第1話 ある世界の昔話
そのゾロアークは、神にも似た力を持っていた。穏やかな花畑を一瞬にして不気味な底なし沼に変えたり、お菓子の雨を降らせたり、いろんな物の大きさを小さくしたり大きくしたり。とにかく世界を好き放題に弄り倒しては、そこに棲んでいる人やポケモンを大いに困らせて遊んでいた。
どうせ幻影だろうが、こうも悪さをされてはたまらない。住民たちは怒って、次々に武器を取る。討伐のためにポケモンたちと立ち上がり、青空を粘土のようにこねて遊んでいるゾロアークに襲いかかった。「覚悟しろ、この悪鬼め!」と。そして、全員コイキングに変えられてしまった。
「あれは幻影なんかではありません!」
命からがら逃げてきたエルフーンは、王様の前に平伏して、涙ながらに懇願した。
「まごうことなき現実でございます! わたしの兄も、無力なコイキングにされてしまいました。王様、どうかあのバケモノを退治してください!」
王様はとても困っていた。どれだけ屈強な兵隊を差し向けても、ゾロアークのオモチャにされてしまうのが関の山だ。どうしたものかと困っていたところに、異界から訪れたという旅人が知恵を授けてくれた。
「この世界を困らせているゾロアークは、私と同じく、異界からやってきた者にございます。であれば、彼奴を止められるのも私だけしかおりませぬ」
「では、其方が悪鬼を倒すと申すのだな?」
「さよう」
そう言ってくれるのはありがたいものの、王様は心配だった。なにしろ、この旅人があまりにも頼りなかったからだ。手足は細く、とても戦士には見えない。しかしこのまま手をこまねいている訳にもいかないので、ひとまず任せてみることにした。
好きな武器を持っていくがよい、と王様が言うと、旅人は首を横に振って断った。私にはこれがあります、と言って見せたのは、何の変哲もない、焼き物のような石の玉である。
こんなものを投げて当てようとでも言うのだろうか。王様はすっかり呆れて、次に送り込む討伐隊のことを考え始めた。
旅人がゾロアークのもとへ向かう頃には、世界が混沌に覆われていた。大地から降った雨は天に昇り、コイキングが空を泳いで、家は逆さに立っている。人々は悲しみに笑って、太陽が山の上で踊っていた。
「ゾロアークよ、なぜこの世界を苦しめるのだ!」
旅人が尋ねると、ゾロアークは雲のベッドに寝そべったままニンマリといやらしく笑った。
「そんなの決まってるだろ、退屈だからだよ。この世界に暮らす連中は見ていて息が詰まりそうだ。働いて、遊んで、食って、寝て、時々交尾する。それを何千年も繰り返してきた。なんて面白くない現実なんだ。そんなものは俺の幻影で面白いものに書き換えてやる」
「では、どうしてもやめないと言うのだな?」
「お前もしつこいぞ。そんな奴はコイキングに変えてやる……いや待てよ、足の生えたヒンバスの方が面白そうだ」
ゾロアークが何に変えるか迷っている間に、旅人は石の玉を天に掲げた。何だそれは。興味が湧いたのか、ゾロアークは雲の上に胡座をかいて眺めている。
すると、石の玉が太陽のようにまばゆく輝き始めた。思わず目を覆うと、不意に身体が玉に吸い寄せられる。ただの目眩かと思いきや、力はどんどん大きくなり、まるでブラックホールのように引っ張られた。
これはいかん! ゾロアークは玉をクッキーに変えようとしたが、もう遅い。玉はゾロアークを中に吸い込んでしまうと、うんともすんとも言わなくなってしまった。
「よくやってくれた!」
ゾロアークが封印されたとの報せを受けて、王様は大層喜んだ。世界はすっかり元に戻り、悪鬼も消えて万々歳だ。ぜひ娘の嫁にと声をかけたが、旅人はやんわりと断って、かわりにひとつの忠告を残す。
「王様、どうか気をつけてください。この宝玉は悪鬼を封じる力を持っていますが、封印の儀式を欠けば力も弱まります。千年に一度、聖なる彗星が訪れる夜に儀式をなさってください。これを怠れば、悪鬼は再び蘇ります」
忠告を聞いた王様は、しかと聞き届けたぞ、と気前よく頷いた。
それから一年、十年、百年、千年と時が経ち、一万年後、ここまで欠かさず千年儀式を執り行ってきた王国は、異界の侵略を受けて滅びの道を辿ってしまう。そして十万年の時が経つ頃には、様々な世界から盗まれた遺物の並ぶブラックマーケットの隅っこに転がっていた。
この石がどこから来たのか、何が入っているのか、知る者は誰もいなくなっていた……。