34話 激情と衝突
「うーーーん…………」
大きな唸り声を上げるニューラは、セオの隣のベッドでもぞもぞと息苦しそうにしていた。テイルによって処置が施され、どうやら命に別状は無いらしい。一緒に八合目まで移動してきたフロンティアも含め、全員で苦しそうなニューラの姿を見つめていた。
「…………っ」
ニューラがぱちりと目を開く。何匹ものポケモンが、上から自分を見下ろしているのを確認して一瞬驚いたようにぴくりと体を震わせた。ハイハイ通るよ、とテイルがポケモン達を押しのけて道を開き、目をのぞき込み手を掴み、首元を触ると「問題ないね」と口に出した。
急な触診に驚いたようだが、ニューラは咄嗟に状況を理解して一番深く傷を負ったであろう場所に触れた。しかし、その傷はほぼ塞がって痛みも殆ど無い。テイル曰く、傷も中々酷いが一番まずいのは毒だった、という。しかも普通の毒の類ではなく、ポケモンの技「毒毒」に匹敵する強い作用を持つ毒の可能性が高いようだ。完全に分解するのには時間がかかるらしい。
「……ここ、は……」
「目が覚めた?あんた、七合目で倒れてたんだよ」
散々色々な場所で迷惑をかけてきたニューラだからだろうか、クチートのナゴはやや冷たくそう言った。それを諫めるようにベックが「大丈夫か?」とニューラを気遣った。
「テイルさんがここに運んでくれなきゃ不味かったな。感謝しろよ」
「……あんたが、俺を……」
「いや、ミーナたちが俺を呼びに来てくれたのもそうだし、フロンティアの皆さんだってお前を運ぶのを手伝ったぞ?皆に救われたんだ、もう少し元気になったら、お礼言うんだぞ」
ニューラは苦々し気に顔を布団の中に埋めたが、縮こまってしまったあたりこれまでの行いを反省している様子だ。
「…………何があったのですか?」
ミーナは静かにニューラにそう尋ねた。ニューラは顔を布団から少し出して、何か考えるように目をきょろきょろとあちらこちらにやって思い出そうとしているようだったが、顔を歪めて「……すまん、覚えてない……」と呟いた。
「アカネが叩きつけたような傷だったって言ってたし、もしかしたら頭もどこかにぶつけてるかもね」
「まぁいい、峠は越えたみたいだし……けど、無理は厳禁だ。もう少し眠れ」
そう言ってテイルは小さな小瓶を取り出し、ニューラの口を軽く開けさせて透明な液体を一滴小瓶からポト、と垂らした。
何かを飲まされたニューラの目は徐々にトロンと眠たそうになり、直にすうすうと寝息を立て始めた。
「それは……」
「強い睡眠薬だよ。睡眠の種から抽出したエキスを凝縮したんだ。これ一粒で滅多なことじゃ起きないからなぁ。けど目覚めた時めちゃくちゃ気分がいい。爽快だ」
「あら、便利ね」
毎朝目覚めが良くないアカネが、そう言ってどことなく物欲しそうにその小瓶を見つめるので、カイトは慌てて彼女を遮った。
「いや、ある意味すごく危ない気がするよ……。ところで、そこのコリンクにも薬使ってるの?」
「いや、なんていうか、彼は大したけががない上に、ここに来た時は普通に意識もあった。目を放したらいつの間にか寝始めた。あんまり気持ちよさそうなので放ってる」
ここまでポケモンが集まっていても起きないのは相当だ。わざと肌寒く、ポカポカとした部屋でポカポカの毛布にくるまって眠る。気持ちよさそうだというのは想像できるが、アカネとカイトは再度溜息を零した。
「…………あれ、誰か来る」
ナゴがふと洞窟の外を見てそう言った。三匹のポケモンの影がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見える。全員小柄なポケモンで、アカネとカイトは一目でシャロット達だと理解し、外へ歩み出した。
「あ!アカネさん、カイトさん!」
シャロットが笑顔で駆け寄ってくる。その後ろには会話しながら歩いてくるハンナとチェスターの姿が見えた。三匹とも特に怪我をしている様子はなく、穏やかにここまで移動してきたようだ。
「シャロット。ここまで特に異常なかった?」
「?ハイ、ハンナさんが良い道を案内してくださってたので、セオが遭難した以外は……それより、セオが八合目で待機してるって聞いたんですけど」
セオが遭難したのは異常ではないのか、と突っ込む間も与えず、シャロットは洞窟の中へ入っていき、周囲を見渡した。九合目方面の出口で固まって報告書に情報を書き込んでいるフロンティア、ベッドで眠るニューラともう一匹のポケモン。どうやらそこまで広くない八合目にポケモン達がギュウギュウのようだな、と思いつつ、シャロットはニューラの隣で睡眠状態のセオにドスドスと歩み寄った。
「ちょっと、起きて」
「…………」
「ちょっと!」
耳元で叫ぶ。その瞬間、慣れ親しんだ声が耳元で爆発したのが分かったのか、セオはビクンと体を揺らして飛び起きた。
まだ眠気が強い眼で周囲を見渡すと、自分が来た時と状況がかなり変わっていることに気が付き、おもむろにベッドから抜け出す。
「…………シャロット!?」
「そうだよ!なんで寝てんの!どこもケガしてないのに!」
「…………」
これに関しては何も言えねぇ、という様子でセオは視線を逸らした。「ごめんなさい〜(嫌そう)」、と口を尖らせて謝る。どう見ても反省はしていないが、口答えをしないことと一応形だけでも謝っただけでかなり上出来だ、と言わんばかりにシャロットは「まったくもう……」とため息を零す。
「セオさん、大丈夫ですか?」
「あぁ大丈夫です、どこも悪くなさそうだし……迷惑かけてすいませんでした、ハンナさん」
セオの状態をシャロットの後ろで見ていたチェスターは、申し訳なさそうな表情を見せるハンナに言った。それでもハンナは罪悪感が消えないのか、再度頭を下げる。
「いえ、私も配慮が足りませんでした。謝るのは私の方です」
「…………あ、あの……ハンナさんには、本当にすいませんでした。迷惑かけました」
「え、俺達にはすいません思ってないのか……?」
そういう奴よ、と諦めきったシャロットはポンとチェスターの足を叩きつつ、もうすっかり水に流したような様子だった。ハンナへの申し訳ない気持ちは消えないが、セオについてずっとグチグチ言っても仕方がない。
「……すいません、お話が終わったようでしたら、少しハンナさんをお借りしたいのですが」
「ミーナ?ええ、いいけれど……」
ミーナはハンナに声をかけると、洞窟から出て少ししたところで足を止めた。アカネ達の姿は洞窟の中に確認できるが、声までは聞こえないだろう。そう判断すると、ミーナはキッとハンナを睨みつけて言った。
「どういうことですか」
「…………どういうこと、っていうのは……?」
「カイトさんのことです。彼、炎タイプの技を全く使いません。弱点を突くことができる草タイプのポケモンと戦っても、体が丈夫な相手でも殆どドラゴンタイプかノーマル、格闘で応戦しています。まだ一度も炎タイプの技を使っているのを見ていません」
「…………」
「初めての相手が探検隊なら、やりやすいだろうと。そういう配慮は理解できましたが、ここまでくると後輩に干渉しすぎです。カイトさんに炎タイプの技を使わないように指示していますよね!?」
ミーナは知らなかった。ただ、今回案内するのは立派な探検隊だということ。そういうポケモン達なら、万が一何かあった時でもある程度融通が利くから、初心者としてはやりやすいだろうと。そういう配慮は見て取れた。しかし、案内客にわざわざ頼み込み技を制限するとは聞いていない。それならば別の探検隊をあてがえばよかったのだ。他にも探検家は沢山参加していた筈だ。
「大体、カイトさんが使わなくたって敵が炎を使う可能性だってあるじゃないですか!そうなったらまるで無意味です!」
あまりに悔しくて、ミーナはハンナに大声で捲し立てていた。高い声は意外にも響き、揉める様な声に気が付いたアカネとカイトが様子を見に洞窟の外へ飛び出してきていた。
アカネとカイトはミーナの言い分の半分以下しか聞くことができなかったが、何が起こっているのか瞬時に察した。口をはさむべきではない。分かっていつつ、カイトは気が付いたら二匹の方へ語り掛けていた。
「ミーナ、ハンナさんは……」
「………………っ!すいません。
でも、私は誰かの力を借りてばかりで、何もできないポケモンにはなりたくない。一匹でできるようにならなきゃ、意味がない……」
「ミーナ…………」
ハンナは何も言えなかった。
正論をぶつけるのは容易い。アカネとカイトがもし炎のことを知らなければ、最悪の事態が起きた時にどうなるのか。カイトが本当に炎タイプの技を使ったとして、ミーナはそれに動揺しないという確固たる確信はあるのか。敵が炎技を使うかもしれないとは言うが、実際にクロッカス以外と同行したとて、そんなことになったら彼女は対処できるのか。
こういえば、ミーナは言葉に詰まる。
しかし、その言葉と事実一つ一つが刃のように心の奥底に突き刺さるだろう。
きっとミーナには、まだまだ時間が必要だった。
「……ミーナ、貴方は」
「あのさぁ」
ハンナが彼女の名前と『その先』を言いかけた時、横から先程目覚めたばかりのセオの声が飛んできた。シャロットが制止する声が聞こえたが、振り切るようにセオは前にドスドス歩いてきてミーナとハンナ、ついでにカイトに声を投げかけた。
「僕達、ガイドさん達にはお世話になってるけど、ぶっちゃけガイドさんのそこらへんの事情はどうでもいいっていうか。
僕たちってこの場限りの関係なのに、ここでこんなに時間使って揉めるのムダだし、そっちにもこっちにも損しかないんじゃないかなぁ。
そんなことより、体力も回復したし早く山に登りたいよ、僕としてはさぁ」
「どの口が言うのアナタはーーーーーッ!!!!」
バシンと何かを叩きつける様な音がしたと思えば、シャロットが大きな尻尾でセオの体を思い切り殴りつけていた。チェスターはそんな様子を、何か考え込むような顔つきでじっと見つめている。
「……いえ、そうですね。そうです、セオさんの言う通りです。
……ミーナ、とりあえずあなたはしっかりガイドを務めて。また頂上で会いましょう」
「…………ッハイ」
そう言ってシャロット達と合流し、再び洞窟の方へ戻っていくハンナの後姿を見て、ミーナはスッと頭が冷えた。頭が冷え切って、体中から冷や汗が流れる感覚。頭は冷えているのに、体は気持ちについて行かずまだひどく混乱して興奮している。震えが止まらない。小さな体で素早く脈打つ心臓の動きが更に早まった。
「セオさん、ありがとうございます……」
「…………迷惑かけたからね」
ぽそりとそう話すハンナとセオの声は、シャロットとチェスターには聞こえていない。