第4話 七夜の願い星
夜空を股にかける巨大な彗星が見守る大樹海に、ミュウツーが現れる。無数に生える岩柱の上に立ち、見渡す限りの森に敵の姿を探した。どうやら近くにはいないらしい、森は至って平和そのものだ。あいにく場所については見当もつかないが、空を駆ける巨大彗星には覚えがある。千年に一度、七日間だけ太陽系に接近する、文字どおりの『千年彗星』だ。
「確か千年のうち、この七日間だけ目を覚ますポケモンがいたな」
何だったか。あれこれと記憶を掘り起こしていると、地響きが聞こえてきた。見れば、遠くの森がメキメキと隆起しているではないか。どんどん膨れ上がっていくそれは、徐々に形を整えて、そびえ立つ岩柱をも超える巨大な大地の化身が降誕した。ミュウツーは唖然としながら、その名をこぼした。
「……グラードン?」
ありえないことだ。一度だけグラードンを見たことがあるが、あんなに巨大ではなかった。それに何だ、この妙な胸騒ぎは。あれの存在を許してはならない、そんな気がする。足は自然と跳躍して、まっすぐにグラードンのもとを目指していた。その手には『波動弾』の塊を携えながら。
「……うん?」
グラードンに迫りながら、ミュウツーは怪訝そうに顔をしかめた。グラードンの動きがおかしい。恐竜のように生え揃ったトゲが、その形を変えてどんどん伸びていく。あれはまるで触手だ。しかもそれを操り、森を手当たり次第に襲っているではないか。そのうち一本がミュウツー目掛けて飛んできたので、抱えていた『波動弾』で反撃した。触手はたやすく弾けたが、すぐに再生して、さらには分裂して再び襲いかかってきた。
「何だこいつは!?」
旋回して避けながら、ミュウツーは叫んだ。その傍らで悲鳴が聞こえてくる。森に棲んでいるポケモンたちだ、逃げまどう彼らを触手が容赦なく襲い、そのドロドロしたスライムのような身体に取り込んでいく。
違う、これは侵略じゃない。食事だ!
「やめろ!!」
渾身の『サイコキネシス』が、届きうるすべての触手を掴んで、その動きを止めた。とたんに、がくんと膝が崩れ落ちた。
「あ……?」
力が入らず、抜けていく。触手を介してグラードンに吸収されているのだ。やがて力は逆転して、触手が次々と『サイコキネシス』を打ち破っていった。
まずい。ミュウツーは目を見開いた。触手が迫っている。よ、避けなければ!
力の入らない手を震わせて、ミュウツーは……触手に飲まれる寸前、煌めく『破壊光線』がそれを木っ端みじんに粉砕した。フライゴンだ。華麗にそばを過ぎて空を舞う妖精竜を見上げて、ミュウツーは目を見張った。フライゴンの背中に何か、小さなポケモンが乗っている。
「すまん、恩にきる!」
「フラァーイ!」
手を握りしめて、力が戻ったことを確かめると、ミュウツーはフライゴンに合わせて高く飛び上がった。そして触手から十分に距離を取ったところで、ミュウツーは滞空したまま尋ねた。
「そいつのこと、思い出したぞ。千年に一度だけ目覚めるポケモン『ジラーチ』だな?」
「フラァ!」と、甲高く鳴いて肯定する。
聞けば、ジラーチが次の千年間の眠りに備えて、千年彗星からエネルギーを蓄えていたところ、野心ある人間によって彗星のエネルギーを奪われてしまったのだと言う。ジラーチはエネルギーを抜かれてすっかりダウン。そこで森に棲むこのフライゴンが、彼を守るために立ち上がった。
「フラ! フラァ!」人間は既にあの怪物に喰われてしまった。もう止める手立てはない、ここから逃げないと!
そう必死に訴えかけるフライゴンの言葉を聞きながら、ミュウツーは森のあちこちから響く叫び声にも耳を傾けていた。助けて、怖い、死にたくない。そんな声が、どんどん消えていく。
「いつの世も、割を食わされるのは俺たちポケモンか」
呟きながら指をパキパキ鳴らすミュウツーを、フライゴンは訝しげに見つめていた。
「フララ……?」どうするの、と尋ねると。
「そいつを起こせるか?」
返されて、フライゴンは首を横に振った。だがミュウツーは構わず、指先にサイコパワーを集めて、ジラーチのお腹をそっと撫でた。
「エネルギーを抜かれて休眠状態に入ったのだろう。だから多少なりとも、こうして力を分け与えてやれば……」
「んう……?」
ほらな、と言わんばかり。ジラーチはうっすらと目を開けて、のんきに大きく伸びをした。そして自分を見つめてくるフライゴンとミュウツーに気がつくと。
「おはよう?」
と、首を傾けた。
グラードンは絶対的捕食者として、森に暮らすポケモンたちを貪っていた。食べるためだけに生まれた存在は、森を不毛の地に変えてもなお、満たされることのない飢えに苦しんでいた。そんな怪物にとって、岩柱に立ちはだかる三匹のポケモンは、まさにご馳走そのものであった。
迫ってくるグラードンを前に、ミュウツーは拳を固める。じわりと汗が滲む。得体の知れない怪物を恐れている? だが喜んでもいる。あの巨体が無様に転がる様を想像するだけで、笑いも込み上げてくるではないか。
声を張り、号令を唱えた。
「いくぞ!」
飛び立つ三匹。それをグラードンの操る無数の触手が出迎えた。真正面から襲ってくるそれを、三匹は別々の方角へ別れて避ける。そのほとんどは、ジラーチとミュウツーに向けられた。
さぞ俺たちがおいしく見えたことだろう。ミュウツーはニヤリと笑い、そしてグラードンから離れていった。ジラーチもそれに続く。一方で、フライゴンだけは追手の触手を『破壊光線』でなぎ払い、グラードンまで迫っていく。そして。
「今だジラーチ、シャッフル!」
ミュウツーが合図すると、ジラーチの短冊がキラリと輝いた。瞬間、フライゴンとミュウツーの位置がきれいに入れ替わった。
目の前にグラードンの壁のような腹を捉えて、ミュウツーは拳を握りしめ。
「くたばれ怪物、『サイコブレイク』!!」
正拳から放つ極限まで練り上げた念動力の波動。マグマのように煮えるグラードンのどてっ腹が波打ち、そして弾けた。地平線の彼方まで覗ける大きな風穴が開いた。
生き物なら即死しただろう。生き物なら。
「んなっ」
思わず間抜けた声が漏れてしまった。グラードンの爪から伸びた触手がついにミュウツーを捕らえた。グラードンはまだ生きている、風穴がドロドロと溶けてすぐに塞がってしまった。触手から逃れようともがいても、力を吸われるばかり。ついには手足を動かす力も枯れて、ミュウツーはグラードンに飲み込まれていった……。
だがミュウツーの目は諦めていなかった。不快な粘液の海に埋もれながら考える。
物理的な破壊は無理だ、となれば内部から攻めるしかない。こいつは思考せず貪るだけの獣、構造を知れば御するのはたやすいはず。俺の超感覚ならば、吸われたエネルギーの流れを辿れる。その先に必ずコアとなるものがあるはずだ。すべてのエネルギーを溜め込んで身体中に分配している中枢部位、心臓が。
……見つけた!
ミュウツーは勝ちを確信してほくそ笑んだ。少々苦しかったが、俺の勝ちだ。くたばるがいい。
力を吸い尽くされながらの『サイコキネシス』発動は、海で溺れながら更に息を吐くほどの苦しみに等しい。だがひと呼吸、それだけで十分だった。ミュウツーはグラードンの頭部にあるコアに、ほんの小さな念力の針を刺した。急所も急所、破れた心臓は大量のエネルギーを吐き出して、あっという間に制御不能に陥った。
砂上の城みたく崩れたグラードンの後には、ドロドロの粘液に塗れたポケモンたちが歓喜の雄叫びをあげていた。ミュウツーも叫びこそはしなかったが、すっかり力を抜かれて立つ気力さえなかった。しかしいくら無様であろうと、勝ちに変わりはない。人知れず、こっそりとガッツポーズを決めた。
「そんな情けない姿で、よくもまあ素直に喜べたものだなぁ」
汚らわしいものを見る目つきで、ゾロアークはミュウツーを見下ろしていた。自分はふわふわ浮いて、粘液にも触れたくないようだ。
ミュウツーはフフンと鼻を鳴らして返した。
「だが勝ったぞ。スマートでなくていい、どんな手を使ってでも勝てばいいんだ」
「それは紛れもない卑怯者の言い草だぞ!」
「好きに呼べ。グラードンは死んだ、生き残ったのはこの俺だ」
ぐぬぬ、とゾロアークは奥歯を噛んで引き下がった。しかしフライゴンとジラーチが飛んでくると、一変していやらしい笑みを浮かべる。恒例の後日談だ。悟ったミュウツーはうんざりして、粘液の海に倒れ込んだ。
「おーおーかわいい『おほちちゃま』でちゅねー。人間の愚かな野望に利用されて、なんと哀れなポケモンだろうか。この子は次の千年間に必要なエネルギーを、グラードンに奪われたままだというのに、それを奪い返す前にお前が殺してしまったんだぞ。これでジラーチは眠りにつけなくなってしまった」
「じゃあ寝なきゃいいだろ」
「そうもいかんのだよ、ミュウツー君。造り物の脳味噌では到底考えが及ばないだろうが、ジラーチは眠りながら、溜め込んだエネルギーを自然に還元していたのだ。おかげで森がすくすく育ち、豊かな生態系ができていたのに、お前が壊した。森はやがて枯れゆくだろう。ああ、故郷を失ったポケモンたちはこれからどこで暮らせばいいのだろうか……」
よよよ、と泣く真似までしたのに、ミュウツーはすっかり無視を決め込んでいた。これでは何も面白くない。ゾロアークは不機嫌そうに口を結んで、指を鳴らした。
二匹が目の前でパッと消えたので、フライゴンは驚いて辺りを見回した。さて、問題はこのジラーチである。物欲しそうに指を咥えて、あの味を思い出していた。ミュウツーがくれたサイコパワーである。なにしろ千年彗星の味しか知らなかったので、違う味がとても新鮮だった。何よりも、クセになるほどおいしかった。
「……まってぇ!」
もう一度食べたいな。その一心で願いを込めると、短冊がキラリと輝いて……ジラーチも消えてしまった。