第2話 帝国憲法第四条
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地球帝国に戦艦は数あれど、魔獣たちにとってプロメテウスほど恐怖と悲しみに満ちた船は他にない。その理由のひとつには、放射線で顔の右半分が爛れている機関主任ブライスの趣味であろう。
奴隷を買うとき、彼女は決まって親子をセットで注文する。乗船後、ほどなくして機関部に呼び出し、決まってこう言うのだ。
「子供の前で殺し合いなさい。さもなくば、あたいの雄奴隷たちが子供を犯して殺す」
こんな世界でも純粋な愛を誓い合ったニドキングとニドクインには、この上ないほど残酷な死刑宣告であろう。怯える二匹のニドランたちに、彼らは愛情たっぷりに微笑んだ。精一杯の祈りを込めて。どうか子供たちが、今日という日を一日でも早く忘れて、前を向いて生きていくように。
泣きながら殺し合うニドキングとニドクインのショーを満喫しながら、ブライスはワイン入りのグラスを傾けた。
「相変わらず趣味が悪いな」
機関室を訪れたウォーレンは、呆れた目つきで言った。もちろん止めようとはしない。周りでは両親のどちらが生き残るか、乗組員たちが賭けていた。
「家族の絆が砕かれる瞬間は、何度見てもたまらないッス」ブライスはゾクゾクと昂ぶりながら答えた。「彼らは必死に子供たちを守ることで、この世界には愛があると信じているんスよ。笑っちゃいますよねえ、そんなものどこにもないのに。あるのは力による支配、ただそれだけッス」
「まったくの同感だね」
決着はすぐにもついた。ニドキングの拳がニドクインの顎を砕き、それから短い角を掴んで、床に叩きつけた。トドメを刺そうとしたが、血を吐いて苦しそうに唸る彼女を前にすると、どうしても拳を振り下ろすことができなかった。
情けない。ブライスは不満そうに頬を膨らませて、光線銃を抜いた。ニドクインは一瞬でレーザーに焼かれ、宙を舞う灰になった。そして護衛として側に立たせていた奴隷たちにこう命じた。
「ニドランたちを死ぬまで犯しなさい。なんなら最近溜まってる奴隷どもも混ざっていいわ。あぁ、でも一匹は残しといてね、あたいが今夜のおかずにするから」
「雄と雌、どちらを残しますか?」護衛のエレブーが尋ねると。
「どっちでもいいけど、手抜かりはしないで。絶望に打ちひしがれた子供がいいの。強いて言えば、よく鳴く方を残してちょうだい」
「おおせのままに」
へへへ、とエレブーたちは舌なめずりをして、生気の抜けた子供たちとニドキングを引きずっていった。
奴隷たちがドアの向こうに消えると、ウォーレンはようやくと言わんばかりに「少し話がある」と本題を持ち出した。ひとけのない作業用通路に誘い、辺りを見回して他に誰かの目が潜んでいないことを確かめる。
「機関部に勤めて、もう何年になる?」
「三年ッスね」
「妙だな。機関部の任期は、普通なら二年のはずだろう?」
「ジェンセン艦長が手放してくれないんスよ。この放射線地獄から抜け出したくて、奴隷たちの作業効率を大幅に高める成果を出したのに」
「見てたよ、さっきのショーを。あれも教育の一環か?」
「理由もなく痛めつければ、他の者は目をつけられまいと必死に頑張るッス」
「なるほどね……お前は暴力の本質を理解しているようだ。こんな優秀な人材を機関部に押し込めておくなんて信じられないな」
「そう思うんだったら、副長から艦長に進言してくれませんかねぇ」
「どうだろうな。じきに必要なくなるかもしれないぞ」
もったいぶった言い回しにブライスは首を傾げたが、その意味するところがすぐに分かった。
「もしも」ブライスはフフンと鼻を鳴らして言った。「仮の話ッスよ。あたいがブリッジ勤務を申し出るとしたら、副長は何が必要だとお考えですか?」
「いい質問だ」ウォーレンはあえてブライスから視線をそらして続けた。「これはあくまでひとつの助言として受け取ってくれ。第三デッキのパワーリレーから電力サージが発生すれば、来週の今頃にはきっと君はブリッジで働けると思う」
「第三デッキには、上部デッキのメインパワー・ジャンクションがあるッスよ。独立したサブパワーユニットがあるブリッジ以外は、第二から第七デッキまで完全にパワーダウンしてしまう。そんな大事故が起きたら大変ッスね」
「そう、大変なんだよ。起きたとすればな」
ブライスが機関部での勤務を嫌がっているのは知っていた。彼女の他に機関部を効率よく動かせる人材がいないとの理由で、ジェンセンが押さえつけていたことも。
他人の不満は利用するに限る。案の定、ブライスはふたつ返事で快諾してくれた。
*
勤務を終えて自室に戻ったウォーレンを、九つの白いカーテンのような尻尾が艶めかしく迎えた。ベッドの上から誘うように揺れる。アローラ地方特有のキュウコンだ。
部屋の明かりを薄く落として、服を脱ぎ捨て、ベッドに潜る。キュウコンは白く甘い吐息を吐いて、彼の耳元で囁いた。
「どう? 計画は順調?」
「ブライスが味方についた。もう成功したも同然だ」
「よかった。わたし心配してたのよ、元々は機関部のバーニィが細工してくれるはずだったのに」
「通路で下見していたところを捕まったらしい。バカなエースバーンめ、あれほど気をつけろと言いつけておいたのに」
カチャカチャと、なにかの金具が音を立てる。
「でも大丈夫なの? 捕まったバーニィが吐いたりしない?」
「奴を拷問しているのはドクターだ。彼もこの計画に賛同している、女を大勢あてがっている限り奴は裏切らんよ。あとはバーニィが拷問ボールの中でくたばるのを待つだけだ」
「そう、なら良かった……」
腹を見せて誘うキュウコンに、男の陰が迫っていく。暗闇の中で艶のある息を漏らしながら、キュウコンは鳴いた。
「ねえ、わたし艦長の奴隷になるのは初めてよ。なにか勉強しておくことはない?」
「お前はそのままでいい。ただ覚悟しておけ、俺が艦長になった日の夜は、生涯かけても癒えない傷を刻みつけてやる……お前は俺の、俺だけの所有物だ」
「んッ……ふふ、楽しみ……あっ」
夜は静かに、少しずつ更けていく……。
4
航界日誌、帝国暦2115.4.18
地球帝国戦艦I.D.F.プロメテウス
記録者 ギャレット・ジェンセン大佐
我が艦は予定通りに第三艦隊と合流を果たした。帝国艦チャレンジャー、フロンティア、ゲーチス、ホクラニと共に、これより反乱軍とのランデブーポイントに向かう。
「ジェンセン艦長」通信士レノードが言った。「旗艦チャレンジャーより通信、ロレンシア艦長からです」
「スクリーンに出して」
ジェンセンが命じると、正面にでかでかと色黒の男の顔が現れた。
『もうじき反乱軍との合流地点に到着する。そろそろ君が持ってきた手土産の準備をしておけ』
「それは良かった。それにしても、どうして『奴ら』はまだうちの艦の酸素を吸っているの? 手土産なら生首転がすだけでも十分でしょ?」
『いや不十分だ。無益な反乱の結末を思い知らせてやらなければならない』
「律儀なのねぇ」
それは皮肉だと向こうにも伝わったことだろう。私ならこんな回りくどいことをせずに、もっと効果的にやる。しかし我を通したのは画面越しの男、ロレンシアだ。第三艦隊を率いる王の命令には従いましょう。ジェンセンは深々と頭を下げた。
どうせ失敗するだろうがな。顔を上げる頃には緩みきった頬を直して、冷徹な顔で繕った。
「ジェンセンより保安部。クラリエンスで捕らえた反乱分子を、医療室まで護送しなさい」ちょうど通信で指示を送ったところで、ミオが報告を入れた。
「艦長、前方にエネルギー反応を確認しました。メガロポリスとテメレイア帝国の合同艦隊です」
「反乱軍ね」
それでは、お手並み拝見といきましょ。ジェンセンは気だるそうに足を組んで、高みの見物を始めた。
*
ルカリオには、先祖代々受け継がれてきた逸話があった。
かつて太古の昔、オルドランの大地がミュウの聖なる血で染められたときから、ルカリオの名誉は底に落ちた。
一族は『世界の始まりの樹』と呼ばれる大樹に暮らし、魔獣たちの平和の象徴であるミュウを守って生きてきた。だが卑劣なる蛮族の支配者アーロンは、「我々も平和を望んでいる」と言って、たったひとりで神聖なる大樹に足を踏み入れた。
はじめは信じる者はいなかった。しかし足しげく大樹に通い、傷ついた者を癒やし、そして侵略を試みる他の人類から大樹を守るために戦いもした。やがては当時の勇者と呼ばれ尊敬されていたルカリオと意気投合して、人類の中にも善良な者がいることを知った。
それからというもの、ルカリオはアーロンに『波導』の秘密を明かした。これは人間の中にも眠っている力だ。くしくもアーロンには波導使いとしての才覚があったらしい、みるみるうちに上達して、ついにはルカリオと並ぶほどに成長した。
だが、結末はある日突然訪れた。
大樹を守っていた三種の古代兵器、レジアイス、レジロック、レジスチルが突如暴れ出したのだ。樹は大火に包まれた。その理由に気がついたとき、ルカリオの胸には錫杖が刺さっていた。アーロンが愛用していた武器だった。
アーロンは彼らの信頼を裏切ったのだ。すべては世界の始まりの樹に伝わる、力の秘密と古代兵器を我が物にするために。
平和の象徴たるミュウが、無惨にも頭蓋を踏み潰される様を見せつけられて、私の先祖であるルカリオは血の誓いを立てた。必ず人類に復讐してやると。
「その意思は代々受け継がれている。この俺も含めて」
通路を歩かされながら、雄のルカリオことルークは生い立ちを語った。
まるで処刑場に連行される道中のようだ。せめて誰かの心に残れば。あるいは、人類に従う奴隷たちの目を覚まさせることができれば。一縷の望みも、前後を挟む大柄なサイドンやダイケンキには通じなかったらしい。彼らはただ黙って、機械のように正確なペースで進み続けた。
一番後ろから見守っていた赤毛の女、ルーナメアはせせら笑った。
「そんなことしたって無駄じゃよ、うちの保安部が従える魔獣どもは全員特別な処置を受けておる。彼奴らの耳は聞こえんし、言葉も話せん。受け付けるのはわしのテレパシーのみよ」
「知っている。だからお前に言ったんだ、裏切り者の一族よ」ルークは肩越しに振り返って、彼女を睨んだ。「俺は自分が何者か知っている。『ポケモン』の、『ルカリオ』だ。なのにお前は帝国に尻尾を振っている。かつては『アルトマーレの護神』と呼ばれた夢幻ポケモンの末裔であるお前が、どうしてだ。なぜ我々を苦しめる?」
ルーナメアは禍々しい瞳をさらに細く尖らせて、ぺろりと舌なめずりをした。
「惨めじゃのう、おぬしはまだくだらない動機づけに悩まされておるのか。いい加減に賢くなったらどうじゃ? 帝国に逆らうより、むしろ帝国で地位を築いた方がずうっと楽しかろうに」
「同胞の血で穢れた地位に、なんの意味もない。ただの誤魔化しだ」
「言っておれ。今はそうやって強がっておろうが、これからおぬしは凄惨な死を迎える。泣いて慈悲を乞うがよい、さすればひとつ助けてやらんこともないぞ?」
「お前の嘘は、もう聞き飽きている」
吐き捨てるルークの前に、地獄の門が立ちはだかる。それは医療室へと続くドアだ。
たくさんの悲鳴が漏れる死の顎が、ぱっくりと口を開けて、勇者ルークを迎え入れた。
*
第三艦隊がワープホールを抜けた先には、同じく五隻の戦艦が空に浮かんでいた。見渡す限りの青空が続いているが、天と地は海のように波立っている。まるで鏡を見ているようだ。
艦隊の先陣にはチャレンジャーの威厳ある巨体が立ち、傍目から見れば小さな反乱軍が今にも押し潰されてしまいそうだ。一触即発は言うまでもない。通信を先に送ったのは、チャレンジャーの艦長ロレンシアだった。
『こちら、地球帝国第三艦隊の旗艦チャレンジャーである。応答せよ。我々は対話に来た』
これを受けるは、反乱軍の部隊を率いるメガロポリスの船。名を、『クロンキスト』と言う。ブリッジには座席というものがないかわりに、空駆ける勇猛なシェイミが中央に立ち、通信を受け入れた。
「ミーは解放同盟軍から権限を与えられた代弁者、フライヤです! まずは交渉に応じてくれたこと、感謝するです!」
『当然のことだ。我々は平和を望んでいる、実際に今までもそうだった。それゆえ、君たちのこうした愚かな暴力行為には失望している』
「何を言うですか、ミーたちの同胞を何世代にも渡って虐げてきたくせに! ミーたちは多くを望んでいない。ただ自由が欲しいだけだ! 人類に脅かされず、平和に暮らす自由が!」
『そうしてやりたいのは山々だが、我々は無法者じゃない、法治国家だ。法による統治が何よりも優先される。最も遵守すべき帝国憲法の第四条には、このように記されている。帝国に逆らう種族は、例外なく絶滅されるべし、とね』
「なにが法治国家だ! ミーたちを力で支配しておいて!」
『法を破る者には相応の罰が下される。だがそれでは話がまとまらないのも事実だ、現に今そうであるように。そこで君たちとひとつ歩み寄りをしたい』
フライヤは肩眉を上げた。
「……歩み寄り?」
『そうだ。つい昨日のことだが、我々は異界クラリエンスで君たちの仲間を捕らえた。ルークという名前のルカリオだ、聞き覚えがあると思う。少々尋問させてもらったが、命に別状はない。彼の身柄を解放しよう』
「ちゃんと生きたまま? 彼は無事ですか?」
『言うまでもなく無事だ。記憶の改竄や脳破壊もしていない、何をされたかは戻った彼に聞いて確かめろ』
「条件は何ですか?」
無理難題を吹っかけてくるつもりだろう。フライヤはグルルと唸って警戒したが。
「先週、君たち反乱……失礼。解放軍は我々の基地を襲っただろう。その中に生き残りがいるはずだ。まあ遺体でもいい、とにかく故郷に返してやってはもらえないだろうか」
捕虜の交換か。それなら確かに条件は対等だが。
フライヤは下を向いて考え込んだ。もしかしたら、帝国は「交渉をした」という結果が欲しいのではないか。解放軍とて真っ向から帝国に反発している訳ではないと広めて、解放軍への支持を削ろうとしているのでは。
何にせよ、ひとまず交換を受けてみて、それから帝国の出方を見るしかない。なに、交渉した程度では解放軍への支持は揺らがない。それほどまでに人類は数多の世界から恨まれているのだから。
「分かったです、交換を受けるです」
『賢明な判断に感謝する。我々は既に捕虜を転送する準備ができているが、どうする?』
「支障ないです。こっちの拘束室から転送できます」
『では、三つ数えて転送することとしよう。タイミングは君に任せる』
じわりと肉球に冷や汗がにじむ。ぼくらを騙して、こっちの捕虜をかっさらう気ではないか。
周りに目配せを送り、青白い肌のメガロポリス人たちが答える。戦闘準備。いつでも帝国艦に向けて砲撃できるように。
フライヤは画面越しのロレンシアに向き直った。
「三……二……一……今です!」
*
クロンキストの転送室に光が溢れて、ルカリオがテレポートされてきた。そこへおそるおそるバシャーモとフーディンが近づいていく。
外見は同胞のルークだ、間違いない。だが様子がおかしい。転送室に現れるなり、振り子のように身体が揺れている。表情は虚ろで、せっかく解放軍の船に戻ったというのに、再会を喜ぶ様子もない。
「ルークさん……?」
バシャーモが尋ねると、急に彼はカッと目を見開いて、両手をめいっぱい天に掲げた。
「て、てててっててて、ててて帝国万ざざざい! 帝いいい国くく万歳いい! てて帝国ばばばん歳! 帝国よ、永遠なれ!!」
メキメキと頭蓋の割れる音がして、後頭部の破裂と共におびただしい植物の蔓が生えてきた。『ヤドリギの種』だ。遺伝子改造を施されたそれは、ルークの頭を食い破り、手当たり次第に蔓を広げては、その先端に生えた槍のような花から、小さな種子を植えつけていった……。