第二章 ヤドリギの種
第5話 覚醒する脅威
 今がずっと続けばいい。そうすれば、ありとあらゆる恐怖から解放される。布団のぬくもりに優しく包まれて、私を脅かすものは何もない。友達が血まみれになることも、恐ろしい植物お化けに襲われることもなくなる。みんなは自分が大事じゃないのかな。どうして自ら危険に飛び込んでいけるんだろう。私には分からないし、分かりたくもない……。

「どうして彼女を連れてきたの?」
 ミオが囁くように言った。
 これから敵の根城であろう機関室に赴くというのに、アブソルの足がブルブルと震えている。息は荒く、過呼吸を起こす寸前だ。とても見ていられなくなって、彼女のパートナーであるアボットにこっそりと尋ねてみた。
「それが俺にも分からない」アボットも首を傾げて返した。「いつもなら、セツナは船に残るんだ。絶対に上陸しようとしない。今度の任務も断るかと思ったのに、珍しく一緒に行くと言い出したんだ。俺はてっきり、恐怖心を克服したのかと思ったが……そうじゃないみたいだな」
「ひょっとして、危機を感じ取ったとか? 今回はいつもと違うのかも」
「まあ、確かにそうだな。危うく俺も『彼ら』の仲間入りをするところだった」
 機関室に近づくにつれて、蔓に縛られた乗組員の数が増えてきた。肉がこそげ落ちて、骸骨の目から黄色い花を咲かせている者もいる。たった数日でああなるのかと思うとゾッとする。
 ときどき蔓に縛られず、ドレディアのように自由に動ける乗組員もいた。マラカッチはひたひた歩いてすれ違うだけで、声をかけても応じないし、襲ってくる気配もない。フシギバナは無数の蔓を伸ばして、通路に並ぶ制御盤を操作するのに集中している。まるで与えられた命令を忠実に遂行するロボットだ。
「自由にされているのは、みんな草タイプのポケモンですね」ビクティニは不安を抑え切れず、シラモの肩にとまって呟いた。「スキャンによれば、みんな体内にヤドリギの種が寄生しています。どうして草タイプだけ扱いが違うのでしょうか」
「通常、ヤドリギの種は草タイプには効きません。おそらく完全に寄生することができないのでしょう。あくまで推測ですが、脳の支配に集中して、傀儡のように操っているとも考えられます」
「より種を広めるために?」
「クロンキストの乗組員は残念でしたが、これが船で起きて良かった。世界規模で起きていたら、宿主を迅速に駆除する以外に抵抗する方法がありません」
 大げさな、とビクティニは思った。確かに驚異的な繁殖力を持っている種だが、なんとかできるはずだ、と。機関室の扉をくぐり抜けたとたん、その甘い考えは吹き飛んだ。

 まるで死の森だ、イベルタルが眠る不気味な樹海を彷彿とさせる。無数の蔓がリアクターに絡みついて、パワーを根こそぎ吸い取っている。貪欲なヤドリギはそれだけに飽き足らず、寄生した乗組員から干からびるまで養分を奪い、次々と無惨な亡骸に変えていた。
 吸い上げたエネルギーが、ある一点に集められていく。それは蔓に包まれた繭のようだ。シラモは距離を保ちながら、端末で繭を調べる。
「内側に膨大なエネルギー反応、そしてこれは……生命反応がひとつ」
 スキャンを嫌ったのか、繭が鼓動を始めた。ミオが「副長!」と叫んで、リザードンと共に前に出る。いつ何が起きても良いように身構えていた。
 それでも予想外の事が起きた。ミオとリザードンの合間を抜けて、アブソルが飛び出したのだ。頭部の鎌に風を集めて、鋭い『カマイタチ』を飛ばした。繭が裂けて、緑色のドロドロした粘液が飛び散っても構わない。アブソルは一心不乱に繭の中身を掘り返して、肉の塊のような何かを何度も何度も斬りつけた。凄まじい執念だった。半狂乱になって泣き叫びながら返り血を浴びる彼女の様を、ミオたちは呆然と見ていることしかできずにいた。
「ずっと! ずっと嫌な予感がしてた! こいつから! 船に来る前から! こいつが! こいつが! うわあああー!!」
 ヤケを起こしている彼女を止めようと、ミオとアボットが走った。その時のことである。
「攻撃をやめよ」
 不思議と頭に反響する澄んだ声。純朴な少年を思わせる。だが、ここにそのような声を出せる者はいない。ただのひと言で、アブソルは攻撃をやめた。ガタガタと震えて、全身からすっかり力が抜けて、ぺたんとその場に座り込んだ。崩れた繭の中から立ち上がる、草の王にひれ伏すように。
 小さな身を震わせ、纏わりついた粘液を落とす。ズタズタに引き裂かれたはずの肉がずるずると身体を這い上がり、ひっつき、再生していく。ただの赤黒い肉の塊が、白くてフサフサした毛並みに隠れて、ようやくその輪郭を取り戻した。
「シェイミ……?」
 ミオがぽつりと言った。次の瞬間、壁から伸びた蔓が少女の腹を貫いた。鮮血が散って悲鳴が響く中、それでも誰も動こうとしなかったのは、空駆けるシェイミから一瞬足りとも目を離せなかったからだ。
「気安く私のことを呼ばないでもらいたい、人間。今は黙して待て、じきに偉大なる集合体の一部にしてやろう」
「ミオちゃん!」
 ビクティニが『火炎弾』で蔓を吹き飛ばすと、迷わずミオに飛んでいった。倒れて悶える彼女の傷口を診て、止血剤の投与を始める。シラモはひとまず治療を任せるとして、牙を剥いて炎を漏らすリザードンをなだめながら、シェイミの前に立った。
「あなたはクロンキストの乗組員ではありませんね。どこから来たのですか?」
「私はクロンキスト。すべての意思を束ねる者、『代弁者』とでも呼ぶがよい」
「代弁者? 誰を代弁していると言うのですか?」
「それにクロンキストで同化したすべての生命体だ。彼らは我々の偉大なる意思とひとつになり、今や我々と一体化した。お前たちがブリッジで殺した我が同胞エフェドラの声も、私の中で息づいている。彼女はお前たちを恨んでいるぞ……よくも私を殺したな」
 シェイミが一瞥を送ると、床から針のように生えてきた蔓が、リザードンの翼を突き刺した。たまらずリザードンは振り払い、宙に逃げたものの、蔓は執拗に追い回し、ついには尻尾に巻きついて、竜を床に叩きつけた。血反吐を吐きながらもリザードンは『火炎放射』を撒き散らし、周りの蔓を焼き払っていく。だが隙を突いて蔓が首を締めつけると、炎が切れて苦しそうな嗚咽が漏れ始めた。
「危害を加える意図はありませんでした」シラモは一歩寄って言い張った。「我々は争いを望みませんが、必要とあれば自衛のために抵抗する用意があります」
「まさにそれが問題だ」シェイミはうずくまるアブソルを踏み越えて、宙に浮かび上がった。「これよりお前たちの船を我々の種子で同化する。だが抵抗されるのは目に見えている、その場合は成功率が半減してしまう。だから抵抗の性質を理解しなければならない」
 鞭のようにしなる蔓が、アボットの腹を弾いた。脇腹の皮膚が剥がれ、絶叫と共に地へ落ちる。シェイミは薄ら笑いを浮かべて、這いつくばる面々を見下ろした。
「これよりお前たちをいたぶる。生きるために抵抗しろ。その性質を理解して、我々はお前たちの船を吸収する」

きとら ( 2020/12/20(日) 14:54 )