54話 いなくなった朝
キャモメ達が海上で鳴く声が響く。バリケードをすっかり取り払ったサメハダ岩の牙の隙間から太陽の光が差し込む。明るくて、眩しくて、暖かい。
「……う…………」
「おはよう、アカネ」
カイトの穏やかな声と共に朝の訪れを実感した。アカネはゆっくりと体を起こして周囲を見渡す。マナフィのベッドとアカネ、カイトのベッドを融合させた巨大ベッドは片付けられ、アカネのものとカイトのものが適度な距離を保ちつついつも通りその場に存在していた。
マナフィの痕跡は消えていた。ただ、彼が好んで読んでいた絵本、暇なときにいじくりまわしていた玩具が隅の方に袋に詰め込まれてしまっている。玩具達とバリケードの残骸は、ガルーラのリンダが営む預かり倉庫にでも置いてもらおうということになったのを思い出す。マナフィも、マナフィがいつも持っていたピカチュウドールもどこかへ行ってしまった。いつもアカネを強引に起こして遊びをねだっていたマナフィはもういない。
目の回りが突っ張る感覚がして触れてみると、アカネの目の回りは毛が涙で固まってカチカチだった。頭も少し痛い。おそらく酷い顔をしているのだろうと思い、アカネはふらりと立ち上がると水場で顔をパシャパシャと洗った。水が微かにしみて、少し腫れてしまった目の回りがヒリついているのを感じる。
「アカネ、調子はどう?」
「……大丈夫よ」
マナフィと別れたのは昨日の昼だった。サメハダ岩に帰るなり、ここ数日の疲れやストレスが一気に体にのしかかったのか、アカネは具合が悪く一日寝込んでいた。この部屋の片づけは、ガタガタと音をさせても身動き一つとらず眠っているアカネの傍でカイトが行っていたものだ。
目が覚めた時、いつも通りだったはずのサメハダ岩内部はいつも通りのようには感じられなかった。マナフィが居たのが普通だったのだ。
「片付けありがとう」
「ううん……寂しいね」
木の実を軽く器に盛り合わた物を手にもってアカネに微笑みかけるカイトの顔は、確かに少しだけ切なげで寂しそうだった。アカネは何も言わず俯くと、フンと小さく鼻を鳴らす。一体どう言っていいものかわからなかった。
「……アカネ」
「なに?」
「僕は……マナフィは忘れるかもしれない、なんて言ったけど。
忘れないと思う。また会えると思う。マナフィは海の王子だから、きちんと育って強くなったら、必ず帰ってくると思う。
生きてる限り必ず会える。必ず……うん、必ず。
だから、会えるまで頑張って生きる。うん」
「なにそれ」
こういう時、極端に触れずしれっとしているカイトらしくもなくそんなことを言うので、アカネは微かに笑みを浮かべた。カイトが励まそうとしてくれているのが伝わってくる。
「アカネ。どんな時でも体の事は本当に無理しないでね」
「でも、全然仕事してなかったから……今日からまた、がんばりましょ」
「お、アカネ珍しい。リハビリがてらランク低めのお尋ね者でも捕まえに行こうか」
「別に低くなくたっていいわよ」
ぐだぐだ無駄話をする。二匹は同時にバッグを肩にかけると、依頼書を求めてサメハダ岩から飛び出した。
マナフィと別れた日。
静かに寝息を立てているアカネが、きっと何も知らないのだろう。無意識に、時折ポロポロと涙を流す。カイトはサメハダ岩の片づけが終わった後、ずっとその顔を眺めていた。
カイトは勿論悲しかった。マナフィと離れたくない気持ちはあった。しかし、どこかそれを受け入れる気持ちがあった。
横になって赤い頬に涙を伝わせる彼女を見ていると、まるで「あの時」の自分を見ているようだった。カイトは布で何度もアカネの目元にたまる涙を拭いていた。暫く探検にも出ていなくて、殆どサメハダ岩に籠ってマナフィの世話をして、マナフィが病にかかり、暫く体を動かさない生活をしていたのに突然戦闘をすることになって、時空の叫びまで発動して。
疲れるに決まっていた。むしろ今まで殆どそれを表に出さなかったことに何らかの強さを感じる。アカネ自身、疲労や体調不良に気が付かなかったわけではないが、マナフィがいるから頑張ったのだろう。
「……アカネ」
「僕の気持ち、少しは分かった?」
「…………」
「分かってないだろうね」
「……はは」
「…………おやすみ」