47話 子育て とても 難しい
「はぁーーーい!!!」
ペぺぺのペン。早朝、カイトは自分の頭をペシペシ叩く何かによって強制的に起こされる。可愛らしい声が聞こえてきた方向にごろりと寝返りを打つと、ぺたんこ座りで次はカイトの顔をつるつるとした手で叩いている。子供は起きるのが早いんだなァと思いながら、カイトは「あ、おはよう、マナフィ」と気怠そうに起き上がった。
起き上がると、底には上半身をフラフラと揺らしながらもグミを棚から取り出して水で揉み、小さくちぎってお皿に乗せているアカネがいた。マナフィのご飯を用意しているようだが、今日は水でほぐして柔らかくしているようだ。近頃は放っておいたらいつまでも眠り続けそうな程起きるのが苦手なのに、どうやらカイトよりも先にマナフィに叩き起こされたらしい。
ぎゅるるとマナフィのお腹が鳴っているのがカイトにも聞こえる。しかし、アカネがご飯の用意をしているというのが分かっているのかぐずりはせずにキャッキャとアカネの揺れるハート型の尻尾にじゃれついていた。それに反応するほどの思考が無いのか、アカネは無心になってグミを解している。
「おはようアカネ、変わるよ」
「……はよ……」
アカネは出来上がった分のお皿をカイトに手渡し、くるりと振り返ってキャッキャとじゃれてくるマナフィを抱き留めるとその場にぺたんと座りこんだ。
「よし、ご飯食べようね」
「グーミ!!!」
殆ど作り終わっていたものをきちんと自分で手でつかめるようにマナフィの目の前まで持って行き、マナフィがたどたどしくもつるんとしたその手を伸ばしてグミを掴み、口に運ぶまでをじっと観察していた。マナフィを後ろから抱き留めて固定するようにぺたんと座っているアカネは、キャイキャイ喜んでモグモグと凄まじい勢いでグミを平らげていくマナフィの頭上で寝落ちしかけている。
陽が出て間もない時間、そろそろトレジャータウンのポケモン達が各々の店を開き始めるころだった。時間を見つつカイトはマナフィにグミを食べさせ、途中に水を挟むを繰り返す。小さい子供はよく飲むしよく食べるのである。
「アカネ。今日僕はトレジャータウンの方に色々買い出しに行ってくるから、マナフィとお留守番頼める?」
「…………うん」
マナフィのごはんが終わると、アカネはソロソロと立ち上がり、眠気覚ましとばかりに冷たい水でバシャバシャと顔を洗った。ひんやりと冷たくなった顔にタオルを押し当ててごしごしと拭いていると、バシャンと水を溜めている場所に何かが落ちた音がした。そしてタオルで覆っている顔以外の全てが突如降り注ぐ水飛沫によってずぶぬれになっていた。
「きゃっきゃっ」
「マナフィ!?」
「…………」
マナフィはカイトが一瞬目を離している隙に、自分の傍から離れていったアカネをハイハイしながら追いかけて水の中に飛び込み、遊んでいるつもりなのか水を捕えやすそうなその手でアカネに水をかけたのだ。
アカネは顔からタオルを放すと諦めたような笑みを浮かべ、濡れた体をタオルで覆うのだった。
「大丈夫かな……?」
他のポケモンにあんなことをされれば電撃を浴びせているだろう。何を考えているのか分からず、完全に思考を手放したその姿を見てカイトは呟いた。アカネがあそこまであきらめきった笑顔を浮かべるのも珍しい。
カイトがマナフィを水溜めから引っ張り出すと、アカネは自分の体を拭いていたタオルをマナフィに被せて擦らないように拭き始める。
多少の、否。かなりの心配を残しつつ、昼前になるとカイトはトレジャータウンまで買い物に出かけた。
アカネはキャッキャと仰向けになって手足をじたばたとさせているマナフィをじっと見つめていた。微かに入ってくる陽の光に照らされたマナフィの体はつやつやとしていて透き通っていて、まるで色水で出来ているかのように鮮やかな水色だった。
彼女はふと周囲を見渡した。アカネとカイトはあまり多くの物を部屋に置かない性質で、様々なポケモンから生活感がない部屋だと言われる。近頃はアカネがアクセサリー類に手を出す事が増えたり、カイトも探検用の道具を収集することも増えたので少しだけ物が増えたが、基本的には以前と変わらない筈だった。
気が付けばサメハダ岩の内部はかなり散らかっていた。アカネもカイトも気が付いたらすぐに片付ける癖があるため暇があれば道具を棚の中に入れたり集めたりしているが、マナフィに使った食器やタオル、マナフィが暴れる時に蹴散らす藁で床が今までにない程に悲惨な状態である。朝マナフィが水でぐしゃぐしゃにした床もそのままになっていた。
アカネは諦めたように笑った。一度汚れた物や使用済みのタオルを桶に入れて一か所に集め、「カイトが帰って来たらやろう」と遠い目をしてマナフィの方へ向かった。気心が知れた間柄で、且つ信頼できるポケモン。子供に耐性がありそうな知り合いを考えながら、落ち着かない様子のマナフィを抱き上げて膝の上に座らせた。いくら小柄と言っても、少し成長すればアカネと背丈は並ぶであろうサイズである。
子供を育てる親はすごい。普段連れて行って依頼の依頼主であっても、基本的なことは自分で判断して上手く動くポケモンが多いし、指示をすればある程度その通りに動く。テンパってるポケモンは近くにいるように強く言えば自分で目の届くところに居てくれる。しかし子供はそんな風にはいかない。目が離せないだけでここまで何もできなくなるとは思わなかった。
マナフィの体はひんやりしている。しかし、体と体を合わせているうちに温くなっていく。マナフィはアカネのフワフワとした体が気に入ったのか気持ちよさそうに欠伸をしていた。アカネの膝からズルズルと滑り落ちて再び仰向けになる。
目をパチパチと瞬かせてにぱーっと笑うと、アカネの赤い頬袋をぺちぺちと触りはじめた。突然触られると危うく電気が漏れてしまいそうになるのでぐっと抑え込む。
「ちょっと、触るとビリビリするわよ」
「びりびり?」
「そう、ビリビリ。痛いんだから、泣いちゃうでしょ」
「びりびり!」
絶対わかっていないのである。マナフィはアカネと話せたのが嬉しいのか、余計パチパチと頬袋を触り始める。あまりにも楽しそうで、アカネも無意識ではあるが笑いが零れた。
平和な時間だけではない。カイトが出て行って一時間した頃、またお腹が空いたと騒ぎ出し、やはり暇なのか止めどなく動き回ったりすることが続いた。平和なときはこれ以上ない程に微笑ましく感じるのに、忙しいとぐったりと疲れてしまう。そして波を越えるとまた平和な時間が訪れるのである。しかし中には何をしても泣き止まなかったり、耳をつんざくような泣き方をする子供もいるというので、きっとそう考えればマナフィは可愛らしいものなのである。
そんなことを繰り返しているうちに、サメハダ岩の入り口から誰かの声がした。カイトよりも良く響く声がサメハダ岩の外からアカネの事を呼んでいる。その声は聞き覚えがあるものだった。
マナフィを抱え、アカネはそろそろと入り口に歩いていくと客を出迎える。アカネよりも随分体が大きく、涼し気な目元が特徴的なポケモンだった。
「アカネちゃん、久しぶりっすわ!」
「レイ……」
見覚えのあるフローゼルが、大きなバスケットのようなものをもって入り口に立っていた。カイトと同じ大陸の出身で且つ幼馴染のレイセニウス・マーロン。通称レイである。
「あー……成程、その子がマナフィか。トレジャータウンで噂の」
「……噂なの?」
「あぁ。カイトが妙な買い物をしているから皆気になってさ。そしたらトレジャータウンを通ってるアカネちゃんたちを見たポケモンが色々と話してるみたいだぜ。
俺はさっきカイトとばったり会って、俺が持っている「青いグミ」を可能な限りよこせって揺すられたんだよ。だからこうして届けに」
そう言ってレイセニウスは青いグミが大量に入っていると思われるバスケットを軽くアカネに見せた。カイトは妙にレイセニウスに当たりが強いというか感情を真っすぐぶつけるというか、そういうところがあるのは知っていたのでアカネは苦笑しつつも礼を述べた。掴み所がないというか、適当と言うか、いつも道端で女の子を引っかけるチャンスをうかがっているようなポケモンであるが、信頼は出来る。
「カイトはまだ帰ってない?」
「帰ってきてないわ。随分時間がかかるのね」
「色々探してるって言ってたからさ。それにしても、可愛いなァマナフィ」
レイセニウスはアカネが抱えているマナフィを覗き込んだ。突然体の大きなポケモンがのぞき込んできたことで驚いたのか、マナフィはピクリと体を揺らしアカネの首に腕を回してそっぽを向いてしまった。だんだんと背中が痛くなってきたのか、アカネは何度もマナフィを抱える位置をずらしていた。
「俺が抱えとくからちょっと休みなよ」
「いいの?暴れるかもしれないけど」
「ダイジョーブダイジョーブ。俺子供を扱うのは意外と得意なんだよなぁ」
そう言ってレイセニウスは屈みこむとアカネの手からマナフィを受け取った。一応アカネはマナフィに声をかけたが、マナフィ自身は突然離れていったアカネと見知らぬ男の手に抱えられたことに困惑し、またじたばたと体を揺らし始めた。
「ふぇ、ふぇ……」
「だいじょーぶだって。ほらアカネちゃん目の前にいるから」
アカネはギシギシと悲鳴をあげる背中を伸ばし、体を揺らしながらマナフィをあやすレイセニウスを観察していた。レイセニウスの体は水をはじくための太くつやつやとした毛におおわれている。マナフィは全く違う質感のものに触れて困惑で少し声を上げたが、レイセニウスが声をかけながら片腕で抱き上げもう片方の手でマナフィの頭をなでたりとあやしているうちに徐々に落ち着いてきた。彼がマナフィにかける声は普段彼の声を聴いていると違和感と気味悪さが先立つようなものだったが、意図的に高くしているその声が不思議だったのかマナフィは恐怖を忘れたようにキョトンとしていた。彼はマナフィと目が合うとにんまりとした笑みを浮かべ、背中の当たりを支えて先ほどよりも緩やかに、しかし大きく腕を揺らした。
「きゃぁ!!」
「子供は皆これ好きだよな〜」
「キャッキャッ!!」
マナフィが笑い声をあげるようになると、レイセニウスはくるりと体をゆっくり数回回転させ、高い高いと言いながら腕の付け根に手を差し入れて高く持ち上げて下ろすを繰り返す。
「…………こんなところで、といったらなんだけど……マナフィ楽しそうだし、良ければカイトが帰ってくるまで中で待たない?」
「エッ……」
アカネがそう提案した瞬間、レイセニウスはマナフィと遊ぶのをピタリとやめて顔をひきつらせた。何かおかしなことを言っただろうかとアカネは眉間にしわを寄せるが、「えっと」と言葉を濁す彼の気持ちは全くと言っていい程に伝わらない。
考えてみれば、今この状況でカイトが帰ってきたらそれこそ不味いのではないか。レイセニウスの顔が引きつっていくのを、レイセニウスがまた遊んでくれるのを待っているマナフィが不思議そうに見つめている。
アカネとレイセニウスが出会ったきっかけはそもそも、彼が彼女をカフェでナンパしたことだった。現在の彼にそんな気は無いとは言ってもカイトは無条件に気分を悪くするだろうというのがありありと想像できてしまう。
アカネもアカネである。ここはもうペリーやパトラス親方が管理しているギルドの部屋ではないのだから、あまりホイホイと一匹(実際には二匹であるが)の時にポケモンを引き入れるのはいかがなものなのか。普段はへらへらとしているし、自身もその方が楽な性質であると心得てはいるが根は真面目なのがレイセニウスというポケモンである。少し注意した方がいいのではないかという考えが頭を過る。いずれトラブルのもとになりそうなことだ。
「いや、そういうのはちょっと……一応ここはアカネちゃんとカイトの……あ、今はマナフィもか。そう、家なんだからさ。カイトが居る時はともかく、一匹の時にはそういうこと言わない方がいいぜ」
「…………?」
アカネは本気で分からないと言った様子で眉間にしわを寄せた。彼女にしてみればシャロットを家に入れる感覚と大して変わらないのである。しかし、防犯意識を持つべきだという考えは一理ある。そう思いアカネは頷いた。
「そうね。マナフィが懐いてるみたいだったからつい」
マナフィが楽しそうだし、外から受ける刺激に慣れるいい機会かもしれないと思ったのだが、考えてみれば勝手な理由で引き留めようとしているのとそう変わりはしない。サメハダ岩の内部はかなり散らかっているし、だれか中に招けるような状況でもなかった。
「俺は一応信用されてるって事なのかねぇ……ま、カイトには関係ないだろうけど。
それにしてもアカネちゃん本当に母親みたいだな。まさかほんとに生んだ?」
「馬鹿なこと言わないで」
「悪い悪い。可愛いからついつい…………っとぉ……」
アカネの表情の変化と、背後からの並々ならぬ気配を感じて恐る恐る振り向くと、そこには大荷物を抱えたカイトが佇んでいた。サメハダ岩内部への出入り口を塞ぐようにして立っているレイセニウスに不敵な笑みを向けて立っていた。彼の顔に悪意も敵意もにじみ出てはいない。ただただ純粋な「邪魔」という意思だけが伝わってくる。レイセニウスは背中に冷や汗が伝うのを感じた。アカネとマナフィは全く感じ取っていないようだが、この視線は向けられた者のみが察するものであろう。
「カイト、お帰り」
「おかえりーー!!!」
カイトを見つけると笑顔を浮かべてレイセニウスの腕の中でマナフィが大暴れしはじめる。流石にあやす余裕がなかったのかレイセニウスは腹や腕を蹴られつつ暴れるマナフィを押さえていた。
ちらりと再びカイトの顔を伺うと、そこには酷く暗く鋭い顔つきで彼を睨みつけていた彼がいた。しかしマナフィがレイセニウスの肩をよじのぼって顔を出すとその表情をスッと沈めて笑みを浮かべる。表情の変化の仕方をもろに見たレイセニウスは怖くなり、ゆっくりとアカネにマナフィを返却するとそっと道をあけた。
「カイト、あ〜。はなしてただけだから、普通に。
あと、『青いグミ』。ほら、持ってこれるだけ持って来たぞ」
「はは、どうもありがとう。そこ置いといて、あとで僕が持って入るから。そうだ。こんなにタダでもらう訳にもいかないから、ちょっと待ってて。お金を…………」
「いや、大丈夫。ほんと、今度で大丈夫っすわ。はい。
じゃぁ、マナフィバイバイな。また今度な」
「ばいばー!」
「ありがとう。あの……よければまた遊んでやってちょうだい」
「あ、はい。うん、そうさせてもらうわ……」
すごすごと帰っていくレイセニウスを見送り、カイトは沢山の荷物を持ってサメハダ岩の内部へと降りて行った。