26話 思い出話
緑色の小さなポケモンが忙しそうに歩き回る。豊かな緑に古風で小さな家々が連なり、沢山の木の実や花がのびのびと佇んでいる。空気は澄んでいて美しい木々が立ち並んでいる、小さな集落。
かつてこの場所は一度焼け野原になった場所でもある。この美しい風景を想像することが出来ない程に、この地は荒れ果てていた。この地を再びよみがえらせようとした住民達の働きも有り、どうにかここまで緑を取り戻すことが出来た。住民たちの血と汗と涙で蘇った美しい『シェイミの里』である。
一匹のポッタイシは、広々とした草原や森の数々を遠目に見ながら、澄んだ美味しい空気を鼻の穴から思い切り吸い込んだ。トレジャータウンの空気も美味しいが、この場所の空気は更に別格である。そんな彼の元に、一匹のシェイミがよちよちと歩み寄ってくる。
「ラルクさん、お仕事は順調ですか?」
「あ、はい。仕事って言っても、僕は見張りをしているだけですから」
「いいえ、その事実だけで安心です。もう何があってもあんなことは嫌なので……ここは、幸せの有る里でありたいんです。今、やっとまた戻ることが出来そうなのに……」
シェイミは悲しそうにそう言って、自然豊かな草原の美しさと、流れる風の心地よさに身を任せるように目を細めた。ポッタイシのラルクは、そんなシェイミを見て少し言いづらそうに口を開く。
「正直、タイミングが悪かったです。僕らのような警察が見張っているのは、あまり好ましいとは思わないでしょう。トレジャータウンで再び奴が現れてから、復興計画も何度も見直されましたし……『フロンティア』の皆さんも、随分と苦労したようで。
以前のように、とはいかないと思ってください。常に警察を手配して、里の入り口は見張ることになります」
シェイミは首を小さく横に振る。
「いえ、私達を守ってくれる存在がある。そう思うだけで、私たちは十分に安心して過ごすことができるんです。本当に感謝してるんですよ」
「そう言っていただけると警備のやりがいがあるってものです」
警備が本当に必要になるような事態が起きないことが一番だが、とラルクは頭の隅で考える。何年も前、この里はある一匹の凶悪なポケモンによって焼き尽くされた。この里のシェイミが数匹犠牲になったとされている、とても残虐な事件。彼らの精神の安定も、彼らの生きていく場所も。その事件は全てを奪い去ってしまった。そして、今から一年前、その凶悪なお尋ね者は再び姿を現した。『時の歯車事件』の渦中にいた、シャロットという一匹のポケモンの抹殺を目的として。
あぁ。
嗚呼、そうか、もうあれから、一年も経つのか。
「ラルクさん?」
「……いえ。……また観光が始まれば、『彼ら』もここを訪れるかもしれませんね」
「彼ら?」
「ええ。世界を救った、小さな英雄達ですよ」
* * *
がやがやといつものように騒がしいパッチールの地下カフェでは、常連であるシャロットやチェスター、セオがいつも通り駄弁っていた。そんな彼らを捜しに地下へと降りてきたのは、探検隊『クロッカス』の二匹、アカネとカイトである。
あんなにアルストロメリアについて興味を持っていたのだから、せめて帰って来た報告でも、と思い軽い依頼のついでに立ち寄ったのだ。アカネはまだ体調が本調子ではないとはいえ、ここ数か月よりは随分と調子が良かった。軽い依頼をこなす程度ならかなり体力が有り余っている。そんな有り余った体力に背中を押され、シャロットたちと会っておこうと馴染みの場所へ降りてきたわけだ。
「いらっしゃいませ〜!あ、チームクロッカスのおふたり!」
「やぁ、久しぶりレイチェル」
看板娘のレイチェルはお盆を二つ持ち上げながらアカネ達に近づいてくる。接客面では相変わらずの有能っぷりのようだ。彼女は愛らしい笑顔を浮かべると、アカネとカイトを適当な席へ案内した。
仕事中とはいえ、彼女も考えていることは同じ。探険にまつわることが大好きな彼女にとって、未知の世界であるアルストロメリアもまた冒険の一つなのだ。水色のキラキラとした目を更に煌めかせながら、レイチェルは注文をとるふりをしてスッとアカネに体を寄せると、『どうでしたか!?』と小声で尋ねた。
「どうだったかって言っても……すごく人工的で、ここらへんじゃ見ない様な機械とか技術がたくさん。でもちゃんと自然は残ってるところもあって、まぁ……いいとこだったんじゃない?」
出来事は大幅に省いてざっと街の雰囲気などを説明する。レイチェルが聞きたいのはおそらくそこではないのだが、レイチェルは食い下がることもなく、『長旅本当にお疲れさまでした』とアカネとカイトの事を労うと、サービスとしてパイルゼリーを注文させてくれた。
カウンターからコジョンドのノギクが姿を見せて軽く微笑んでいる。
「そういえば、今日スノウは?」
「裏で休んでますよ。そうだ、シャロットさんたちが確かカウンターの方に……あちらにお連れしましょうか?」
「お願いしようかしら」
アカネがそう言うと、レイチェルは「はい!」と美しい笑みを浮かべてアカネ達をカウンターの方へと案内した。見知った六つの尻尾と、青と黒色の模様のポケモンが肩を並べてカウンターの方へ座っていた。最近、二匹が一緒に居ることを頻繁に目撃する。
「シャロット」
「……アカネさんっ!」
シャロットは振り向くと、驚いたような表情を浮かべつつも椅子から飛び降りてアカネの方へ向かった。カイトは苦笑いをしながらチェスターと会釈をする。シャロットの目は期待に満ちていたが、その反面少し心配そうな様子だった。
「どうしたの?」
「あ、いえ!アカネさん、船から運び出されるのを見てたから、目が覚めたんだって思ってちょっとホッとして……ほんと、よかったです」
そう言うと、シャロットは後ろ足で立ち上がってアカネの首に軽く手を回し、抱きしめるようにギュッと引き寄せた。少し暖かすぎるほどの彼女の体温を感じ、大丈夫だとでもいうようにアカネは背中に手を回してポンポンと叩いた。カイトとチェスターがじっとこちらを見ていることに気が付き、シャロットの体を軽く引き離してお礼を言った。
「心配かけて、悪かったわ。ありがとうね」
「いえ……この前会った時、アカネさん少し顔色が悪かったように思ったから。でも、もう元気そうで良かったです」
いい子だなぁ、と思いながらシャロットの頭を軽く撫でる。シャロットに一目惚れなんて、チェスターはなかなか見る目があると思う。にんまりと笑いながらチェスターの方を見ると、チェスターは肩をびくりと震わせてへにゃりと笑った。カイトも軽く笑いながらアカネの方を見つめている。
「それで、アルストロメリアでは何があったんですか?いろいろ聞きたいです!」
いつの間にか、アカネ達の前にはカウンターを挟んでノギクが微笑んでいた。
「悪いけど、あまり細かなことを沢山話すのは駄目なみたい。それでもよかったら、少しは話せるわ」
シャロットは目を輝かせた。ほんの少しの、些細な事でもいいから知りたい。出入りに対してあんなに厳しい場所なのだから、あの場所であったことの全てが口外無用なのかもしれないと思っていただけに、現地での話を聞けるのはどのようなものだろうと嬉しかった。
アカネはシャロットに話して聞かせた。あの大陸で戦いを挑んできた小さな新米探検隊の話。王様のことはあまり言えないけれど、こんなきれいなポケモンだった。多彩なクチートや、ギルド・アークのマスターのこと。そして、色違いの二匹の探検隊のこと。あまり細々とは話せないが、大まかに伝えていった。
アルストロメリアでの、アカネ達を巻き込んだ騒動の話をするつもりはなかった。ジルバスター王はおそらくそれを望んでいないと同時に、その話を「土産話にはしない」と、アカネは宣言している。
カイトとチェスターは、少し二匹から距離を取って話を聞いていた。
カイトは「あぁ」と、目を細める。そんなことがあったのだ、と。アカネとリリーの間に、そんな話があって。ブランカの本当の気持ちと、リリーの強い思いと。それを知ったアカネの気持ちの変化も。
だから、あの時。
「素敵ですね。その二匹は」
「そうかしら。……そうかもね」
「あたしにはまだ、そんな決意はできないかな」
進化なんてできない。シャロットはそう言って、寂しそうに笑った。シャロットにはシャロットの生き方があって、リリーには彼女の生き方がある。シャロットは自分の未来を知っている。しかし、その未来が確定しているのかなんて知りもしなくて、言うならば今の自分が生きていればどうとでも変えられるかもしれない未来だ。ただ、それが変わったかどうかは、その時まで分からない。
シャロットには千年を生き続けるなんて今の心の持ちでは、きっとできない。彼女自身がそう思っていた。リリーというキュウコンは、これから先ブランカというエーフィが老い続けていくのを、変わらない姿で見守り続けるのだろう。成長の止まった体で、同じくらいの年の大切なポケモンの老いていく姿を見ていく。どれだけのポケモンと繋がろうと、それを十何回と生涯の中繰り返す。
それでもいいから、リリーはブランカを守りたいというのだ。それでもきっと生きていくという。
「すごいなぁ」
シャロットはどこか他人事のようにそう口に出した後、何やら沈み込んだ顔つきのチェスターに気付いて視線を向けた。
「どうしたの?」
「……あ、あぁ」
なんでもないよ、と作り笑いする。シャロットは不思議そうに首を傾げた。