35話 すれ違うまま
「……ごめんよ」
「カイトさんは悪くありません……ハンナさんの依頼だったわけですから」
ミーナはきちんと前を向いて歩いている。しかし、また顔色が悪い。先ほどよりも弱々しい声で、足取りだけが確かな様子である。
見ていて心配になった。ミーナも、今回の事は自分の行動が問題だったと理解している。しかし、理解しているうえでもやはり悔しい。ハンナの顔を見た時から、何も言わずにはいられなかった。
感情がコントロールできない。まだ子供だ。子供っぽい面が目立ってしまって、本当に、申し訳なくて、情けない。悔しくて、哀しい。
「良ければ、聞かせてくれないかな。ミーナの気持ちを、少しでも」
酷く傷心しているミーナに、少しでも楽になればと思いカイトはそう言った。アカネも何も言わずミーナの頭をポンポン叩き、話を聞く為か何も言わず横に並んで歩いていた。
現在九合目への道のりである。少し揉め事があったことはフロンティアに話してはいないが、ニューラについてフロンティア達が報告書を書かなければならない、ということで遅れて出発するという。
いつの間にか雪は解け、岩肌が露わになりごつごつとした道が続いているが、空気が冷えていることに変わりはない。景色は湿気や光の加減などから多少青みを帯びているように見えた。
「…………私はあの事件で、両親を亡くしました」
少し前に聞いた話だ。その続きだろう、とアカネとカイトは口を噤み、耳を傾けた。
「妹と両親を一度に全て失ったハンナさんは、息絶え絶えになりながら隣の家に住む私を助けてくれました。その時、既に家族は駄目だったそうです。
妹さんは、まだ小さかったそうです。私も、小柄で。ハンナさんは自分も家族を失ったのに、まだ小さかった私を他のシェイミたちと親代わりになって育ててくれました。姉であり、親代わりなんです。私にとって、ハンナさんは。
だけど、分かってます。ハンナさんは妹さんと私を重ねているだけです。私自身を本当の妹だと思っているわけじゃない。……けど、仕方ないです。本当の姉妹ではないから。
だから、過剰に心配されると、不安になってしまう。私が足かせになっていることが。助けられなければ何もできない自分が」
ハンナの妹なら出来たかもしれないことが、自分にはできない。そんな振舞い方が出来る程、器用な性格ではない。見たことも無いもしもの未来に追いかけられ勝手に不安になって、まだ自分が子供で、感情を抑えるのが苦手な未熟なポケモンだということも、よくわかっている。
アカネとカイトという、圧倒的な力に任せることで、ミーナに「案内をさせようとした」ように見せかけてサポートをさせようとした姉の気持ちは、本当は分かっている。今回の事は全面的に自分に問題があるし、実際ハンナが言ったように炎は怖い。どうして上手く生きることができないのか、そつなくこなすことが出来ないのか。
ポロポロとミーナの心の殻が剥がれ落ちていく。カイトは彼女のそんな話を聞きながら、ある一匹のポケモンを思い浮かべていた。
「私はもう、何も失いたくなくて。何かに依存すれば、絶対失ってしまうから。だから、一匹で何でもこなせるようになりたくて、でも、出来なくて……」
「…………そっか」
「……最初、おふたりに冷たくしてしまって、すいませんでした。
世界を救ったポケモン達だって聞いて……いつだって救う側のポケモン達は、失う痛みを知らないって。明日が来なければいいのにって、そう思うポケモンの事なんか知らないだろうと思って。
世界を救ったって聞いて、私思ってしまったんです。なんで救ったの、って」
襲撃事件のあの日から、ミーナの世界は既に壊れてしまっていた。
アカネやカイト達に対する勝手な想像だった。自分が壊れた世界の小さな存在で、外で全く違う生き方をしているポケモンに舐められたくなかったのだ、ということ。
「………けど。
勝手な想像でした。簡単に英雄になれる訳ないのに」
「…………そっかぁ…………」
カイトは話を聞きながら、少し斜め上を向いていた。腕を自分の両目に当てて、「ハァー」と息を押し殺すように鼻から空気を抜いた。
アカネはカイトの顔を見ようと顔を上げるが、彼の顔は逆光に遮られて良く見えない。
ミーナは、アカネに似ている。カイトに出会った頃の一匹狼気質だったアカネとそっくりだ。
だけど、何よりカイトに似ているのだ。
裏切られることが何よりも怖くて、周囲の目を気にしてしまう。周りが全て敵に見えてしまって、不器用すぎて、出会った頃はアカネに嘘ばかりついていた、カイト自身に。
そして、今も尚心のどこかでは嘘をついている。
胸の内を打ち明けていたのは、ミーナだけではなかった。
セオの言葉が強く響いたのだろう。ハンナは誰に尋ねられるでもなく、ただ頂上に昇り詰めるまでの乾いた空気を潤さんとしているのか、ミーナへの思いをぽつりぽつりと語り始めた。
隣でチェスターがそれを静かに聞いている。シャロットも、セオまでもが聞き入る話だった。
「集落が炎に包まれたあの日、鈍かった私は飛び起きるのが遅かったんです」
起きてみると、家が炎に包まれていた。ハンナは急いで家から飛び出し、「とある方法」を使って空を飛び、炎から免れたという。
しかし、飛び出した瞬間家が崩れ落ち、両親も妹も、既に崩れた家の中で息絶えていた。
炎を纏った化け物が、集落を徘徊していて、ふと隣の家の子供の泣き叫ぶ声がした。
「お父さん、お母さん」と叫ぶそのシェイミには覚えがあった。まだ幼い、妹と同じくらいのシェイミだった。
泣き叫ぶ声は化け物の気を引いてしまって、化け物はその子の家に近づいていき、火を吹いたのだ。
炎は家に燃え移り、入り口付近にいた少女は這い出てきた。助けてくれと叫んで、悲痛に両親の事を求めた。
ハンナは無我夢中でそのシェイミを掴み、空に逃げた。ハンナの存在に気付いた化け物は、攻撃するでもなくじっと彼女と小さなシェイミの方を見つめていた。満足そうな笑みを浮かべて、こちらをじっと見ていた。長い舌をぺろりと口から出して、こちらを嘲笑う。
ハンナはひたすら恨み言を繰り返す。呪ってやると心の内側で叫び散らす。
毎日のように、そんな夢を見るのだという。
彼女にとってそれは、「時の停止」などどうでも良くなってしまうような、世界の終わりだった。
「……私の腕に捕まれて震えるあの子を、今でも忘れられなくて。シェイミの象徴の花も半分焼け焦げてしまって、酷く弱っていたあの子を、私と周囲のポケモン達は協力して一生懸命育ててきました。
そうしているうちに、私にとって妹、というより……子供みたいになってしまって」
そう言って少し微笑みを浮かべる。
「でも、あの子は炎にトラウマを持っていて、案内役としては致命的でした。だけど、せめて安全に登らせてあげたくて、クロッカスの方々にお願いしたんです。絶対、困ったら助けてくださると思って。
…………私は、我が儘だったんでしょうか」
「……我が儘か、そうじゃないかといえば、我が儘だったかもしれないですね」
チェスターはハンナにそう言った。ハンナは少し傷ついたような顔つきをして、「ですよね」と呟く。
「……きっと、ミーナさんはなんていうか……妹の代わり、だと思っているんじゃないでしょうか。自分を」
「…………代わり?」
「……生きられなかった妹さんの未来をなぞるように生きている。そうやって生きているのが少なくとも不幸か幸せかといえば、幸せだったから、怖かったんじゃないですか。
失うのが怖くて、誰にも頼らず生きたかったんじゃないですか」
頼ることを辞めれば、現状維持はできないものの、失うことは無い。思い出は思い出のままに、幸せのままにして、自分の中で閉じ込めて置ける。
ハンナは驚いた表情でチェスターを見上げていた。淡々とそんなことを言うチェスターに、シャロットも驚く。セオは何の話なのか分かっているのかわかっていないのか、ぽかんとして自身の兄の顔を見つめていた。
「なんて、全部想像ですけど……」
「……いえ、参考になります」
そしてまた、ハンナは話を続ける。
話を聞くたびに、シャロットもあの光景を思い出した。凶悪な顔つきのヘルガー、襲われるノギク、炎に包まれるシェルター。倒れた護衛のポケモン達。
地獄のようだった。
地獄を作り出したポケモンは、自身の身勝手な行いでこんなにもポケモン達の心を暗く深い闇の中へと引きずり込み、恐怖と絶望で侵している。時間で埋めきれない程の傷をつけたまま、今もどこかで息をひそめている。
彼女はグッと奥歯を噛みしめた。