第3話 ふたつの反乱
5
ドクター・バークは、かつて生物兵器研究の第一人者であった。それを決定づけた研究が、この『ヤドリギの種』である。
彼はカプセルに閉じ込めた種を披露しながら、嬉々として語った。これはウルトラホールの深淵で遭遇した、まぎれもなく史上最悪の生物兵器だ。
宿主に取り憑いて養分の糧にするだけでなく、宿主の脳神経に根を張り、種を効率よくばらまくために最適な行動を取らせる。はじめに寄生された宿主が鍵だ。体内に無数の種を生みながら、大勢の仲間のもとへ何食わぬ顔で戻り、身体ごと爆散する。そうして新たな宿主を一気に増やすのである。
種の繁栄に重きを置く種の遺伝子(プログラム)を、バークはさらに凶悪に書き換えた。基本的な行動原理は変わらないが、侵略過程に地球帝国の戦略をアップデートした。帝国の意に沿って、敵と定めた者たちを確実に感染させるために。
戦艦クロンキスト以外の船にも、種を宿した捕虜が次々と送り込まれた。彼らは戸惑いながらも戻ってきた同胞に手を差し伸べて、恐るべき種の餌食になった。
心地よい悲鳴が聞こえてくるようだ。ロレンシアは船長席から勝ち誇った笑みを浮かべていた。スクリーンの映像が乱れがちだが、混迷に陥ったクロンキストのブリッジがよく見える。
後ろで悲鳴が飛び交う中、フライヤは憎悪に満ちた顔で吠えた。
『よくも騙したです!』
「なんのことだか分からないが、困っているなら手を貸してやろうか? 帝国への忠誠を誓うのだ、そうすれば助けてやろう」
『それで勝ったつもりです? ミーたちが何の策も持たずにノコノコやってきたのだと思ったら、大間違いです! ギラティナ、今です!』
それを最後に通信が切れて、ロレンシアの顔から笑顔が消える。
最後に奴は何を呼んだ? ギラティナだと?
辺りに隠れている者がいないかどうか調べろ、と命令する暇もなく、船が大きく揺れた。座席のない者は立っていられず、短い悲鳴をあげて倒れ込む。ロレンシアも肘掛けにしがみつきながら、メキメキとひび割れる音を立てる天井を見上げた。遠くでグシャッと何かが崩れる音がした。
「第二デッキで船体が破損!」女性士官が慌ただしく報告した。「ギラティナが船体外部を引き裂いています! 亀裂から大勢の魔獣が艦内に侵入!」
「侵入者警報!」ロレンシアは立ち上がって叫んだ。「総員、武器を持て! 卑劣な魔獣どもを一匹残らず駆除するのだ!」
皆を勇める演説を唱えようと、ひと呼吸置いた途端、黒いモヤに包まれた触手のようなものが天井を裂いて、先端の赤い牙がロレンシアを串刺しにした。ギラティナの翼だ。
士官たちは艦長の最期よりも、天井の裂け目から覗いてくる赤く不気味な瞳を見上げて悲鳴をあげた。ギラティナは容赦なく蒼い炎を噴いて、戦艦チャレンジャーのブリッジを火あぶりにした。
ほら見たことか、魔獣を甘く見るから。プロメテウスのブリッジから、ジェンセンは肩をすくめた。
先頭のチャレンジャーが姿勢を崩していく傍ら、反乱軍の戦艦が次々と離れていく。艦内でヤドリギの種と戦いながら、帝国軍と一戦交えるのは無謀だと悟ったのだろう。ワープホールを超えて、一目散に逃げていった。
「追跡します!」ミオが勇んで言うと。
「待ちなさい」ジェンセンは余裕たっぷりに構えながら命じた。「チャレンジャーの状況確認が先よ」
「し、失礼しました」
頭を下げるミオにかわって、保安主任ルーナメアが制御盤のモニターを読み上げる。「シールドは消失、第一から第四デッキにかけて船体破損。生存者は多数ありますが、反乱軍とおぼしき魔獣も大勢乗り込んでいます」
そう。とジェンセンは呟いた。
急いで救助命令を下すと思いきや、チャレンジャーの窮状よりも肘掛けの埃が気になるようだ。しまいには欠伸をひとつ挟んで、ようやく命じた。
「兵器の照準をチャレンジャーのリアクターにセット。火力最大で発射」
「艦長?」ルーナメアが聞き返す。
ジェンセンはうんざりした顔で返した。「チャレンジャーは統制を失い、反乱軍に侵略されている。もはやチャレンジャーは地球帝国の戦艦ではない、ただの落伍者よ。せめて敵を討伐するために役立ててあげないと可哀想でしょう?」
「……了解しました」
ルーナメアの口角が禍々しく上がる。
兵器は好きだ。子供の頃はアルトマーレの古代兵器でよく遊んでいた。臆病で軟弱な弟をエネルギーの檻に閉じ込めて、彼の命を動力源にした。心地よい悲鳴に包まれながら、コクピットで昼寝をするのが楽しかった。
ボタンを押すだけで、たくさんの悲劇を生み出せる。その度に、えもいえぬ優越感が身体を満たす。守るよりも壊す方がいい、そのことに気づいてから、ルーナメアは魔獣の姿を捨てて人間になった。
高火力のレーザーは、驚くほどの細さに対して、チャレンジャーに壊滅的な衝撃をもたらした。機関部はひとたまりもなく蒸発し、爆発が連鎖的に船中へ広がっていく。じきにチャレンジャーはまばゆい閃光を放って、バラバラに崩壊した。
通信から聞こえてきた断末魔は一瞬だったが、ルーナメアはうっとりとして余韻に浸っていた。
6
航界日誌 補足
地球帝国戦艦I.D.F.プロメテウス
記録者 ギャレット・ジェンセン大佐
反乱軍との交渉は決裂したが、奴らは脅威にはならないだろう。ヤドリギの種ひとつで怖じ気づいて撤退したのがその証だ。連中との決着は、いずれ別の機会につけてやる。
しかしロレンシアは詰めの甘いクソ野郎だったが、最期に素晴らしい贈り物を残してくれた。彼の失敗を期待していたが、死んだ上に艦を乗っ取られるとは思わなかった。おかげで第三艦隊の旗艦とその統率者に空席ができた。今こそ地位を得るチャンスだ。
「ロレンシア艦長は死に、旗艦チャレンジャーは役目を失った。さて、問題は誰がこの空白を埋めるかだけど……」
会議室に第三艦隊の艦長たちを集めて、ジェンセンは高説を唱えた。
誰がリーダーとしてふさわしいか。今までどんな功績を築き上げてきたか。どれだけ自分の手を血に染めてきたか。
他の艦長たちは、性別や人種を問わず、いずれもジェンセンより年上だったが、逆らうのは得策ではないと感じていた。反乱軍に送る手土産を用意したのは彼女だ。ヤドリギの種を持ち出したのも彼女。いちはやくチャレンジャーの乗組員と魔獣たちを虐殺したのも。下手に異を唱えれば、各自意見を検討するため会議を一旦延期すると言われ、その帰路で背中を刺されることだろう。
彼女なら容赦なくやる。年長者たちはジェンセンを称えて、拍手を送った。今は彼女の勝ちでいい。いずれまた、ロレンシアのように失敗する時がきたら、次の席を狙えばいいのだから。
「プロメテウスを旗艦として、私が第三艦隊の指揮官に就任することに異論はないわね?」
「もちろんだ」I.D.F.ゲーチスの艦長を務める白髪交じりの初老の男、ドレッド大佐が、薄っぺらな笑顔で頷いた。「我々はあなたの命令に従います、ジェンセン艦長」
「では次の任務に向かいましょう」ジェンセンはタブレット端末を一瞥したが、呆れて放り投げた。「ロレンシアが予定していた任務はすべて棄却。交渉、貿易、取引、こんなもので反乱軍を止められる訳がない。しかし連中の拠点が分からない以上、こちらも攻めようがないのは事実ね。そこで数あるウルトラスペースからランダムに世界を選んで、ひとつずつ壊滅させていこうと思うんだけど」
「その目的は?」
「我々に刃向かう魔獣どもをあぶり出す。善良な者が苦しむほど、反乱軍は何かしら行動を起こすはず。準備が整っていようがいまいが関係ない、無慈悲な虐殺行為を奴らは黙って見ていられないのよ。バカな奴らねえ、しょせん民主主義なんて己の道徳観で自滅するしかないのに」
小さな頷きが広がっていく。反乱軍を嘲る声も聞こえる。
これでいい。ジェンセンは薄ら笑みを浮かべた。配下の艦長たちも満足している、こいつらにも恐怖と優越感を植えつければ尊敬が生まれ、私の体制は盤石なものとなろう。
「それでは、どの世界を空爆するか……」
話を前に進めようとした途端に、会議室の照明が落ちた。モニターはことごとく真っ暗になって、触れても反応しなくなった。完全に電力が絶たれていた。
ジェンセンは護衛の魔獣たち、ハクリューとジヘッドに警戒するよう命令を与えながら、携帯用の通信端末を握った。
「機関部、報告しなさい……機関部!」
応答が来ない。ジェンセンは続けて呼びかけた。
「ブリッジ、何が起きたの」
*
『ブリッジ、応答を! 答えなさい、何が起きているの!』
ジェンセンの怒鳴り声が通信を超えてブリッジに響くも、答える者はいない。ミオも、レノードも、その他の士官たちも皆、両手を挙げて制御盤から離れていた。あるいは、頭を潰されて床に倒れた者もいた。ルーナメアと、彼女の率いる魔獣部隊がブリッジを完全に制圧したのだ。
余裕たっぷりにリンゴを囓りながら、ルーナメアは船長席から答えた。
「問題ありません、艦長。すべては予定通りに進んでおるよ」
*
会議室の魔獣ふたり、ハクリューとジヘッドが互いに目配せを送る。そしてジェンセンたちに襲いかかる……前に、いちはやくジェンセンが光線銃で脳天を撃ち抜いた。
やられた! まさかこのタイミングでルーナメアが反乱を起こすとは。首謀者はきっとウォーレンね。バーニィを捕らえたことでしばらく大人しくなるかと思ったけど、甘かったわ。
「どうやら部下が反乱を起こしたようだね」ドレッドは髭を撫でながら落ち着いた素振りで言った。「ひとつお手並み拝見といこうか」
協力は期待できそうにないな。彼らに背を向けたまま、ジェンセンは鬼の形相で睨みつけた。役立たずどもめ。
ドアの外から物音が聞こえてくる。閉鎖されたドアの施錠を解除しようとしているのだろう。デスクに身を隠して、両手に二丁の銃を握って銃口をドアに向けながら、ジェンセンはその時を待っていた。
ところで、あえて他の艦長たちに黙っていたことがある。ウォーレンがこのタイミングで反乱を起こすからには、他の艦長たちが巻き添えになることも当然計画に入れるはず。つまり反乱の話は、他の艦にも通っている。
『アクセス承認、ドアロックを解除します』
コンピュータの応答に続いて、ドアが開いた。瞬間、会議室に『絶対零度』の突風が吹き荒れた。冷気はデスクに阻まれ、ジェンセンは難を逃れたが、他の艦長たちは上半身が真っ白に凍りついた。悲鳴をあげる間もなく、その顔は恐怖に歪みかかっていた。
こつ、こつ、会議室に足音がひとつ響き渡る。
「俺はねえ、艦長、ずっとこの時を待っていたんだ」ウォーレンは長身の銃を肩に乗せて、ヘラヘラと笑いながら言った。「お前がずっと目障りだった。あの日からだ。今頃は俺がプロメテウスの艦長になって、テメレイア帝国を征服した名誉を授かるはずだった。それをお前が横取りした」
「逆恨みはよして、私はただ目の前にあるチャンスを掴んだだけよ」
ジェンセンはゆっくりと立ち上がって、白いキュウコンを連れるウォーレンに向き合った。彼は銃を構えていなかった。どうせ『個人用シールド』を装備しているのだろうが、その勝ち誇った顔が癪に障るので、一発撃ってやった。案の定、人工のエネルギーバリアに阻まれた。
降参よ、とジェンセンは潔く銃を捨てた。
「いいでしょう、私は負けた。さっさと殺しなさい。でも覚悟することね、またすぐに次の反乱が起こるわ。あなたが皆に帝国の未来を描いて見せない限り、天下は長く続かないものよ」
「そうでもないさ、俺には計画がある。地球帝国に今よりも遙かに偉大な繁栄をもたらす計画がな」
ウォーレンはニヤリと笑って、銃を撃った。ジェンセンではなく、氷像と化した艦長たちを。氷は砕け、上半身を失った死体がバタバタと床に転がった。
撃たれると思って目を瞑り、キュッと息を止めた。だが、数秒経ってもまだ自分で息ができることに、ジェンセンは驚いていた。かわりにウォーレンの従えるノクタスとエルレイドに腕を掴まれた。
連行される寸前、すれ違い際にウォーレンが囁いた。
「今はまだ殺さない、お前にはやってもらいたいことがあるからな。だが喜べ、プロメテウスは第三艦隊の旗艦などでは終わらない。もっと上へ連れていってやる」
引っ立てられていくジェンセンの背中に、キュウコンはクスクス笑って「ばいばーい」と送った。