第一章 イリュージョン
第5話 まだ見ぬ物語へ
 航界日誌、補足。
 もはや劇場の舞台は船の全域に広がってしまった。ゾロアークは乗組員たちを操り、童話や昔話のみならず、ポケウッド映画『ハチクマン』や近代ドキュメンタリードラマ『ミュウツーの逆襲』、古今東西の物語を再現している。このままでは物語の脚本に沿って、乗組員同士での殺し合いが始まってしまう。
 幸いなことに、私とコール、副長はゾロアークの脚本に含まれていないらしい。だが、いずれは我々も物語に組み込まれてしまうだろう……。

「今そんなことしている場合?」
 生真面目に端末で航界日誌を録音するウォーレンに、コールは吐いて捨てた。息を吸った拍子に埃を吸ったのだろう、けほけほと咽せて顔をそらす。
 ここは古屋の喫茶店、何年も手入れが入っていない。テーブルと椅子には埃が積もっている。一体これが何の舞台なのかは分からないが、ようやく落ち着ける場所を得て話し合う余裕ができた。
「記録を残すのも船長の責務だ。我々がここで倒れる運命だとしても、地球連合艦隊にこの驚異的な存在と遭遇した経験を送っておきたい」
「次に他の船が遭遇したとき、対処法を考慮するためのデータが必要です」
 珍しく意見が合ったようだ。ウォーレンとシラモは視線を交わして、互いに眉をツイッと上げた。
「しかし神を相手に、一体どう抵抗すればいいんだ?」ウォーレンは窓から外を伺いながら言った。
「動機は非常に稚拙ですが、そのパワーは我々の能力を遥かに超えています」シラモはコップと皿に水を注ぎながら返す。「あらゆる抵抗は無意味となるでしょう」
「それなら、なんで私たちだけ操られていないの?」シラモが床に置いた皿から、チロチロと水を舐めながらコールが言った。
「抵抗する我々を見て、楽しんでいるのでは」
「本当にそうかな」シラモから貰った水にひと口つけて、ウォーレンは考え込んだ。
 もしも自分がゾロアークのように、物事を思い通りにする力を持っていたら。最初のうちは楽しいだろう。今までできなかったことをたくさんして、万能感に酔いしれる。しかし、そのうち飽きてくるはずだ。新たな刺激を求めて、過激なことを求めていく。その成れの果てが、今のゾロアークだとしたら。
「彼は空想の産物に、すなわち物語に異常な興味を示していた。つまり彼は、この船と我々を使って、作り出そうとしているんじゃないか? 誰も見たことのない、予測不可能な物語を」
「だから『私たち』というイレギュラーを残したのね。物語に弾みをつけるために」コールは皿から顔を上げた。「それなら『何もしない』ことで、奴の脚本を台無しにしてやりましょ!」
「それで怒りを買ってしまったら?」シラモは首を横に振る。「興味をなくして、船と乗組員をこのままにして去ってしまう恐れもあります」
「じゃあ奴のクソみたいな脚本に沿って、徹底抗戦でもやってみる? 思い通りになったとしても、船を元通りにしてくれる保障なんてどこにもないじゃない」
 言い合うふたりの会話の中で、ウォーレンは静かに閃いていた。
「神に従っても背いても、結局我々は采配ひとつで運命を決められる奴隷のままだ。それなら……神にビジネスを提案しようじゃないか」
 一体何を言っているのだろう。コールとシラモは顔を見合わせて、同じように首を傾けた。

「ゾロアーク! そこにいるんだろう、姿を見せろ!」
 セキエイ高原、ポケモンリーグ決勝の地。バトルフィールドのコートに堂々と立ち、ウォーレンは叫んだ。チャンピオンに挑む直前の緊張感を思い出す。あの頃は自分とパートナーたちが積み上げてきた誇りと名誉を懸けていたが、今はさらに二百名近い乗組員の命も加わる。昔と違って緊張で膝が震えていないのは、不思議と落ち着いているからだ。この理不尽な暴力を止めねばならない。だが、退屈を嫌う動機もよく分かる。ポケモントレーナーの旅に出た十歳の自分も、同じ理由で新しい物語を追い求めていたからだ。
 程なくして、ゾロアークはスタジアムを埋め尽くす観客の熱い喝采を浴びながら現れた。スポットライトを一身に浴びて、コートの地を踏むと、長い立髪を揺らして大手を広げる。まるで英雄気取りだ。
「待っていたぞ、船長! やはりお前を自由にしておいて正解だったな。どうやってこの俺を楽しませてくれるんだ? 控え室に隠れているゾンビ肌の女と小狐ちゃんが何か企んでいるのか? さあ、早く秘策を見せたまえ!」
「そんなものはない」
 熱気を一刀両断した。文字通り。その瞬間、ゾロアークは拍子抜けして目を丸め、あれだけ賑やかだったスタジアムはシンと静まり返った。
 臆するな。ウォーレンは腕を組んで続けた。
「だが、かわりに面白いものを提供してやる。お前が何よりも渇望していたもの……誰も見たことのない物語だ」
 観客席にどよめきが広がる。ゾロアークが手で合図すると、再び静かになった。
「興味が湧いてきたぞ、続けろ」
「君には時間、空間、物質を支配する力がある、確かそう言っていたな」
「もちろんだ」
「ではその力を使って、プロメテウスの……この船の過去と未来を見ることができるか?」
「当然。それどころか地球の過去は全部見たぞ、飢餓に戦争、宗教、伝説、その歴史はエンターテイメントに満ち溢れている! だからこそお前たちなら俺を楽しませてくれると思った。今のところ、少々見当外れでガッカリしているがな」
「未来はどうだ?」
「あいにくそっちはできるだけ見ないようにしているのだ、結果が見えている物語ほどつまらないものはない」
「それは良かった」
「良かった?」
 ウォーレンがニヤリとほくそ笑むと、ゾロアークは対照的に口角を下げた。
「君は過去の物語をシチューみたいに混ぜることで、新しい物語を作ろうとしたようだが、それではダメだ。プロメテウスは未知の文明や生命と出会うために、ウルトラホールを旅している。この冒険を通じて、我々自身が、日々新たな物語を作っているんだ。冒険を続けさせてくれれば、君にもっと面白い物語を見せてやろう」
 聞き入っていたゾロアークは、冷ややかな目をしていた。
 この俺に説教などしやがって、生意気な。ゾロアークは今にもウォーレンを足の生えたヒンバスに変えようとしていた。だが奴の言い分にも一理ある。船の寿命次第では、何十年か暇つぶしができそうだ。もっともそれは、この船が今後も刺激的な事件に見舞われるかどうかによる。それなら、ほんの少しだけ未来を覗いてやろう。なに、気に食わなければ地球を滅ぼす星食いアクジキングを作ればいい。
 ゾロアークの瞳に一頁、二頁先の光景が映った。ウォーレンにはその事を知る由もない。だが、ジワジワとニヤケ面が浮かんでくる様子を見て、確かな手応えを感じていた。
「交渉成立かな?」
 尋ねると、ゾロアークは言うまでもないと言わんばかりの不敵な笑みで……船長席に座り込んだ。

 気がつけば、ウォーレンとゾロアークはプロメテウスのブリッジにいた。乗組員たちもすっかり元通りだ。しかし時間が止まっているのか、乗組員たちは今にも動き出しそうなのに微動だにしない。
 ゾロアークは爪を組んで彼を見上げた。
「船の冒険を続けることで、面白い物語を見せてやる。お前は大胆にもこう言ったな。ではこの先に何が待ち受けているのか、お前は知っているのか?」
「いいや、分からない。だからこそ過去の経験とデータを使って、我々は未知のものに立ち向かうんだ」
「大した自信ではないか。お前がこれから踏み込んでいこうとしている世界には、その貧相な想像力を遥かに超えるものが待ち受けている。魂も凍りつくような恐怖だ……来たるべき試練に備えたまえ、ウォーレン船長」
 ウォーレンの耳にこだまする声を残して、ゾロアークは幻影のように消えていった。

きとら ( 2020/12/07(月) 19:47 )