第8話 ミュウツーの逆襲
沖合の絶海に小さな孤島があった。どんなに経験豊かな船乗りでさえ超えられない嵐の果てに、まるで台風の目のように穏やかな気候に囲まれて、その城はひっそりと建っている。ここはミュウツーの居城。しかし、自分とは違うミュウツー。城の主人は、無惨にも変わり果てた姿で、会食場の床に転がっていた。カッと見開いた目は驚きと恐怖に満ちて、絶命した瞬間がそのまま残っている。ミュウツーは、自分と同じ姿形の亡骸の目蓋をそっと下ろして、立ち上がった。
庭に続く門が、轟音と共に開いていく。その向こうには、ポケモンバトルの試合場が広がっていた。スタジアムを囲む照明に照らされて、四つの影が伸びてくる。銀髪の女怪盗リオン、その相棒アリアドス、死の怪鳥イベルタル、そして解き放たれし魔神フーパ。対するミュウツーは、ひとりで彼らに立ちはだかった。
「ゾロアークとジラーチはどこだ」
リオンは思わず吹き出して笑った。
「なぁに、それ。たった一匹で現れたと思ったら、言うことがそれしかないワケ?」
「どこにいると聞いているんだ、女」
「ゾロアークは死んだ。あいにくジラーチも用済みになったから知らないの、自分で探してみれば?」
「言葉に甘えて、そうさせてもらう」吐き捨てて、ミュウツーは拳を構えた。「貴様らの屍を踏み越えてな!」
ふ、ふふ……うふふふ、ふふふふ……!
スタジアムに響き渡る女の笑み。魔神の一瞥で舞い降りてくる六つのリング。
「威勢のいいセリフ、嫌いじゃないわ。でもねぇ……あなたひとりで一体何ができるのかしら」
大気を揺るがす鼓動。リングのひとつひとつが空間を歪ませ、ガラスのように亀裂が走る。そしてリングの間から、空間を突き破って幻影解放軍の仲間たちが召喚された。古代の狩猟王『ゲノセクト』、ロケット団の大幹部『仮面のビシャス』と邪悪なる時の妖精『セレビィ』、天空の竜王『レックウザ』、黒き英雄竜『ゼクロム』、アゾット王国の叛逆者『ジャービス』と従属する機械姫『マギアナ』、虚無の氷結竜『キュレム』。
錚々たる面子を前にして、ミュウツーの心臓は早鐘のように打っている。恐れているか。いいや違う。ただ、全身の血が騒いでいる。後で死んでも構わないから、今はどうしてもこいつらに勝ちたい。ミュウツーはその手に『波動弾』を抱えて、これまでになく享楽に委ねて、高らかに叫んだ。
「命を懸けてかかってこい!!」
意識の合間を縫って、『神速』のゲノセクトが迫る。鼻先に迫る甲虫の拳。ミュウツーはゲノセクトの下顎から『波動弾』を押し込み、空高くぶち上げた。それを追いかけようと飛び上がろうとするも、何かに足を取られてしまう。セレビィの『草結び』だ、地面から生えた蔓が絡みついている。
一瞬よろけた彼に、空からはゲノセクトの砲台光線『テクノバスター』とイベルタルの赤い息吹『デスウィング』が降り注ぎ、真正面からはマギアナの花舞う光学兵器『フルールカノン』が同時に襲ってきた。四重に張った『サイコキネシス』のバリアなどは紙切れ同然、あっという間に破られて、ミュウツーはスタジアムの壁を突き破って海まで吹き飛ばされた。
海に沈みながら、ピキピキと足先から石に変わっていく。ミュウツーは迷わず自らの膝から下を『サイコキネシス』でちぎり捨て……瞬間、すべてが凍りついた。キュレムの吐息、『凍てつく世界』だ。ミュウツーは腕力だけで氷を砕き、宙に飛び上がった。
海から出てきた彼に、雷鳴まとうゼクロムの突進攻撃『クロスサンダー』が刺さった。激しい電流の渦と衝撃にたまらず血を吐きながら、『メガトンキック』をその横っ面に思いきり叩き込んだ。さあ次だ、と振り返ったそのとき。
ボッ。
ミュウツーの口からダラダラと血が垂れる。見下ろせば、自分の腹に大穴が空いている。レックウザの『破壊光線』が通った跡だ。ミュウツーは天に昇っていく竜に手を伸ばすが、届くはずもなく、凍った海面に落ちていった。
凍った地に伏しながら、ミュウツーは足と腹を『自己再生』させる。だが魔神の配下たちはミュウツーを包囲して、それぞれが持ちうる最大の攻撃を準備していた。
「もう諦めろ!」ビシャスは勝ち誇った顔で言い放った。「お前には最初から無理な戦いだった、これ以上我々の手を煩わせるな!」
「所詮お前はひとりなのですよ」ジャービスも澄ました顔で続く。「いくら最強のポケモンと呼ばれようが、これだけの戦力には敵わない。城を支配していたミュウツーも、これとまったく同じ末路でした」
「知ったことか……!」
ミュウツーは這うように立ち上がって、『波動弾』を構える。四方八方から来る攻撃を防ぐ手段はない。であれば、せめてすべての力をこの一撃に込めて、魔神の頭を吹き飛ばしてやる。
「俺は、ひとりで戦える、最強のポケモンだ!」
虹色の閃光が走り、魔神の配下たちが一斉に光線を放つ。天地が震えて、巨大な爆発が水平線まで続く氷の海を割った。城に届いた衝撃波を、魔神のバリアが防いでいる。リオンはその隣りで、自らが解放されている実感を味わっていた。これですべてが終わった。これで、私たちは自由になった。これからはシナリオのない、新たな暗黒時代が幕を開けるのよ……!
空を仰ぐリオンは、口を開けたまま固まっていた。驚きのあまりわなわなと手が震える。宙にミュウツーが浮いているではないか! だが、彼自身も困惑しているようだった。その隣りにいるポケモンの名が、思わずリオンの口からこぼれ落ちた。
「ジラーチ……?」
ミュウツーを抱えて滞空するジラーチは、怒っていた。白い頬を紅潮させて、とても怒っていた。
「ひとりじゃない。ミュウツーは、ひとりじゃない! ぼくたちがついている!」
星空を舞うふたつのリング。それは魔神の持つものとは違う。小さな魔神フーパが、その中から悪戯っぽく笑いながら飛び出してきた。
「みんな、オデマシィー!」
フーパに続いて、ポケモンたちが現れる。水の都の護神『ラティオス』と『ラティアス』、海神竜『ルギア』、古の勇者『ルカリオ』、影の支配者『ダークライ』、白き英雄竜『レシラム』、ダイヤモンド皇国の皇女『ディアンシー』、海の王子『マナフィ』、虹色の聖鳥『ホウオウ』、雷鳴の申し子『ゼラオラ』。
混戦に臨む彼らを、ミュウツーは唖然としたまま遠目に見つめていた。
「あいつら、どうやって……」
「フーパ、ぼくを助けてくれた」ジラーチはミュウツーの肩にとまって、にっこりと笑いかけた。「みんな、キミを守りたい。みんな仲間!」
その眩しい笑顔を、ミュウツーは直視することができなくて、ぷいっと顔を背けた。震える拳を握りしめて、うっすらと口角を上げる。そして両手に『波動弾』を宿して、佇む魔神の姿を捉えた。
「ならばもう一度だけ力を借りるぞ、ジラーチ!」
「うん!」
音速を超える赤と青の翼。その背後を追う甲虫。ラティオスとラティアスは天空を舞台に、ゲノセクトと熾烈なドッグファイトを繰り広げた。
「クゥウ!」
「クォオー!」
兄妹は鳴いて合図を送り合う。とたんに、ラティアスはぐんと首を上げて宙返りした。ゲノセクトの後ろを取り、光弾『竜の波動』を放つ。だがゲノセクトはびくともせずに、前を飛ぶラティオスに『テクノバスター』で猛攻撃をかけた。青い翼が削れて、その身に一発直撃を喰らった。軌道が揺れて、墜落していく。だが氷の海にぶつかる寸前、持ち直して急上昇した。身体中に光のオーラをみなぎらせて、向かってくるゲノセクトに真正面から突進した。
一方、夜空は虹色と漆黒に割れていた。衝突するホウオウとイベルタル。再び離れて、イベルタルが赤い閃光『デスウィング』を放てば、ホウオウのまとう『聖なる炎』がそれを阻む。そしてイベルタルが『ゴーストダイブ』で闇夜に潜れば、ホウオウの光が闇からあぶり出した。
ゼクロムの『クロスサンダー』とレシラムの『クロスフレイム』がぶつかり、戦場に凄まじい大爆発が広がった。爆炎を突っ切って、ミュウツーは魔神へと一直線に飛んでいく。そして、身構える彼の腹に両手の『波動弾』をぶち込んだ。
「効くわけないでしょ、そんなもの!」
リオンは小馬鹿にしていたが、それを受け止めた魔神は後ずさり、苦しそうなうめき声をあげていた。今度はミュウツーが得意げに返す番だ。
「俺の攻撃には、すべてアンノーンの『目覚めるパワー』が乗っている。理屈は知らんが、超常的な怪物には超常的な攻撃が効くらしいな!」
スタジアムに降りて、魔神に追撃を喰らわせようと駆けていく。そんな彼の前に、土塊の巨人が立ちはだかった。島の一部を砕いて固めた、セレビィのゴーレムだ。ビシャスは声高々に唱えた。
「セレビィ、破壊しなさい!」
ゴーレムの口に莫大なエネルギーが集まっていく。そして目もくらむような眩い閃光が放たれた。しかしミュウツーは臆することなく、真っ向から立ち向かう。ニヤリと笑った、彼の両脇を抜けて、マナフィとルギアが一斉に『水の波動』と『ハイドロポンプ』で対抗する。バトルフィールドの中央で拮抗し、行き場をなくしたエネルギーが爆発を起こした。
爆風を駆け抜けて、ミュウツーはその右手に周りが歪んで見えるほどサイコパワーを凝縮する。それを観客席のてっぺんから、頭に狙いを定めるマギアナが構えていた。ジャービスは愛おしく彼女の頬を撫でながら、うすら笑みを浮かべて言った。
「ミュウツー、あなたは我々の計画に不要です。さようなら」
迸る桃色の閃光、『フルールカノン』。鋭く迫る光線に呼応して、雷鳴が轟く。ゼラオラの稲妻を携えた拳『プラズマフィスト』が、光線を殴り返した。ペロリと指先を舐めて挑発するゼラオラに、ジャービスはギリッと奥歯を噛みしめる。たかが仔猫が、生意気な……!
「フゥーパァァー!!」
視界を切って跳躍する白い影。ミュウツーと魔神は互いに拳をぶつけ、衝撃がバトルフィールドを吹き飛ばす。照明が砕けて、地面は割れ、その亀裂は深く島の底まで届いた。拳から弾ける虹色の輝き。『目覚めるパワー』が加わって、ミュウツーの勢いがさらに増した。
魔神は押されていたが、拳は他にも五つある。リングがミュウツーを取り囲み、一斉に拳が襲いかかった。瞬間。
「ジラーチ!」
叫ぶと、短冊がキラリと光って、リングごと拳が消え去った。そしてついに、ミュウツーの拳が魔神を豪快に殴り倒した。その時のミュウツーの顔ときたら。ジラーチの見た横顔は凶悪そのもの、だが心の底から楽しんでいるように見えた。
這いつくばる魔神の傍らに、消えたリングが次々と戻ってくる。その闘志は消沈するどころか、むしろ隆々とみなぎっていく。そこへ容赦なく顔面に『メガトンキック』を叩き込んで、ミュウツーは吠えた。
「さあ続けろ、怒れるお前の望んだ殺し合いだ!」