第三章 ミュウツー
第1話 メリー・クリスマス!
 目が覚めると、ミュウツーは知らない場所に立っていた。どうやら自分は森の中にいるらしい。しんしんと降ってくる雪の空を見上げて、飛んでいこうとしても、身体は重いまま全然浮こうとしない。試しに一瞥しただけで木を粉砕しようとしても、木は静かに佇んだまま。迷い込んだだけでなく、超能力が使えなくなっていた。
 夢だろうか。頬を軽くつねってみる。最近少しだけ肉づきが良くなってきたことを思い知らされるだけで、一向に目が覚めない。そういえばつい先日、列車に乗って、覚めない夢に誘われる映画を観た。主人公の少年が催眠術を破るべく、夢の中で自殺していた。すると目が覚めるのだと言う。現実で同じことをするには思いのほか度胸がいる。いや、夢の中か。ああややこしい。
 急に、空からまばゆい光の柱が降りてきた。派手な演出が大好きなゾロアークとともに、大勢のオドシシを引き連れて。
「メリィー、クリスマァース!!」
 夢じゃないな。ミュウツーはすべてを察した。先日からプロメテウスにちょっかいを出してくる迷惑千万なゾロアークのせいだ。サンタの赤い帽子をかぶり、取ってつけたような白ひげを見せびらかす。オドシシたちは首に巻いたリーシャンを鳴らして、ご丁寧にクリスマスの夜らしくシャンシャンと鈴の音を響かせていた。
 ミュウツーはひたすら呆れた態度で腕を組んだ。
「つまり俺は、誘拐されたのか」
「いやいや、最強の名を冠する天下のミュウツー様にそんなことをするもんか。今日はウルトラホールで最も退屈を極めた君に、刺激的なプレゼントを用意してきた。何だと思う?」
 意味ありげに耳打ちしてくるのが腹立たしい。ミュウツーは彼のひげを掴むと、乱暴に引き寄せて言った。
「貴様の遊びに付き合うつもりはない、俺を今すぐ船に戻せ」
「まあ待ちたまえ、君はせっかちな男だな。ウォーレン船長でさえ俺には敬意を抱いて、話を最後まで聞いていたぞ」
「で、話とは?」
「おっ良いねえ、話が早くて助かる」
 ますます腹が立ってきた。ミュウツーが喉の奥から唸り声をあげると、ゾロアークはひとつ咳をして。
「君は紛れもなく、下等な世界の中では『最強のポケモン』だ。しかし誰がそれを決めた? ポケモンリーグのような舞台で、君が栄光の優勝を獲得したか? 創造神アルセウスに勝ったことは? 世にはびこる悪の組織と世界の命運を賭けて戦ったことぐらい、もちろんあるだろう?」
「……いや、ない」
「ない!? そんなまさか! 天下のミュウツー様が、ただの人間の子供たちを騙したり、ロケット団と些細な小競り合いをしたり、ゲノセクトなどという前時代の遺物と互角の勝負をした程度で、まさか『最強』を名乗ろうと言うのかね!?」
「それは俺じゃないぞ、別のミュウツーがやったことだ」
「お前の種族がしたことの全てだ、お前がしたことも同然。だが気持ちは分かるよミュウツー君。もしも君が戦時下の時代に生まれていれば、きっと『最強』と呼ばれるにふさわしい戦果をあげたことだろう。あるいは世界を震撼させる大事件の現場にいたならば、君の力でちょちょいと解決できたはずだ」
「まあな」
「本当にそうなるか、確かめてみたくないかね?」
 はああ。ミュウツーは深くため息を吐いた。まるでタチの悪いセールスマンだ。別に欲しいと思った訳でもない商品をベラベラと語る。最初は聞いていても鬱陶しいだけだが、まじめに耳を傾けていると、容赦なく物欲をくすぐってくる。いつの間にか欲しくなってくる。
 今まで自分の力で成し遂げたことがひとつだけある。だがそれは同じミュウツーと戦うことであって、ミュウツーという種族がどのぐらい強いかを示せる実績ではない。自分がどこまでできるか挑戦したい気持ちはあったが、ポケモンバトルのようなスポーツでは無理だ。血湧き肉躍る命のやり取り、果てしない生存競争、野心を賭けた戦いでしか測れない。それも、今の平和な世の中では難しいだろうが。
 さて、ゾロアークは見たことのない物語に飢えていると聞く。自分を呼びつけて、こんな話を持ちかけた理由も、そこにあるのだろう。であれば、興味が湧かないこともない。一体このゾロアークは、いかなるシチュエーションを提供してくれるのだろうか、と。
 ミュウツーはパンドラの箱を開けることにした。
「乗った」
 にやり、ゾロアークが不敵にほくそ笑む。そして指をパチンと鳴らした瞬間、世界がガラスのように砕け散った。

 足元が急になくなって、思わず身体がよろめいたが、とっさに発揮した『サイコキネシス』でふわりと宙に浮いた。超能力が戻っている。自らの手を見つめて実感すると、ゾクゾクと腹の底からはやる気持ちが湧いてきた。この身体は戦いを好むように造られている。本能が満たされていく、そんな感じだ。
 辺りはとっぷりと暮れていたが、月明かりのおかげで遠くまで見渡すことができた。海に囲まれた水の都、一度だけ訪れたことがある。『アルトマーレ』だ。水路の巡る迷路のような街並みの合間に、大きな黒い影がふたつ。空気を震わす雄叫びが、この街を襲う脅威の主である。ミュウツーはそのうちひとつに目を留めて、宙を蹴り、急降下して襲いかかった。
 甲羅ポケモンのカブトプスは、その巨躯に似合わぬ素早さで、赤い翼を持つ竜を執拗に追い回していた。両手の鎌が鋭く迫るたび、小柄な身体が紙一重でかわしていく。それもこれまで、角を曲がって壁を蹴り、勢いをつけたカブトプスの鎌が、ついに赤い竜に届こうとした……その瞬間。
「失礼!」
 天から音速を超えて降ってきたミュウツーの強烈な『メガトンキック』が、カブトプスを水路の底まで叩き落とした。ズドン! 鈍い音の後に激しい水飛沫が注いで、すっきりした顔つきのミュウツーがふわりと降りてきた。
「思いっきり身体を動かしたのは半世紀ぶりだな、なんと心地いいものか」
 肩を回して空を見上げた。もうひとつの影がこちらに気づいただろうか、遠くから少しずつ猛々しい咆哮が近づいてくる。ようし、もう一回やってやるか。まるで飢えた獣が獲物を捕らえるかのように、ミュウツーは口角を吊り上げる。
 そんな彼に、迫りくる別の影があった。
「クゥウー!」
 赤い翼の竜……ラティアスが、決死の覚悟で突進してきた。

きとら ( 2020/12/24(木) 23:50 )