第二章 ヤドリギの種
第7話 傷跡
 眠い。怠い。リズミカルな電子音が耳に障る。とにかくこの音を止めて欲しくて、暗闇の底をもがくうちに、シラモは自分がベッドの上に横たわっているのだと悟った。
 いつ夢が覚めたのか分からないが、まだボヤけているウォーレンの顔を見上げて、シラモは身体を起こそうとした。
「大人しくしていろ、これは命令だ」
 肩を押さえられて、シラモは渋々従った。かわりに心拍を刻む医療モニターを見やって、疎ましそうに言った。
「音を止めてもらえますか」
「喜んで」
 二、三ボタンに触れて、音が止まった。カーテンで仕切られた向こうから賑やかな声が聞こえてくるものの、ひとまず寛容に受け入れることにする。
「他にご注文は?」ウォーレンがおどけた口振りで言うと。
「他の調査班は、どうなりました?」シラモはあえて乗らなかった。
「アボット中尉は残念だった。ミオとビクティニは無事だよ」
「ミオにはヤドリギの種が寄生しています」
「大丈夫だ、種は駆除した。幸いなことに、まだ寄生されてすぐの状態だったから、おそらく後遺症は残らないだろう。事の顛末はすべてビクティニから報告を受けた。よくやったな」
「その称賛は、アボット中尉に送ってください。彼の犠牲がなければ、我々は生きていません」
「そうだな」
 少なからずウォーレンも負い目を感じていた。どうすれば乗組員を死なせずに済んだだろうか。反省は後に取っておくにしても、罪悪感は拭えそうにない。
 苦し紛れの笑みを浮かべて、ウォーレンはシラモの肩をポンポンと叩いた。
「まずはゆっくりと養生しろ、しばらく仕事のことは忘れて。と言っても、君の場合、もしも治療しながら仕事に集中している方が効率的だと言うのなら、ドクターの手伝いでもするかな? 医療室にいたまま働けるだろう」
 遠くでガミガミ怒鳴る医師バークの声を背景に、ウォーレンは肩をすくめた。
「船長のご命令には従います」
 そう穏やかに言うと、シラモは瞼を下ろして、静かな寝息を立て始める。ウォーレンはひっそりと「お休み」と残して、彼女のベッドから去っていった。

 ブリッジに戻るために、ウォーレンはエレベーターに乗った……つもりだったが、気がつけば真っ白な世界にいた。ドアも壁も、何もない。何事かと慌てて周りを見回すと、黒革の高そうなソファで気怠そうに寝転がっているゾロアークがいた。つい数日前にプロメテウスを襲い、現実を幻影で上塗りしてくれたゾロアークそのものだ。ウォーレンは腰に差していた光線銃を抜いて、迷わずゾロアークに向けた。ゾロアークはただニヤニヤと笑っていた。
「酷いじゃないか、船長。地球連合艦隊とやらは、人畜無害で純粋で罪のない生命体に対して、そのような愚劣で野蛮な態度を取ることを許しているのかね?」
「どうせまた我々の船にちょっかいを出すつもりだろう、今すぐ出ていけ」
「そう言われるだろうと思って、お前を時空の外に連れてきた。ここはお前の船じゃないぞ」
「じゃあ一体何しにきた?」
「もちろん感想を伝えにだ。お前たちの文化では、創作物に対して抱いた感想を作者に伝える習慣があるのだろう? だから崇高で進歩的な存在であるこの俺が、わざわざこんな下等で単純な生物のもとへ足を運んでやったという訳だ」
 ああ面倒臭いことこの上ないな。ウォーレンは深くため息を吐いた。このゾロアークが神にも似た力を持っていなければ、絶対に相手などしなかっただろう。
「それでは、クロンキストを破滅させたあの植物は、お前が作った幻だったのか?」
「何を言うか。悪いことが起きれば、全部幻影のせいか? 地球人の発想は簡単で良いねえ、そうやって何でも誰かのせいにすれば良いんだから。あれはウルトラホールの深淵で生まれたものだ。お前たちと似た世界で、草ポケモンと人間が協力して、文明を発展させてきた。だがテクノロジーというのは、お前も知っての通り、しばしば予想外の結果をもたらす。たとえば、あれが元々は医療用に開発されたバイオテクノロジーの産物と言ったら、お前は信じるかね?」
 普段なら驚きの表情ひとつでも見せただろう。だがウォーレンにはできなかった。たわ言を聞かされても、奴と向き合う気分になれない。重く沈んだ顔には、怒りが燃えていた。
「乗組員がひとり死んだ。お前の道楽に殺された。忠告してくれれば避けられたはずだ」
「危険が怖いなら、尻尾を巻いて今すぐ帰れ。ウルトラホールにはまだまだ想像を絶する恐怖が満ち溢れている。実のところ、どんな脅威が襲ってきても、皆で力を合わせて道徳的に正しい選択をすれば乗り越えられる、などという思い上がった考えを持っているのを俺に悟られたくないだろうしな」
 おおっと、とわざとらしくゾロアークは口を隠した。腹の立つことに、その通りだ。どんな困難も乗り越えられると思っていた。それは見事に崩れ去った。アボットの犠牲がなければ、全滅していただろう。
 舌打ちをひとつ返して、ウォーレンは小さく頷いた。
「悔しいが、お前の言っていることは正しい。だが我々は過ちから学習して前に進み続ける。恐怖を受け入れようじゃないか、時々はその声に耳を傾けるさ。これで満足か?」
 ゾロアークはにんまりと笑みを浮かべて、身体を起こした。
「俺を相手に過ちを認めるのは、さぞ勇気が必要だっただろう。だからこそお前たちの冒険譚は見守るに値するのだ。臆病者に用はない」
「一体何が言いたいんだ? お前の本当の目的は何なんだ?」
 尋ねるウォーレンに、ゾロアークは答えなかった。
 次の瞬間、エレベーターのドアが開いた。そこはブリッジだ。いつの間にか白い世界を離れて、ウォーレンは元に戻っていた。
 どうやら厄介者に気に入られてしまったらしい。これからどんな困難に見舞われるやら、分かったものではないな。ため息を添えて、ウォーレンはブリッジに一歩踏み出した。

 真っ暗な部屋に閉じこもって、アブソルは窓の景色を何時間も見つめていた。海のような深淵の輝きを秘めたウルトラホールが流れていく。延々と、終わりがない。パートナーが好きだった景色だ。彼は船首側でこの景色を堪能するために、わざわざ無理を通してこの部屋を獲得した。もう主のいない部屋になってしまったが。
「いいところだね」
 ミオが語りかけてくるまで、アブソルは彼女が部屋に訪れたことも、隣りに座ったことも気がつかなかった。驚く素振りも見せず、「うん」とだけ返して頷いた。
「迷惑だったらごめん。まだお礼を言ってなかったから、それだけでも伝えたくて」
「……お礼って?」
「あのとき、最後に助けてくれたでしょ?」
「いいよ、別に」
 私の手柄じゃないし、と添えようか迷ったが、どうでもよく思えたので言わなかった。
 アブソルはぼうっとしていた。虚ではないが、何の気力も湧いてこない。ミオにそっと背中を撫でられたときは、驚くというよりも、何をしているのだろう、という疑問の方が大きくて、首を傾けるだけだった。
「アボットさんのこと……本当に残念だったね」
「うん、そうみたい」
「みたい?」
「みんなに言われるんだけど、分からなくなってきちゃった。残念なのか、そうじゃないのか……何も感じないの。本当に、何も。こういうとき、普通なら怒ったり泣いたりするはずなんだけど……でも、不謹慎だと言われるかもしれないけど、私はこれで良かったと思ってる。だって今の私は、何も怖くないんだもの」
 本当に不思議だった。どうして自分よりも相棒と関係の浅いミオが、そんなに泣きそうな顔をしているのか。しまいには涙がこぼれて、すすり泣き始めたので、アブソルは仕方なく頬を舐めて涙の跡を綺麗に拭ってあげた。それがまたいたく感謝されたらしい。ミオの華奢な両腕に抱きしめられて、アブソルはただただ困惑していた。
 何か気の利いたことを言ってあげようと思って、アブソルは閃いた。
「ねえ、お腹空いたんだけど、何か食べ物を持ってない?」
 余計なことだったようだ。のんびり過ごしていたかったのに、泣き崩れる少女をしばらく慰めるはめになってしまった。


To be continued...

きとら ( 2020/12/20(日) 21:07 )