55話 動き
広大な大陸の中に存在する王国・アルストロメリアにて
三匹のポケモンが真っ白な岩を削って作ったような巨大な施設の前に立っていた。施設には煙突のような物が一本屋上に存在する。出入り口には特殊な素材が使われた扉が施設に侵入しようと企む者を堅く阻んでいた。
エレブー、ライボルト、ワカシャモ。三匹のポケモンはそれぞれ顔を見合わせ、電気属性の二匹が扉に高電圧を加える。落ち着いたころ、ワカシャモがその自慢の筋力で扉をこじ開けた。
三匹は襲撃者ではない。また、この白い施設、もとい研究所の中にいるのも決して悪役ではない。三匹は行く手を阻む扉を出入り口の時と同じ要領で潜り抜けると、その奥の奥に存在するメインルームを目指した。
メインルームの扉を突破すると、いくつもの複雑なケーブルや機械、チカチカするほどの光に満たされた空間が現れる。その壁や床は土を練ったものを詰め込んで削ったまま放置されていて、非常に無機質であった。
「コンスタンス所長!!お邪魔いたします!!」
「失せろ」
三匹はメインルームの奥に座り本の中に埋もれている一匹のポケモンに声をかけた。頭に顎のような形をした大きな房を持ち、可愛らしいフォルムと特注の眼鏡。サイズが若干あっていない白衣を身に纏ったポケモンは、本を閉じて同時に何かをいじくりまわしていた手を止める。その紅色の目をぎろりと本の間からのぞかせて三匹に応答した。チッ、と鋭い舌打ちが響き渡る。
「入室許可をした覚えは一切無い」
「強引にお邪魔したことは申し訳ありません!実はセイラ・コンスタンス様が行方を暗ませておりまして……」
「貴族かぶれのような話し方をする人間狂いの特殊性癖持ちなぞ知らん」
「いや、あなたの妹でしょう!」
三匹のポケモンは王国に使えるポケモン達であった。そのポケモン達にコンスタンス所長と呼ばれ、悪態をついているポケモンはクチートである。彼の名前はレイジ・コンスタンス。セイラ・コンスタンスの兄である。クチートに合わせて作られた特注の眼鏡をかけ、白衣を身にまとい、この研究所に籠り一匹でいつも何かの開発に勤しんでいる。
彼はすこぶる態度が悪く、口も悪い。
「チッ。おまえらのような低能のカスが近くにいると集中できない。誰のために研究をしていると思っている?何故ここにいるんだ、分を弁えろクズども」
「申し訳ありません。ですが、セイラ様に急な要請がありまして」
レイジ・コンスタンスのこのような態度には慣れっこである。胃もたれするほどの彼の口の悪さと態度の悪さは国でも有名であるが、それ以上に国への貢献度が凄まじい為に誰も文句を言う事はない。三匹も度々連絡に使われるが、息をするように舌打ちと罵詈雑言を浴びせてくるこの態度にはもう慣れっこだ。否、慣れるしかなかった。
「チッ。俺はあいつのことはただの器用貧乏だと思っている。多才に見えるが特に秀でた所も無いしな。そんな奴に縋ってばかりで王宮は正に無能ばかりか。
あの馬鹿猫はどうしてる。外国産の電気ネズミを捕まえ損ねたらしいじゃないか。まったく、王族が情けない」
嘲笑するようにそう言った。自国の王に使えるポケモン達の前で王の悪口を平気で言うのである。罵詈雑言が少し口を開けば出てくる出てくる。しかしこの口の悪さに慣れているのは下っ端だけではなく、アルストロメリア王・ジルバスターですら音を上げ、ため息をついたのである。
「はあ、さようで。それで、セイラ様は……」
「はっ。
無能でも俺の妹だ。無能より無能なお前らには想像もつかない場所にいるかもしれないな。俺は知らないが」
「は……はぁ?」
「何処にいるのかなぞ知らん。興味もない。おい、それに近づくな。クソ、機械にも馬鹿がうつるだろうが。さっさと出ていけ。邪魔だ」
レイジは頭の後ろの顎を大きく開いてポケモン達を威嚇した。それぞれ顔を見合わせながら、「今回は一旦引こう」と言わんばかりに駆け足で施設の通路を逆走していく。本当の顔の小さな口から再び舌打ちが零れる。頭の後ろの顎が苛立ちを表現するかのように口を大きく開けて暴れている。
「……あの馬鹿女……勝手に持ち出したな」
何度目かわからない舌打ちが響き渡る。次に大きくため息をつくと、先ほどまで自分が立っていた位置に戻っていった。
* * *
とある朝、商業に勤しむポケモン達と買い物客でにぎわいを見せていたトレジャータウンは、一層のざわめきを含んでいた。
コップとストローを片手に、もう片手にはコンパクトだが分厚めの本を持ち歩く愛らしいポケモンが居た。頭には大きな顎のような房を持つが、その顔は頭にぶら下げている武器とは相反して非常に可愛らしい。しなやかで小柄な体格と紅色の瞳、頭の房の付け根と首元には宝石のようなアクセサリーを身に纏っている。スッと背筋は伸びており、その佇まいはトレジャータウンに生きているポケモン達にはまるで異質なものに見えていた。
地下カフェで購入したドリンクをちゅうちゅうと啜りながらユラユラとトレジャータウンを散策している一匹のポケモン……クチートを、多くのポケモンが横目に歩いていく。
彼女はそのことに気が付いていながらも特に反応を示さない。興味を持っていない、といった様子であった。
(……予測はしていたけれど、本当に何もありませんわね)
クチートは軽く肩を落とす。この大陸には「時の歯車」とやらが密集していると聞いたことはあるが、現在は『時の歯車』と、自身の研究対象である『人間』との密接なかかわりは見つからない。そもそも、『人間』の伝説の発祥となっているのはこの大陸ではなく、大国『アルストロメリア』の存在する大陸である。ただし、この大陸には『人間』がいる。それだけでリスクを伴ってでもこちらに来る価値はあるというもの。
当の『人間』は見つからないが。
「……ちょっと、そこのアナタ」
「ヘイ?」
カクレオン商店の前で買い物をしていた一匹のヘイガニに声をかける。彼の名前はヘクター。この大陸に存在する『パトラスのギルド』の門下生の一匹であったが、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことだった。
「もしかして、チーム『クロッカス』のアカネさまとカイトさまをご存知じゃなくて?」
「ヘイ?アカネとカイト?勿論知ってるぜ!なんたって俺の弟分だからよー!」
「あら、それは偶然ね!もしかして、貴方も彼の有名なパトラスのギルドのお弟子さんですの?そんな方にお会いできるなんて、なんて光栄なのかしら」
愛らしい顔を存分に使ってヘクターに尋ねた。首を傾げて目を細め、体を前かがみにして軽くヘクターとの距離を詰める。そんな彼女に驚いたような反応をしたヘクターはすぐに顔を赤くしてデレデレと体を躍らせ始めた。
「へへへーい、そんなことないぜ……良ければ俺が連れてってやるよ!」
「あら、頼もしいですわね!」
「……ヘイ。ところで姉ちゃんはアカネとカイトに何の用だ?依頼か?」
「……えぇまぁ、そんなところですわ」
少し言葉を渋ったが、わざと考える様な仕草をして答えを濁らせた。ヘクターは少し不思議に思ったものの、今やクロッカスは『英雄』と言われている存在だ。どこの誰がクロッカスを尋ねてきてもおかしくはない。こんなうつくしいポケモンが、何か大切な用で二匹を尋ねるのも十分にうなずける。不思議には思ったものの、それだけだった。
今更であるが、このクチートはセイラ・コンスタンス。王宮に仕えつつ自身の研究にも励んでいるが、基本は頼まれたことなら出来るところまで何でもやる、と幅広い役割を担っているポケモンである。アルストロメリアのジルバスター王とも強いつながりを持ち、且つギルド・アークと言われる大陸内の巨大なギルドのポケモン達とも関わりを持っている。
そんなギルド・アークは非常に豪華な佇まいの建物であるが、『プクリン』というポケモンをモチーフとしたそのギルドは、セイラ・コンスタンスにとってはとても質素で小さなものに感じた。これが大陸一のギルドなのか、という驚きも含んでいる。都会育ちの為、『アルストロメリア』を出てみればどこもこんなものなのだろうと自身を納得させた。
「……アルストロメリアからは四日分も離れているし、こんなものね……」
「ヘイ?なんか言ったか?」
「いえ、何でもございませんわ」
愛らしい方の顔の口元を軽く隠してウフフ、と笑う。ヘクターについて地下へと下っていく。崖の上に立っているらしく、その内装は中々広い者であったが、アルストロメリアの『作りました』といった感じよりも、自然の地形をそのままにあまり手を加えず作っている印象が強かった。この様子では建物自体はこの先何年持つのだろうと若干心配になるほどである。様々な通路に目を配ったが、まるで『アイアントの巣』のような内部構造をしていた。
「ヘイ、フラー!今日はクロッカスの二匹見たか?」
「朝から元気ですわねぇ、ヘクター……って、キャーーーーッ!ヘクター!何故そんなに可愛い子を連れていますの!?」
ヘクターが声をかけたのは姉弟子であるフラーだった。そういえばフラーの喋り方とあのクチートの喋り方は似ているなァ、と少々キャラ被りが気になったヘクターであったが、其れよりもその後ろでギルド内を観察するようにキョロキョロとしている愛らしいクチートの方がフラーは気になって仕方がない。アクセサリーを付けていて、背筋も伸びててお洒落さん。なんて可愛いのだろうと胸がときめく。
「ヘイ!とりあえず質問に答えてくれって!クロッカス知らねぇか?」
「……クロッカスの二匹は一時間ほど前に出ていきましたわよ。あの調子じゃ今日は夜まで仕事じゃないかしら……大量の依頼書をはがして出ていきましたわ」
フラーの思い描いている今日の依頼掲示板は、カイトとアカネによって無残にはがされた依頼書の端っこだけが残っている。一部ダンジョンの殆どの依頼書がクロッカスによって回収されるのを目にした。相変らずすごい量の依頼を達成するのだな、と驚いたものの、加入初期から一日に依頼を五件達成していたのは割とザラだったため、珍しいことでもないのだろう。
「ヘイ?あいつらフリーなのにそんなに?」
「多分マナフィちゃんのことがあったからですわ。一日中働いて気を紛らわしているとか。アカネの体調が心配だけれど……って、あれ?」
フラーは不意に声を上げてヘクターの後ろをのぞき込む。それに誘導されるような形でヘクターも後ろを向いた。そこには誰もいない。先程の『可愛らしいクチート』の影も形も無かった。
「……静かに注目してくださるのならいいけれど、騒がれるのは少し困りますわ」
ギルドから出て、速足で階段を下りているセイラはぽつりとつぶやいた。
『アルストロメリア』のことはおそらくこの大陸のポケモンのほとんどが認識はしている。それがどのような大陸かも理解しているだろう。
ここで万が一『アルストロメリアから来たセイラ』とパトラスに伝わるようなことが有れば、『チーム・クロッカス』に再会する前に国に強制敵に返されてしまうこともあり得る。まずはセイラ自身を知るポケモンを味方につけて外堀を埋めていく必要がある。そのためにはまだ名前を尋ねられたり、どこから来たのかを尋ねられたりする状況は好ましくはない。セイラは勿論言い逃れをする自信があるが、万が一パトラスに伝わればそれも通じるかどうか怪しい。
ギルド・アークとのつながりがあるということは前回の渡航で既にわかっているため、下手をすればセイラの特徴を聞くだけで状況を把握されてしまい、国に連絡を取られる可能性がある。ギルド・アークのマスターや、関りは曖昧であるがジルバスター王でさえもパトラスには一目置いているという話もある。彼に下手に把握されてしまうのは避けたい。
お金なら山のように持っているため、セイラは適当な宿に泊まり、そこで夜を明かすことにした。あのフラーと言うキマワリの言うことが正しければ、おそらく今日会うのは難しいだろう。
「……ごめんなさいね、お兄様」
何に対する謝罪であるのか。セイラは宿屋の粗末なベッドに腰かけると、窓から青い空を見てぽつりとまた呟くのだった。