25話 日常への回帰
真っ暗な場所。とても暗い。強い既視感。
私はここに来たことがある。今はもう、はっきり見えるのだ。
「ちゃんといたのね、あんた」
『……主』
微かな青い光を放つ鹿は、美しい何本もの角を輝かせながらアカネの方へ振り向いた。透き通るような青い目は、不思議な形の瞳孔を描き美しい。彼女が足を一歩踏み出すごとに地面が水面の様に波紋を作り揺れた。この世界に感覚は存在しない。
ぜルネアスは力なく微笑むように目を細めると、ゆっくりとアカネに近づいてきた。アカネと以前まで会話をしていた、気が強く厳しい彼女ではない。どうしたのか、聞くことも躊躇う程に、彼女の表情はやつれている。
『……やつれてるなんて、主が言う事ができるものでもないのでは』
「心を読まないで」
『無理を言わないでください。貴方の深層心理に関わる場所なのですから』
はぁ、といつものように嫌味たらしくため息をつく。アカネもむっとしたように腕を組む。辺りを見渡すが、ゼルネアス以外の気配を感じない。ゼルネアスの疲労感が、アカネにも伝わってくる。何故そんな風になってしまっているのか。アカネは恐る恐ると言った具合に尋ねた。
「イベルタルは?」
『…………』
「私が最近体調が悪いのも、それが原因?」
『…………イベルタルは。
…………いえ。どうにかしましょう、私が。主、申し訳ありませんでした。私の精神状態はあなたに影響する。やめましょう、こんなことは』
「ちょっと、勝手に自分だけで解決しないで。どうしたってのよ」
『いいえ、本当に良いのです。主、私はまだ…………あなたには、知らないでいてほしいのです』
ゼルネアスはそう言って座り込み、アカネと同じ目線となって彼女を見つめた。酷い表情をしている。ゼルネアスの美しい瞳に映る、アカネ自身の顔も又、疲労に満ちている。おそらく、同じ顔をしているのだろう。私たちは。
アカネはそっとゼルネアスの鼻先に触れた。驚いたように青い目がアカネを見つめている。目の奥に模られた『X』の字の瞳孔は、アカネの顔をよく見ようとするかのように形や大きさを少しだけ変化させた。
(今回のビジョンが特殊だったとはいえ、私がいなければ、しっかりしなければ……この子は、『時空の叫び』に耐えることさえできない……)
ゼルネアスはそっと立ち上がると、アカネを突き放すかのように目を閉じた。
強い焦燥を感じ取った直後、アカネは世界から弾かれるかのように意識を奪われ、そのままゼルネアスの姿を見失った。
* * *
「…………ん……?」
手足が動かない。瞼がとにかく重い。アカネはそう思いながら、とにかく目だけでも開こうと瞼を持ち上げた。アカネの記憶では、気を失った時は『アルストロメリア』から帰る船の上にいたのだ。頭が重たいが、徐々に記憶が鮮明化してくる。どうしてそうなったのかもはっきりと思い出すことが出来た。おそらく今はまだ船の上だろうと思い、アカネはゆっくりと起き上がる。
「え?」
その場所はよく見覚えのある部屋だった。置いていた家具や匂いは違う物の、その間取りは良く知っていた。じくりと腕を何かが刺すような痛みが走り、腕を見ると何故か注射針のようなものが腕に張り付いている。点滴のようなものが、アカネが眠っていたベッドのすぐ隣にぶら下がっていた。
よくわからない。とにかくカイトを捜そうと思い周囲を見渡すと、彼は思いの他すぐ傍にいた。以前、ギルドで一緒に寝泊まりをしていた時のように、彼は藁のベッドにくるまって眠っていた。が、以前よりも異様に距離が近い。
状況を整理しよう、と。アカネは起き抜けの頭で考えてみる。ここは船の上ではない。何故なら、揺れている感覚が無い。揺れていれば天敵と繋がっている栄養パックのようなものが揺れていなければ可笑しくない。潮の匂いもしない。何より、窓の外からポッポたちの鳴き声が聞こえてくるのは可笑しい。船の上ならば、精々キャモメだろう。そして、アルストロメリアまで自分の大陸から向かうには、約四日ほどの時間を要した筈である。アカネが意識を失ったのは、丁度出航直後の事だった。
まさか、あれから四日も経っているわけがない。
…………まさか?
「…………ん?あれ……?」
アカネのゴソゴソと動く気配に目が覚めたのか、カイトは目をほっそりと開きながらブツブツと寝言のように囁いた。だが、起き上がった彼女の姿を見て一気に現実へと引き戻される。彼は飛び起きんばかりに布団を蹴り飛ばした。
「カイト」
「あ、アカネ!!?起きたの!!?」
むんずと肩のあたりを掴まれると、食い入るように目をじっと見つめられた。どこからどう見ても目は開いている。上半身を起こしているし、喋っている。
「よ、よかったっ……」
「え?ちょ、何!?」
自分がどういう状況に置かれているのか、未だに半ば理解していない状態で突然の抱擁を受ける。一体どういうことか、と尋ねようとしても、しがみついたまま離れる素振りのないパートナー。しかも、何がどうしたのかは分からないがそのまま肩に顔をうずめて泣き始めてしまう始末だ。はじき返すにも体に力は入らないし、こんな状態ではそんなことをする気にもなれなかった。
とりあえずなだめるように背中に手を回してトントンとリズムよく叩いてみる。アカネが背中を叩いているからなのか、それともそれはカイトの心臓部を押し付けられているからそう感じるのか。強い振動が小刻みにアカネの体に流れてくる。
ただ、冷えていた彼女の体には丁度良い暖かさだった。
コンコン、と部屋にノックが鳴り響く。気付けばかなり明るくなっているようで、窓から太陽の光が差し込んでいた。ポッポたちの会話もはっきりと聞こえるようになったころ、ギルド生活で毎朝一番に世話になっていたゴルディが、珍しくノックをして部屋に入ってくる。
「おい、カイト…………えっ!!!?」
五月蠅い。流石に頭に響いたので、アカネは微妙な位置から首を傾けてゴルディを睨みつけた。
「あ、アカネ意識もどっ……そうじゃなくて……あ、あ〜〜……す、スマン」
アカネの刺々しい視線を何か勘違いして受け取ったのか、ゴルディは静かに扉を締めようとした。帰るな。
「ちょ、ちょっとまって……どうなってるのか分かんなくて、どういう状況?」
「どういう状況だってェ!?わ、ワシにそれを説明させるのかよ!!」
「これのことじゃなくて……私はどうしてここにいるの?」
ハァ、とゴルディはため息をつく。見た所、彼女に特に調子の悪そうなところはなかった。まだ視線が覚束ないが、彼女の相棒であるカイトはそんなことを気にする余裕もない程に彼女の体にしがみついてボロボロと涙をこぼしていた。
「わかったぜ。ベル呼んでくるから待ってろ」
ゴルディは目にも当てられない状況に再び溜息を零すと、ベルを呼ぶため部屋の外へと出ていく。カイトがやっと少し落ち着きを取り戻したころ、ベルがノックも無くドアを開いて部屋の中に滑り込んでくる。彼女の手には薬や包帯を入れる袋がキュッと握られている。
「アカネさん!目が覚めたんですね……私、本当に来てよかったんですか」
「あんたまで何言ってんの」
落ち着いては居るもののアカネにしがみついたままのカイトを見て、ベルは多少動揺したように体を翻そうとした。妙な事に気を回そうとするものだから、話が一向に進まないのだ。
「ベル、私なんでここに……」
「アカネさんは船の上で気を失ってから四日間眠り続けていたんですよ」
ベルは地面に近づくと、薬袋の中を弄りだした。数個の丸薬や粉薬を取り出し紙皿の上に載せると、部屋の傍らに置いてある水差しを取りにふわりと浮上した。カイトはやっとアカネから離れると、目を腫らしながらアカネに向き合い口を開いた。
「時空の叫びが起こった後、君は気絶してから寝返りすら打てないような状態になってさ。……はは、色々大変だったよ」
良く見ればカイトの顔つきはひどくやつれていた。まるで、『あの時』カイトと再会した時と同じような、そんなやつれ方である。ベルは二匹を見てため息をつくと、コップに水を注いでアカネの方へ持って行った。アカネはコップを受け取ると、ベルの方へ視線を移す。
「ここに到着したときには脱水症状と栄養失調が割と酷くて……カイトさんから聞いたんですけど、『アルストロメリア』で相当いろいろあったらしいですね。そのストレスや疲労も関係していると思います。
船に薬師がいなかったようで、簡単な栄養剤で凌いでいたそうで……もう少しきちんと管理してくれれば良かったのに……」
「そういうこと。……迷惑かけたわ。ごめん」
「いえ、誰にでもあります。ただ……アカネさん。
もし思い違いだったらごめんなさい。その……あの件があってから、随分疲れているように見えていました。アカネさんとカイトさんはもう卒業してるんですから、一週間くらい仕事を休んで、『サメハダの岩場』で、のんびり過ごすことも大切です」
「今回だって、一応『休息』も含まれてたはずなんだけどね……」
「そんなの休息でもなんでもありません。何もしていなくても四日間の船旅が疲れないわけがないですし、揺れる船内で眠っている間にも疲労は蓄積するものです」
はぁ、とベルはため息をついてアカネに薬を飲むように促した。眠りから覚めて直ぐに薬を飲んでもいいものか、と思ったが、ベルがオレンの実を剥いているのを見て、とりあえず口の中に薬を飲みこむ。久しぶりに口に入れた食べ物の味が口にしみ込む。
驚く程に苦い。
「にっ……」
「アカネ、水水!」
水を飲みこむと、アカネはぷはぁ、と言わんばかりに大きく息を吐きだした。水を飲むともっと飲みたくなって水差しに手が伸びるが、ベルがそれを遮るように横から滑り込んでくる。いきなり沢山胃の中に入れては駄目だと言って、皮を剥いたオレンの実をアカネに手渡した。
それを食べて少し休んでからまた水を飲め、と言ったあと、続けざまにカイトにしっかり看ておくようにと言い残してとりあえずベルは部屋から出て行った。
アカネはベルが出ていくと、再び水差しを持ってコップに水を注ぎ始めた。カイトはそれを見ながら、照れくさそうな表情をして軽く俯く。もう涙は出なくなっていたが、少し頭が重かった。
アカネはちびちびと水を飲みながらカイトに声をかける。
「カイトもごめん。ずっと面倒見させちゃったみたいで」
「いや……いいんだ。けど、すごく心配した。僕の方こそごめん。アカネが最近体調良くないの気づいてたのに……もう少し時空の叫びに配慮してたら」
そんなことを後悔した所でしょうがないでしょ、とアカネはポンとカイトの腕を叩いた。結果的に目が覚めたのだから良い……とアカネは思っているのかもしれないが、カイトにとっては生きている心地のしない四日間だった。こんな思いはもうしたく無いと思っていた過去があるからこそ、自分を顧みずにはいられない。
しかし、アカネ自身はというと、ここ最近の体調不良の原因が解決したことで少し頭の中がすっきりしたような感覚だった。勿論帰りの船で倒れてそのまま四日間寝込んでしまったという事実に多少のショックは受けていたものの、久しぶりに『ゼルネアス』と意思を疎通することが出来たという事や、体調不良の原因が彼女の精神的に不安定だったという状態だったという事も分かった。
あれはただの夢ではない。そう思わせるのは、未だに彼女の指先に残っているゼルネアスの鼻先の冷たい感触だった。
しかし、ゼルネアスは何故精神的に不安定な状態だったのか。いや、おそらく現在もまだ不安定な状態にあるのであろう。しかし、何故そうなってしまったのか。
「私も時空の叫びでああなるとは思ってなかったわ。今までに感じたことないような激痛だったような気がする。けど……」
「そういえば、アカネはあの時どんな『時空の叫び』を見たの?」
「……私があの時見たのは…………」
何だっただろうか。
思い出そうとしても、まるで本当にただの夢のようにはっきりと思い出すことが出来ない。ただ、彼女にとってはとにかく衝撃的としか言いようのない感情を持ったのは憶えている。まるで時が停止したあの『未来』のような、荒廃した世界。しかし、その映像しか覚えていない。他に見落としてはいけない大事なことがあった筈である。アカネにとって一番重要だった事実が。
アカネは部屋の中を見渡した。アカネ達が以前使っていた部屋だ。アカネ達がギルドを卒業した後に荷物を殆ど引き取ってしまったため、本当に何も置いていない生活感の無い部屋になっている。医療用の色々や、多少の食べ物。カイトが持ってきたのであろう探検用バッグ。そして、棚の上に置いてある見覚えのある巾着袋。
「…………いや、よく思い出せない……未来の世界みたいなところを見た気がするけど……。
そういえば、あれ……」
アカネは棚の上に乗っている巾着袋を指さした。華やかな装飾が施されている小さな巾着袋。セイラからもらったものだ。
アカネは、あの中身に触れた事で『時空の叫び』を起こして倒れたことになる。ならば、もう一回触ってみればあのビジョンをもう一度見ることが出来るのでは?
アカネはゆっくりと這うようにしてその棚に近づくと、巾着袋を棚から取ろうと手を伸ばした。
「やめろ!!!」
カイトが突如怒鳴り声を上げてアカネの指先に触れる寸前だった巾着袋をひったくる。アカネは少し驚いたようにピクリと肩を震わせると、大声を出したカイトを見上げて困惑の表情を浮かべていた。
「……あ、いや……大声出してごめん……」
「え……?」
「でもアカネ……あんなことがあって、しかも今目が覚めたばかりでまだ全然回復してないし……もし触ってまた能力が発動したら、次はもう、目が覚めないかもしれないじゃないか」
アカネがしようとしたことを瞬時に察したようだった。カイトは辛そうに奥歯を噛みしめる。巾着袋を絶対に離さないと言わんばかりに強い力で握りしめると、アカネの視界からそっと外した。アカネは本当に驚いたようにカイトの顔を見ていたが、やがてハッとすると自分がしようとしていたことに気付いて再び動揺する。
「あ……」
「ごめん……気持ちは分かるけど、僕が大丈夫だって思うまで、暫くこれは預かるから。お願いだから、やめて。本当にやめて」
心配しているのに少し怒っているような表情でカイトは頼み込んでくる。しかし、そんな彼の目は泣いてしまいそうだった。アカネもさすがに申し訳ないような気持ちになり、分かったから、と彼の事を宥める。彼のあまりにもやつれたような雰囲気を感じて、これに文句を言うことは出来ない。
しかし、どうしてアカネはカイトが指摘したことに言われるまで気づかなかったのか。アカネは何とか収まった後で、ふと自分自身にそういう疑問がわき出すのを感じた。
(私にとってすごく大事な事だった気がする)
思い出すことが出来ないという事に酷くモヤモヤとしたものを覚えた。しかし、カイトの言う事もよくわかる。アカネ自身も気を付けなければいけないことの筈だ。もう少し体調が戻ったら、その時カイトに頼んでみようと思った。
が、あまり了承してくれるような気はしない。
「悪かったわ。私も頭が回ってなかった……とりあえず、今はやめとくから」
「今は」
今はということは、またやるつもりなのかというカイトの静かなオウム返しが響く。アカネは視線を軽く反らすと、言いづらそうに口を開いた。
「…………一時的な物かもしれないじゃない。それはカイトの判断に任せるけど……それは、私がもらったものだから。セイラが何か思って私に託したものかもしれない。いつまでもあんたに渡しておくのは…………」
「……うん、分かった。これは僕が責任もって持っておく。『遺跡の欠片』みたいに、ほら」
カイトはクルクルと巾着袋に糸を巻き付けると、自分の首にぶら下げた。あくまで邪魔にならない程度、スカーフの下からギリギリ見える程度の位置で首から下げてアカネに見せる。これだけでは少し心もと無いので、体熱の袋と糸を用意しなきゃな、とぽつりとつぶやいた。
アカネは小さく頷くと、もう一度小さな声で謝ってぱたりと体を地面に倒した。全身の力を抜いて、藁の匂いを軽く吸い込む。別に体調が悪いわけではない。むしろ四日ぶりに目覚めたとは思えない程に体調が良かった。一気に寝たのが良かったのだろうか、とも思ったが、アカネは寝すぎても寝なさ過ぎても良くないタイプである。
やはり、ゼルネアスの所為なのだろうか。
「カイト。サメハダの岩に帰るわ」
「もう体調はいいの?」
「ええ。なんか、沢山寝たら体調も良くなったみたい」
そう言って仰向けに微笑むアカネに、カイトは思わず尻尾の炎の勢いを強める。そっか、とカイトも真似るように微笑みを浮かべると、アカネの手へと自分の手を伸ばし、引っ張り上げるようにして彼女の体をゆっくり起こした。
「キャーーーッ!アカネ目が覚めましたのね!!!」
荷物を持って部屋を出たその時、パタパタとけたたましい足音を立てながら、先輩であるキマワリのフラーが全速力でアカネの体へ突進してくる。そのままアカネの体の目の前で急停止すると、流れるようにアカネの体をギューッと抱きしめた。それはもう、アカネの足が宙ぶらりんになってしまう程度にはしっかりと。
「アルストロメリアで酷い目に遭いましたのね!ワタシもう心配でしたのよーー!!」
キャーーーー!!とお得意の叫び声をあげると、絡みつくがごとくアカネの体を強く抱きしめるフラー。流石に骨が軋むのを感じたアカネは、息が途切れ途切れになりながらも彼女を制止しようとし、ついでにカイトにも助けを求めた。こんな抱き着き方をしてくるのが他のポケモンだったら即十万ボルトだったかもしれないが、如何せん今まで世話になってきたフラー。しかも女性である。
「ふ、フラー、苦し……」
「フラー!そこまで、アカネ潰れるよ!!」
「あら、まぁ!申し訳ありませんわ!!キャーー!!」
叫びながらアカネの体を開放し、地面に下ろす。骨の歪みが元に戻っていくのを感じる。アカネは地面に下ろされるとほっとしたかのようにため息を零し、フラーを見上げた。妙に興奮気味の彼女はここまでしないと止まらないのだろうか。ある意味怖い。
「ごめんなさいね、アカネ……そうですわ!アルストロメリアについては大体カイトから聞きましたけれども、アカネからも聞きたいですわ!今日ギルドに止まってガールズトークでも……」
「あぁ……悪いけど、私今日はサメハダ岩に帰るわ」
「えぇ……でも、そうですわよね。アカネにとっては眠っていた四日間なんて無いようなものですし、日常をまた少しずつ取り戻さなきゃ。
そうだ、そんな二匹に少し面白い話がありますの!」
パチン、と手を叩いて、フラーは楽しそうにそう言った。彼女は基本的にいつもテンションが高いのだが、今日は特に高いなぁ……と二匹は思いつつも、ほんの少し久しぶりで、なつかしさのようなものを感じる。
「面白い話って?」
「『閉ざされた海』の話ですわ!」
おそらく不思議のダンジョンの事だろう、ということは直に見当がついたが、聞いたことの無い名前の場所だった。アカネとカイトは二匹して首を傾げると、少し興味を持ったような様子でフラーの方をじっと見つめていた。
「あら、興味持ってますわね!?何でも最近の調査で氷の裂け目が見つかったらしくて、そこから海の中へ探検へ行けるようになったそうですわ!
何万年もの間眠っていたダンジョン……そこにはロマンを感じますわ!しかも、閉ざされた海には世界中の海流が流れ込んでいる、と……珍しいものも大量に存在するに違いありませんわ!
『閉ざされた海』は、吹雪の島の東の海域にあるらしいですわ。もし探検に戻ったら、あなた達も行ってみてほしいですわーー!!!」
キャーーーー!!!と、顔を紅潮させながら大はしゃぎしているフラー。こう見ると、彼女もゴリゴリの探検オタクだ。疲労感が募っているカイトと、今はまだその気になることが出来ないアカネにとっては、あってもなくてもどっちでもいいような情報だった。
それにしても、吹雪の島の付近に新しいダンジョン。吹雪の島では酷い寒さの所為でかなり参っていたが、そこまで難易度が高いダンジョンだとは思わなかった記憶がある。それに、ケンシンやスノウに出会った場所でもあるし、嫌な思い出があるという訳でもない。行ってみる価値はある。そんなことを頭の隅に留めておきながら、アカネとカイトはパトラスに挨拶に向かった。
フラーと分かれてパトラスの部屋の前まで行くと、特に何を言う事も無くコンコンとノックをして扉を開いた。妙にかしこまっていた頃はあったものの、今はもう二匹はギルドを卒業している二匹の探検家である。それに、急なアルストロメリア行きの件や現地での出来事を踏まえると、どうもかしこまるような気にはなれない。パトラスを責める気は無いにしろ、色々説明不足があったことは確かだ。
「どうも」
少し不機嫌そうにアカネはパトラスに言葉をかけた。パトラスは少しだけにへりと笑うと、二匹を手招きして部屋の中へ招き入れる。
「やぁ、アカネ、カイト。アカネ、体調の方はどうだい?」
「大分良いわ」
「うん、うん。良かった……それにしても、四日間眠っていてもすぐに動けるのはさすがアカネ、って感じだね。
アルストロメリアは、どうだった?」
「どうもこうも……散々だったわ。でも、悪くなかった。あっちでしか知り合えないポケモンとも会えたし。……もう会えないんだろうけど」
リリーとブランカの顔が頭を過る。いつまでも忘れられそうにないようなインパクトの強いコンビだったが、いつかはその声や表情も忘れてしまうのだろう。この先、きっと手紙でのやり取りさえも出来ないのだから。
「そうだね……基本、アルストロメリアは閉鎖的な場所だから。アカネ達のことが伝わったことも珍しいよ。
二匹とも、任務お疲れさまでした。アカネも、体調悪い時にこんな急な事頼んじゃって、ほんとうにごめんね?」
「気づいてたの?」
「そりゃぁ、僕はこのギルドの親方だからさ。
でも、今は少し調子が良さそうだね。一か月くらいはあまり無理しないで、頑張ってね。カイトも」
そう言ってゆっくり立ち上がるパトラスを、今更アルストロメリア行きのことで攻める気にはなれない。大抵の騒動はほぼジルバスター王の勝手な暴走だったというのは、あの騒動の渦中にいた時から既にわかっている。
「そうだ。アークは元気だった?」
「うん。すごい元気っていうか……元気だったなぁ」
「そっかぁ、彼も変わってないんだぁ。
うんうん。ありがとう」
しっかり休んでね、とパトラスは言い残すと、二匹に手を振りながら部屋の奥へと引っ込んでしまった。
特に文句を言うことなく終わったが、二匹は仕方がなく軽く会釈をすると、パトラスの部屋からそっと抜け出した。サメハダ岩へ向かう準備は整っている。二匹はすれ違う弟子たちにそれぞれ声をかけて挨拶をすると、ゆっくりとしたペースでサメハダ岩へと戻っていく。
そうして、少しずつではあるが、再び日常を過ごし始めるのだ。