48話 ピカチュウ人形
どっさりと荷物を背負って帰って来たカイトは、軽く息を切らせつつドサッと音を立ててサメハダ岩の内部に荷物を下ろした。バリケードを作るのに使えそうなものや数日分の食べ物、マナフィの為に用意したであろう絵本やおもちゃの数々を順番にアカネに紹介していく。
「結構買ったわね」
「あんまり使うことないから奮発しちゃった」
金銭的なことにはそこまでこだわらない。使い方を知らない二匹はこれ以上何か大きな買い物をすることもないだろうとそれなりの金額の値札を見てもあっけらかんとしている。マナフィは意味が解っていないのか、いきなり部屋の中にものが増えたためか不安そうにアカネにしがみついていた。
「え?これは……」
「それなんだけど、アカネにずっとべったりだから、これが有れば少し楽になるかもって……」
効果ないかもしれないけど、とカイトが持ち上げたのは、体がアカネよりも小さなマナフィよりもさらに小さいピカチュウドールだった。黄色くフワフワの手触りと、少し作りが雑には見えるがちゃんと顔になっているピカチュウの目、鼻、口、赤い頬っぺた。特に手触りは何とも言えずアカネの体の黄色いフワフワとした体毛によく似た感触なのである。本当にピカチュウの毛で作ってあるのではないかと疑う程に。
まさか、と思いアカネはピカチュウドール本体から手を放し、人形をカイトに任せて値札を盗み見ると、金額は何と5500ポケ。それなりにしっかりとした人形なんてそんなものかと思いつつ、本当にピカチュウの毛で作られているような予感もする絶妙な金額である。 マナフィも興味を持っているようで、じっとカイトが握っている人形を見つめていた。
「ぁか、ね?」
マナフィがキョトンとしながら舌足らずにそう呟く。
「え、ええ。まぁ、そうね。私かしら……でもこれ……」
「うん、これ雄仕様なんだよね」
件のピカチュウドールは男の子らしい勇敢そうな顔立ちで、しっかりと尖った尻尾が特徴的である。ピカチュウのメスは丸みを帯びたハート型の尻尾をしていて、全体を見ても雄と雌には体つきや尻尾等に違いが現れる。しかもこのピカチュウドール、上から見ても横から見ても丸くてなかなかにゴツい。
「とりあえず、マナフィどうかな?」
「ンン……?」
カイトはピカチュウドールの値札を慎重に千切るとマナフィに差し出した。アカネも腕に力を込めてマナフィを人形に近づけると、彼は手を伸ばしてピカチュウドールへそっと触れる。
フワフワ、サラサラ、モフモフ。様々な動かし方でピカチュウドールを撫でると、よほどアカネのフワフワとした感覚に似ていたのか、両手を伸ばしてピカチュウドールをギュッと抱きしめた。
「キャァー!!」
甲高い声でピカチュウドールに頬擦りをする。アカネとカイトは顔を見合わせると、そっとマナフィをベッドの上に下ろして手を放してみる。手を放すと、マナフィはごろりと転がってピカチュウドールをぎゅっぎゅと抱き締めたり揉んだりしながら遊んでいた。絶え間なくキャッキャと楽しそうな声が響き渡り、アカネはそんなマナフィの姿をほっとした様子で眺める。
「助かるわ……」
「全然。気に入って貰えてよかったねぇ」
カイトも満面の笑みを浮かべてマナフィの姿を楽しそうに見つめている。ほっとしてはいるが、アカネは少し複雑な気持ちを抱えながらそんなカイトとマナフィを交互に見つめた。
(……私が元人間とは言え、あの人形はさすがに似てないと思うんだけど……でもマナフィが気に入っているなら良いし……柔らかくて黄色ければいいっていうこと、なのかしら?)
「アレ……私に似てる?」
「勿論似てない。アカネの方が可愛いよ」
そもそもあれは雄仕様の人形なのでそういう問題ではない、とアカネは小さくため息を零した。
カイトがサメハダ岩に帰ってきてから一時間ほど体を休め、バリケード作りに取り掛かった。カイトがコンコンガンガンと様々なものを組み合わせて簡易的なバリケードのようなものを組み立てていくなか、アカネはベッドの上にぺたんと座ってマナフィを胸の前で抱えている。マナフィはピカチュウドールをずっとモミモミしたり頬ずりしたりして遊んでいた。
サメハダ岩の牙の隙間から広い海と点々と連なる小さな島が見えた。潮風に載ったキャモメが青い海を横切っていく。ペリッパーが連なる島々から羽搏き、また次の陸地へと移動していた。潮風の匂い。太陽が差し込む青い空を反射して遠い場所でキラキラ光る海が綺麗だった。海の表面が美しいだけで海中は少しも見えない。たまにホエルオーのような影が遠くの方で旋回しているが、この場所は海に近いようで随分遠いのだ。
アカネは膝からズルズルと滑り落ちていくマナフィの脇に手を差し込み、グッと引っ張って膝元へ連れ戻した。マナフィの体はあの海の中のように青く、透き通る様に綺麗だ。海の中を泳いでいたらきっと溶けて消えたように見えなくなってしまうのではないかと思う程、マナフィと海はやはり良く似合う。
マナフィは身を乗り出せば目の前には広い海が存在することなど気にも留めていないように目の前のピカチュウドールに夢中だった。感触が気になるのかピカチュウドールの角ばった尻尾を口に入れてあむあむと噛んでいた。
「こら、噛まない」
アカネはピカチュウドールを取り上げはしなかったが、マナフィの口からそっと離した。マナフィはきょとんとしていたが、振り返るとピカチュウドールと似た姿をしたアカネがいたので尚のこと機嫌が良くなったのか、また高い声でキャッキャと笑う。
やはり一匹でいるよりも、誰かが傍に居てくれた方が随分と気が楽だった。
カイトが作業をするその傍らには数冊の絵本が積みあがっている。カイトが外に行って買って来たものだ。言葉を覚えること、物を覚えること、考えること。それらに役立ちそうなファンシーな絵本である。
『真夜中ルガルガンと八匹のメェークル』『フラエッテ姫』『名探偵ピカチュウ』他……。
マナフィは簡単な言葉なら既に理解できている。今日の夜はカイトに読み聞かせでもさせようと思い、マナフィのつるつるとした感触を胸に抱きながらせっせと作業を続けるカイトの様子を眺めていた。
カイトが作業に一段落を付けた後には夕食をとったが、マナフィはアカネとカイトが食べているものが気になるのかとにかくじゃれついてくる。カイトぐっと背を伸ばしてつま先で立てばマナフィも手が届かないのだが、アカネはいくら背伸びをしてもマナフィに手を出されてしまう。結局カイトが先に食べ終えてマナフィを抱きかかえ、その間にアカネは食事をかき込むようにして食べた。カイトの事は好きなようだが、カイトに抱き上げられるのが好きという訳ではないようだ。食事をするアカネを目の前にしてずっとウズウズとした様子だった。
眠る前に絵本のことを教えて一冊試しに読み聞かせる。マナフィは最初はあまり興味無さそうにしていたが、アカネがカイトが読み上げる絵本の絵を指さして案内をすると、徐々に興味を持ち始めて自分からページをめくろうとする。
カイトが読み上げる言葉を復唱する。絵の中にある物語性をことばと一致させようと頭をひねっていた。マナフィはきっと頭がいい。少し考えたようなしぐさをすると、すぐに何か閃いたように絵本の中の絵を指さす。カイトは「すごいねぇ」とほめて頭をなでてやった。
アカネはそんな様子を見ながら、「生まれてすぐに海を旅するくらいだから、すごく覚えが早いのだろう」と考えていた。
そんな日々を三日、四日と過ごし、ついに一週間を迎えたのだった。