49話 海辺のこども
カイトの作ったバリケードにより、サメハダ岩の牙の隙間を塞いだことで海はほんの少ししか見えなくなった。差し込んでくる光も減り、以前よりも内部は少し薄暗い。
マナフィが来てから一週間と少しの時間が経過した。相変わらずマナフィはアカネに良く懐いてべったりと張り付いている。少し毛並みが悪くなりくしゃくしゃになったピカチュウドールをいつも片手で握りしめていた。近頃はカイトが抱き上げても暴れたり不服そうにすることはなくなり、まるで親と認めたかのように笑みを見せる。
この一週間、定期的にペリーはマナフィの様子を見に来ていたが、これといって進展はないようだった。どうも海に知り合いがいるようではあるが、遠い場所にいるため連絡を取るのに少し時間がかかるそうだ。また、育て屋のアリーナと相談はしたらしいが、アリーナもマナフィについての情報は全くと言っていいほど持っていなかった。
謎の多いポケモンの子供。きっと海に生きる筈のポケモン。そんなマナフィは、今でも一応元気なまま楽しそうに暮らしていた。
「うみ!」
「え?」
いつものように遊んでいたマナフィは、床に散らかした絵本の一冊を指さしてアカネを見上げた。絵本の表紙には青い海が広がり、顔色の悪いヒンバスと美しいミロカロスが並んで映っている。先日カイトが勝ってきた絵本の一冊『みにくいヒンバス』だった。
「うーみ!」
マナフィはサメハダ岩の牙の隙間を手で示した。そこには今はカイトが作った簡易的なバリケードが存在し、海は殆ど見えない。しかし、微かな並みの音とほんの小さな隙間から見えている微かに揺れる青色。潮風の香り。
「…………」
「マナフィ、海に行きたいの?」
「うーみ!!」
「アカネ。マナフィも二本足で歩けるようにはなったし、よかったら海岸に散歩にでも行こうよ」
「…………あ、あぁ。そうね、海岸か。マナフィ、自分で歩ける?」
マナフィは笑みを浮かべると、ピカチュウドールを食料棚の横にポンと置いてふらふらと立ち上がり、少し足が重たそうには見えるがテチテチと歩いて見せた。
「さんぽー!」
「はじめてのお散歩だ」
そう言ってカイトはマナフィの片手を握り、もう片方の手をアカネがやんわりと握った。
あまり早い速度で歩くことはできないが、アカネとカイトが両手を握ってくれている安心感があるのかマナフィはすいすいとトレジャータウンの中を進んでいった。マナフィはまだ目で見ればわかるほどに幼く、そして容姿はとても珍しい。そのうえ両手を握っているのが『英雄』とされているチーム・クロッカスの二匹であるため、多くの視線を集めていた。
アカネとカイトは平然としているが内心はあまり心地よくない。そんな周囲の視線に気が付くことなく、時に上機嫌に軽くぴょんぴょんと跳ねながらマナフィは整備されたトレジャータウンの中央を突き進んでいた。
「かわいいこだなぁ」
「アカネさんとカイトさんの子供か?」
「馬鹿いえ、全然種族が違うだろ」
一方的にアカネとカイトのことを知っているポケモン達はそうやってコソコソと噂をしている。二匹は軽く顔を見合わせた後、視線を小さなマナフィへと向けた。なるほど、確かにこの様子ではまるで子供を連れだしている親のようだ。まだ日が高いので暖かい日向には他のポケモンや建物の影に混じって三匹の影も並んでいる。幸せそうな夫婦と子供の連れ添う影によく似ていた。
心地悪いやら、照れ臭いやら、複雑な心境になりながらもトレジャータウンを抜けてギルドと地下カフェの中央部まで歩いてきた。もう少しで海岸だというところで、地下カフェからひょっこりと顔を突き出した一匹のロコンとアカネは目が合った。
「その子がもしかしてまなふぃちゃん!?」
ロコンことシャロットは地下カフェを出入りする階段から飛び出すと、小走りでマナフィの方へと向かってきた。マナフィは憶えの無いポケモンにキョトンとしているが、その後ろから見覚えのある大きめの影がひょっこりと姿を現すと、嬉しそうに甲高い声を上げて笑った。
「シャロット。と、レイセニウス。こんにちは」
「よお……っと、マナフィ一週間ぶりだな」
「アカネさんカイトさんこんにちは〜!その子が話題のマナフィちゃんですね!本当に海みたいな綺麗な青色!それに可愛い!」
シャロットは目をキラキラとさせながら近づいてマナフィに挨拶をした。マナフィは戸惑ってはいるものの、レイセニウスがシャロットの隣に並ぶと「安全だ」と判断したのか、明るい笑顔をふわりと浮かべた。
「マナフィ、『はじめまして』よ」
「は……はーーーじ、めま、して!」
「キャァ!!もう初めましてがいえるなんてすごいわ!!」
いつもキャッキャと笑うマナフィと張り合えるほどの高テンションでシャロットは身もだえた。やはりシャロットは子供が好きらしい。今度『サメハダ岩』に招待しようとアカネは頭の片隅で少しだけ思い描いていた。
「結構しっかりしてきたみたいだな。抱き上げてもいいか?」
「……僕はいいけど、マナフィにも聞いてね」
カイトは少し顔を歪めながら首を縦に振った。レイセニウスはマナフィに顔を近づけると、案の定彼を知っているマナフィはキャッキャと喜んで手を伸ばしてくる。それが肯定だと捉えたのか、レイセニウスはマナフィのわきの下に手を伸ばしてふわりと抱き上げた。
「きゃぁー!」
「おぉ、やっぱり高いとこすきだよなぁ」
そう言ってレイセニウスは「高い高い」とマナフィの体をゆっくりフワフワ動かしてやったり、くるりと体を回転させたり動きに変化を付けながらマナフィを楽しませていた。楽しそうなマナフィにすっかり蕩けた顔をしているシャロットは、ふとほんの少し笑みを浮かべているアカネと、不安そうにマナフィの様子を見守るカイトに視線を向けた。
「マナフィちゃんが子供なら、アカネさんがお母さんで、カイトさんがお父さんで、レイセニウスさんが伯父さんみたいですねぇ」
シャロットにそう言われたアカネはきょとんとした表情を浮かべ、カイトは体をびくりと震わせ、忙しなく視線を泳がせつつ「レイが伯父さんなんだ……」とぼやいている。マナフィは絵本で聞いたことのある「お母さん」「お父さん」に反応して不思議そうな表情を浮かべていた。
「…………母親ってこと?」
「違うんですか?」
「違……うん?」
違うか違わないかで言えば違うが、今までやってきたことは紛れもなく母親、もしくは母親に相当することだ。つまり、マナフィからしてみれば生んだか生んでないか、そんなことは関係がない。
人間としての他種族に対する愛情か、ポケモンとして同族に対する愛情という母性か。アカネにはそれが分からず、またそれすらわからないのに母親などと言うのは何か大きな間違いなのではないかと思ってしまい、不意に口を噤んだ。
「お話はレイセニウスさんから聞いてるので、気持ちも分かるような……ところで、どこに行くんです?」
「海岸だよ。マナフィが海に興味があるみたいで」
「海岸か。もし時間があったらカフェ寄ってかないか?ノギクちゃんにもマナフィの話してあんだ。もしかしたら何か美味しいもの作ってくれるかもな」
レイセニウスがそう提案したが、アカネとカイトは首を横に振った。マナフィという種族がよくわからない上に、まだ小さいので下手に色々な物を食べさせるのも難しい。しかしポケモンと会うだけなら、と地下カフェに少しだけ顔をのぞかせた。
本日の地下カフェではレイチェルがメインで仕事をし、要領を得ないながらもスノウもレイチェルを倣って接客をしている。ノギクは厨房から顔だけが見える状態で何か作っているようだった。
「いらっしゃいませー!……あっ!クロッカスのおふたり……と、その子が!」
「はぁい!」
キャッキャというマナフィの声が響く。客も少なかったのでスノウもそろそろと近くに来てマナフィを覗き込んだ。マナフィは男性には比較的警戒心が強く、女性には警戒心が薄いようだ。やっぱり男の子だからですかねぇ、とシャロットはつぶやく。
奥の厨房からノギクがアカネ達の方を見ていたので、レイセニウスがマナフィを持ち上げてノギクに見せた。ノギクは例のマナフィだとわかったのか、笑みを浮かべて料理中の手を止めて片手を持ち上げると小さく手を振った。
マナフィはきょとんとしていたが、真似をするようにノギクに手を振り返す。はじまして、と声を発することができないノギクの口元が動いた。
「はぁ、じめ!まして!」
マナフィが不安定にノギクにそう告げると、またキャッキャと笑い始める。
「口の動きを読めたんでしょうか?賢い子ですね……」
レイチェルはそう言ってリボン上の触手でマナフィの頭を撫でた。
カフェで過ごしていた面々と別れ、再びアカネとカイトの間に挟まれてマナフィは歩き始めた。海のさざめきが微かに聞こえてくる。下り坂を降りるのが難しいのか、マナフィが踏ん張れずにフラフラとしている。
アカネとカイトは二匹で同時に腕を持ち上げると、マナフィの軽い体はそれによって一瞬ふわりと浮かび上がり、ゆっくりと地面に足が戻っていく。マナフィは驚いたようだが、一週間たって衝撃にも少し慣れたのか楽しそうに笑っていた。
「マナフィ、海が見えてきたよ」
砂浜に足を踏み入れる。シャリ、という独特な感覚を警戒しつつ、マナフィは砂浜に足を踏み入れて歩いた。マナフィの体は小さくて軽いので、あまり砂に纏わりつかれることなく歩くことができる。
潮の匂いが波の音とともにマナフィに降り注ぐ。規則的に所々から響き渡る波の音に耳を澄ませて、マナフィはその音が「サメハダ岩」に聞こえてくるものと同じだと思った。
こんなに近くで見るのは初めての筈なのに、マナフィはその奥底を知っているような気がして、胸が高鳴る。海を横切り水で遊ぶキャモメや海の表面で揺蕩うポケモン達と目が合う。知らない筈なのに、みんな知っているのだ。
「マナフィ、どう?」
「……うーみ!!」
いつものように楽しそうな、愉快そうな幼い笑い声が海岸に響く。以前より多くのポケモンが集うようになった海岸だが、遠くに何匹か影が見える程度。非常に空いていて、自分たち以外は誰もいない様な心地である。
三匹は海辺まで近寄っていくと、寄せては引いていく水をしばらく眺めていた。カイトが指を砂浜に突っ込んで円を描いたが、寄せてくる波がすべてをかき消してサラサラと表面の砂を引き摺って持って行ってしまうのだ。マナフィはおどろいたような顔をしてその光景を見つめていた。
カイトはマナフィの手を放すと、足元がほんの少しつかる位まで海の中に入って水をすくいあげ、マナフィに軽くぱしゃりとかけた。
「きゃぁ!!」
「きゃっ……」
水はマナフィだけではなくアカネにも軽くかかってしまい、彼女は軽く顔をしかめている。しかし当のマナフィは大喜びでむしろ空いた片手でカイトに水をバシャバシャとかけて遊び始めた。
「かいとー!うーーみーー!」
「やったな!」
カイトは尻尾を軽く水面に付けると揺らしながら水を集めて波を作り、波を寄せてマナフィにばしゃりとかけた。当然アカネにもかかっているが、もうあきらめたような顔をして散歩用にもって来たバッグを砂浜に置いた。
アカネが水を受けやすそうな尻尾を使って大きな波を作り、カイトがかけてきたものとは比べ物にならない程の水をカイトにぶちまけた。ふん、と得意げな顔で目を細めてカイトを挑発する。それを見たマナフィがさらに面白がってアカネの真似をし、水をかき集め始める。
「ちょ、まって、僕水は……」
アカネもマナフィとタイミングを合わせてカイトに水をぶちまけた。
「……二匹同時はずるいって」
アカネは綺麗に水だけまき上げていたが、マナフィは程度が分かっていないので砂ごとカイトに被せていた。水に土、カイトの苦手な属性のコラボである。そんな姿が面白くてマナフィは大笑いしているし、アカネも一緒になって笑っていた。
「キャッ!!きゃははー!!」
「ふっ……ふふふっ……わっ!!?」
「二匹も綺麗なままじゃ家に帰さないよ!」
カイトがブルブルと体を震わせて体中の水と砂を周囲に吹き飛ばす。バシャバシャバシャと両手を使って水飛沫を連発してくるカイトがあまりに大人気なくて、アカネは顔を腕で覆いながらマナフィと一緒にまた大笑いしていた。
そんな中でも、アカネはマナフィの片手をしっかり握って離すことはなかった。