第三章 ミュウツー
第9話 新時代の夜明け
 氷海にて、キュレムの上に、その巨体よりさらに何倍も大きなダイヤモンドがのしかかった。ディアンシーの『ダイヤストーム』だ。すべてをひと塊にして押し潰したダイヤの上で、ディアンシーは飛び跳ねていた。
「これがわたくしの力です! もっともっと大きくできますの!」
「倒したんなら島に戻ろうよ」戒められし小さなフーパが困った顔で言った。「海に落ちても知らないよ?」
「おいたは良くありません、皇女に仇なす罪は重いのです!」
「ひえ、おっかないなぁ」
 ポリポリと頬をかくフーパの真上で、爆発が起きた。二匹は揃って見上げて、未だ続く激闘の様子を眺める。
 ディアンシーはやれやれと肩をすくめて言った。
「おっかないのは彼らの方ですの」
 凶悪な『破壊光線』を振りまくレックウザを、ダークライが追跡する。隙あらば眠らせようと、黒い球体『ダークホール』を手に握っていたが、レックウザの逆鱗を買ったらしい。振り返るや否や、一瞬で牙を剥いて迫ってきた。食われる! 目を見張った、そのとき、島から飛んできた『波動弾』がレックウザをぶっ飛ばした。ルカリオだ。スタジアムの客席に立ち、命中を確認すると、ゼラオラと並んでマギアナに向き直った。
 すかさず体勢を立て直すレックウザだが、ハッと何かに気がついて、逃げるようにその空域から離れていく。飛び交う拳、返す拳。そのひとつひとつが衝突する度に、空間がひび割れて世界が揺れる。ミュウツーと魔神は決闘の舞台を宙に移して、魔神は縦横無尽に襲いかかる『異次元ラッシュ』を繰り出し、ミュウツーは『波動弾』をグローブかわりにして拳を返した。
 その速さたるや、見守っていたリオンを置き去りにするほどだ。島の西側で殴り合ったと思いきや、ひとつ瞬きをした直後、反対側でミュウツーが『波動弾』を飛ばして、魔神の巨体が爆発した。
 空いた手に『波動弾』を溜めなおすと、リングから飛び出してきた魔神の手がミュウツーの拳を握る。また潰されるのかと思いきや、ミュウツーの鋭い反射で魔神の手を蹴り上げる『メガトンキック』の方が速かった。
 すかさず魔神は手をリングに引っ込めた。かわりにリングから灼熱の溶岩が噴火して、ミュウツーに降りかかる。とっさに『サイコキネシス』のバリアを張って防ぎ切るが、その奥から撃ってきた『悪の波動』が、バリアごとミュウツーの身体を引き裂いた。
「だいじょうぶ?」
 ジラーチが心配して尋ねたが、ミュウツーは黙って頷くだけだ。傷はすぐに『自己再生』してきれいに消えた。だが心配は他にもあった。肩に掴まっているからこそ分かる、明らかにミュウツーの呼吸が乱れてきた。拳に乗せる『目覚めるパワー』の輝きも、徐々に薄れてきている。自分の力ではない分だけ、負担が大きすぎたのだ。
「奴め、思ったよりも隙がない」ミュウツーは魔神から距離を取りながら言った。「さすがにアルセウスの力を横取りしただけはある」
「負けちゃうの?」
「勝機はあるが、奴がそれを掴ませない。このままだと……」
 目前に現れるリング。中から漆黒の閃光『時の咆哮』が迫ってきた。逃げる時間もない! ミュウツーは額に『サイコキネシス』を一点集中させて、思いきり頭突きをかましてやった。
 直後、その背後に別のリング。ジラーチは叫んだ。
「あぶない!」
 空間ごと切り裂く『亜空切断』。ジラーチが『テレポート』していなければ、今頃は首が胴体から離れていたであろう。だが、ミュウツーが現れた空中には、魔神が拳を振りかぶって待ち構えていた。
 バカな、『テレポート』を引き寄せることもできるのか! 見開いた目が拳で埋まる。空間を震撼させるパンチが、ミュウツーの顔面を殴り倒した。分厚い氷を突き抜けて、海の底まで落とされる。ジラーチと揃って血を吐き、じわりと冷たい深海に赤が広がっていく。肩に掴まっていた手がふわりと離れたので、ミュウツーはその手を引き寄せ、抱えながら海底を蹴った。

 海面まで昇りながら、チラリとジラーチを見下ろす。小さな身体で、よく今までついて来てくれた。目を細めて、申し訳なく思う。勝つためには、さらなる無理を強いることになろう。
 ジラーチはそんな彼の顔を見上げて、うっすらと微笑んだ。
 氷塊に這い上がると、ミュウツーは息を整えて、天空に浮かぶ魔神を見上げた。もうアンノーンから受け取った『目覚めるパワー』も残り少ない。次の衝突が決め手になろう。
「地獄を見る覚悟はできたか?」ミュウツーが尋ねると。
「あとでご飯、ちょうだいね」その肩に掴まり直して、ジラーチはしかと頷いた。
 天に轟く魔神の咆哮。六つのリングが開いて、ありとあらゆる天災を呼び寄せていく。豪雨のように降り注ぐ海の絨毯爆撃『根源の波動』、振り下ろされた灼熱の大地『断崖の剣』、すべてを破滅に導く光の鉄槌『裁きの礫』。空が落ちて、海が割れる。あまりに強大な攻撃の数々は、幻影世界を崩壊に導いていた。
 これが最後だ。迫る脅威を前にして、ミュウツーは固く拳を握って、大声で叫んだ。
「ジラーチ、ジャンプだ!」
 拳を突き出すと同時に、短冊が輝き、ミュウツーとジラーチが消えた。
 現れた先は、ちょうど魔神の眼前。拳はその頬にめり込んで、すかさず消えた。次は背後。ミュウツーの『メガトンキック』が背中に刺さり、また消えた。攻撃しては消えて、また現れては攻撃し、消えていく。魔神の手では捕らえられずにすり抜けていく。まるで幽霊のように。
 だが、ジラーチの『テレポート』にも限界がある。リオンはその光景を見上げながら、嘲笑っていた。そんなに連続すると、すぐにジラーチがバテてしまう。そうなったら最後、フーパ様の天災攻撃が一斉に襲いかかってくるわよ。
 そうたかを括ってから、少しずつ、少しずつ、リオンの顔から笑みが消えていく。まだなの? そろそろよね? もう限界でしょ? そう思うたびに、事実を突きつけられていく。ジラーチの『テレポート』が終わらない。それどころか、ますます加速していくではないか。
「止めるなジラーチ、繋げろ!」
「んうぅ、うぅぅううー!!」
 息つく暇もない『テレポート』の乱舞。魔神を襲う拳のひとつひとつが重く打ち、衝撃が内臓を貫く。だが、ジラーチはもはや力尽きていた。このような瞬間移動は激しく脳を酷使する。それならばと、ジラーチはミュウツーの肩に喰らいついた。彼からサイコパワーを貪り、『テレポート』を撃ち続けた。
 力を使い、力を奪われていく度に、ミュウツーは意識が途切れかけた。眼球は充血し、鼻からとめどなく血が垂れている。限界などはとうに超えていた。波動も出せず、『目覚めるパワー』も底をついて、あとは握った拳で戦い続けるしかなかった。
「グルルゥゥ……ガァァア!」
 魔神が次第に押し返してくるようになった。もはやテレポートと拳の猛襲だけでは止められない。もうダメだ……ジラーチが諦めかけたとき、息を吐き尽くしたミュウツーが、微かにもれる声でささやいた。
「……呼べ」
 彼らを。仲間を。ジラーチははっきりと聞いた。
「ジラッ!」
 煌めく短冊。ミュウツーが魔神の頭上に現れたとき、彼は最後の力の一滴までを振り絞って、ひとつの小さな『波動弾』を作った。そこへ、たくさんの手や翼が添えられる。ジラーチに呼び寄せられた仲間たち。ラティオス、ラティアス、ルギア、ルカリオ、マナフィ、ダークライ、レシラム、ディアンシー、ホウオウ、ゼラオラ。それぞれが放つ渾身の力を、ミュウツーが『波動弾』に練り込んでいく。
 これはまずい! さすがの魔神も恐れをなして、逃げるためにリングを呼び寄せる。だが小さなフーパが割り込んでくると、自分のリングを大きく広げて、魔神のリングを飲み込んでしまった。
「逃がさないぞ、影!」
 その悪戯っぽい笑顔に魔神が吠えてもどうにもならず。真っ白な恒星のごとき、島よりも大きな『波動弾』を掲げて、ミュウツーは。
「く」
 勝ち誇った顔で大口を開けて。
「たばり」
 叫びながら。
「やがれェェエー!!」
 見上げる魔神の鼻っ面に、思いっきり振り下ろした。
 魔神を覆う、次元をも阻む漆黒の障壁は、白き恒星をほんのわずかな間だけ食い止めたが、あえなく焼き尽くされて、「アッ」と短く叫んだ魔神を飲み込んだ。それは夜を昼に変えて、さらにはあらゆる景色から色を消し飛ばすほど強烈な閃光が迸る。スタジアムは一瞬で原型を失い、天まで伸びる光の柱が、一帯の暗雲を水平線の彼方まで吹き飛ばした。
 ようやく光が収束して夜が戻ってくると、ついに魔神が崩れ落ちた。崩れたと言っても、魔神が瓦礫の底で膝を折っただけだ。無限のエネルギーを持つ魔神には、水泳で息継ぎをするようなものである。一息ついて、ここから再び立てば、ありとあらゆる天災を召喚して、この島ごと、世界ごとミュウツーを消し去るつもりだった。
 だが、魔神はもう詰んでいた。心身ともにすべてを出し尽くしたミュウツーは、そんな魔神の額に手を当てて、ニヤリと笑った。
「待たせたな、ジラーチ。飯の時間だ」
 肩にいたジラーチがふわりと浮かび、腹に隠された第三の眼が開いていく。本来であれば、千年彗星から莫大なエネルギーを吸収するための習性だ。その矛先を、魔神に向けた。
 ジラーチはすました顔で審判を告げた。
「いただきます」

 食事が終わったとき、魔神は目を回してすっかりノびていた。リングは転がり、もはや空間を超える力もない。その頬を、小さなフーパがツンツンと突っついて遊んでいる。それをディアンシーが「はしたないですわ!」とたしなめた。
 瓦礫の上に座って休んでいるミュウツーに、ルカリオが近づいてきた。
「幻影解放軍のほとんどを拘束した。城の部屋に閉じ込めてある」
「ありがとう」ミュウツーは一瞥だけ送って言った。「協力に感謝する」
「それなら、こちらこそだ」ルカリオはフッと微笑んで。「世界を超えて、我ら幻影の自由と存亡を懸けた戦いに勝った……などとアーロンに言っても信じないだろうなぁ」
 思わずミュウツーも笑いが込み上げてくる。だが同時に全身の痛みも襲ってくる。努めて笑わないよう我慢しながら、ミュウツーは「もうひとつ」と置いて尋ねた。
「ゾロアークの捜索はどうなっている?」
「なんとも言えないな」ルカリオは顔を曇らせて返した。「正気に戻ったマギアナと協力して、城中を波動とセンサーで探したが、それらしい姿はどこにもなかった。どうやらリオンが言ったことは本当みたいだ……残念だよ」
「あぁ、本当にな」
 ゾロアークは殺した。リオンはそう言った。たしか、アンノーンも同じことを教えてくれた。
 現実への帰還は満腹のジラーチに頼めば良いとしても、もう二度とあの耳障りな声を聞くこともないのだと思うと、少しだけ胸が痛む。
「それなら、これが本当に……あいつの最期だった訳か」
 ルカリオが慰めにもなればと、彼の肩に手を置いた。そのとき!
「とんでもない、俺は帰って来たぞォー!!」
 壮大な曲を奏でるオーケストラを引き連れて、ゾロアークが瞬間移動で現れた。しかも陽気に小躍りしながら。あんぐりと口を開けて固まっているミュウツーとルカリオに、彼はその口にフエン饅頭を突っ込んだ。
「力が戻った! ミュウツー君が魔神のフーパを倒したことで、俺は不滅の存在に返り咲いたのだ! これでもう何ひとつ怖くない!! 幻影は俺の奴隷だ!!」
「それはおめでたい話だな」ミュウツーが明らかに不愉快そうなドスの効いた声で返すと。
「もっと喜べよミュウツー君! 俺はお前に少なからず、些細ではあるが、恩義を感じてやっているんだ! あぁそうだ、俺としたことが、気が利かなくて申し訳ない。せっかく君は晴れて最強の英雄になったことだから、とびっきり美しい女どもを当てがってやらないといけないな!」
 パッと現れたミュウたちが、いじらしく、艶めかしく、ミュウツーにすり寄って誘惑する。ルカリオもそうだ。雌のルカリオに迫られて、まんざらでもない顔をしていた。ミュウツーは頑なに険しい顔をして。
「全部消せ」
「そんなこと言わないでくれよ」ゾロアークはウキウキしながら言った。「お祝いしたいんだ!」
「いいから、今出した幻影を全部だ!」
 やれやれノリが悪いなぁ、と不満をこぼしながら、ゾロアークはしぶしぶ幻影をしまった。オーケストラに、ミュウたち。そして雌のルカリオも。寄られていたルカリオは少しガッカリしていた。
 ミュウツーは深くため息を吐いて、顔を上げた。
「あまり言いたくはないんだが……」
「分かっている、もうしないよ」ゾロアークはニンマリと笑って続けた。「だが恩返しにプレゼントをひとつ贈らせてもらうぞ。それぐらいは受け取る度量を見せて欲しいね。なんなら、好きな望みを何でもひとつ叶えてやってもいい。世界の覇権、永遠の命、神をも超える偉大な力、まぁそんな欲望がミュウツー君にあればの話だがね」
「それなら、この幻影世界を、俺たちが離れた後も今のままにしておいて欲しい。いろいろ世話になったし、偶然とはいえ自我を持たせてしまった。この新しい世界と命に、俺は責任がある」
「おいおい何だね、そんなことか。それならもうとっくにそうしている、彼らは自由だ。我々が現実に帰ったら、この幻影たちもそれぞれの場所に戻っていくだろう。安心したまえ、この世界にとって今日が新しい歴史の幕開けとなった。解放軍の連中もこれで満足するだろうよ、もちろん罰は与えるがね。奴らを足の生えたヒンバスに変えてやる」
「ほどほどにしておけよ」
 何にしろ良かった。安心したとたんに、肩の荷が全部降りたように軽くなった。すると、手足の輪郭がうっすらと光り始めた。全身が輝きだしている。いよいよ帰る時間だ。
「名残惜しいが、最後に別れの挨拶でも……」
「必要ないだろう、みんな知ってる。みんな見てる」
 見渡せば、水平線の彼方から射してくる朝日を浴びて、同志のポケモンたちが並んでいた。ラティオスとラティアス、フーパ、ルギア、マナフィ、ダークライ、ディアンシー、ホウオウ、ゼラオラ、ルカリオ、そしてお腹がまんまるに膨らんだジラーチ。そしておそらくは、ここにいないが、エンテイとアンノーンたちも。
 光の粒子となって消えていくミュウツーは、最後に微笑んでこう言い残した。
「お前たちと共に戦えて、光栄だったよ」

 気がつけば、椅子に座っていた。そこは見慣れた自室、航界船プロメテウスの中である。まるで今までの出来事がすべて夢や幻であったかのように、実感がない。ぺたぺた触っても身体はどこも痛くないし、まるで居眠りから覚めた後のように頭がボウッとしている。
 通信用の端末に手を伸ばそうとして、やめた。一体このことをどうやって人に説明すればいいのか。ゾロアークに誘拐されて、幻影世界で大冒険した。その証拠は、何もない。
 やれやれ。ミュウツーはがっくりと肩を落とした。
「せっかく自慢できる話なのに、これでは誰にも信じてもらえないだろうな」
「じまん?」
「なにせ俺は、アルセウスの力を得た魔神フーパと戦って勝ったんだぞ? こんな勝利は他の……誰にも……真似できないだろうな」
 振り返ると、当たり前のようにとぼけた顔をしたジラーチが浮いていた。
 さて、ゾロアークのセリフを思い出してみよう。奴はなんと言っただろうか。恩返しにプレゼントをひとつ贈らせてもらうぞ。それぐらいは受け取る度量を見せて欲しいね。
「参った……船長にどう説明すればいいんだ……」
 お気楽にバンザイするジラーチを見て、ミュウツーは心の底から、頭を抱えるのだった。


To be continued...

きとら ( 2021/01/01(金) 00:01 )