序章
プロローグ
 地球暦 2117.03.28

 嵐が近づいていた。それも地平線を覆い尽くすほど特大級で、電気石の洞穴よりも激しい電流を帯びている。生身で遭遇すれば、電気タイプのポケモンでも一貫の終わりだろう。
 雪のように白い髪が強い風に流されて、少女の自信に満ちた顔を撫でる。嵐でも何でも来るがいい、そう言わんばかりに。名前はミオ。十代の血気盛んな少女に、恐れるものなど何もない。
 ここは乾いた岩山。空は分厚い黒雲に覆われて、光が差し込む一分の隙間もない。そのかわり、野に咲く草木が電球のように光っている。ただの草木ではない、デンジュモクだ。見れば見るほど空も、大地も、何もかも地球の環境とは程遠いことがよく分かる。

 少女ミオを含めた三名(地球連合艦隊の青い制服を着た人間二人とミュウツー)は、昼過ぎから岩山の山頂を目指していた。ミオは足取り軽く進む。対してすぐ後ろに続くミュウツーは、何やら注意深くデンジュモクたちに一瞥を送っている。ミオはときどき後ろを振り返っては、そんなミュウツーを見て、「見た目と違って慎重なんだなぁ」と思わず笑ってしまった。
 さて、その道中のことである。先頭を歩くミオの背中に向かって、ミュウツーは苦言を呈した。
「だから言ったのだ、早く切り上げて帰るべきだと。それを呑気にデンジュモクなんか助けているからこうなる」
「地球連合艦隊の一員なら、困っているポケモンを見捨てないの。怪我をして弱っていたデンジュモクは特にね」ミオは誇らしげに小さな胸を張って続けた。「大丈夫だよ、ミュウツー。あたしたちはちゃんと家に帰れるから」
「どうやって? 迫りつつある電磁嵐のせいで『船』と連絡が取れず、『船』も俺たちを見つけられないんだぞ」
「この岩山の頂上まで登れば、電磁波の影響も弱くなるはず。そうすれば『プロメテウス』に助けを呼べるようになって、あたしたちは家に帰れる。ほらね、大したことないでしょ!」
「そう上手くいけばいいがな」
「まったくもう、君は本当に心配性なんだから」

 景色を楽しみながら最後尾を歩いていた男、ウォーレン船長の視線は、ミュウツーの揺れる尻尾に向けられる。うっすらとシワを刻んだ目尻が鋭く尖った。
「ミュウツー、お前の意見はどうだ?」
「非常に単純な話だ。俺の『サイコキネシス』なら、どんな嵐でも吹き飛ばせる。良ければ、今からやって見せるが?」
「それは許可できないな。あの電磁嵐が我々には致命的でも、デンジュモクには大いなる恵みだ。年に一度の大嵐を消せば、電気を主食とする彼らが飢えてしまう。ひとつ聞くが、君は消した嵐を元に戻せるか?」
 壊すのは簡単だが、創るのは難しい。沈黙を返事として、ミュウツーは視線をぷいと逸らした。

 一行はゴツゴツした岩肌にも足を取られることなく、しっかりとした足取りで着実に進んでいく。途中、ミオは背筋を伸ばして遠くの景色を見渡した。地平線まで広がる電子の森。青白く光るイルミネーションのような木々。ここが自然の中とは到底思えないほど、この森は人工的な美を感じさせた。
 それもそのはず、ここは地球の上にはない。ウルトラホールの彼方に点在する無数の世界のひとつなのだ。
「信じられない……あれが全部デンジュモクだなんて」ミオも続く。「しかも大きさがバラバラ、あの子なんてミアレタワーよりも大きいよ」
 指さす先、天にも届くほど高くそびえるデンジュモクを見上げる。ウォーレンも「まったくだ」と感嘆の息を漏らした。
 なんて呑気な連中だ。ミュウツーは小さく首を横に振った。
「何か忘れていないか? 俺たちはこの電磁嵐で、まさに遭難中だ」
「道中は楽しまないと損だよ」
 笑顔のミオに言われて、ミュウツーはため息と共に肩をすくめた。

 二時間ほど歩き続けて、やがて一行は山頂まで辿り着いた。激しく渦巻く雷雲も壁が、すぐそこまで迫っている。吹き荒れる風も一段と激しくなってきた。
 あれ、これってまだ大丈夫だよね。ミオは徐々に不安が込み上げてきたが、ミュウツーにそれを悟られたくなくて、わざと背中を向ける。通信端末を握って、内心祈りながら呼びかけた。
「こちら上陸班。『プロメテウス』、応答してください」
 返ってくるのは電磁嵐に乱されたノイズばかり。望む答えは返ってこない。端末のボタンを何度も押して、ミオは通信を繰り返した。
「聞こえてますか? 応答してください」
「無駄だ、嵐が強すぎる。信号は船に届いていない」
 そら見たことか。ミュウツーはしたり顔で腕を組んだ。
 ミオは呆然と立ち尽くす。恥ずかしさよりも、明日自分が存在していないことが急に恐ろしくなってきた。もうじき嵐に呑まれて死ぬ。今さらミュウツーに頼んで、嵐を消してもらう訳にもいかない。何より、ウォーレンがそれを認めない。
 どうにかならないだろうか。すがるように彼を見たが、その落ち着いた素振りに、自分の小ささを思い知らされた。

「せ、船長……あの……ご、ごめんなさい、あたしがデンジュモクを助けたいなんて言わなければ……」
 声を震わせて首を垂れる少女を、どうして責められようか。ふぅ、息を吐いてウォーレンはミオの頭をくしゃりと撫でた。
「君も艦隊の一員ならば、命を助けたことを後悔するな。その決断に誇りを持て」
「たとえ死んでも、ですか?」
「死んでも? それは悲観的過ぎるな」
 ウォーレンは確信めいた笑みを浮かべて、天を仰ぎ見る。
 すると、異変が起こり始めた。空気と大地が震えて、激しいエンジンの噴射音と共に、分厚い雲海が割れる。そして、空から巨大な金属の物体が舞い降りてきた。それは気品と威厳が漂うルナアーラのように、優雅で力強い美しさを帯びている。稲光を反射する白銀の円盤。下部デッキに繋がる第二船体からは、四本のシリンダーが後部に伸びる。海を走る帆船とも、空を飛ぶ飛行機、宇宙船とも違う。ウルトラホールを泳ぐ船、『航界船』だ。円盤部の船首に沿って、『U.I.S.PROMETHEUS』の船名が刻まれていた。

「ど、どうやって……!?」
 ミオが口を開けて驚いている傍ら、ウォーレンは満足げに頷いた。
「艦隊士官は敗北のシナリオを認めない。そうだろう、ミュウツー?」
「ふん」
 ミュウツーがどこか得意げに鼻を鳴らすと、皆の周りに光の粒子が集まってきて、あっという間に覆われる。瞬間それは弾けて、彼らの姿はきれいに消え去った。『テレポート』のように。

 三名を『転送』すると、船は船首を翻し、エンジンの轟音を立てて上昇していく。彼らが去っていった後、岩山には電磁嵐の中でも一際目立つまばゆい光が点々と灯っていた。それはミュウツーが道すがら『サイコキネシス』で直列に結んだデンジュモクたちだ。
 我々の子供を助けてくれてありがとう。チカチカとまたたく無数の光が、雲海を超えて旅立つ船に、感謝のメッセージを告げているようだった。

きとら ( 2020/11/28(土) 23:40 )