32話 貴女の役割
全力で走り続け、アカネ達は五合目に勢いよく突っ込んでいった。ミーナはカイトの腕から飛び出すと、自力で走りながら叫ぶ。
「待ってくださいッ!!!!」
「君達は……」
チーム・フロンティアの三匹と、彼らと敵対しているのであろう五匹のマスキッパ、そのマスキッパ達に囲まれ、怪我を負っている様子のニューラが一斉にミーナの小さな姿へ注目する。今まさに戦闘が始まるであろう、というギリギリのタイミングであった。
ミーナは軽く息を切らしながらフロンティアと五匹のマスキッパの間に滑り込むと、怒りを蓄えた形相でマスキッパに食って掛かった。
「ん?オマエは……」
「あなた方はまた!!何をしていらっしゃるのか、ご自身でご説明できますか!?」
通常のシェイミより一回り小さなそのシェイミを見て、マスキッパ達のリーダーはふと思い出したかのように笑顔を浮かべ、口を大きく開けて言った。
「おぉ!ふもとのシェイミじゃねぇか!アレだ、妹の方だろ?」
「……どーも、お世話様です。
私が言った事が分かりましたか?あれほど探検家とのトラブルは避けてくださいとハンナさんがお願いした筈ですが?」
じっとりとした顔つきでマスキッパ達を斜め下から睨みつける。特に怯えた様子などは無いが、やはり領土的関係ではシェイミという種族にかなり弱いようだ。多少申し訳なさそうな顔つきでマスキッパ達は体を少しかがめた。
アカネは小さく「あ」と声を上げた。先ほどまでマスキッパ達が取り押さえていたニューラが、いつのまにかいなくなっている。周辺を見渡してもいないので、おそらく六合目へ向かったのだろう。カイトも気づいた様子だったが、話を遮って言うようなことだとも思わなかった。
ニューラが逃亡したことに気が付いていない様子のマスキッパ達は、ニューラへの怒りを露わにしながら話した。
「わ、悪かったってぇ。けどよぉ、あの黒い奴が悪いんだぜ。おれたちが先に見つけた宝を横取りしやがったんだ!」
「……ところで、そのニューラは」
フロンティアのポケモン達も気が付いたのか、ナゴがこそっと呟いた。マスキッパ達は驚いた様子で振り向き、既にニューラが逃亡していることに気が付いた。ニューラを背中から捕まえていたやつもいたのに、どうして逃げられるような事態になるのか。アカネとカイトは小さくため息を零す。
「ッあ!!!あいつ逃げやがった!混乱に乗じたな……!!」
「そういうことなら、悪かった。すっかり君達を悪者扱いしてしまった」
キノガッサのベックが謝罪する。ごめんなさいね、とナゴも申し訳なさそうな顔つきで謝った。リーダーのゴーリキー・グールは何やら思わし気な顔で腕を組んで立ち尽くしている。
「悪者ではありませんが、別にいいポケモンでもないですよ」
「けぇーーっ!久々にあったのにミーナちゃんつれねぇなぁ。今回の被害者はおれたちなんだから、もっと優しくしてくれてもなぁ。
…………ま、いいや。今回はミーナちゃんに免じるけどよ、あんまり好き勝手されるのも困るからな。適度にってやつだ。じゃあ、俺達はいくからな〜」
言うや否や、マスキッパのリーダーは残りの四匹を連れてダンジョンの奥底へと消えていった。
はぁ、とミーナが大きくため息をつくと、フロンティアとクロッカスの方へ向き直って言った。
「すいませんでした。彼らは昔からこの辺りを縄張りとしているんです。別に悪い方々ではないのですが、見ての通りガラが悪くて。誤解されやすい……というほどいいポケモンでもないんですけど」
ミーナは彼らの事が好きではないのか、本当に心底疲れたような表情をしてはぁ、ともう一つ大きなため息を零す。
「いや、いいんだよ。私達も話も聞かず、申し訳なかったな」
「見た目で判断してはいけなかったな」
「…………スマン」
ナゴとベックが謝罪し、最後にグールも申し訳なさそうに頭を下げていた。
「いえ、あの方々も悪いので」
「……しかし、だ。あのニューラ、流石に勝手が過ぎるな」
「……僕達にも一度突っかかってきてるし、少し気を付けてみないとまた同じことになりかねないね」
グールとカイトが口々にそう言う。共通認識で、ニューラには少し気を配ること、という結論に至った。
アカネとカイトは全力疾走で多少疲労が溜まっており、フロンティアも同様にニューラ救出の為五合目まで駆け抜けてきたことから同様の状態である。アカネとカイトは少し休憩して六合目へ、フロンティアは休憩後五合目の基地の発展にとりかかる、とのことだった。
アカネは黄色いグミとオレンの実を軽く齧りながら、ナゴに尋ねた。
「ねぇ、そういえば途中でハンナたちのグループを見なかった?」
「うーん、ハンナさんのグループは見ていないな。先に行ってるか、一つか二つ遅れてるんじゃないかな。私達は一応飛ばし飛ばしに移動しているし、アカネさん達も急いでここまで来たでしょ?」
ハンナのグループと本当に遭遇しないので、遭難でもしているのではないかと不安にすらなるが、ナゴは特に気にしていなさそうにそう言ってオレンの実を齧った。
シャロットとは長らく共闘していないが、彼女は強い。それにチェスターだっているし、麓のシェイミたちは皆鍛えられていて戦闘が上手い。年長のハンナなら尚更だろうし、心配はないか……と思い、アカネはその話題から頭を切り替えることにした。
「皆さん、疲れが取れたら続きを上りましょうか」
「そうね。じゃ、私達は先に行ってるわ」
「フロンティアの皆さんも気を付けて。色々とありがとうね」
カイトがそう言って軽く笑みを浮かべながら手を振った。ダンジョンの方へ並んで歩くクロッカスを見て、ナゴは小さな声で「カッコイ〜!」と黄色い声を上げる。まぁ、確かに……と、納得し切っていないような表情をしつつもベックが頷いた。
「先程はどうもありがとうございました」
出発して十数分歩くと、ミーナは急にぽそりとそう言った。
「先程?」
「私を抱えて走ってくださったことです。大変な思いをさせてしまってすいませんでした」
「ううん、気にしないで。今はただの参加者かもしれないけど、一応探検隊だから」
カイトの笑みに少し安心したようではあるが、自分のことを不甲斐ないとでも思っているのだろうか。吊り上がっていた瞳は、心なしかしょんぼりと気迫を失っていた。
彼女が慰めなど求めていないことは分かっている。アカネとカイトは何も言うことが出来ずに一緒に歩いていた。
ここまであからさまに落ち込むようなことでもないだろう、と二匹は顔を見合わせたが、アカネはふと思った。
本当は、ここに来るまでに何度も何度も思う事があって、その都度飲み込んでいたのかもしれない。
「…………!!ミーナっ」
「きゃぁ!!」
一瞬だった。ミーナの体に蔓の鞭が巻き付き、彼女の小さな体をいとも容易く持ち上げた。二匹から引き離されるミーナを掴もうとカイトは走るが、カイトが手を伸ばした瞬間カイトの手の届かないところまで持ち上げられ、空中に吊り下げられる。
(しまったっ……)
掴まれてしまってはミーナは身動きが取れない。短く小さな足をバタバタとさせても一向に動く気配はなかった。ミーナは奥歯を噛みしめ、情けなさで涙が滲みそうになるのを堪えながら、自分を捕えているポケモンを確認する。
一匹のウツドンがミーナの体を捕まえ、二匹と対峙していた。
アカネは電光石火でウツドンに迫り、アイアンテールを繰り出した。地面にたたきつけるように振り下ろすが、寸前でウツドンに避けられる。ウツドンはアイアンテールを回避した直後、ミーナを捕まえたままに弦の鞭を力強く振りかぶり、アカネ目がけてミーナの体を放り投げた。
「ミーナ!!」
アカネは飛んでくるミーナを抱きしめるようにして受け止めると、その勢いのままに地面を転がる。アカネのフワフワとした毛に守られているミーナはそこまでの衝撃を感じることは無かったが、地面を転がったアカネは尻尾を岩場に引っかけると、何とか態勢を立て直した。カイトが駆け寄って二匹を庇うように立ちふさがる。
防御的反応として目をギュっと瞑っていたミーナが目を開くと、自分を抱きしめるアカネの腕や、地面と接した足の毛がボロボロになり、切り傷が出来ているのを確認する。ミーナはさっと顔を青くして叫んだ。
「アカネさん、すみません!!」
ミーナがアカネに謝罪をする声は、まさに悲鳴のようだった。気にしないでいい、と瞬時に言いたかったが、アカネは再びウツドンが蔓の鞭で二匹を狙っていることに気が付き、ミーナを抱きかかえたまま後ろへ退避する。
カイトが低姿勢を維持したままウツドン目がけて駆け抜け、「メタルクロー」を繰り出し攻撃する。アカネ達を狙っていた蔓の鞭はカイトを標的とし、メタルクローを阻止しようとしたが、メタルクローが止められた瞬間「竜の息吹」を繰り出し、ウツドンを撃破した。
「…………なんで…………」
「アカネ、ミーナ、大丈夫!?」
「大丈夫、ありがとう。ミーナ、すぐ下ろすから……」
アカネはほっと一息つくと、ミーナをそっと地面に下ろした。カイトがミーナを見下ろすと、彼女は顔を地面に向けたままで表情が殆ど見えない。というよりも、ミーナはアカネとカイトに表情を見せないように頭の上の体毛で影を作る様に顔を隠している。心配になったアカネが軽く声をかけた。
「ミーナ?」
「…………なんでも、ありません。
アカネさん、カイトさん、足を引っ張ってしまってすみません。ありがとうございました……行きましょう」
気にしないで、言えれば良かったのだろう。
覇気のない声で呟き、俯いて歩き出すミーナに、二匹はどんな言葉を送ればいいのか分からなかった。
「気にしないでいい」「自分達も油断していた」「また頑張ろう」。アカネとカイトの関係であれば成立する言葉であっても、それはきっと彼女には届かない。そんな言葉をかけることが出来る程、二匹はミーナの事を知らない。
咄嗟にであっても「気にしなくていい」と伝えていたら。アカネはあの時叫んででもそう言わなかったことを少し後悔した。完全に伝えるべきタイミングを失ってしまっているのだ。
カイトは動揺しつつも、ミーナのことを後ろから見守るような視線を送っていた。優しく慰めるのが正解か、何も言わず寄り添うのが正解か。
正解も不正解も知らない。ただ、案内をしている彼女に「案内される側」として、時としてに依頼者をダンジョンの目的地まで導く探検隊としてアカネがミーナに送るべき言葉は一つだけだった。
「ミーナ」
慰める様な優しさや穏やかさは孕んでいない。ピンと糸を張るような声に、ミーナはぴくりと体を揺らして振り向いた。前足を揃え、アカネの方へ向き直っている。その表情はひどく沈んでいて、顔色は悪かった。自責の念に駆られているのか、不甲斐なさを嘆いているのか、そんな顔つきだ。
「下を向かないで。周りを見て集中しなさい。私たちは探険隊だけど、この先あなたが案内するポケモンは違うでしょう」
アカネの目つきは鋭い。いつもの癖で出ているものではなく、意図的にそうしているのだということは、横目に見ているだけでも察しが付く。いつもの怒った目つきとは明らかに違った。カイトはアカネを横目に、ミーナがどのような反応をするのか観察する。あくまでアカネとは違う表情で、緊張した雰囲気を自身から発することが無いように注意を払う。
ミーナは顔を上げた。先ほどまでの青く、陰鬱としていた表情が多少引いているように見えた。自信なさげな顔つきであることに変わりは無いが、ミーナは下を向くのをやめてアカネの顔をじっと見つめていた。
「……ご心配をおかけしました」
「……さ、行きましょ。階段探さないとね」
アカネがそう言って歩を進め始める。カイトはミーナの頭をポン、と軽く叩くと、歩きだす様に促した。
まだ表情は晴れない。しかし、しっかりと前を向いていた。