40話 姉弟子の思い
カクレオン商店で小さな木の器を貰ったので、カイトがくれた花束は器に水を張ってその中に入れていた。
サメハダ岩の中に花が咲いた。そんな風に見えるくらいカイトがくれた花々は綺麗で、しかしどこかぴんと来ない。
「空の頂」へ登頂した翌日、二匹は「今日はゆっくり過ごそう」と言ってそれぞれ別行動をしていた。カイトはいらない道具を換金したり、食料やベッドの毛布を新しくしたいからとトレジャータウンまで出ていき、アカネは体を休めるようにベッドの上で毛布に丸まって横になっていた。
アカネがいつも眠っている方向の丁度向かい側に、カイトがくれた花が飾ってあるのだ。横になってそれを見つめながら、アカネは悶々と考える。
「…………グラシデア」
ありがとう。感謝の意味だ、とミーナが里で教えてくれた。
だから、感謝を伝えたいときには皆グラシデアを買っていき、長持ちさせたいときは何かグラシデアを模したグッズを「シェイミの里」で買っていくのだという。
「…………なんか、バラバラ」
花束にされていたもののなかには、胡蝶蘭、薔薇もある。綺麗だけど、なんだかうるさい。カイトが選んだのだろうか、と思うと少しおかしくなって、微かに笑みを浮かべた。横になったまま笑うのは気持ち悪いか、とすぐに一匹で考えて元の表情に戻す。シェイミたちは植物を育てることに長けているのか、時期的にあまり見ない珍しい花も綺麗に咲いていた。
黄色いクロッカスもある。アカネが意図せずこの探検隊のチーム名を「クロッカス」にしたからだろうか、と思ってじっと見つめた。それらを考慮して花を詰め込んだのなら中々のロマンチストである。
クロッカスの持つ意味は、「私を信じて」。
思い出して、何故か一匹で恥ずかしくなる。黄色いクロッカスの花ことばは、肯定的に受け取れば「私を信じて」という意味になる。しかし、一方で「私を裏切らないでほしい」という言葉にもなり得るのだ。
重たい言葉である。元々、「クロッカス」とは人間だった頃、星の調査団でアカネが使っていた偽名だ。それを知らず知らずのうちに自身のチーム名として採用してしまったが、意味を考えれば考える程に恥ずかしい。しかし、一方でこれ以上にアカネとカイトのチームに当てはまる名前は無いとも彼女は思った。
チーム「クロッカス」。
アカネが気まぐれに作ったチーム。記憶も過去も未来も失っていたアカネが、唯一見出していた希望。カイトの提案に乗ってチームを作ったことで、アカネは自分が何者なのかもわからない世界で居場所を得た。カイトは、不明点があまりにも多いアカネをすんなりと信じた。アカネはカイトを含めて何も信じられなかったのに、カイトはそんなアカネと世界とポケモン達の架け橋になってくれた。
今もそうだ。アカネはカイトが居なければ住む場所すら無い。
今更離れていかれてしまっても、アカネは上手く生きてはいけないのだ。
カイトから離れていくとすら思っていなかった。チーム「クロッカス」は、アカネの中ではまるで永遠に続いていくような、そんな風に思ってすらいた。
よくわからない。それ以上に、考えたくはなかった。
「あの時」から考え込むことが多いのだ。それ故に、元々あまり安定しない体調に精神的なものまで加わってしまう。横になって頭がぼうっとしている上に、楽しく登山でもしに、と空の頂まで行って予想外の戦闘。酷い悪臭やガスを浴びて、朝起きれば元気いっぱいという訳でもなく、更に目を開けば「シェイミの里」でカイトにプレゼントされた綺麗な花束。
カイトと出会ってから星の停止を食い止めるその瞬間まで、アカネは今を生きることで精いっぱいだった。変貌しつづける日常を潜り抜けて、星の停止で滅んでいくこの世界のことを考えて、世界を救う事を目指して。光に溢れた世界を継続することだけを考えて、アカネ自身のこれからの未来を考える間もなく「幻の大地」へ向かって。
そこで、自分には未来がないことを知った。
未来の事を考える必要などなかったのだ。
未来には、自分のいない時が進み続ける世界があるだけだった。
この先を考えようとすると何故か頭が痛くなって、アカネはキュッと目を瞑った。
一方カイトは、食料品やベッドの素材を買いあさり、カクレオン商店で不思議玉を数種類幾つか購入した後、その足でヨマワルの銀行へ向かった。クロッカス共用の口座が非常に潤っていることを知っているヨマワルのホレフは、彼が現れるといつも嬉しそうに両手を擦りながら顔を近づけてくるので、馴染みの銀行であったとしても最近妙に目の色が違うよな、といつも苦笑いを浮かべながら手続きをする。
銀行でお金を預けた後、「またお願いします〜」というホレフの熱視線を受けながらカイトはそれなりに多い荷物を抱えて歩き始めた。
カクレオン商店を通過してサメハダ岩まで向かおうと足を進めていた時、カイトは後ろから自分を呼ぶ声を聞き取ってゆっくりと振り向いた。
先ほどまでカクレオン商店で買い物をしていたであろうギルドの先輩、キマワリのフラーとチリーンのベルが、茶色い紙袋を抱えてカイトの後ろに並んで立っていた。荷物の多いカイトを心配してか、二匹は彼が自分たちに気が付くといそいそと近づいていく。
「おはようございますですわ!カイト!
荷物が多いので、少し持ちますわよ!」
「フラー、ベル!おはよう。
大丈夫だよ、僕力だけはあるからさ」
自分の紙袋を片方の腕で抱え、もう片手を差し出すフラーの申し出をやんわりと断り、カイトはゆっくりと地面に荷物を下ろした。ドサリ、という音が響き、ベルが「本当に大丈夫ですか…?」とやや心配そうに尋ねる。
「そういえば、今日はアカネはどうしましたの?」
フラーがキョロキョロと周囲にアカネを探すが、姿は見えない。別行動かしら、と思い、ベルは後ろに振り向いてトレジャータウンの様々な場所を遠目から観察した。
「アカネは今日はお休みだよ。サメハダ岩で休んでる」
「あら、もしかしてまた体調が……?」
「アルストロメリア」に行ってからアカネが四日間寝込み続け、カイトの動揺っぷりを知っていることに加え、意識を失ったアカネをギルドに運んで看病していたベルは心配したようにカイトに尋ねる。カイトは軽く首を横に振り、「普通に疲れて休んでるだけだよ」と、安心させるように笑みを浮かべて言った。
「昨日、空の頂まで登ったんだ。流石に僕もちょっと疲れたし、今日は仕事はせずゆっくりしようかな、って。あ、ペリーには言わないでね!?」
「空の頂?もしかして、例のシェイミの里復興っていうやつですね。昨日カフェに行ってたポケモンに聞きました。
色んなポケモンが挫折したみたいですけれど、流石クロッカス。登り切ったんですね」
感心したようにベルがそう言うと、カイトは笑みを浮かべたまま軽く頷いた。
「うん。ガイドが優秀だったんだ」
「…………なんだか、カイト。ここ一年くらいで少し雰囲気が変わりましたわね」
フラーが糸目を軽く引きつらせ、カイトの顔を覗き込んで急にそんなことを言いだした。一体何の話だろうとでもいうように、カイトは「え!?」と動揺したような声を零す。ベルも「唐突よ」とフラーを嗜めるが、彼女は「ごめんなさいね」と謝罪を軽く述べた後、腕を組んで話始める。
「カイトと最初会った時は、明るくて穏やかで、礼儀正しいポケモンだと思ったんですわ。
初々しくて、なんて可愛いのかしら!!キャーー―ッ!!って思ったんだけれど……なんだか、妙にかっこよくなりましたわね」
「あー、確かに。カイトさん、最近女の子に人気ですからね!」
キャッキャと女性陣がそう騒ぐが、カイトとしてはいまいちぴんと来ない。というか、自分が女性に人気という自覚がまるでないのだ。そんな熱視線を感じたことも無いし、自分がヒソヒソ言われているのも特に聞いたことが無い。むしろ相方のアカネの事をヒソヒソ言っているポケモン達が気になってしまってそれどころではなかった。
「人気っていっても、多分クロッカスの評判の所為だと思うよ。アカネが言われるのはまぁ、わかるけどね」
気に喰わないけど、と付け加えそうな顔つきでぽつりと言う。
「アカネは、なんていうか第一印象は正直最悪だったけど……慣れてきたころからもう可愛くて可愛くてしかたありませんでしたわ!キャーーーー!」
「アカネさんは、なんていうか他を絶対寄せ付けないオーラがあったしね。すごく綺麗な子なんだけど、それが逆に近寄りにくくしてたかも。最近は相変わらずだけど、笑顔も増えて素直で、可愛いですよね」
「へぇ、女性陣から見てもアカネはそう見えてるんだ」
カイトは笑みを浮かべながらそう言うものの、声色は全くと言っていいほどその顔つきに合っていない。そんな彼の様子に、軽く地雷を踏んだのかもしれないと思った二匹は、「そう思う事もあります〜」と軽く返して何とか切り抜けた。
「そ、そういえば。カイトは卒業してからずっとアカネとふたりで暮らしていらっしゃるんでしたわね!新生活はいかがですの?」
「うーん、ギルドに居た頃に比べてお互い起きるのが遅くなったんだよね。最初はアカネが僕のこと叩き……起こしてくれてたんだけど、ポケモンの体に慣れてきたからかなぁ。ギルド入ってしばらく経った頃からあんまり朝が得意じゃなくなったんだよね。朝は不機嫌だし、いっつも毛布にくるまってるよ」
とにかく、とてつもない変化はないんだけど、で済む一文をやたら長文にして話す。先ほどの表情から一転、アカネのことを思い出しているのか朗らかな顔つきでそんな風に語り出す彼はとても饒舌だった。やはり、とフラーとベルは軽く視線を通わせると、ベルがふわりとカイトの前で風鈴のようなその体を揺らし、ニコニコと微笑んで尋ねた。
「あの、もう二匹はギルドを卒業されましたし、思い切ってお聞きしたいんですけれど……。
カイトさんは、その。アカネさんのことが好き、ですよね」
「…………んー……」
直球にそんな問いかけをされ、カイトは軽く目を細めると腕を組んだ。
「……好き、っていうのかな。うん……ホント、大事だよ。アカネのことは」
カイトが静かにそう呟く。二匹はその言葉を聞き、弾かれたように「キャーー!」と騒ぎながら体をぶつけ合っていた。女性はこういう話が好きなのだろうな、と思いつつ、カイトは昨日の出来事を思い出す。
花束を渡した時のアカネの言葉と表情が、映像化されたようにくっきりと脳裏に焼き付いていた。
「カイトはアカネに気持ちを伝えませんの!?」
「うーん、一応伝えたつもりなんだけど、なんか違う風に思われてるかもって」
「もう告白したんですか!?じゃあ、誤解されたなら訂正しないと……」
「いや、いいんだ。何というか、考え直したんだ。やっぱりアカネには知られない方がいいかなって。
なんていうか、多分異性として意識されてないってことは無いと思うんだ。でも、それがアカネの中でそっちに結びつかないというか。
いいんだ、ホントに僕の好き勝手な気持ちだし、考えてみれば……僕だってまだ、覚悟がないんだから。アカネのはあくまで友情だし、僕は……ね」
「けど、カイトの気持ちに本当に気づかないなんて、アカネって相当お鈍さんですわ」
「ははは……僕ってそんなに明け透け?」
「カイトさんの方が最初は鈍感そうなイメージだったんですけどね。なんというか……フフ」
カイトはアカネが好きだ、という気持ちが明け透けというよりかは、アカネに近づく周囲への当たりが強い。それは例え女性陣であっても見ていれば分かるし、昔リオンがアカネと話しているのを目撃した後、カイトに尻尾をぐりぐりと踏まれていたことがあるのも何となく知っていた。
フラーは、そういう面ではかなり男性陣はカイトを警戒していた、というのもドゴームのゴルディから聞いている。
カイトは如何せん距離感が近いので、すぐにアカネに顔を近づけたり他のポケモンと殆ど距離をとらないということが起こる。距離感省く態度や言動できちんと関係性は示すことができるのだが、そんな彼は「天然鈍感誑し」というイメージだったという。実際はほぼ間違ったイメージではあるのだが。
「まぁ、けど。僕の事はいいとして、フラーの好きな相手はどうなの?」
「…………わ、私の好きな相手!?なんのことか、さっぱりですわ!!!」
「ゴルディさんのこと?」
「キャーーーーー!?何で知ってるんですのぉ!?」
ケンカップルだからねぇ、とベルは意味深な笑みを浮かべ、カイトもそれに便乗して笑った。フラーは顔を真っ赤にしながらやめてくれと訴え、この話はおたがい水に流そうとカイトに持ち掛けたところで一応この場はお開きとなる。
久しぶりに話せて楽しかった、と笑ながらカイトが荷物を抱えて去っていくのを見送り、フラーとベルは買い物も終わったしギルドへ帰ろう、と彼とは全く反対の道を進み始める。
「……けど」
「ん、どうしたの?フラー」
「多分、アカネの気持ちも単純な友情ではないですわ。……きっと」
「私もそう思うな」
ベルが穏やかに答えた。
フラーはアカネの事を思い浮かべながら、ふと「歴史の改変」がなされた後……彼女が消滅した直後の事を思い出す。
直後、というと語弊がある。カイトがボロボロになった体を引きずって「幻の大地」から帰還した時のことを、ふと頭に思い浮かべた。
幻の大地からここまでの長い道のりを、たった一匹で傷だらけになりながら帰って来たカイトの瞳はとても虚ろで、そんな虚ろな目をして鬱々と微笑みを浮かべるその傍に、アカネはいなかった。
身も心も傷だらけになって帰って来たカイトに真実を尋ねる機会は与えられなかった。それほどまでに、彼は酷い状態だった。後からパトラスに真実を聞かされ、困惑と不安で騒めいていたギルドメンバー達も、最後は皆静まり返って事実を受け入れていたのを覚えている。
カイトは。
カイトは一体、幻の大地からギルドまでの道のりを、一体何を思って戻って来たのか。
未来のポケモンの行く末を知った時、カイトが帰ってきてくれたことに感謝する反面、これ以上に残酷なことはないのではないかとすら思った。
帰ってきてから、カイトがずっとつらかったのは知っていた。晩にペリーの目をかいくぐっては海岸に出て行って、誰もいない静かな海と、海をも飲み込むような無数の星空の下で涙を流しながら吠えていたことも知っている。
けれど、何も言えない。カイトが慰めなど求めていないことは誰にだって分かっていた。フラーは、ギルドのポケモン達は皆、カイトではないから。本当に大切な相手を失った彼自身の気持ちなんて、例え同じ経験を持っていたとしても理解し切れるはずがない。
だから、何も言えなかった。
ただただ、時が過ぎるのを待つしかないと思っていた。アカネがいないこの世界に、カイトが順応することができるまで。
それでも毎日を息をし辛そうに生きている彼の思いに答えるかのように、彼女は、アカネはこの世界に戻ってきてくれた。
「もう、二匹には離れてほしくありませんわ」
「うん」
「カイトのことも大事だし、アカネのことも大事だけど、なにより。
私は、二匹が一緒に居て幸せで居てくれるなら、何より嬉しいの」
まるで親にでもなったみたいですわ、と言って、フラーはふふんと笑みを浮かべた。