28話 シェイミからの頼み事
「おかぁさん!!!」
叫ぶ声は涙で濡れていた。噎せ返るどころではない、喉を焼く程に熱い空気が止めどなく流れてくる。またどこかで炎が舞い上がり、また弾けた炎と爆風が散っていく。
「おかあさん、おどうざんんっ!!」
目の前に見えるのは赤と青と真っ黒な煙。月光を遮るほどに赤く光り輝く炎が眼球に張り付き、その熱で大切な場所を満たしていく。喉を大きく開いて熱気が入り込んでも構わない。どうか、返事をしてほしかった。
「うぁ、うあぁぁぁああ、おがあざ、おどうざんんーーー!!!うぁ、あぁぁ!!!」
その小さな体を空からむんずと掴んで、地面から足が離れた。二つの嗚咽が漏れる。大切な場所こそがこの世界の全てで、まるで全ての世界が燃え尽きて終わってしまうような息苦しさと絶望感。生きたいと、自身の心が泣き叫ぶように感情が震えている。
知っている世界が全て炎に包まれている。大切なものが煙に隠されて、大切な場所から這い出てくる「ただ一つの確かな存在感と悪意」を感じた。
血走った目が、刺々しく暴力的な角が、心底楽しそうに笑っている炎の獣が、確かにそこに居て、見ていた。
「おがあざんと、おどぅざんをがえしてぇぇ!!!!!」
炎が
「きえて、消えちゃえ!!しね!!!あくま、悪魔ぁぁ!!!!!」
炎の悪魔が、蕩けた表情で舌をべろりと垂らして、手を振る様に首を横に振っていた。空に逃げる者をあざ笑うように、ふぅと火の柱を吹き出して、見送る様に悪魔は嗤う。
死ね、消えろ。返せ、返して。私たちの世界を!!!!
叫んでいる。
そんな夢を、今もたまに見ているのだ。
「…………行かなきゃ」
そんな私は毎日毎日、時が流れ続ける世界で新しい一日を迎えているというのに、何時まで経っても私にとっての明日は来ない。
「わぁ」
シェイミの里と大きく記されている木でできたゲートを潜ると、自然豊かでミニチュアな世界が広がっていた。小さくてモコモコとした緑色のポケモンがテケテケと歩き回っており、桃色の美しい花々があちらこちらで揺れている。一面が緑色で、思わず寝転がりたくなるようなふんわりとした地面。木や草を編んで作ったようなとても小さくて可愛らしい家々が立ち並んでいる。空気も澄んでいて、トレジャータウンからここまで移動した疲れが一気に吹き飛ぶような、気持ちの良い場所である。
アカネは咲き誇る花をぼうっと見つめて、静かに息をついていた。
カフェや別の場所で『空の頂』の情報を得たポケモン達がちらほらとみられる中、一匹の小さなポケモンがトテトテ可愛らしく歩きながらアカネとカイトに近づいてきた。その可愛らしさといったら、思わず抱き上げて顔をうずめたくなるほどの愛らしさである。
「ようこそ、シェイミの里へ」
体の大きさの所為か少し声が高いが、その声は大人の女性の声だった。アカネが抱えられそうなほどに小さいので、大人か子供か判別がし辛い。
モコモコ、フワフワとした黄緑色の体に、つやつやとした緑色のつぶらな瞳。白い顔と足に、顔の横や体にはそこらに咲いている桃色の花が付いている。この里に咲く花は、種族柄のものなのかもしれない。
「初めまして、こんにちは」
「どうも」
可愛いポケモンが声をかけてきて、アカネはたじたじになりながらも返事をした。ポケモンは、そんな彼女の様子に慣れたようににっこりと微笑む。
「私はハンナ。種族は『シェイミ』といいます。周りの私と同じ姿をしたポケモン達の種族も同じです」
「ハンナだね。僕達は探検隊『クロッカス』。僕はカイト。見ての通りヒトカゲだよ」
「アカネよ。よろしく」
「クロッカス……?もしかして、あのクロッカスでしょうか……?」
ハンナは驚いたような顔をして二匹の顔を見上げた。見たところ、ただのヒトカゲとピカチュウだ。ハンナは種族柄体が小さいとはいえ、アカネもカイトもそこまで大きくは変わらない。そんな感じの、あまり大柄ではない種族だとは聞いていたが、一件特別には見えない。
ただ、アカネの瞳の奥がとてもきれいで、「こんなきれいな子久しぶりに見たなぁ」というくらいだった。
二匹ともよく見れば体が引き締まっているため、日ごろから何かしら鍛えるようなことをしているのは分かった。
「あのクロッカスって言われるほどでもないけど、多分そのクロッカスだと思うわ」
何となくハンナの考えを察したのか、アカネは目を少し細め、苦笑いをしながら言った。
「あ!失礼しました……では、『クロッカス』さんも『空の頂』に昇りにいらしたのですか?」
「うん、そうなんだ。キミはこの山に詳しいのかい?」
「ハイ。私たちは昔から、この山に登る方々をご案内していました。それもずっと前の話ではあるのですが……。
昔から登ろうと試みる方は、実はあまり多くは無かったのですが……数年前、元々『シェイミの里』があった場所で大きな事件が起こって、その影響で山道も崩れてしまうようなことがありまして。私達も復興に時間がかかってしまい、探検隊の方々も外から来ることが出来なくなってしまったのです。
だから、調査チームの皆さんが協力をしてくださってとても助かりました。外からいらっしゃった方が警備をしてくださいますし、安全性も高くなって」
ハンナは懐かし気に微笑んでいる。
「話には聞いてたけど、やっぱり大変だったんだ。だから、『空の頂』に何があるのか知らないポケモンも多いんだね。
ちなみに、空の頂には何があるか、ハンナは知っているの?」
「ふふ、ハイ。私は知っていますが……皆さんがご自身で発見した方が、より『宝』としての価値があります。私たちはあくまでサポートする脇役で、主役は実際に昇る皆さんなのですから」
いたずらっ子のような顔をしてフフ、と笑みを浮かべる。
「面白そうね。ところで、ガイドのポケモンが付いてくれるって聞いたけど、ハンナがやってくれるの?」
アカネはそう言って軽く首を傾げる。ハンナはニコニコと微笑みながら、「私をご指名でしたら、喜んで案内させていただきたいのですが……」と言って続けた。
「二匹があの『チームクロッカス』と聞いて、一つ……お願いがあるのです」
「お願い……って?」
「ミーナを……私の妹を、ガイドとして付かせてあげてほしいのです」
ハンナは軽く微笑んではいるものの、声色は至って真剣だった。アカネとカイトは顔を見合わせ、『全然いいよ』とハンナに告げる。しかし、ハンナの『お願い』はそれだけではなく、ハンナはもう一つのお願いと言って二匹を……主にカイトを見つめながら言った。
「ミーナは、経験も浅く、実際にご案内をしたこともなくてあまり戦う事も出来ませんが、練習も重ねているのでご案内はしっかりと出来ると思います。
カイトさん、酷なお願いをするようで本当に申し訳が無いのですが、炎属性の技を使わずに戦う事はできますか?」
「え、えぇ?」
炎属性の技をメインとするカイトに、炎属性の技を使わずして戦えるかと問う。意図を図る前に驚いて、思わず軽く声を上げてしまった。アカネも訝し気な顔でハンナを見たが、繰り返し謝る彼女に耳を傾ける。
「ミーナは数年前の事件で、炎に大きなトラウマを抱えていまして……気分を悪くしてしまったら、本当にごめんなさい。元よりこの里のポケモンは皆、種族柄もあり火を怖がる傾向にありますが、あの事件以来特に……。
しかし、あの探検隊クロッカスさんとご一緒できるのなら……できるだけ、ミーナに勉強をさせてやりたいんです」
噂に聞くクロッカスにならば、安心してミーナというシェイミを預けられる。そういう事だろうか、と二匹は解釈した。そのようなことは依頼で頻繁にこなしているし、今までも多少厳しい所に行っても完遂し切っている。ミーナというポケモンもガイドが出来るというのだから、それは一向にかまわない。
「分かった。僕も一応炎を使う技以外にも使えるから、配慮するよ。アカネに少し負担が偏っちゃうかもしれないけど……大丈夫……?」
「大丈夫よ。最近は調子も良いし、一応治癒も少しなら出来るから」
「よかった。けど、その。僕の尻尾の炎を怖がったりしないかな……?」
「それくらいの小さな炎ならば、日常でも使うので多少は大丈夫です。本当に、変なお願いをしてしまってごめんなさい。
では、ミーナを連れてきますね」