第三章 ミュウツー
第3話 破壊の繭とディアンシー
 自然豊かな森が、死に瀕していた。命をすする死の化身が目覚めたその瞬間、緑あふれる木々は枯れ果て、青い湖は毒々しいヘドロに染まる。天を見上げれば、真昼を夜に変える分厚い暗雲が覆い尽くし、死の化身イベルタルが怒り狂った咆哮を轟かせた。
 そんな森の中を駆けるお姫様がいた。この世で最も美しい輝きを携える『ディアンシー』だ。それは命に飢えた怪鳥イベルタルにとって、何よりも美味そうな光であった。その命の味はいかがなものか。イベルタルは舌舐めずりをして、枯れ木の森を走る光を追い回す。そして口を大きく開いて、邪悪なる赤の閃光『デスウィング』を放った。光を浴びた森は腐り、大地は不毛の地と化す。その光は、懸命に逃げるディアンシーの命に届きかけていた。
 そこへミュウツーが、パッと『テレポート』のように現れた。
「……ん!?」
 ちょうどアルトマーレから飛ばされてきたばかりのミュウツーは、天から注ぐ真っ赤な光線を見るなり、渾身の『サイコキネシス』をぶつけた。ところが光線の勢いを殺しきれないと悟るや、そばで震えているディアンシーを抱えるなり、一目散に逃げ出した。飛ぶことも忘れて、ひたすらに走った。倒木を飛び越え、岩場を飛び移り、轟音が収まると、ミュウツーはすっかり息を切らせて、岩山のように重たいお姫様を下ろした。
「何なんだお前は、そして奴は……!?」
「わ、わたくしはダイヤモンド皇国のディアンシーですわ!」ディアンシーは慌てて胸を張った。
「それで奴は?」と、こっちの方が大事だと言わんばかりに返す。
「イベルタルという、恐ろしい怪物ですの。わたくしが可愛いから狙っているのだわ、さっきは助けてくれてありがとう」
「そういうのは本当に助かってから言ってくれ」
 甲高い咆哮が近づいてくるにつれて、曇天の空が赤く染まっていく。イベルタルが迫っている。ミュウツーは改まって息を整えて、敵の姿を見据えた。
 さっきは驚いて背を向けたが、二度目はない。今この瞬間から、イベルタルは追う者から追われる者に変わったのだ。それを思い知らせてやる!
「あ、お待ちになって!」
 呼び止めるディアンシーを無視して、ミュウツーは空に昇っていった。ちょうどイベルタルが『デスウィング』を放ったところだ。ミュウツーは両手を突き出して、『サイコブレイク』の壁を創り出した。
「超能力を極めた者のみが創造できる超物質の壁だ、貴様には打ち破れまい!」
 赤い閃光を防ぎきった。これなら通じるか、そう確信したとき、イベルタルが消えた。空間という海に潜ったかのように。『シャドーダイブ』だ。察してすぐに、ミュウツーは『サイコキネシス』で大気を操り、暴風の嵐をまとった。どこから襲われても反撃できるように。
 だが、イベルタルは襲ってこなかった。そうだ、何を見誤っている。奴の狙いは俺ではない、ディアンシーだ!
 彼女の目前で、宙からぬるりと死が現れた。邪魔者が入ったが、気に留める様子もなく、イベルタルはディアンシーを喰らおうとしていた。それがミュウツーの怒りに火をつけた。
「貴様の相手は俺だろうが!」
 口を開けたイベルタルの背中を、螺旋するエネルギーの塊『波動弾』が襲った。続けてミュウツーの『メガトンキック』が刺さった。死の吐息にかわって嗚咽を吐いて、イベルタルはたまらず翼を広げて、空へと舞い戻っていく。ミュウツーもすかさずそれを追いかけた。
 はたから見れば、イベルタルが逃げているように見えるだろう。だがミュウツーは追跡しながら、獲物の背中から発せられる異様な気を感じていた。まるで極寒の海に深く沈んでいくような、これは殺意だ。イベルタルはミュウツーを敵と定めて……。
「なにッ!?」
 一瞬で後ろに回られた。『シャドーダイブ』だ。その口には紅蓮の閃光を備えて、『デスウィング』を撃ち放った。ミュウツーは間一髪、急降下して避けるが、閃光は止まらずに追いかけてくる。それを逃げ切ったが、長い尻尾の先端にかすり、徐々に石化が始まった。迷いもなく、ミュウツーは自らの尾をちぎり捨てた。
 すかさず『自己再生』で尻尾を生やしながら、ミュウツーは両手を広げて、目を見開いた。
「う……おぉぉお、お……!」
 全身の力を込めて、『サイコキネシス』を森に、大地に拡散していく。イベルタルは再び旋回してこちらに向かってきた。分かっているよ、どうせ『シャドーダイブ』で死角から襲うつもりなのだろう。ミュウツーは薄く笑みを浮かべた。
 大地に轟音が駆けめぐる。亀裂が走り、大地が割れて、その岩盤ごと浮かび始めた。しかしイベルタルの方が速い。とぷん、と空間に潜り込んで、ミュウツーの背後に回る。そして『デスウィング』を……撃ち込もうとした瞬間、岩盤に叩きつけられた。いや、正しくは岩盤で叩きつけられたのだ。
 まるで浮遊大陸そのもの。持ち上げた大地の上に立ち、ミュウツーはパキポキと腕を鳴らしながら、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「空を統べる死の神よ、祈りたまえ。審判の時だ」
 ぐぐぐ、と身を持ち上げて、イベルタルは再び舞いあがろうとした。その度にミュウツーは大陸の高度を上げて、イベルタルを地面に叩き伏せた。もはやこうべを上げることもできない。あとは好きなようにいたぶってやろう。渾身の『波動弾』を拳に宿らせ、そして怪鳥の頭部目掛けて、思いっきり振り下ろした!
「く、た、ば、れええええー!!」
 浮遊大陸が丸ごと震えて、粉々に砕け散る。その中をイベルタルが落ちていき、きれいにくり抜かれた大地の底に墜落していった。

「……思ったより豪快だなぁ」
 ゾロアークはミュウツーの隣りにふわふわ浮いて、ひょえー、と真下にできた巨大なクレーターを見下ろしていた。さすがに大地を持ち上げるのはしんどかったのだろう、ミュウツーはぐったりと宙に座り込んで返した。
「ど、どうだ、これで満足したか」
「イベルタルを討ち取ったぐらいで? まだまだ、世界の危機ひとつ救ったぐらいじゃあ最強とは呼べないね」
「何を倒してもお前が納得しない気がしてきたぞ」
「そんなことはない。最後にはとっておきの『アルセウス』を残してある、今のはただの前哨戦といったところだよ」
「あぁ、それなら……確かに倒せば最強かもな。次はそいつか?」
「君は甘いなぁ。そんな訳がないじゃないか。中ボスラッシュで疲れたところを、トドメのアルセウスが待ち受けているのだよ。まだまだ先は長いぞミュウツー君、こんなところでバテている暇はない。さあ次だ!」
「ちょっとぐらい休ませろ!」
 恥も外聞も捨てて、ミュウツーは叫んだ。どうせ情けないなぁとか言い出すのだろうと思って、うんざりした顔で返すと、意外にもゾロアークは「まぁ良いだろう」と納得していた。そのかわりに、と言わんばかりに、あぐらをかいてペラペラと語り始めた。
「ところで君が救ったあのディアンシー、実は何を隠そうこれが由緒正しき血統のお姫様でねぇ。国のエネルギー源となるダイヤモンドを創り出せる唯一の存在なんだが、お姫様は力が弱くて、ダイヤモンドを創れないときた。そうなると大変だ、国は永遠に輝きを失い、崩壊の道を辿ってしまう。そこでお姫様は決意した。ゼルネアスにお願いをして、その偉大なる生命溢れる力を分けてもらおうとな。ところがどうだ、いざ旅に出て訪れた森には、ゼルネアスとは正反対、破壊の繭イベルタルが眠っていたという訳だ。しかし、彼女はこの上ない危機に瀕しながら、持ち前の気丈さで恐怖を乗り越え、仲間のために見事なダイヤモンドを創り出す……はずだったのだが」
「それを俺が邪魔したと言うのだろう?」ミュウツーは苦々しく言った。「そうやって妙な後日談をつけ加えるのはやめろ、後味が悪くなる」
「気にすることはない、君はディアンシーの命を救った。かわりにダイヤモンド皇国が滅亡しただけだ。消えゆく国に用はない、さあ十分休んだところで、お楽しみの第三幕といこうじゃないか」
 次でも同じことを言ってきたらこいつを殺そう。密かにミュウツーは心に誓って、ゾロアークに連れられていった。

「ひどいところね」
 リオンはクレーターを降りながら呟いた。ヒールではとても降りられたものじゃない。相棒のアリアドスに乗らなければ、こんなところに来たいとも思わないだろう。
 底に立つと、黒い大きな山が蠢いていた。イベルタルだ。ひどく傷ついて、うめき声が漏れている。巨体の割には、なんだか哀れっぽく見える。リオンはアリアドスと見合わせて、肩をすくめた。そして艶かしい笑みを浮かべてイベルタルに一歩ずつ歩んでいく。
「ねぇ、死の神様。あなたミュウツーにやられたんでしょう? なっさけなぁい。でもかえって運が良かったのかもね」
 イベルタルは目を開いて、その女を見つめたが、それ以上のことは何もできなかった。リオンが注射器を出して、何かを自分に注射している間も。そして数秒と経たないうちに、心臓が燃えるように熱くなってきても。イベルタルはなす術もなく、受け入れることしかできなかった。

きとら ( 2020/12/26(土) 22:11 )