44話 不思議な卵
ギルドで女子会飲酒事件から数日後、依頼書を取りに行ったはずのアカネとカイトの手には「前金」であるグミの詰め合わせセットが握られていた。グミを各種二つずつ詰め込んだ巷でいう「ギフトセット」というやつであるが、これは先ほど姉弟子であるフラーから握らされたものである。
「たまにはお金よりこういうのの方が嬉しかったりするのよね」
アカネはそう言いながらほくほくと満足そうにグミを抱えて歩く。カイトはそんな様子を見て可愛らしいなぁと思いながら笑みを浮かべている。グミをドリンクに変えたかったのかアカネはギルドから出たその足を真っすぐ地下カフェへと向けようとしていたが、カイトは「割と時間がかかりそうな依頼だからまた今度」といってアカネの足を無理やりトレジャータウンの方へと向けさせた。
先ほど、フラーから「閉ざされた海」を調査してほしいという依頼があった。探検隊連盟を通した正式な依頼ではないにせよ、「出来るところまででいい」「成果が無くてもいい」「遂行してくれたら別の種類のグミのセットをもう一つ」という魅力的な内容と報酬に惹かれ、二匹は戸惑いつつもその依頼を了承したのである。
グミというのはそもそもこれほどの種類が一度に市場に出回ることはないのだ。いくらお金を持っていても、カクレオン商店に在庫が無ければ話にならない。最近特にグミがお気に入りのアカネは特に上機嫌だった。
フラーは以前にも「閉ざされた海」の話を二匹にしていた。その時はアカネの体調が思わしくなかった為聞き流す程度で終わっていたが、その後フラーは実際にダンジョンに足を運んだらしいのだ。しかしレベル不足で断念。そこで電気タイプを持つアカネと、今では技のバリエーションが豊富であるカイトに頼んだのである。フラーの切実な『閉ざされた海』のことが知りたいだけ、という思いは十分クロッカスにも伝わっていた。
サメハダ岩に帰宅すると、二匹はせっせとダンジョンに向かう準備を始めたのだった。
* * *
閉ざされた海はクレバスの洞窟の調査に伴い発見された不思議のダンジョンである。未開の地と呼ばれており、現在突破した探検隊はいないとされている。
「なに、ここ……」
海、という名称は聞いていた。
そこはまさに海だった。アカネとカイトは海中に居た。正しく言えば、水のような海のような、それに類似したエネルギーが満ちている空間だった。水タイプのポケモンは自由で、目の前はうっすら光が差すように透明な水のようなエネルギーで覆われている。特殊な形状のダンジョンである。
息が詰まるような感覚はない。体に纏わりつく水の圧力も無ければ、圧力に負けて動きづらいということも全くなかった。陸上にいるのとまったく同じような感覚である。しかし、彼女らは海の中に居た。
頭上でポケモン達が泳ぎ回っている。最近発見されたばかりのダンジョンとあって、住処にしているポケモン達は陸上で生きるポケモンを物珍しそうに観察しながら通り過ぎていく。ダンジョンには敵意がある者、無い者双方存在しているが、アカネ達の回りを漂うポケモン達は皆敵意が薄く感じられた。
「海の底のようなダンジョンだね」
「綺麗ね」
存在しているようには見えないが、存在している水のエネルギーがキラキラとそこかしこで輝いている。泳ぎ回るポケモン達のうろこが、どこから差し込んでいるのかもわからない光に反射して煌めく。閉ざされた海と言われていても、決して雰囲気の暗いダンジョンではない。
ダンジョンに入る際、入り口に一瞬足を踏み入れた感覚がは水が纏わりつく感覚に似ており、しかし完全に入り切ってしまえばその違和感は霧散する。アカネは少し驚いているが、カイトはあまり驚いた様子は無い。このようなダンジョンが存在することは知っていた。
「私、電気使っても大丈夫かしら。カイトも感電したりしないわよね?」
「うーん、水ポケモンが生きるのに適しているってだけだと思うし、多分大丈夫だと思うけどなぁ」
アカネがピリ、と頬袋から電気を漏らしたが、それは陸上で技を使う時と何ら変わらない散り方をしていた。カイトも軽く口から火の粉を零したが、重力に従って地面に転がり、そのままパチパチと消えていった。
「大丈夫そうだね」
「ね。じゃあ行こ」
二匹は進み始めた。敵意が無いポケモンも多いが、敵意がある者も勿論存在する。草タイプであるフラーが断念したダンジョンであるだけに、それなりの力を持つポケモン達は迷いなく襲い掛かってくる。
キングドラが四匹、群れを成してアカネ達を取り囲む。二匹は背中を会わせて隙を見せまいとキングドラ達を見据えた。狩りをするかのようにキングドラはお互いが重ならない位置に並び、一気に『ハイドロポンプ』で二匹を狙い撃ちにしようと攻撃を仕掛けた。 カイトは的になる様にキングドラの前に立ち、ひょいひょいと攻撃を躱していく。通常のヒトカゲよりもかなり素早い動きをすることは出来るが、前から後ろから左から横から、ひっきりなしに撃ち込まれるハイドロポンプを延々と避け続けることはさすがに難しい。
キングドラ達がカイトに集中している間にアカネは中心を抜け出し、身を屈めて敵の位置を確認した。
とにかく動き回る四匹のキングドラ。慣れた動きであるため、普段からこのような動きで戦っているのだろう。全くコンタクトをとることもなく重らないように移動するには、おそらく一定の動きの法則が必要になる。
アカネは地面に自分の尻尾を叩きつけると、キングドラ達を軽く見下ろすほどの高さまで跳ね上がった。パチパチと頬袋を鳴らすと、その音を確認したカイトはハイドロポンプが通過するギリギリで身を屈めた。
アカネが『放電』でキングドラ達をまとめて撃ち落とす。地面に屈みこんだカイトを避けるように電撃はキングドラ達を撃ち、安定感を失ったキングドラたちは先ほどの様にすいすい泳ぎ続けることが出来なくなり、フラフラと浮遊し始めた。
カイトが『竜の怒り』で止めを刺す。意思を持つように動く竜の炎が一匹一匹を確実に攻撃し、ぱたぱたとポケモン達はその場に倒れ込んだ。
「あ〜……ちょっとビリビリする」
電撃がカイトの所にも少し飛んだのか、カイトは痺れた体を軽く揺らした。ごめん、と声をかけると、アカネは目を回して焦げたキングドラ達の間を縫って彼に駆け寄る。
「ううん、大丈夫。にしても、これは一匹で来たらちょっと厳しいかもね」
「そうね。ダンジョンが何と言うか、水属性のポケモンに向いてるし……群れで来られたらキリがない」
『閉ざされた海』にとてつもないロマンを感じていたであろうフラーがあっさり音を上げたのもどことなく理解できる。カイトは避け続けて少し疲れたのか、小さくため息を零した。
電撃や炎がそれなりに問題なく攻撃技として使用できるということが分かり、その後も数回ダンジョンを住処にするポケモン達と戦闘を行った。やはりレベルの高いポケモンが優先的に襲い掛かってくるようで、むしろよくこのダンジョンに一匹で乗り込み一匹で帰って来たものだとフラーに関心を抱く程には面倒である。
「風……が吹いているわけはないけど、なんだか流れみたいなものを感じるよね」
「風?……あぁ、確かに」
まるで前から後ろに水が流れていくかのように、特に力強さは感じないがエネルギーの通り道のようなものがある様に思えた。
「……この場所、綺麗だし。先に何があるのか、ちょっと気になるわよね」
「……ワクワクって感じ?」
「別に、そういうのじゃないけど」
そんな風に言いつつ、アカネはどこか嬉しそうに先を見つめて歩き続ける。
アカネ探検が好きなのである。
最初は全く興味が無さそうで、言ってしまえ割と最近まで『探検』そのものに本当に興味があるのかすら曖昧だったアカネが、今はどこへ行っても存外楽しそうな表情を見せることが増えてきた。生活の糧を求めての行動ではなく、自身の好奇心や探求心から動いているのは目に見えて明らかだった。
アカネは楽しい時や嬉しい時、はっきり笑顔を浮かべるよりも口角を微かに上げ、目を細めるような表情を浮かべる。いつもきりっとした目つきをしたアカネの表情がほどけて優し気で、カイトは彼女のそんな顔つきが好きだった。
「カイトは?」
「え?」
「カイトはどうなの?」
どうなの、というと、ワクワクしているのか、ということだろうか。そのように解釈し、カイトは反射的に笑みを浮かべて『もちろんだよ』とアカネに告げた。
「…………そう?」
アカネは先程とは少し違った目つきでカイトを見た。なんだか変な表情をしている。
反射的に肯定してしまったはいいが、カイトの本心はどこにあるのか、彼自身はよく分かっていた。
本心を口に出すべきではないということも理解した上で、カイトはアカネの言葉を肯定している。アカネは探険隊でいることを楽しいと思ってくれている。少なくとも今はそう思っていて、探検隊『クロッカス』であるのは、アカネとカイトの二匹だけなのだ。
『遺跡の欠片』の謎は分かった。カイトには居場所があって、アカネの正体も大方分かった。アカネは自分が何者であるかを知って、アカネの使命も達成した。
カイトが探検隊になってやりたかったことも既に達成されている。
「…………ねぇ、大丈夫?」
ぼうっとしているカイトに、アカネは訝し気な表情を浮かべて声をかけた。
「え、うん、大丈夫だよ?」
「……そう。なんかぼうっとしてたから……ほら階段。足元気を付けて」
物思いに耽っているうちに目の前に階段が迫っていた。これで何度フロアを移動したかというのはあまり覚えていなかったが、階段の先へと踏み込むと水の『流れ』のようなものがやや弱まっているような感覚を覚えた。それはアカネも同じのようで、「最奥部が近いのかしら」とぼやいている。
そして、階を追うごとに水のエネルギーで満たされたダンジョンは明るさを増していた。ダンジョンの奥へ向かっているという事はその分光からは遠ざかっているのではないかと思われるが、周囲の色は徐々に明るく、陽の光を乱反射するかのように各所でキラキラと光が散っていた。
「なんかどんどん綺麗になってるよね」
「そうね……もしかして、本当にこの先に何かあるのかしら。
それに、なんかさっきより温かい」
更に進むと、少し開けた空間に出る。不思議のダンジョンの最上階と言うのは広がりがあまりなく、その先に更なるダンジョンが存在するか行きどまりになっていることが多い。その場所はとても静かでポケモンは一匹もいなかった。この場所に巣食うポケモンがいるというわけでもなさそうで、アカネとカイトは開けた道を真っすぐに進んでいく。
二匹がぺちゃぺちゃと地面を歩く音だけがフロアに響き渡っていた。アカネはずっと先の方を見詰めて目を細める。何か赤い球体がぽつりと存在しているように見えて、キュッとカイトの手を取って引っ張った。
「あ、アカネ!?」
「何かあるように見えない?あそこ」
小さな指先がちいさな赤い球体を指し示した。アカネよりいくらか体が大きなカイトには、それは水色の丸い何かに包まれた赤い球体のように見えた。一体何なのかは近づいてみなければわからない。たしかに、何だろう……と言葉を漏らすと、アカネはカイトの手を取ったまま少し引っ張り気味に歩き始めた。
数メートル先と言うところまでくると、迂闊に近づかない様にはしているものの興味津々にその『何か』をのぞき込む。丸くて青くて、この透き通るような空間に今にも溶けてしまいそうなキラキラした『何か』。その何かの中心の赤はまるで心臓が動くかのように小刻みに震え、その周りを覆う青いものは呼吸をするかのようにポコポコと気泡を生み出している。
「……ポケモンの卵だ」
「卵?これが……?」
カイトが不意にそう言った。アカネは驚いたようにその卵のような何かをのぞき込む。卵と言うよりも、それはまるで彼女にとっては宝石のように見えた。何か不思議な力を秘めた宝石のようなものである。少なくとも、アカネの記憶にある『ポケモンの卵』は、このような見た目ではない。
小さなカプセルの中に海をそのまま閉じ込めたような綺麗な卵だ。
「卵……でも、親は?」
「見た限り、ここに親が居るようには見えないよね」
カイトは困ったように眉間に皺を寄せた。親が分からない卵をダンジョンで発見したとなれば、一応救助が必要という扱いになることがあるのである。通常野生のポケモンはやむを得ず一匹で孵化して親を持たず育つということもあるが、果たしてこの『閉ざされた海』ではそれが通用するのが疑問である。
カイトが困っていると、アカネはそろそろと卵との距離を縮め、右手をゆっくりと卵に差し出した。その手つきを見てさっと顔をひきつらせたカイトは、捕まれたままだった手をギュッと握って引っ張り返した。アカネの体がガクンと後ろに引かれ、彼女は驚いたような表情で振り返る。
「どうしたの?」
微かな笑みを浮かべて問いかけてきてはいるが、カイトが何を言わんとしているかに気付いたアカネはそっと目を逸らし、今更のように握ったままだったカイトの手を放した。しかし、カイトの方が離していないため彼女の手は宙に吊り下げられたままだった。
「……親がいるかいないかを判断するためにずっと待ってるわけにもいかないし。多分、この卵にも使えると思うから」
「…………わかった」
カイトがパッと手を放すと、アカネは再び『卵』に近寄ってそっとその表面に触れた。見た目はこんなにも冷たそうなのに、触れてみるととても暖かい。ぽこぽこと気泡が弾けるような感覚が指先から静かに伝わってくる。アカネは目を瞑って卵に触れ続けていたが、特に何の映像も頭に浮かび上がってくることはなく、変化は全く無かった。
アカネは諦めてそっと手を放す。見た所、卵にはポケモンが育てているような形跡が無く、何というか『地面に転がしてある』ように見えた。このまま持って帰らなければ上手く孵化しないか、野生のポケモンとして生まれることになる。
カイトに何も見えなかったことを伝えると、不安半分安心半分と言ったような複雑な面持ちで卵を見つめた。
「基本、野生のポケモンでも卵にはきちんと保管場所を作ってるはずだし、親は……近くにはいないのかもしれないね」
「そうね。何か、落ちてる……って感じだし」
カイトは卵に近づき、それをそっと抱えた。卵はアカネが両手で持って歩けるほどの大きさではあるが、それにしては意外と重たい。
「またここに来ることはできるし、一度持ち帰ってペリーあたりに相談してみようか」
「……ペリーね。癪だけど……」
アカネはそう言ってカイトが抱えている綺麗な卵を見上げた。アカネの目は微かにだが輝きを帯びている。卵が宝石のようで綺麗なので、少し気に入っているのだろう。そう思ったカイトはアカネに卵をゆっくりと手渡した。ちょっと重たいよ、と声をかけてもらったものの、本当に思ったよりも重たくてアカネは驚いたようだ。アカネの体はふんわりとしているため、心なしか卵も心地よさそうに見える。
「ところで、持って帰った後はどうすれば……?」
「うーんと、なんとなくわかるんだ。とりあえず卵のベッドを準備しようか。短い付き合いになるとは思うんだけど……」
まさか持って帰ったその日に孵化するなんてことはないだろうし、とカイトはアカネの抱える卵を見下ろした。見たことがない性質の卵なので、孵化寸前なのかどうかもよくわからない。
特に宝物などは発見することはできなかったが、二匹は『不思議な卵』を一つ、『閉ざされた海』から持ち帰ったのだった。