第三章 ミュウツー
第5話 光輪の超魔神
 さすがに連戦で疲れが溜まってきたのか、街に飛ばされるなり、がくんと膝をついてしまった。高層ビルの屋上から、ミュウツーは薄明るい夜空を見上げる。懐かしい排気ガスの匂いを肺にいっぱい吸って、ひとつ深呼吸をした。
「ここはどこ?」幼い声が尋ねた。
「見覚えはないが、おそらく……」
 言いかけて、ミュウツーは止まった。何だ今の声は。振り返ると、先ほどのジラーチがふわりと浮いて、くりっとした丸いおめめがこちらをジイッと見つめている。なあに、と不思議そうな顔をして。
 誰よりも驚いたのがゾロアークだった。空間からにゅるりと這い出てくるなり、絶叫してギャアギャアと喚き始めた。
「ちょっと待った! こんなの設定に入れてないぞ、お前どこから来た!?」
「ファウンスから」あっけらかんとジラーチが返すと。
「嘘をつけ、このペテン師が!」ゾロアークは顔を真っ赤にしてまくし立てた。「ミュウツー君、今すぐこいつを殺せ! こいつは恐るべき脅威だぞ、それこそアルトマーレを襲った怪盗姉妹や、ディアンシーのお姫様を狙うイベルタルなど可愛いものだ。こいつは我々を破滅させる悪魔だ!」
「お前が生み出した幻影だろう」ミュウツーは腕を組みながら返した。「自分で消したらどうだ?」
「それができるならとっくの昔にやっている」ゾロアークは居心地が悪そうに顔を背けた。「どうもリアルに創り過ぎた。どうやったのかは知らないが、このジラーチは俺の支配を克服した。今では一個の生命体だ。つまりこいつは……待て」
 ふと思い出す。このジラーチが、ファウンスの森で何をしたか。何をされたか。そしてミュウツーを見やった。
「……お前のせいだ!」
「俺の?」
「そうとも! お前がエネルギーを分け与えるからだぞ! こいつは言わば幻影と現実が混じり合った存在、混沌だ。なんてことをしてくれた!」
「そうなるとは知らなかったのだ。しかしそこまで怒ることもあるまい」
「この下等で能天気な人造ポケモンめ、まだ分からないのかねぇ! ジラーチを契機に幻影世界が俺の支配から離れた、この先に何が起きるのか予測もつかん! 今に恐ろしいことが起きるぞ」
 不吉な予感に呼応するように、遠くから獣の雄叫びが聞こえてくる。空には暗雲が渦を巻いて、不気味な稲妻が走っている。何かが始まった。ミュウツーは立ち上がりながら、ゾロアークに尋ねた。
「幻影と言えども本のようなものだ、物語が完結すれば俺たちは解放される。違うか?」
「言うは易しだぞ、このステージは俺の肝煎りだ」
「ステージはあといくつある?」
「ふたつ。このデセルシティと、最後にアルセウスの空間を用意しておいた」
「じゃあ話は簡単だ」
 全部ぶっ潰す。肩を鳴らして腕を伸ばし、休憩もそこそこに切り上げて、ミュウツーは口角を上げた。何が起きるか分からない。上等じゃないか、それでこそ戦い甲斐がある。
 やれやれとゾロアークは呆れていたが、方法はそれしかない。見送る前に、ひとつ彼の尻尾を指さした。
「行くのは結構だがね、そいつはどうする?」
 ミュウツーが振り向くと、ジラーチが尻尾の先にひっついていた。少しずつだがサイコパワーを吸っていて、満足そうに顔がとろけている。置いていくよりも、目の届くところに連れていた方が良さそうだ。それに。
「こいつを使わん手はあるまい」
 尻尾じゃなくて肩に乗れ、と促すと、ジラーチは喜んで飛びついた。「しっかり掴まっていろ」と告げて、ミュウツーは跳躍し、いざ戦場へと繰り出した。

 デセルシティの空には、ふたりの魔神が対峙していた。ひとりは小柄で幼く純粋、名を『フーパ』という。そしてもうひとりは怒りの力で破壊の欲求を抑えられず、街に滅びをもたらす、フーパの影。時空の境界さえ超える金色のリングから、時間、空間、そして反物質の神々を引きずり出して、影の怒りをその心に植えつけた。
 影は大声を轟かせた。
「消えろ! 消えろ!!」
「いやだ!」フーパは負けじと胸を張った。「フーパ、消えない! 影こそ消えろ!」
 影に対して、フーパもリングから海神ルギアを召喚する。それだけでも小さなフーパには精一杯だった。
 フーパと影の戦いは、雷鳴の轟きで火蓋を切った。迫りくるディアルガとパルキア、ギラティナは、目に赤々と怒りを灯して襲いかかってくる。ルギアはフーパを背に乗せて、色とりどりの光線をかい潜り、ビル群の合間を縫うように飛んだ。ひとつビルを左に曲がり、次のビルを右に曲がろうとしたところで、きれいに切断されたビルが、彼らに向かって崩れてきた。あらゆる物質を空間ごと切り裂く、パルキアの『亜空切断』だ。ルギアは身をよじり、急上昇しながら『破壊光線』を放った。
 瓦礫を蹴散らして天に昇ると、ディアルガが口を開けて待ち受けている。放つ漆黒の光線は破壊光線とはまた異質、『時の咆哮』と呼ばれる時間の奔流だ。ルギアは疾風をかき集めて、渾身の『エアロブラスト』をぶつけた。空間に亀裂が入り、幾重もの衝撃波が押し寄せてくる。その波に乗って、ルギアがディアルガから離れていくと、お次は反転世界の王だ。真正面から幽霊のようにスウッと姿を現したとたんに、蒼い反物質の業火球を放った。紙一重でかわしたと思いきや、ルギアの尻尾にかすり、その表皮がこそげ落ちるように消滅した。気流をコントロールする尾翼とともに。
 ルギアはたまらず甲高い悲鳴をあげて墜落していく。その瞬間を、フーパの影が襲ってきた。リングから生えてきた灰色の手が、竜の背中にしがみついているフーパを握り締めようとして……空を切った。

「んうーっ……え?」
 痛みを覚悟して目をギュッと閉じていたフーパは、おそるおそる目を開ける。
「イレギュラーも悪くないな」フーパを抱える白い手の主が言った。「よくやったぞ、ジラーチ。お前の物質転送能力は役に立つ」
「えへへ」
 フーパはとっさにミュウツーの手を弾いて逃げようとした。だがミュウツーの『サイコキネシス』に捕まると、今度はギャアギャア喚き出した。
「離せー! フーパ、消えないー!」
「落ち着け、俺は味方だ」
「嘘だ! フーパ、お前なんかオデマシしてない!」
「した事にしろ。お前を連中から救ってやろうと言うのだ、大人しくしていればあっという間に終わるぞ」
 ジタバタしていたフーパが、ようやく静かになった。まだ疑ってはいるようだが。
「……ほんとう?」
「嘘ならとうの昔に引き渡している。それでも逃げてみるか? そうなるといくら俺でも守りきれんがな」
 フーパはジロジロとミュウツーを見定めた。自信たっぷりな顔、細い四肢にみなぎるサイコパワー。その背中には……黄色いお星様? しかし影の気配を感じない。彼の言っていることは本当なんだ、と悟ると、ジワリと目尻に涙が浮かんできた。
「影、嫌い。影、フーパを消そうとする。そんなの嫌だ、だからフーパ、お前をオデマシしたことにする!」
「そう来なくてはな。俺の肩に掴まれ……空いている方の肩に」
 片方ジラーチに占拠されていることを忘れていた。フーパがひしっと掴まると、ミュウツーはビルから飛び立とうとして……やめた。「どうした?」とフーパが尋ねると、答えを聞かずとも理由はすぐに分かった。
「まずは貴様だ!」
 ずん。ミュウツーの拳が、コンクリートの床を穿つ。するとビルではなく、空間そのものが割れて、漆黒の翼ごとギラティナを引き抜いた。悲鳴をあげるギラティナに、ミュウツーは凶悪な笑みを向けて。
「消し飛べ、トカゲ野郎!」
 閃光、迸る。次いで大気を揺るがす轟音。衝撃波。『サイコブレイク』の波動を零距離で浴びたギラティナは、ビルをふたつ、みっつと突き抜けて、海面を抉り、遥か沖合の海まで吹き飛んだ。余韻に浸りたいところだが、ミュウツーは視界が真っ白になった。『亜空切断』と『時の咆哮』の挟み撃ちだ。時空が歪み、ミュウツーは世界を認知できなくなった。だが受け止めた。『サイコキネシス』のバリアを張るが、時空の奔流は止まらない。バリアはゴムボールのように歪んで、これ以上抑えきれない!
「ジラーチ!」
 ミュウツーが叫ぶと、その短冊が輝いて、願いを聞き入れてくれた。『テレポート』だ。
 危機から一転、宙に放り出されて、ミュウツーはビルの合間を飛んでいく。神々を操る親玉はフーパの影だ、奴を仕留めればすべて終わる。その気配を探っていたが、瞬間、ビル群がハムのようにスパスパと切れていく。『亜空切断』だ。
「もう戻ってきやがった!」
 ミュウツーは崩れゆくビルを『サイコキネシス』で弾きながら、土煙を払い除けると、深く息を吸い込んだ。しんどい技だが、出し惜しみしては神々に勝つこともできまい。息を吐いて、集中する。デセルシティを覆い尽くす最大範囲の『サイコキネシス』、あらゆる分子の動きを把握する探知能力の極地。発動時間にして、わずか一秒にも満たない。刹那、ミュウツーは目を見開いて振り向いた。
 崩れゆくビルの轟音に紛れて、漆黒の閃光『時の咆哮』が眼前まで迫っていた。
「しまっ」
 とっさに腕にかき集めたサイコパワーで、『サイコキネシス』の盾を張る。堪えろ、もう少しで防ぎ切れる!
 咆哮の勢いがピークを超えて弱まってきた、そのとき、頭蓋に衝撃走る。パルキアの腕に掴まれ、そのままコンクリートの道路まで叩き落とされた。全身に駆けめぐる激痛に、悲鳴をあげる暇もない。ミュウツーは起き上がるよりも先に、『サイコキネシス』で自らを繭のように包んだ。直後、無数の光弾が散弾銃のように降り注いできた。
 フーパたちは……背中にいない。落ちる寸前にジラーチと逃げたか、それでいい。散弾をしのいで、ミュウツーは飛び上がった。すると、瓦礫の脇に隠れていたジラーチとフーパが戻ってきた。特にフーパは不安を隠しきれずに。
「影、強い。フーパ、消える……?」
「そう案ずるな、もう終わる」
 ミュウツーは既に勝ちを見通していた。土煙に覆われて、視界は最悪。だが見間違えようもない。すっと両手を広げて、ミュウツーは待っていた。ディアルガとパルキアの究極攻撃を。一度目はただ防ぐだけで精一杯だが、もう十分理解した。次は行ける。
 大地が、空気が震える。遠くから雪崩れてくる轟音。土煙が晴れた瞬間、時間と空間、ふたつの閃光が襲ってきた。
「フーパの影は司令塔の役目だ、定位置から動かず、リングを通じて俺たちを監視し、隙を見つけてフーパを奪う。それが幸いした」
 ミュウツーは『亜空切断』と『時の咆哮』を両腕で受け止めながら、涼しい顔で言った。まるで舞を踊りながら。光線の先端を、研ぎ澄まされた『サイコキネシス』で導き、馴染ませていく。
「あいにく俺にこの技は通じないぞ、時空の神々よ。貴様らは、まあかつての俺もだが、人間を甘く見過ぎだ。ウルトラホールを超える技術が生まれた時に『時空方程式』が解明されている。たとえ時空の奔流とて、正しく支配すればこの通りだ」
 ふたつの閃光は溶け合い、そしてミュウツーの指先に取り込まれていく。今やひとつの『波動弾』に丸められたそれを見て、ミュウツーはニンマリと笑った。
「さて、後は分かるな」
 フーパは首を傾げていたが、ジラーチには伝わったようだ。コクンと頷いて、さっそく短冊に祈りを捧げた。
 一方フーパの影は、街の空高く浮いたまま、ギリッと奥歯を噛み締めていた。完全に目論みが外れた、時空の神々では通じない。ならば古代の大地と海の化身を呼び出して、この街ごと消し去ってくれようか。リングをふたつ操り、いざ召喚しようとした。そのとき。
「影ぇぇえー!!」
 背後から聞こえるフーパの雄叫び。バカな、この一瞬でどうやって。振り向いた瞬間、背中に鋭い衝撃が駆け抜けた。ミュウツーだ。ディアルガとパルキアから奪い取った時空の力を、丸ごと影の背中に叩き込んだ。
「消えろォー!!」
 空間が、時間がひび割れていく。断裂し、影は押し込まれていった。暗黒の無が永遠に続く世界へと。怒りは真っ赤に燃え盛り、その炎は亀裂を超えて天を焼いたが、ほどなくして空間の裂け目はきれいに閉じていった。
 その様を、遠くから見ている者がいた。リオンだ。瓦礫の山に座り込み、ただ不敵な笑みをこぼしながら、ミュウツーたちを鋭く見つめていた。

きとら ( 2020/12/28(月) 15:00 )