24話 遥かなる叫び
「アカネ、準備できた?」
「私は大丈夫」
準備を終えて船のある港へと向かう。少々日が落ちてきたようで、空には茜色と水色のグラデーションがかかっていた。空を見上げれば、トレジャータウンに居た頃と何も変わらない空だ。風が適度に吹き、暖かいような冷たいような空気が毛をくすぐるかのように流れて行く。屋店の食べ物の匂いが空気に混じっていた。トレジャータウンの匂いは、もう少し塩辛さを含んでいたかもしれない。
「準備できた?もういくよー!」
リリーがノック無しにドアを勢いよく開いて顔を突っ込んでくる。既に準備万端な二匹を見てにっこりとすると、片足を器用に持ち上げて手招きをした。
アークとソミアに礼を言い、アークのギルドに在籍しているポケモン達にすれ違うたびに声をかける。つっけんどんな態度をしてくるポケモンはおらず、もう船出するということを伝えると多少不満そうにしながら別れを告げてくる。もうちょっとちゃんと話をしたかった、だとか、話せる機会が殆ど無くて残念だった、などの言葉を付けくわえるポケモン達が多い。
忙しかったとはいえ、自由な時間はあった。その時間を使ってもう少し交流できていたら、などと考えるのも時すでに遅しというやつだ。変に後悔を引きずって大陸に帰りたくはないため、二匹は相応の返事をポケモン達に告げていた。
チーム『ヴィクトリー』の二匹が柱の陰からそっと二匹の姿を伺っている。アカネはそんな二匹に気が付くと、目を細めて軽く手を持ち上げた。気づいてもらえた、と二匹は目を輝かせる。カイトもアカネの視線に気が付き、続きざまに二匹を見て手を振った。
「活躍期待してるよ!勝利の探検隊!」
「うわぁぁやっぱり恥ずかしいよォ…………!」
からかって言ったわけでもないのだが、ポッチャマは悶絶した。勝利の探検隊、と言いながら早々にアカネとカイトには負けているのだから無理もない。少し遠目にそれを見ていたブランカが、からかうようにクスクスと笑ってリリーに窘められる。
可愛い新米探検隊とも別れを告げると、アカネとカイトはリリーたちに先導され港へ向かった。
特にこれと言った会話はない。移動中に会話が無いことを今更気にするような間柄でもないアカネとカイトは平然と歩いていたが、ブランカは話していないと落ち着かないのか、チラチラと二匹の様子をうかがっていた。
少し気になることもあった。
「あ、あのさぁ。ふたりさぁ……」
「ん?なんだい?」
「……こっち来て、楽しかった?」
唐突な問いかけに思わず足を止める。船の時間も大事だ、と言わんばかりに、立ち止まったカイトの腕をアカネが小突いた。再び歩み始めると、先に声を発したのはアカネだった。
「そうね。楽しかったっていうより……予想外のことが多すぎて、疲れたかもね」
「そ、そうだよね。カイトも、突然決闘とかして……こっちの国のポケモン、色々勝手すぎたかもしれないの……」
しゅんとした顔をするリリーと、無表情だが、どこか不安そうな雰囲気を醸し出すブランカ。楽しかった、と言うとは思わなかったのだろう。ではないと、こんな質問はしてこない。
「でも、勘違いしないでほしいのが……別に、嫌な記憶として残ってるわけじゃないってこと」
「嫌っていうより、色々あったな、ってくらいだよ。それに、ここに来ていいことだってあったし……?」
カイトはそう言って、恥ずかしがるかのように目の上を軽く掻いた。二匹の返答を聞いて、リリーは安心したように『よかったぁ』と小声を口から漏らす。一方、まだ難しい顔をしているブランカは、再び二匹に問いかけた。
「もし、もしよ?私達がここから簡単に出国できるようになったら……また、私達に会ってくれる?」
大分年上の筈なのに、かなり不安気な声色で尋ねてくる彼女はどことなく幼げに思えた。
「当たり前でしょ。その時は、一緒に探検でもいいかもしれないわね」
港に到着すると、以前乗って来たものよりも一回り小さな船が待っていた。ゲイルズは今回は同乗しないようで、アカネ達に頭を下げて今までの謝罪も述べた。
「船上や、王宮内での失礼。まことに申し訳ありませんでした」
「あんたには随分色々やられた気がするわ」
ゲイルズはどうも訳が違うらしく、頭に怒りマークを浮かべながらアカネは言った。どうも、まだゲイルズに船の上で言われた『音痴』等の罵倒が頭に残っているらしい。カイトはそんなアカネを苦笑いを浮かべながら諫めると、船の傍のブロックに座り込んでこちらを見つめているクチートの方へ向かった。
「セイラ」
「カイトさま。アカネさまもお元気そうで何よりですわ」
「ううん、君もね。随分とここにいる間お世話になった気がするよ。船には乗らないの?」
「帰りは潮の流れの関係で行きとは違うルートを通りますので、今回わたくしは見送るだけになりますわ」
セイラは少しばかり悲しそうな表情を作ってカイトの方へ歩み寄ると、片手を彼に差し出した。
「握手していただけます?」
もちろん、と言われるままに手を握ると、そのまま離してもらえないのではないかと思ってしまう程の力で手を握りしめられる。カイトよりも小柄だが、力はかなり強い。多少動揺したカイトがセイラの顔を見ると、その瞬間ふっ、と手を放してセイラは微笑む。
「ごめんなさい、冗談ですわ」
「あの……。まぁ、いいや。
もう会えないと思うと、握手くらいはきちんとできて良かったよ」
「そんなこと言われたら、勘違いしてしまいますわ。またしばらく会えないなんて、本当に寂しいですもの」
「ん……え?」
何か頭の中で引っかかるようなことを言ったと思うと、セイラはふらりとカイトの傍を離れ、アカネの方へ向かって歩いて行った。
リリー達と話し込んでいたアカネは、横から向かってくる誰かにふと視線を移す。あまり会話をしたことは無いが、船の中や王宮でよく手助けをしてくれていたクチート。セイラのことはカイトから多少伝わっている程度だったため、きちんと向き合って話すのは船で差し入れを持ってきてもらった、あの一度きりのように思えた。
「アカネさま、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
「……カイトさまから多少聞いていらっしゃるかもしれませんが。わたくしは、人間について強い興味を持っておりますの。
実は、アカネさまに渡したいものがあります」
セイラは腰に巻き付けているバッグから何か取り出すと、アカネの目の前へ真っすぐ突き出した。それは少しお洒落で小さな巾着のようなものに包まれているのか、内容物を見ることは出来ない。アカネが不審そうにそれを見つめていると、警戒を解くかのようにセイラは真剣なまなざしで言った。
「わたくしが今まで研究してきた中で、唯一はっきりと形が残っており……人間の持ち物だったのではないか、と思った品物です。
しかし、わたくしが持っていてもどうしようも無いと言える物でもありますわ。もう調べつくしましたが、更に掘り下げられそうな事実なども見受けられませんでした。あなたが持っているのが良いと判断しましたわ」
アカネは大きく目を見開き、恐る恐る、と言わんばかりにそれを手に取った。セイラはそっと『それ』から手を放す。
アカネが触った『それ』は、なにか堅い球体のように思えた。大きさを言うなら、セイラの首からぶら下がっている丸い石と同じくらいの大きさだろうか。しかし、つやつやとしているそれとは対照的に、表面はざらざらとしているのか、布が引っかかっているような感覚。
「いいの……?」
「ええ、お持ちになってください」
普段はまず開けて確かめるアカネだが、動揺しているのか行動を起こす前に不安気にセイラに尋ねた。彼女は微笑んでいるが、目は真剣だ。
「わたくしには見えなくても、あなたには見えるものがあるかもしれない。何かの助けになることを祈りますわ」
トン、とアカネの手の上にそっと自分の手を重ね、セイラは微かに微笑んだ。
船上に乗り込み、ポケモン達の姿は徐々に遠ざかっていく。船の縁に立ち、小さくなっていく姿が確認できなくなると、アカネは手の中に納まっている小さな巾着袋に視線を落とした。
カイトもアカネの手の中に納まっているそれを不思議そうに見つめている。いつか大切にしていた、『遺跡の欠片』を思い起こすような『それ』に、アカネはそっと手を伸ばして袋の入り口を広げた。
ころり、と袋の中から現れたのは固形化した岩などが所々に張り付いた宝玉だった。アカネのネックレスに付いた宝石に似た、青緑色をしている。アカネはそれを摘み上げると、じっと覗き込むようにして目を近づけた。
「……なんか書いてある」
「え?」
宝玉の丁度中心部だろうか。何か文字が入っているのがアカネの目にははっきりと見えた。カイトものぞき込み、その文字を読もうとするが、読めない。
しかし、見たことのない文字だった。未来で言語の勉強をしているアカネも、『なんとなく』ですら読むことが出来ない。丸みを帯びたその文字をじっと見つめていても、何も起こることがない。
「なんて書いて……」
『ミァ』
「!!!」
ぞわ、と背筋に冷たいものが走る。
頭痛と眩暈がアカネを襲う。足元がぐらつき、視界がぼやけ、やがて真っ暗になる。心臓の鼓動が酷く五月蠅い。
やばい。駄目だ、これはかなり重い。
そう思ったアカネは、咄嗟にカイトの手を捜してもがいた。握りしめた宝玉が手を離れてしまうことが無いように、しっかりと握りしめてカイトの姿を必死に探す。
カイトを見つけることが出来たのかはアカネ自身にもわからない。その前に、一筋の光が彼女の目の前を横切り、感覚を全て奪いながら知らない景色を目の前に発現させていくのだ。
何かが違う。今までの『時空の叫び』とは、明らかに『何か』が違った。
荒廃した世界。
それはアカネが見てきた『未来の世界』とよく似た、灰色の世界が目の前に現れる。世界は色を失い、建物は溶けたようにボロボロ、加えて所々砕け散り、何か獣のような叫び声が空へ響き渡る。決して時を失っているわけではないという事は、どこからか感じる風や、砂埃や不快感のある匂いから分かった。
心臓が煩い。しかし、アカネの心臓が煩いわけではない。生命感のない世界にただ一つだけ、生命を感じるものがある。否、一人と言った方が正しい。
こんな世界には不似合いな、うねった金色の髪の毛。白い肌に、長い手足。彼女は肩を揺らしながら、何か噛みしめるようにして涙を流していた。胸が締め付けられるような感覚。ひたすらに誰かに謝るか細い女の声。女が胸に押し付けて握りしめている『何か』。
全てわかる。感情が全て流れ込んでくる。何故、絶望も希望も後悔も達成感も、全てごちゃ混ぜになった感情をその体の奥に閉じ込めているのか。
女の燃えるような真っ赤な目が、透明な涙をこぼしながら、世紀末の世界を見つめていた。
「アカネ!!」
倒れ込んだアカネをカイトは何とか支える。手からころりと零れ落ちた緑色の宝玉も何とか足でストップさせ回収すると、急いでぐったりした体を抱えて船内のベッドへ運んだ。『時空の叫び』が発動したのは彼女の反応から直に分かった。しかし、あれだけもがき苦しんだうえ意識を失ったのは初めてだった。
驚いた船内のポケモン達が二匹の方へと駆けつけ、船内は夜にも限らず騒がしい。
異常は特に見られないため、心因的なものだろう。回復を待つしかない。同乗していた医師はアカネの様子を見てそう言った。
「なんで、アカネばっかり……」
そう呟いても、彼女に伝わることは無い。