第1話 帝国戦艦プロメテウス
1
人類とポケモンが今のような関係を築き上げたのは、果たしていつの時代からであろうか。この問いに対して、ある歴史家はこう答える。遙かないにしえの時代、それはアルセウスとの遭遇から始まった、と。
ポケモンがまだ魔獣と呼ばれていた頃、長く栄えていた『ミチーナ』と呼ばれる地に創造神アルセウスが舞い降りた。アルセウスは見渡す限りの緑豊かな景色に感動していた。生命とはなんと力強く、たくましいのであろうか。
数ヶ月前、この地を巨大隕石が襲い、人類と魔獣は滅亡の時を待つばかりだった。アルセウスは渾身の力を尽くして巨大隕石を破壊したものの、破片が大地に降り注いで、森を焼き、大陸を砕き、川をずたずたに引き裂いた。命は助かったが、あとに残ったのは荒廃した不毛の大地だけだった。
哀れに思ったアルセウスは、森羅万象の力の欠片を『命の宝玉』に変えて、ミチーナの統率者に分け与えた。統率者は名を『ダモス』といい、彼はアルセウスの慈悲に深く感謝して、恵みに報いるための誓いを立てた。
「次に太陽が月に隠れるときまでに豊かなミチーナを取り戻して、必ずや命の宝玉をお返しします」
それから幾年月が経ち、約束の日が訪れた。ちょうど日食が始まった。太陽の輪郭が少しずつ月に喰われていく。
険しい岩山に建てられた神殿から見下ろす町の景色は、かつて隕石によって一度滅ぼされたとは思えない。青々とした畑には宝石のような野菜が実り、収穫の日を今か今かと待っているようだ。それを誇らしく思うと同時に、ここで暮らす人間と魔獣が羨ましくもあった。
「アルセウス様!」
神殿の奥からダモスが呼んだ。
「この日をお待ちしておりました」
「おお、ダモスよ。この世界は本当に美しい。死んだ大地が息を吹き返しただけでなく、命の恵みで溢れんばかりだ」
「ひとえにアルセウス様の慈悲によるものでございます」
「そなたら人間と我ら魔獣が力を合わせた結果だ、私はその背中を押しただけに過ぎない」
「ご謙遜なさらず。我らミチーナの民一同、みなアルセウス様に恩義を感じております。そこで今宵は町の復興を祝して、ささやかなおもてなしを用意しました。もちろん、命の宝玉もございます。さあ、どうぞ中へ」
日はすっかり月に呑まれ、松明の明かりを頼りにアルセウスは神殿の奥へと進む。不気味なほど静まりかえって、涼しげな風が頬をなでる。
そのせいだろうか、妙な胸騒ぎがした。しかしアルセウスはすぐに自分をたしなめた。人間の友を疑うなど、なんと愚かなことか。巨大隕石を破壊して傷つき倒れた私を、残りわずかな物資を惜しまず、ダモスが親切に介抱してくれたではないか。それにしても、祝いの席と謳いながら食べ物の匂いがしないのはなぜだろう。漂ってくるのは、むしろ焼けた鉄のような……。
やがて、大広間へと到着した。
「さあ、受け取るがいい!」
振り返ったダモスの顔は、見たこともない禍々しさを帯びていた。張りついていた穏やかな仮面を脱ぎ捨てたとたん、おびただしい数の雷がアルセウスを穿った。
「がぁァ!! ……だ、ダモス……貴様……!」
大広間に続く無数の通路から、電気を扱う魔獣たちがずらりと並んで、かわるがわるアルセウスに放電した。まばゆい雷光の狭間から、アルセウスが見た彼らの顔は、どれも苦痛と悔恨の念でいっぱいだった。魔獣たちは鉄の拘束具に縛られていた。たったひとりで逆らうライボルトがいたが、槍を持った人間に首を刺されて、あっという間に絶命した。
なんと惨いことを……アルセウスの怒りはみるみるうちに膨れ上がり、ダモスに向かって叫んだ。
「この私を裏切り、滅ぼそうとするとは、なんと愚かな!」
「宰相ギシンもあなたと同じことを言っては、この私に刃を向けた。すぐに殺してやったがな」
ダモスは薄ら笑いを浮かべて続けた。
「命の宝玉はただ恵みをもたらすだけじゃない、こいつは兵器にもなり得る。大火、洪水、雷、厄災をも操る力の前には、いかなる大国とて我々に平伏すしかない! 今や我々ミチーナの民こそが、お前たち魔獣どもを、この世界のすべてを支配するのだ!」
ダモスの指示が、周りの兵士を伝っていく。合図を受けて、高い通路から銀の水が流れ込んできた。それはアルセウスの純白な皮膚を無惨に焼き、次第に冷えて固まっていく。その間も放電の雨に打たれて、アルセウスの意識は深い闇の底へと飲み込まれていった。
完全に埋めてしまう前に、ダモスは「やめろ」と合図を送った。そして自らの剣を抜き、固まった銀の上を歩いて、かろうじて顔だけが出ているアルセウスのもとに迫る。
「偉大なるアルセウス、お前をただ殺しはしない。お前の血肉は私の糧となり、その骨や牙は研ぎ澄まされて聖剣に生まれ変わる。すべてを利用し尽くしてやる。その死をもって、私の支配する帝国が産声をあげるのだ!」
脳天に振り下ろした刃は、鈍い音をたててアルセウスの頭蓋を割った。飛び散る脳のかけらと返り血を浴びて、ダモスは恍惚とした顔で叫んだ。
彼の言う、帝国の産声であった。
「ダモス皇帝、万歳! ミチーナ帝国よ、永遠なれ!」
兵士たちの雄叫びと共に、何十匹もの魔獣たちが次々と刺されては、新皇帝への供物として捧げられていく。懇願も反抗も、すべては虚しく大広間に響き渡り、その断末魔は何百何千という年月を経た今の時代でも、大広間の中で耳を澄ませば、その残響が聞こえてくるほどであった。
人間と魔獣の共存関係は終わり、人類による支配の時代が幕を開けた。
2
航界日誌 帝国暦2115.4.17
地球帝国戦艦I.D.F.プロメテウス
記録者 ナサニエル・ウォーレン中佐
ウルトラホールの帝国領で反乱が起きたとの報告を受けて、第三艦隊との合流座標へ向けて進路を変更した。見た目からして虫けらのようなフェローチェどもが、我ら帝国に逆らうとは身の程知らずな連中だ。反逆者を皆殺しにするのが待ち遠しい。
その役に立つかどうかは分からないが、ドクター・バークが私と船長を拷問室に呼び出した。何やら新技術のお披露目があるようだ。
*
大きくて透明なボールの中に、エースバーンが閉じ込められている。涙をぼろぼろ流して、しきりに哀れっぽく鳴いて、出してくれと訴えかけてきたが、それを聞き入れる者はいない。
眉間に年季の入ったシワを寄せて、軍服の男ことウォーレンは訝しげに眺めた。
「これのどこが画期的なんだ?」
「まあ見ていてください」
興奮を隠しきれない白衣の男、バークは手元の制御盤を操り、ボタンを押した。するとボールの中から赤い閃光が弾けて、エースバーンが甲高い悲鳴をあげた。
全身の神経をくまなく針で刺されるような痛みが襲う。たまらず狂ったように身をよじり、少しでも痛みがやわらぐ姿勢を探したが、そんなものはない。指先ひとつ動かすだけで激痛が走る。涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らし、だらしなく涎を垂らし、しまいには失禁して崩れた。
それでも黒髪の女艦長ことジェンセンはまだ不満そうに口を曲げていた。
「この程度なら昔の鞭打ちと変わらないでしょ。ただ辱めただけじゃないの」
「鞭とは違います」バークはニヤニヤ笑って答えた。「鞭で叩けばそのうち痛みにも慣れてきますが、この装置は神経を直接刺激して、対象者が永遠に苦痛から逃れられないようにする。痛みのパターンは二十七もあるので、拷問者の好みに応じて違う痛みを与えることもできます。たとえばこんな風に」
バークが再びボタンを押すと、耳をピクピクと痙攣させながら気を失っていたエースバーンが、コイキングのようにビクンと跳ねてのけぞった。体内から臓器を食い破られる激痛が駆け抜けて、さっきよりも大きな悲鳴をあげた。
苦痛に喘ぐ様を見つめて、ジェンセンとウォーレンはようやく納得した。なるほど、これは確かに画期的だ。
「君の趣味も入ってるんじゃないか?」
ウォーレンが尋ねると、バークはただヘラヘラと笑ってボタンを押した。
今度は切断の痛みだ。突然上がらなくなった右腕を押さえて、エースバーンが「ミィ! ミィ!」と泣きながら叫んでいる。
「彼女は何をしたの?」ジェンセンが素朴に尋ねると。
「さあ」バークは肩をすくめた。「実験台に使える奴隷を募っていたら、機関室のブライス少佐から是非にと勧められた。あいつは怒らせたら怖い、きっとここに来る前にも相当ひどい目に遭っていたはずだ。ふふん、私の知ったことではないがね」
あらそう。
めそめそと泣きじゃくるエースバーンを眺めて、ジェンセンは鼻で笑った。
*
お披露目会を後にして、ブリッジへと向かう通路を進みながら、ジェンセンは次の任務のことを考えていた。ウォーレン副長が横からガヤガヤと報告を唱えているが、彼はいつも大したことを言わないので、耳を貸すだけ無駄である。
だが、今日はどうしてだか執拗に噛みついてきた。
「第三艦隊との予定に軍事演習が含まれていませんが、訳をお聞かせ願えますか?」
「後にしてちょうだい。今は任務に集中したいの」
「その任務とは?」
「あなたは必要な命令だけ遂行してくれればいいの、余計なことは知らない方が賢明よ」
「ではこちらから言って差し上げましょう。第三艦隊に与えられた命令は、反乱軍との交渉ではないですか? あの下等な魔獣どものはびこる世界との和平など、我ながら吐き気がする考えですが、違うならはっきりと否定していただきたい」
「あいにく答える義務はないの、副長」
あえて「副長」と強く言いやがった。すたすたと前に進んでいくジェンセンの背中を、ウォーレンは黙って睨みつけた。クソ女め、卑怯にも提督のベッドに潜って昇進しただけでなく、この俺を見下しやがる。ベッドを渡り歩くだけしか取り柄がない女の分際で!
ふたり揃ってブリッジに到着すると、士官たちが一斉に立ち上がって敬礼した。心臓の前に拳を当てて、「帝国よ、永遠なれ! ジェンセン艦長に栄光あれ!」と唱える。彼らの称賛を浴びながら船長席に向かうのは、さぞかし気分が良いことだろう。私もじきにその座につくがな。ウォーレンは近衛兵であるノクタスをわざと押しのけて、副長の椅子に座った。
「状況報告」ジェンセンが面倒くさそうに言った。
「現在はガンマ・セクターの第七区画を航行中です」操舵手を務める白髪の少女、ミオが振り返って答えた。
「コースを変えてちょうだい。ウルトラスペース『クラリエンス』に進路を設定、兵器を装填してスタンバイ」
「艦長?」
「……あなた、新兵ね?」
「はい。先週配属されました、ミオ少尉です」
「そうなの。少尉、まだ現場に慣れていないから今回だけは見逃してあげるけど、艦長の命令には疑問を挟む余地がないの。かの有名な英雄サトシの遺した言葉にこうあるでしょ? 服従は勝利をもたらす」
「了解しました、艦長。コースを変更します」
恐れるでもなく、むしろ尊敬を込めてミオは頷いた。
大抵は彼女のようにジェンセンの華々しい経歴を敬い、または畏怖を込めて従うが、ウォーレンには当てはまらない。むしろ嬉々として横やりを入れた。
「艦長、我々は第三艦隊に合流しろとの命令を受けています。あえて背いた理由を教えてはもらえませんか?」
どうせ答えない気なのだろう。
高をくくっていたのだが、ジェンセンはしてやったりな顔をして答えた。
「いいわ、教えてあげる。第三艦隊の目的は、反乱軍との交渉です。そのための材料をこれから取りにいくところよ」
士官たちの間にどよめきが広がる。
まさか、帝国が降伏を?
下等な魔獣どもと和解なんて、信じられない。
しかも事前に帝国からの贈り物を用意するのか?
ところが一番驚いていたのは、ウォーレン自身だった。まさか艦長自ら帝国の不名誉を暴露するとは!
その艦長にいたっては、これ以上説明するつもりもなさそうだった。噂はブリッジ以外にも広がり、ブリッジから最も遠く放射線に溢れる船底デッキの奴隷たちの耳にも届く頃になると、船は目的のワープホールに到着した。
異界『クラリエンス』は、豊かな鉱物資源に恵まれた暗黒の世界だった。唯一の光源は鉱石が放つ光だけで、岩タイプや鋼タイプの魔獣たちが争いもなく平和に暮らしていた。少なくとも、地球帝国の魔の手が伸びるまでは。
この世界を併合したのは二十年も前のこと。船の装甲に必要な鉱物資源が欲しい帝国は、当時ここを治めていたディアンシーを粉々に砕いて、衛兵メレシーたちを皆殺しにした。残った岩や鋼の魔獣たちは、圧倒的な軍事力の前に永遠の隷属を誓った。
「通信を開いて」
ジェンセンが命じると、通信士を務める白髪の男、レノードが快く応じた。
正面のスクリーンにくたびれたバンギラスが映った。
『帝国よ、永遠なれ……我々に何のご用でしょうか』
「執政官。あなた統治者に任命されて一体何年になるのかしら?」
『ええと……四年と半年、でしょうか……』
「その間に与えた地位と特権に何か不満でもあった?」
『滅相もございません。私は矮小な魔獣の身でありながら、閣下や帝国にはとても良くしてもらえました。心より感謝しています』
「そうでしょう? それなのに……どうして鉱物資源を反乱軍にも密かに渡していたの?」
あっけに取られたバンギラス。みるみるうちに青ざめて、牙をカチカチ鳴らして懇願し始めた。
『わ、私は抵抗したのです! ですが反乱軍は私の妻子を拉致して、協力するよう強制してきた! どうかお願いです、反乱軍から家族を救ってください、そうすれば帝国に絶対の忠誠を誓います! 徴税もお望みのままに厳しく取り立てましょう!』
「お前は一体誰に向かって……そんな口を利いている」ジェンセンは氷のように冷たい目で言い放った。「魔獣の分際でよくもぬけぬけと交換条件を出せたものだな。お前の家族など知ったことか、だが良いことを聞けた。反乱軍から妻子を救った暁には、我々で犯して可愛がってやろう。それこそ全身が使い物にならなくなるまで。そして動かなくなったら、最期は生きたまま岩の皮膚を剥いでステーキにでもするか? 我々の血肉となれるのだ、お前もさぞかし光栄だろう」
『あ、あぁ……おおぉ……おやめください、どうか、どうか……!』
「心配するな、お前にそんなところは見せられない。なぜならお前は、これから見せしめとして殺されるからだ」
ジェンセンが目で合図を送ると、ウォーレンはすかさず制御盤に触れた。それまでスクリーンの向こうで絶望に打ちひしがれていたバンギラスが、光に包まれて消えた。
制御盤のモニターに映る「Completed」の文字を見て、ウォーレンはニヤリと笑った。
「転送完了、奴を拘束室に収容しました」
「結構」ジェンセンは満足げに言った。「兵器の照準をクラリエンスの居住区にセット、火力は五パーセントに絞って発射。ここにいる反乱軍をあぶり出すわよ」
そこから先は、クラリエンスに暮らす魔獣たちにとって地獄だった。容赦なく降り注ぐ光が鉱石の街を爆破して、ちょうど屋外に出ていたイワークやクチートといった魔獣たちを生半可なレーザーで焼き払った。すぐに死ねたらどんなに楽だろうか。なまじ頑丈な身体はレーザーの熱波でドロドロに溶けて、それでもまだ死ねずに生きながらえていた。
彼らの悲痛な叫びは、他の無事だった魔獣たちを十分震え上がらせた。そして気づくのだ。反乱軍に協力したことは大きな間違いだった、と。
洞窟の奥に潜んでいた反乱軍は、ほどなくして魔獣たちに捕らえられてしまった。