を折ったりしないわ」
「……了解です、艦長」

 強く立ち上がる女の目には、復讐の炎がごうごうと燃え盛っていた。

 *

航界日誌 帝国暦2115.4.21
地球帝国戦艦I.D.F.プロメテウス
記録者 ナサニエル・ウォーレン大佐

艦隊司令部からの正式な承認を受けて、プロメテウスの艦長に就任した。乗組員は何の混乱もなく私に従っている。機関主任ブライスには内定していた通り、ブリッジ勤務のポストを与えた。科学主任の地位で、その知識を存分に役立ててもらいたい。
第三艦隊の指揮はI.D.F.ゲーチスのアウレリウス中佐に任せて、プロメテウスは極秘任務のため一時艦隊を離れて航行中。もしも私の計画が成功すれば、反乱軍をまとめて根絶やしにできるほどの力が手に入る。地球帝国の権威は絶対的なものとなるだろう。


「ネクロズマ?」

 上級士官たちが一堂に集う会議室。中央に浮かぶネクロズマのホログラムが、不気味に皆の顔を照らし出す。その末端の席には、やつれた顔のジェンセンもいた。
 素っ頓狂な声を出したのは、通信士レノードだった。彼は目をぱちくりさせて、さらに続けた。

「あれはただの言い伝えに過ぎませんよ、未だかつて誰もその存在を確かめた者はいない」
「いや、ネクロズマは実在する」ウォーレンは確信をもって言った。「伝説によれば、まだミチーナ帝国が栄えていた太古の時代、人類はソルガレオとルナアーラを従属させて、ウルトラホールの向こう側まで侵攻していたという。そのスピードは、たった数分でメガロポリスの世界まで到達するほどだったらしい。だがメガロポリスには厄介な守護神が居座っていた。それがネクロズマだ」
「本当なら確かに魅力的なお話ですがね。我々はワープライド航行技術を発達させたとはいえ、未だにそれと同じ距離を飛ぶにも数日はかかる」

 ばかばかしいと冗談じみた笑いを浮かべる彼を無視して、ウォーレンは続けて言った。

「ネクロズマの速度も当然それに匹敵する。しかもソルガレオとルナアーラが束になっても、ネクロズマには敵わなかった。アローラ地方の神殿に刻まれた壁画には、数多の世界を太陽のように照らす光の竜が描かれている。奴が無尽蔵のエネルギーを蓄えていることは間違いない。ネクロズマを捕まえれば、まさに夢のような力が我々の手に入るのだ!」
「なんてくだらないの」

 ジェンセンはゆっくりと立ち上がって、ここぞとばかりに言った。

「第三艦隊の艦長たちを殺して、この私を艦長席から引きずり下ろして、何を言い出すかと思ったら、なに、おとぎ話? サンタを信じる子供と同じじゃない」
「私もそう思っていた。この証拠を見るまではな」

 ウォーレンがホログラムに手をかざすと、光は形を変えて、ウルトラホールの地図を描いた。点在する無数の世界のひとつが赤く灯り、ある写真に紐付いている。それは光を失い暗闇に包まれた世界『ウルトラメガロポリス』に、人工の光をもたらすプリズムの塔、メガロタワーを遠くから写したものだった。多少ぼやけているが、先端にまばゆい太陽のような光の塊が見える。

「……何じゃこれは?」ルーナメアが肩すかしを食らったような声で言った。
「コンピュータ、画像をより鮮明に加工修正しろ」

 命じると、ピンボケした写真がくっきりと見えるようになった。光の塊だと思っていたものは、竜のような形をしていた。
 ルーナメアはますます肩を落とした。

「だから……何だと言うのじゃ?」
「これは『カネナリー商会』の情報屋が送ってよこした画像データだ。あそこは反乱軍の中枢だが、相応の金を払えば、出入りできる情報屋を雇える」
「ぼったくられてなきゃいいがの」

 せせら笑うルーナメアを置いて、ウォーレンは続けた。

「メガロポリスには光が存在しない。その理由は、ネクロズマが定期的にあの世界から光を吸い上げているせいだ。ネクロズマは無数の世界を渡り歩きながら、こうしてエネルギーを補給しているものと思われる。つまり奴を狙うなら、今が絶好のチャンスなんだ!」
「ただの戯れ言よ!」ジェンセンはついに立ち上がって吠えた。「これが真実だという証拠は何もない。ただの憶測だけで、プロメテウスを反乱軍の拠点に送り込むつもり? 冗談はよして! みんなもそう思うでしょう?」

 同意を誘うジェンセンから、士官たちが次々と顔を背けていく。ミオでさえ、不本意ながらも倣わざるをえない。ウォーレンはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。

「お前は拷問ボールの中で快適に過ごしていたから知らないかもしれないが、この調査は既に帝国艦隊司令部の承認を得ている。つまりだ……この計画に異を唱える者は、帝国への反逆を意味する。そこで聞くが、お前は反逆者になりたいか? 魔獣どもと同じ末路を辿らせてやってもいいんだぞ、ん?」

 手を回していやがった、このクソ野郎……!
 怒りで握りしめた拳を心臓の前に置いて、震えがちに敬礼する。帝国への忠誠の証。決してウォーレンなどにしたものではない。そのことを忘れるなよ。鋭いナイフのように殺意を込めた視線を送りながら、ジェンセンは席についた。






 機関部に鎮座する巨大な鉄の檻のような装置は、起源を辿れば百年ほど前に遡る。
 それは人類史上初めて反転世界への渡航技術を開発したことで有名な、ムゲン・グレイスランド博士が設計した飛行艇だ。魔獣の命ごと能力を貪り喰らう悪魔のような技術を備えて、ギラティナを全身串刺しにした挙げ句、巨大な檻の装置に閉じ込めて七日七晩をかけて苦しめた末に感電死させた。その死と引き換えに、飛行艇は反転世界を超える力を身につけたのだという。
 奴隷である魔獣たちが、泣き叫んで助けを乞うカクレオンを檻に連行していく。もちろん誰も聞き入れる訳もなく、ブライスは機関部での最後の大仕事にむしろ興奮を抑えきれていないようだった。

「技術は当時より飛躍的に向上してるッス。この装置はいわばプロメテウスの胃袋そのもの、余すところなく魔獣を消化して、能力ごと吸収します」
「ではこれにネクロズマを入れたら?」側で経過を見守るウォーレンが尋ねると。
「プロメテウスは無敵の戦艦になることでしょう。それこそどんな世界でもたった一発で焦土にできるほどの、絶対的な力が手に入るッス」

 現皇帝も抗えないほどの力が、な。ウォーレンの口角がいびつに歪む。
 檻の扉が重々しい音を立てて閉じていく。嫌だ! 死にたくない! 助けて! カクレオンがどれだけ叫ぼうと、その死を待ち望んでいる人間たちが着々と稼働準備を進めていく。彼らに逆らえない魔獣たちは、震えながら目を背けた。
 そして、ブライスはついにスイッチを押した。
 おぞましい悲鳴が機関室に響き渡る。赤い閃光が鉄格子から漏れて、ほとばしる電流がカクレオンを表面から焼いていく。皮膚から筋肉、骨、そして内臓に達して、地獄の苦痛と共に、その命に幕を閉じた。後には灰も残らず、光が収まる頃には、カクレオンは檻からいなくなっていた。

「ステルス航行システムをアップデートしました」ブライスは恍惚とした笑みを隠しもせずに、制御盤を操りながら言った。「いつでも起動できます」
「では始めろ」

 ウォーレンの合図で、ブライスはボタンを押した。とたんに船中で照明が不安定に点滅して、最低限の明るさでとどまった。プロメテウスの外観が揺らめいて、透明になった。内側からの実感はないが、モニターには完了の文字が踊っている。
 うまくいった。ウォーレンは満足げに頷いた。
 透明になったプロメテウスは、一路ウルトラメガロポリスへと向かう……。

きとら ( 2021/02/21(日) 19:30 )