56話 およそ田舎のカフェ
セイラがアルストロメリアからパトラスのギルドが存在する大陸へ訪れて二日目。彼女はギルドの階段のすぐ真下に位置する地下カフェを訪れていた。一日目にもここに訪れたが、素朴で特に面白いと思うところも無いが、なかなかドリンクを作っているポケモンは良い腕をしているようである。何やら「今日の出来は非常にいい」と言いながらグミジュースを作ってくれた。自分が持ち込んだ食材であるゆえにそれなりに美味しく作ってもらわなければ困るのだが、お金がいらないというのは中々素晴らしい。トレジャータウンのポケモン達に重宝されているわけだと感心した。
料金別にはなるが、カフェにはスイーツもあるようである。昨日は手を出さなかったが、今日は何か頼んでみようとメニューを開いた。
周囲を確認する。「クロッカス」の二匹が在籍していたギルドのすぐ前にあるので、二匹がここに現れる可能性もあり得る。あまり長時間滞在するつもりはないが、ばったり遭遇、と言う訳にはいかないだろうかと少し思ったりもした。
伝票のようなものを落としたのだろうか。あわあわしながら床に落ちた紙を拾っているポケモンの背をポンと叩くと、ポケモンは一瞬で身を翻して勢いよくセイラから距離をとった。今から戦闘でも行うような態勢、目は警戒の色を示しているが、セイラが客だと思い直したのであろうか。ハッとしたかのように態勢を崩した。
店員であろうユキメノコが申し訳なさそうに目を細めて頭を下げる。
「す、すみません、驚いてしまいました」
「いいえ、声をかけた方が安心しますわよね。こちらこそごめんなさい。注文よろしいですか?」
「どうかなさいました?」
ユキメノコの様子が気になったのか、もう一匹の店員であるニンフィアが他の仕事を終えてやってきた。あまり一か所にポケモンを集めてしまっては申し訳ないので、手短に注文を済ませて席に戻った。
「あんまり気を張らないでね」
「すいません、気を付けます」
ユキメノコは新人のようである。少し申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、ニンフィアと一緒に厨房の方へと向かって行った。セイラは特に気にもしていない様子で、荷物からメモを取り出すとペンを片手に考え事を始める。
暫くすると、先程のニンフィアの方が「アップルパイ」を運んできた。カフェやパンを売っている飲食店で重要なのはこのアップルパイである。
運ばれてきたアップルパイは、アルストロメリア程につやつやと派手な飾りつけも無いが、十分に食欲をそそる香りと素朴な質感だった。木のフォークを差して食べると、何やら不思議な味がした。アップルパイはアップルパイだ。林檎は殆ど煮崩れしておらず、シャキシャキと歯切れがいい。豊潤な蜜。微かなハニーミツの香りがする。しかし、少し癖がある。全く嫌いではないし、むしろ好きではあるのだが、何だろうこの味は。味という味でもない、風味である。独特な風味、香り。花に似ているが、ハニーミツからのものとはまた違う気がする。
「……これ、何か特別なスパイスでも入っていますの?」
「スパイス?」
「いえ……食べなれない味なので。とても美味しくて」
「良ければシェフに聞いてきましょうか?」
近くでテーブルの片づけをしていたニンフィアは台拭きを持った触手を止めると、厨房の入り口まで歩いて行き、カウンターの小さな窓から声をかけた。忙しい時はあそこから連絡を取るのだろうか。
「……?」
ニンフィアよりかなり上背のあるポケモンが窓から顔を出す。凛々しい顔つきのコジョンドが静かにニンフィアの質問を聞いていた。喋るのかと思いきやメモを取り出し何か書いているようだ。厨房はあまり喋らない決まりでもあるのか、それともポケモンの個体的な事情なのか。どこか見覚えのあるようなその佇ずまいに少し目を奪われつつ、まぁいいかとアップルパイに視線を落とす。
「お待たせしました。すいません、メモを頂いたのでよろしければ参考までに」
「ありがとうございます。……あら」
綺麗な字、と思わず口に出る。王宮は筆を使う仕事も多かったのでそれなりに色んな字を見ているが、四足歩行のポケモンが補助ペンで書いたよくわからない字、それでもそれなりに綺麗な字、手を使いやすいポケモンが書いた気取った字、色々と見てきた。それは微かに丸みを帯びて、出しゃばりすぎず小さすぎず滑らかな線で書かれた字だった。
「……グラシデアの花蜜……グラシデア……ですか」
「はい。常連さんが「空の頂」にのぼったようで、お土産に買ってきてくれたものを混ぜたみたいで」
グラシデア。花の大陸と呼ばれているアルストロメリアが位置する大陸にも殆ど咲いていない、珍しい花。まさかミツを食べるなんて、ちょっとアルストロメリアでは考えられない。
ニンフィアにお礼を言うと、彼女はいそいそと仕事に戻っていった。この大陸ならではのスパイスかと思ったが、そうではなく「この店限定」らしい。グラシデアの花の蜜なんて希少品も希少品。面白いな、と思いながらこの店のシェフが書いてくれたであろうメモ書きを自分のメモ帳に挟んだ。
暫く少し苦めのグミジュースと甘いアップルパイを楽しんでいると、次はセイラの方がとんと体に触れられた。否、体に触れられた、と言うよりも、首にぶら下げているネックレスに用があるようである。体を咄嗟にひねると、首元に伸びていた手はセイラの肩を掠めた。
「お嬢ちゃん、育ちの割に勘が鋭いみたいだね」
「あら、どちら様ですの?」
ひょいと椅子を下りて距離をとる。鋭い鉤爪から素早く離れると、いつの間にか背後を取っていた無礼なポケモンを見上げた。
「あんた旅のポケモンかい?それなら尚更アタシの事は知らないか」
「さぁ……随分野蛮ですわね。白昼堂々と泥棒なんて」
不敵に笑う一匹のマニューラが佇んでいる。相当場数を踏んでいるのか、その佇まいから其処らにいるコソ泥ではないことは直に分かった。
「しかも探検隊ギルドのすぐ目の前。助けを呼ぼうと思えばすぐにでも誰か駆けつけますのに」
「フン。別に今じゃなくたって良いさ。
……そのネックレスにぶら下がっている宝石、どうも面白いね。よければどんなものなのか教えてくれないか?」
「ただの雑貨屋に売ってたネックレスですわ。お気に入りですの」
「へぇ」
マニューラの目つきが鋭くなる。軽く舌なめずりをしたのを見ると、セイラは微かに身の危険を感じ頭の後ろの房に力を込めた。
「いくらで買ったんだ?」
「さぁ、よく覚えていませんわ。でもその程度のものでしょう」
「よく見せておくれよ。きれいなピンク色だね」
完全にロックオンされている。仕方がない、と席を立つと、アップルパイ分のお代を近くで様子をうかがっていたニンフィアに渡した。話は外に出てからだ。もし戦うことになっても、近くにギルドがある。騒ぎを聞いて誰かしら駆けつけるだろう。
マニューラと二匹、連れ立って出ていこうとすると出入り口から新たなポケモンがカフェへと入って来た。セイラより大きな影が三つ、マニューラはその三匹を見て目を細め、足を止めた。
「あら、まぁ……」
おちょぼ口、鍛え上げられたしなやかな体のポケモンがマニューラを見て呟く。賢そうで凛とした佇まいの細身のポケモンは驚いたように口元を手で押さえ、ルビー色の目を見開いていた。
フワフワの毛で覆われた耳をかき上げる。そのすらりとした美しい両脚で力強く立つポケモンがマニューラの方に妖艶な笑みを向けた。
「あらあら、お久しぶりね!セリシア!」
「……チッ」
どうも、トレジャータウンというのは本当に田舎のようで、数歩歩けば皆知り合いのようだ。セイラは転がる展開に辟易し、小さくため息を零した。
* * *
依頼を終えたアカネとカイトは閉店間際のカフェに立ち寄った。殆どカフェ内にポケモンはおらず、仕事を終えてぐったりと疲れたスノウがカフェの隅っこでノギクの作った賄いを食べていた。斜め後ろからみたその姿はうつらうつらとしており、相変らず仕事にはあまり慣れていないようだ。
二匹は適当な席に座ろうとカフェを見渡すと、角の席に一匹で座りジュースを啜っている一匹のポケモンを見つけた。赤と黒で構成された体である。カイトはその後姿を見て目を細めたが、アカネはスタスタとそちらに寄っていき、そのポケモンの真横の席に飛び乗った。
「その腕どうしたのよ」
「……あぁ。ちと懐かしい奴と会ってやり合ったんだ」
チームMADのリーダー、セリシアだった。その腕にはぐるりと白い包帯が巻き付けてある。自分で巻いたのだろうか、包帯の一番上に歯型がついている。近づいても血生臭いということもないのでおそらく掠った程度の傷だろう。
「治してあげましょうか?」
「ちょっと偉くなったくらいで舐めたこと言ってるんじゃないよ」
グリグリと鋭い爪のついた手でアカネの頭を撫でた。それを後ろから眺めながら、あの二匹は妙に仲がいいのかと眉をひそめる。閉店作業を進めていたレイチェルが軽やかに横にやってきて、カイトと一緒にセリシアとアカネを眺めていた。
「セリシアさん、お客さんとしてはとっても良い方なんですけどね。朝方も騒ぎを起こしたとかであのケガをされたみたいです」
セリシアはアカネに治療されることを普通に嫌がっていたが、アカネもなんでも良いと思っているのか特に反発している様子がない。初めて二匹が出会った時のことは憶えているが、普通に「馬が合う」というやつなのだろうと思う。探険隊と盗賊団のリーダーが型を並べてカフェにいるというのは中々妙な光景であるが、今は客が全くと言っていい程いないので特に咎める理由もない。遠目に見たセリシアは相変らずブスッとしていたが、会話をしているアカネは妙に楽しそうである。
「何か召し上がりますか?」
「閉店近いのにいいの?」
「いいでしょ」
にこりとレイチェルは笑う。カイトもとりあえず笑い返すと、お言葉に甘えてと席に座り、食事が運ばれてくるまでアカネとセリシアの後姿を眺めていた。
「結局、セリシアはどうしたって?」
「さぁ。喧嘩して腕をやられたらしいわ。けど自分から話し出さないからどっちだっていいんでしょ」
アカネと雌のマニューラ・セリシアが話をしている間、カイトはレイチェルと他愛の無い話をしていた。レイチェルによれば、朝にカフェで食事をしていたポケモンにセリシアが絡んでいたらしい。その場面にたまたま別の探検隊が現れ、セリシアを引き受けたそうだ。絡まれていたのは見覚えのないポケモンで、その場に現れた探検隊はかなりの大物だったらしい。状況が状況だけに喜んでいられなかったが、内心はかなり舞い上がっていたそうである。
『噂には聞いてたんですけど、本当にうつくしい方々なんです!彼女たちを描いたイラストや”しゃしん”はとにかくファンの間でも大人気だったんですよ!わたしも一枚持ってるけれど、やっぱり色々感じるオーラが違います!』
どれだけ嬉しかったかすごかったかを子供のように語るレイチェルだったが、カイトは特に何を思う事も無く「そうなんだ」と半分聞き流すような姿勢で話していた。おかげでその探険隊のチーム名もはっきりと憶えていない。チャーミングだったかプリティーだったか、そんな名前であった。
「相手は探検隊だとか」
「MADと渡り歩くのはなかなかよね」
「かなり有名みたいだし」
何となくお互いが話していた内容について伝え合う。アカネの視線は真っすぐサメハダ岩に向かっていたが、カイトの視線が自分からそれていることを感じると彼を見上げた。一歩後ろに下がって、彼の首から下にそっと視線をやる。カイト側がいつもアカネに歩幅を会わせているので、それに気が付くのは早かった。
「アカネ、疲れた?」
いつもは何も言わずにカイトもスピードを遅めるのだが、何故かカイトはしっかり振り返ってアカネと目を合わせてくる。アカネは何ともないように軽く口角を挙げると、なんでもないと言って少し足を速めた。この方がカイトにとっては歩きやすいのである。