第二章 ヤドリギの種
第1話 クロンキストの惨劇
 地球暦2117.06.04
 メガロポリス暦52193.7

「いたっ」
 青白い肌で好奇心旺盛な七歳の男の子『ハナイ』にとっても、未知の世界はまたとない冒険のチャンスだ。小高い丘に着陸していくメガロポリスの小型艇から、綿毛が舞う春の森を見下ろしたとき、誘うように飛んでいる未知のポケモン、ワタッコを見た。初めて見るポケモンと、直に会って話してみたい。両親とは夕暮れ前に戻る約束をして、ハナイはひとりで森を歩いていた。
 そんな時である。茂みをかき分けて進んでいると、首筋にチクリと刺すような痛みを覚えた。さすってみると、少しだけ血が出ている。きっと小枝で引っ掻いたのだろうと思って、ハナイは探検を続けた。
 ハナイは気づいていなかったが、彼の首筋を引っ掻いたのは小枝ではない。木の影に隠れたロゼリアが、両手の薔薇からピストルのように小さな種子を撃ち込んだ。体内に侵入した種子は、血管を通ってハナイの身体を巡り続ける。そして約束の日暮れが来て、両親の待つ小型艇に戻る頃には、種子はとうとう心臓まで辿り着いていた。
「こちらはシャトル・クルーゲル」ハナイの母親は、小型艇を操縦しながら本船に呼びかける。「クロンキスト号、応答を」
『こちら、クロンキストのブリッジです』男性オペレーターの声が返ってきた。
「地質調査のサンプルを回収しました、これより帰還します」
『クルーゲルの着艦を承認。第二発着場へ誘導します』
「それで?」母親は操縦を自動モードに切り替えて、副操縦席に座るハナイに振り返った。「今日の冒険はどうだった? 秘密のお友達に会いに行ったんでしょう?」
「そうだよ……とても、楽しかった」
 珍しく元気のない返事だった。出発前はあれだけ大騒ぎしていたのに。どうしたの、と母親が聞くと、ハナイは苦しそうに胸を押さえて訴えた。
「お腹が痛いよ……」
「まあ、森の中で何か悪いものを拾い食いしたのかしら」
「そんなことしてない!」
「分かったわ。それじゃあ、船に戻ったら医療室に行きましょうね」
 怒られたくなくて嘘をついたのね。母親はクスリと笑って、その時は深く考えなかった。

 種子は心臓で発芽し、ジワジワと根を張っていく。その成長速度は凄まじく、根はあっという間に全身まで広がった。激痛を訴えるハナイがクロンキストの医療室に運ばれる頃には、ツボミがすっかり膨らんで、ひとつ、ふたつと花が咲いていた。
「心拍数が二百を超えています!」反重力担架を引っ張ってきた看護師フェローチェが、医療室に転がり込むなり声を荒げた。
「パラセクジンを二〇CC投与!」女性医師が赤い衣をなびかせて駆け寄った。
 命じられたタブンネが注射を打った。数秒で心拍を落ち着かせる劇薬だが、一向に効き目が現れる気配がない。
「……効果ありません、心拍数さらに上昇!」
「そんなバカな!」
 ハナイは心臓を握られるような痛みに耐えかねて、喉が裂けるほど狂ったように叫んだ。ベッドのシーツを引き裂いて、身を雑巾みたいに捩り、あまりにも暴れて手に負えないので、拘束具で縛られた。
 母親は半狂乱になって医師にしがみついた。
「ねえ、ハナイは大丈夫よね? 助かるのよね!?」
「それを今から調べるところです。彼は森にいたとき、何かを摂取しましたか?」
「えぇ多分……食べたと思うけど、何を食べたかまでは分からない。戻る途中でお腹が痛いと言っていたから、てっきり食当たりかと……そうじゃないの?」
 タブンネと二人係で医師はハナイの体内をスキャンし始める。だが、モニターに映る結果を見て一同は絶句した。男の子の心臓に、不気味な影が寄生しているではないか。毛細血管のように複雑に張り巡らされた根っこと、いくつもの花が咲いているように見える。
「あれは何なの?」
 母親が声を震わせてそう零すと、とたんにハナイが静かになった。さっきまであれほどのたうち回っていたのに。死んでしまったのか。いや、スキャンでは心臓が鼓動しているし、脳波も乱れてはいるが反応がある。
 何かが起ころうとしている。医師はごくりと唾を飲んだ。ベッドを囲む計測機器群が、一斉に警告音を鳴らす。すると、ハナイの身体がみるみるうちに膨れ始めた。それこそ風船のように。ベキベキと骨が砕ける音がしても、ハナイは声ひとつあげない。もはや意識を失っていた。
 そして母親が悲鳴をあげる中、ハナイは爆ぜた。おびただしい血と肉片と種子を、医療室の部屋中に撒き散らしながら。
 惨劇はそれにとどまらない。医師や母親、タブンネ、この部屋にいた他の患者など、七名の肌に種子が付着すると、今度は体内への侵入を待たずに、皮膚の上から発芽して根を張り始めた。それはあっという間に表皮を食い破り、血管や筋肉、そして神経までも見境なく侵していった。

 ブリッジで働いていた乗組員たちは、その時、何が起きたのか誰も理解できなかった。突然ドアが開いたと思ったら、通路から大勢の乗組員が押し寄せてきたではないか。しかも全身に奇妙な植物が絡みついて、身体中の神経が不気味なほど浮かび上がっている。まるで植物に寄生されているみたいだ。正気を失った彼らがひとたび拳を振るえば、乗組員の身体が壁まで吹き飛ばされ。ブーバーが『火炎放射』を吹いて抵抗すると、焼かれたチラーミィの身体が爆散して、種子がブリッジに飛び散った。
 三百名を乗せるクロンキストの断末魔は半日ほど続いたが、やがて静かになり、ウルトラホールを漂流し始めた。新たな宿主を求めて……。

きとら ( 2020/12/09(水) 17:45 )