39話 言葉足らずとグラシデア
シェイミのフォルムチェンジによって麓まで運ばれた一行は、それぞれ「シェイミの里」のお土産を漁るなり帰路を辿るなり、自由に過ごしていた。
シャロットとチェスターはお土産を見て帰ると言った一方、セオはシェイミの里をフラフラと一匹で探検しにどこかへ消えていった。
フロンティア一行は、暫く調査兼ね報告書を書かなければならないということでシェイミの里の一角を借りて残留。アカネとカイトと連絡先(要するに活動拠点)を交換し合い、所謂事務的な仕事で小屋の中に籠ることになる。
「アカネさん、カイトさん」
「ミーナ」
ミーナは里のシェイミたちの輪から外れ、お土産を見に来ていたアカネとカイトの傍へと近づいてきた。並べられたお土産を見下ろしていた二匹は顔を上げてミーナの声がする方へ振り返る。
ミーナはフォルムチェンジしたままだった。空を飛べるにもかかわらずテクテクとそのすらりとした足で歩いてくる。こうなると、小さく幼く見えていたミーナも大して自分達と変わらないように見えて、カイトは妙に改まってしまう。アカネより小さかった背丈は最早アカネを追い越していた。
「……あの、本当にご迷惑をおかけしました。……そして、ありがとうございました」
「うん。僕も怖がらせてごめんよ」
「いえ、私……炎を克服します。今まで苦しくなるから本当に見たくなくて、嫌だったんですけど……頑張ってみようと思います」
そう言ってミーナはにっこりと笑顔を浮かべた。姿の所為だろうか、フォルムチェンジ前の彼女よりも胸を張っているように見える。声色や態度にもそれが現れていて、彼女のなかで何か思いなおすことがあったことは確かである。
ハンナも同様の姿でお土産コーナーでお土産の説明をしていたが、彼女の表情はミーナと対照的に鬱々としているように見える。最初、里から出発するときにはこんな表情ではなく、案内者としてお客さんを送り届けたいという意思がにじみ出る様な、そんな穏やかな様子だった。
「ハンナは……」
「ハンナさんとは、もう少し時間をおいて話し合おうと思います。
ハンナさんは……きっと、まだ私に話していないことがあるんです」
「そう。……頑張って。応援してる」
このポケモン達には、まだまだ時間が必要なのだ。消したくても消すことが出来ない思い出や記憶は、ポケモン達がどれだけ意識して変えようとしても変えられるものではない。時間がいくら経ったとしても薄れない記憶は存在する。それを過去のこととして飲み込むか、それとも振り切るか、引き摺り続けてでも歩いていくか。
「ありがとう、アカネさん。もう一度目を良く見せてもらえますか?」
「目?どうして?」
「アカネさんの目の炎は好きなんですよ」
「目の炎……?」
よくわからないと思いながらアカネは覗き込んでくるミーナの目をじっと見つめた。エメラルド色の綺麗な瞳だ。小さな体だった時は目が見づらかったが、今は背丈も同じなのでしっかりと見える。
「ミーナ、鼻がぶつかるよ」
「あぁ、すいません。近かったですね」
少しだけ顔の距離を遠ざけ、彼女は尚もアカネの瞳の奥を見つめた。真ん丸な宝玉のような瞳だった。茶色いような黒いような、角度によって色を変える。色を変える度、瞳の奥にある複雑な色も鮮やかに変化して、赤や青色の炎が瞳の奥に揺らめいているようだった。
アカネの目は茶色みがかったブラックオパールに似ている。ぽそりとミーナがそう呟くと、アカネは頭の上にクエスチョンマークを浮かべて「あ、ありがとう……?」と困惑したようにお礼を言った。オパール、とは随分大それた表現である。アカネも一度そんな表現をした相手がいるが、そんな相手と同じように自身を表現されるのは多少照れ臭い。
「あれ……」
「どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
アカネの瞳の奥に何か文字のようなものが浮かび上がったような気がしたが、ミーナはおそらく気のせいだと思い首を横に振った。ゆっくり顔を放すと、再び「ありがとうございました」と頭を下げる。
「苦しくなった時は……アカネさんの目を思い出します」
「な、なにそれ?それで落ち着くならいいけど……でも、ハンナにももっと頼って良いと思うよ」
「頼るし、頼られたいです。……まだ当分先だとは思いますが」
ミーナがそう微笑む。アカネが「ハンナにもお礼を言っておいてほしい」と、やや忙しそうにお土産コーナーの説明に回るハンナを見遣ってミーナに伝えた。
そしてミーナとクロッカスは分かれた。
「アカネ、僕もちょっと見たいものがあるから外れていい?」
「いいけど、ちゃんと帰ってきなよ」
「うん、勿論。アカネも待っててね」
ミーナと別れたあと、直にカイトが別行動をしたいと言い始めて二匹は里の中で単独行動を始めた。アカネはひとまずカイトを見送りつつ、自分はシェイミの里特性のオリジナルアクセサリーなどの店を回る。
凝ったものは無いが、グラシデアの花弁を水晶の中に閉じ込めたネックレスや、草や花から絞った色を結晶にしたと思われるキーホルダー。探検用のバッグに付ければ可愛いかも、と思いつつ戦闘で吹き飛んだらどうするんだとその考えは捨てた。
ボタンなどの装飾品も綺麗で、もしバッグのボタンがはじけ飛んだらこれを縫い付けたらどうだろうか、なども考える。しかし、壊れる可能性が高いものに付けるのはもったいないとやはり諦めた。
(ネックレスはカイトがくれたやつがあるし……)
「ねぇ、何してるの。アカネさん」
「……セオ、どうしたの?」
いつの間にかお土産を売っているこの場所に戻ってきていたセオは、何故か一匹でいるアカネを不審に思い話しかけてきたようだ。足元が汚れていてボロボロだが、背中には何かを背負っている。
「私はアクセサリー見てるだけ。悪いかしら」
「そんなことないよ。アカネさんが付けたら多分何でも似合うよ。
それにしてもさー、シャロットと兄さんがずっとイチャイチャイチャイチャしてて見ててしんどいんだよね。友達と自分の肉親がいちゃついているっていう状況がもう何か、うへぇって感じだ。うぇ〜〜」
軽く流されたようでアカネの眉間に皺が寄る。おそらくセオが話したかったのは後半の愚痴であって、アカネじゃなければいけなかったということでもない。
今でこそそれなりに軽口叩いているが、セオとの初対面はまさに最悪を極めていた。今それなりに付き合いのあるポケモンの中で、特に最悪の出会い方をしたと言っていいだろう。探検家兼害悪探検隊マニアのセオがやらかした事件で、一応探検隊として相方だったシャロットはカイトを目の前にスライディング土下座で謝罪をしにきたのが初対面。この二匹の第一印象がどちらもある意味インパクトが強すぎる。シャロットについては立ち会えなくて残念だった、とアカネは今でも思う。
セオは頭でっかちで自分本位で思いやりに欠けるのは以前と変わらないが、それでも彼は彼なりに変化しているのだ、という。加えて、最初にやらかした事件に似つかわしくない程に何故か強く憎めないのだ。
それが近頃自分の肉親であるチェスターと元・探検隊相棒のシャロットが交際を始めたことでさらに鬱憤を募らせているようだ。
「じゃあ来なければよかったじゃない」
アカネもさすがにセオには冷ややかに返す。セオだからこそできる返し方だが、セオは彼らしくもなく「いや……」と呟いたきり、押し黙ってしまう。
ただ、言い返せないという様子ではなく、何か喉に引っかかっているような、そんな表情を浮かべていた。まるで困ったような、迷っているような。
「シャロットとチェスターが付き合ってるの気に入らないんでしょ?」
「…………応援してないわけじゃないけどさ。かといって応援してるかって言ったら、そうじゃないし」
「……あんた、シャロットの事好きだったの?」
セオにもそんな感情が……と、内心思いながら、アカネは驚いたようにそう言った。
「いや、それは無い。絶対にあり得ない」
一方彼は、ぞわり背中を震わせると全力で拒否し始めた。趣味が悪い、タイプじゃない、まず女の子として見れない。兄の恋人であり自分の友達をボロクソ言う上に、ここまで拒否することはないだろうという程に拒否するので、アカネは「分かったから」と一旦場を諫める。
「そこまで言う事ないでしょ……ったく。でも、何でそんなに気になるの」
「…………別に僕はさぁ、シャロットの事がそーゆー意味で好きな訳じゃないんだよ。それで、シャロットが兄さんと付き合ってるのもホントは生理的にあんま嬉しくないわけ」
てかまず惚れた腫れたが意味わかんない。と、セオはアカネの目の前に飾ってあるアクセサリーを前足を上げてちゃらちゃらと触る。やめなさい、という代わりにアカネがぱちんと手を叩いた。
「でもさぁ、ほら。時の歯車事件で。
シャロットは、背負いたくないことを背負ってた。未来のシャロットが勝手にやったことで。周りもいい迷惑。ホント。
でも、僕は今のシャロットにも責任があると思う。命がある限り、ずっとさ……生きていかなきゃいけないっていう、責任。
だけど、そしたら重たくない?一日一日、重たすぎる。今日も生きて、明日も生きてさー、ずっと生きていかなきゃいけない責任。来るかわからない日の為に生き続ける責任」
「…………」
セオの言葉とは思えない。アカネはその瞳を見開いて、セオの話を唖然とした様子で聞いていた。
「僕の考えはずっと変わんないと思うよ。シャロットには責任がある。今から未来まで、どんな形であれシャロットは命を使ったんだ。いろんなポケモンの命を。アカネさんもそうでしょ。使われた側」
「…………」
「僕はシャロットの本音を知ってる。シャロットは僕には本音をぶつけるから。絶対合わないんだよ僕達、本音は特に。
けどさ、だから今になってシャロットの毎日は重いんだって思う。
シャロットの内面は責任で重くて構わないけど、せめて外側はさ、軽くたっていいじゃん。そういう奴が一匹いれば、勝手に責任とか重みとか持ってってくれるじゃん。
でも少なくとも僕は無理。勘弁。
けどさ、現れちゃったから、そういう奴。惚れた腫れたどうでもいいけど、死ぬほど興味無いしむしろ生理的に無理だけど。
シャロットが外ぶらついてる間くらいはいいでしょ、そういうのも」
「………………」
驚いて声が出なかった。セオが長々喋るのは珍しくないが、全く横槍を刺す気にならなかった。
セオがこんなことを言うはずがないと、アカネはセオの両頬を手で握って左右に引っ張った。セオは「ぎゃぁ!!」と叫んで抗議の声を揚げる。メタモンとか、そういう類のものではなさそうで安心したが、あまりに意外すぎて怖い。
「シャロットに、伝えないの?そういう気持ちとか……」
「シャロットには絶対言わないね。死んでも言わない。勿論兄さんにも言わない。
てか、アカネさん口堅そうだから言っただけだよ。それにあんまり関りが濃くない方が案外こういうの喋れるから。
探検隊としても尊敬してるしね」
「へぇ」
「何その目。一応ずっとファンだけど?じゃあ、とりあえず周りには絶対言わないで。他言無用!」
そう言って、セオはとっとこ走り去っていった。一体何が起こったのかいまだに判断が付かないが、あれがセオの本音、というところらしい。
セオは自身の考えは曲げない。正しいと思っていることに対しては嘘はつかない。
離れた場所でチェスターとシャロットが花を見ながら何か話しているのが見えた。酷く辛い運命を抱えているようにも見えなければ、深い悲しみや苦しみに侵されている様子もない。気の合う恋人と一緒に今を過ごしている、普通の少女だ。
「…………」
星の停止という事実が未来で起こってさえいなければ、彼女は普通の少女のままだったのだ。
「…………アカネ?」
セオが走り去った後、セオの言葉について考え込むあまり土産屋の前でぼうっと突っ立っていたアカネに、カイトは背後からそっと声をかけた。アカネの体がびくりと跳ねて勢いよく振り返る。神妙な顔つきのカイトがアカネをじっと見つめていた。両腕を後ろに回して、アカネの顔を凝視している。
「様子がおかしいけど、何かあった?」
「いや、別に何も……。カイトこそ」
「………………僕、アカネに渡したいものがあって」
「え?」
片手を後ろから出して、アカネの手を軽く掴むとカイトは先導するように歩き出す。土産屋から少し離れた所にまで移動し、アカネの手を放した。
里の中でも特に花が多いゲートの入り口付近だった。グラシデアとはまた少し違うが、様々な草や花が揺れていて、風で花の香りが舞い上がり、ふわりとしたいい香りが鼻腔に入り込んでくる。肩の力が抜けるような、良い匂い。
「えっと、それで渡したいものって?」
「アカネ」
アカネの質問が終わるか終わらないかと言うところで、カイトが勢いよく後ろに隠していた花束を突き出した。いくつかの花で構成された花束のようで、グラシデアの花が入っているほか、複数の花がその中にまとめられていた。
グラシデアの花には感謝の気持ちを伝える意味があると、ミーナが言っていた。カイトはアカネに感謝を伝えるためにこの花束をわざわざ買ってきてくれたのだろうか。
「え、あ、ありがとう……」
アカネは少し困惑した表情を浮かべた後、微かに笑みを浮かべつつ花束を受け取ろうと手を花束にかけた。
グラシデア以外の花も含まれている。感謝を伝えたいのなら、グラシデアだけでいいのに。アカネはそう思って、カイトの差し出す花束に軽く手をかけた状態で彼を見上げた。
「あの、カイト……」
「アカネ。僕とずっと一緒に居てほしい」
質問を投げかけようとした瞬間、また先回りするように放たれたカイトの突然の言葉に動揺しつつ、アカネは返答した。
「……ずっと一緒に……って、そんなの……」
勿論、って?
ずっと一緒にって?
カイトのずっととは、いつまでなのだろう。
彼の言葉に肯定しようとしたアカネの喉は、強い引っかかりを覚えて衝動的にその言葉を飲み込む。カイトの真剣な表情を見上げていても、言葉を返そうとしても、喉が詰まったかのように何も出てこなかった。
考えたこともなかったのだ。
アカネのずっととは、死ぬまでのこと。では、カイトのずっととはいつまでなのか。
探検隊をしている間?一緒にサメハダ岩に住んでいる間?今から死ぬまでのこと?
今から死ぬまで一緒にいるならば、カイトはこの先どうやって生きていくのだろうか。
シャロットのように恋人はつくらないのか。子供は作らないのか。家族は持たないのか。この先、ずっと一緒に探検隊を続けていくとするならば、大切な誰かが出来た時、アカネはただただ足を引っ張るだけの存在なのではないか。
考えたことなどなかった。
当然のように、これから一生一緒に居るものだと思っていた。
カイトと再会した日から、「一緒に居ていいか」と尋ねて肯定されたあの日から、そもそも絶対的な、抗うことができないことが原因であること以外でカイトと離れるなど、考えたことが無かった。
ずっと一緒、って何なんだ。
アカネは分からなくなって、顔に熱が集まり、目に少しだけ膜が張るのを感じながらカイトを見上げていた。
緋色の体が、いつも優しげに自分を見つめている水色がかった大きな目が、当たり前のようにいつも傍にいるその姿が、真剣な眼差しでじっとアカネを見つめている。
(…………まさ、か)
「そういうこと」だろうか、と。
(ま、まって……もしそうだとして、いつから……)
「か、カイト。それ」
「っ……なんてね。僕とアカネはずっと一緒だよ。えへへ」
アカネに花束をグイっと押し付け、半ば強引に受け取らせると「いつもありがとう!」とアカネに軽く抱き締めるように両肩を軽く引っ張って引き寄せる。アカネは唖然とされるがままに軽く抱きしめられると、カイトから視線が外れる。目に入ったのは、自分が包むように抱えている花束だけだった。
「さ、帰ろうか!僕たちの探検隊基地!」
「…………え、ぁ、そう、ね……」
アカネから軽く離れてゲートを出ると、やたら元気なようにふるまいながらカイトはアカネに声をかけた。
いい香りのする綺麗な花束を抱き締めるだけ。考える度に思考が途切れかけて、何も尋ねることが出来なければ、何も言えない。アカネは振り絞るように軽くカイトに返事をすると、フラフラとする体を無理やり動かして先に進むカイトの後を追った。
かくして、「空の頂」を目指す山登りは幕を閉じた。